私の知らない貴方は
「消えただと!」
床や天井にまで血塗られた寝所は、集まった護衛や侍従、侍女達でごったがえし、ガラテアの亡骸を蔦の棘から外す事に苦戦している。
其の最中でウイルザードは地団太を踏む勢いで、逃げ消えたパメラの姿を血眼になって部屋を隈なく探した。しかしパメラの姿は欠片も残っていない。
ただ、転移の魔法陣が発動した痕跡がベッドにあった。
「鍵は公爵家から連れて来た側仕えかっ!自分には痕跡が付かぬ様に、仕える人間に陣を直接施すなど、相変わらず鬼畜なやり方をいてくれるなっっ!フローラ!!」
ガラテアの処置に動く侍従達は、ウイルザードが叫ぶ聞いた事のない名前に、一瞬首を傾げる。それでもウイルザードは構わず、再び側近を呼び指示を飛ばした。
「ブリュイエル公爵を呼べ!!直ちに聞きたい事がある!カイロン!ルイード・カイロン!」
呼びつけるはパメラの父親と、将来宰相候補として側に置く予定の親友ルイード。知らせを出すようウイルザードは侍従に言い渡し、皇太子宮の執務室へ入った。
重工な机に備え付けられた椅子に座り、ウイルザードは自分の愚かさに奥歯を嚙み締める。嚙み締めた唇が切れて、流れる血に机が汚れた。
!
(愚か、愚かなり!!俺は何度間違えるのだ!!再び自害するべきか?)
ギリギリと音が鳴りそうな勢いで握り締める拳を、執務机に打ち付ける。余りの物音に護衛が中を伺うが、とてもウイルザードを止めれそうになく、ただ扉を見つめているしかない。狡猾な婚約者を寵愛した末に、初夜で狂ってしまったのかもしれないと、護衛は主に哀れみさえ覚えている様子。
(結局パメラが、またフローラだったのだ!!くそ!何が、何時から間違っていたのだ?!)
そんな周囲の視線さえも分からなくなったウイルザードは、打ち付ける拳のと止めとばかりに、机の書類を乱暴に叩き落とした。
「殿下!!」
荒れ狂うウイルザードの元に、服装も乱して長身の男がウイルザードを止めに入る。
宴に参加し、そのまま城に残って子息達と談話をしていたルイード。普段は宰相譲りの頭脳明晰さが、雰囲気に滲み出た様なクールな表情の男である。しかし今日ばかりは親友の婚姻と、学友達と飲み交わしていたところへ、ウイルザードからの呼びだし。しかも内容が内容だけに、慌てて執務室に入ってきたのだ。しかしウイルザードの変貌に蒼白になる。
「殿下!ウイルザード殿下!!ウイル!!落ち着け!!」
次期宰相候補として、幼少からウイルザードと過ごしてきたルイードが、ウイルザードの愛称を大声で呼んだ。
「はあ、はあ、ルイード、剣を貸せ!又死んでやる!馬鹿な皇太子は、また間違えたのだ!もうエリザベーラに詫びる事さえ許されない!!」
漸くルイードが居る事に気が付いたウイルザードは、ルイードに剣を持ってくるように言いつける始末だった。
「ウイル!何を言っている?!とにかく落ち着け!ちゃんと息をするんだ。何か困ったことがあるなら、まず落ち着いて話せ!!」
現皇帝以上に優秀だと云われるウイルザード。子供のころから、達観した視線を持つ皇太子だと、ルイードは常から尊敬していた。自分も宰相子息として幼少から才覚を現していたと自負していたが、ウイルザードに出会った瞬間に自信を打ち砕かれた相手。
その幼馴染が初めて見せる姿に、ルイードは唖然としつつも、ウイルザードの両肩を掴んで正気に戻そうと試みる。
「無理だ、お前も信じない。、、俺だって何故か分からないんだ。本当なのか、今度は夢なのか、それとも俺は幻なのか、ちゃんと生まれたのか。もう、、俺は何度も愛する人を殺してきた。そんな自分の愚かさに耐えられない。また死ぬ、死んでエリザベーラを追いかけて、、」
「だから!一体何をそんなに嘆く?愛するパメラ嬢と一緒になったんだろ?ウイルは子供のころから、パメラと結婚すると云ってた夢を叶えたんだ。この僕が理由がわからない話だなんて。なんだよ、酒でも飲み過ぎたのか!」
リュリアール皇国の幼き皇子の幼馴染は、ルイードだけではない。パメラも筆頭公爵令嬢として幼少期を3人で過ごした仲だ。その頃から、ウイルザードはパメラに慈しみの目を持っていた事をルイードは知っている。ルイード自身、ウイルザードの話を捉えきれずに苛ついて言葉を返す。
「違う!違ったんだ!パメラも違った!パメラはエリザベーラじゃなくて、またフローラだった!!」
しかしウイルザードは、頭を抱えながら狂った様に、ルイードの覚えが無い名前を口にした。そんなウイルザードに、ますますルイードは困惑する。
「いつもフローラ、フローラ!フローラ!!俺はいつもエリザベーラを殺す!殺して!殺して!こんな嘘に翻弄される宿命に、俺はもう意味が見いだせない、、」
呻くように口にするウイルザードの言葉。呪われた様に叫ぶルイードの言葉を組み立てたルイードが、漸く1つの考えに至ると、漸く答えを合わせる様にウイルザードにある言葉を、投げ返した。
「ウイル、、一体ウイルは何者なんだ?」
ルイードに突然言い放たれた言葉に、それまで荒れていたウイルザードが動きを止める。
「分からない。ただ前世を覚えているんだ、俺は。」
まるで誰もいないかの視線を空に漂わせて、ウイルザードが呟く。
「そんな、、冗談?」
驚きを隠せないルイードに、再びウイルザードは、今度ははっきりとルイードに言葉を返した。
「5度目だ、4度の前世を覚えている。」
皇太子宮にまで聞こえていた宴の音楽が、いつの間にか消えている。脂汗を額に流したウイルザードと、ウイルザードの言葉に固まったままのルイードの元に、侍従長が扉をノックをした。
「入れ、、」
「殿下、、陛下が謁見の間にて、お呼びでございます。ブリュイエル公爵様も陛下の元に参じてございます。」
「・・・」
荒れ果てた執務室の状況を目にした侍従長に、自失するウイルザードに代わって、ルイードが頷く。
「さ、殿下。謁見の間に参りましょう。陛下とブリュイエル公爵がお持ちです。まずは、陛下に皇太子妃が失踪した事と、皇宮筆頭魔術師ガラテア殿
の殺傷死を報告をしなくてはいけません。」
もう取り乱してはいないが、どこか心あらずのウイルザードが、宰相子息らしい言葉を選ぶルイードに、片眉を上げた。
「ガラテアは、死んだのか。」
「はい、大量の出血を瞬時にしまして。100年以上生きた大魔術師が、逃れられない術を小刀にしこんでいた。というよりも、古代魔道具ではないかと。」
ルイードが示した小刀の事を、ウイルザードは鋭い表情で受ける。顎に片手を当てて考える姿は、数分前に取り乱した様子を払拭している。
「ガラテアには悪い事をした。」
いつものウイルザードに戻った事を、ウイルザードの声色でルイードは悟った。もともと腹芸に長けた皇太子なのだ。
「殿下、ガラテアは占星術に秀でた術師です。御自分の先を知っていらしたでしょう。」
ウイルザードの様子に安堵したルイードが、ガラテアを弔う様な眼差しを見せる。同じ城仕えとなる先達だったと、ルイードの胸に湧く思いもある。
「そうかもしれないが、やはり巻き込んでしまった、、、仕方ないのか、、行くとする。」
それはウイルザードも彼なりのガラテアとの距離があり、それは近しいものだったのだろうとルイードは感じつつ、2人は皇帝が待つ謁見の間に向かった。
「お前のおかげで、今度はまだ死ねないな。」
ルイードの耳にウイルザードの呟きが、深夜の空気と共に流れてきたのを、ルイードは無言で受け止めた。