辺境に巡る季節が
季節は移り変わり、エンルーダ領に長く居座る冬が過ぎ、束の間の春を越え、実りの秋がやって来る。
タニアは北の辺境エンルーダ領地で、ニアと名前を変え墓守りの平民として暮らしていた。
「グリーグ、精霊師としての手順を本当に読んでもいいの?わたし、魔法なんてろくに使っていないのよ?」
タニアは、グリーグが奥から持って来た古い本を何気無く受け取ると、中を開いて驚く。
『ニアが墓守りの手伝いをするなら、問題無い。』
グリーグは口髭を蓄えた口元を動かし、タニアにゆっくりと返事をした。
(初めて会った時は、掌に指で文字を書いていたけれど、今はもうグリーグの口元を読めるようになったわね。)
本の中に書き込まれていたのは、墓守りが精霊師として、核石を人体から取り出し、精霊界に人体を還す方法。
墓守り仕事の真髄だったのだ。
『魔法では無い。ニアにも属性はあるだろう?』
とんでも無い本を渡された事に固まるタニアに、グリーグは造作も無いと仕草で表すと、タニアの額に人差し指を1本当てる。
そうしてグリーグが気持ちを高めると、タニアの額に柔らかな緑の光が輝いた。
(これは!グリーグは木の属性を持つのね。とても暖かな流れだわ。)
グリーグの心地よい属性の光を受けながら、今度はタニアからグリーグの額に、人差し指を見よう見まね当てる。
学園時代に講義で教えられた、自身の属性エネルギーを発現させるやり方を試してみる。
僅かに眩い光が点った。
普段から発現の練度を上げなければ魔力も上手く使える様にはならないのだ。
『ニアは、光の属性か?』
「そうなの。やっぱり珍しいのかしら?学園でも殆ど、光の属性はいなかったわ。こんな感じなのだけれど大丈夫なの?」
今世の世界では平民にも個人差はあれど魔力が備わり、それぞれ能力に属性がある。
(珍しい光の属性なんて、本当に愛され令嬢達みたいよね。ただ精霊との距離が近いからか、癒しとか浄化が今世では特別じゃなくて、どの属性でもレベルが上がれば使える事が違うぐらいかしら。)
『どの属性でも、精霊師にはなれる。』
グリーグは問題無いと笑うと、タニアの腹を今度は示した。
初めてグリーグと出会った時は、まだ薄い腹だったタニアだが、いつの間にか大きく膨れている。
さすがに一目で妊婦と分かるぐらいに。
もういつ生まれても良い状態だった。
「お腹の子に無理無いようにって事?分かったわ。別に本格的に精霊師になって墓守りをする訳じゃないし。グリーグのお手伝いが出来るぐらいは、ちゃんと勉強するわよ。」
タニアの応えにグリーグも満足したのか、剣を持ち出し狩りの用意を始める。
墓守りの仕事は、領地から金銭と住処は保障されるが、日々の営みは自足自給が基本。
グリーグは陽が落ちる前に食料になる獲物を狩り出るのだ。
(そこそこ年齢はいっているはずなのに、筋肉は衰えないのよね、グリーグって。)
いつ隣国との紛争が起きてもおかしく無い辺境の民は、辺境警備も担う。
どんなに老齢であっても、体を鍛えているのがエンルーダの男といえるだろう。
ともあれタニアが見守る中、グリーグは狩りへと森に消えて行った。
「じゃあ、おじいちゃんが出かけているうちに、本を読んでしまいましょうかねー。」
すっかりお腹の子供を相手に話し掛ける癖がついたタニアは、腹に手を当てながら本を開く。
最近はグリーグの事を内緒で『おじいちゃん』と腹の子に話すように、タニアはなっていた。
(改めて読むと、つくづく精霊に愛された世界なのかもね。平民にも魔力があるのだから。)
グリーグから渡された本は、墓守りとしての精霊師がするべき事柄が具体的に書かれている。
其処に後から手書きで内容が付随されているのは、代々の墓守り達が追記して残しているのだろう。
(魔力を持つ民が亡くなると、次に力の核を精霊が使えるように、浄化をしてから骸を精霊界に送り出すって事よね?それを怠ると、魔力の無い民になってしまうなんて!それに、精霊界に送り出すと遺体はなくなるなんて知らなかった!)
「考えてみれば、グリーグが墓穴を掘るところなんて見た事が無かった。そういう事なのね。」
自然豊かなエンルーダは辺境警備の領地であるが、実はリュリアール皇国において別の側面も持っている。
リュリアール貴族の送り人だ。
民であっても、リュリアール皇国民ならば、亡くなるとエンルーダに骸を運びたがる。
精霊界への送り出しは、次の生への門になると考えられるからだ。
(このエンルーダが1番精霊界に近い場所だと言われている事も要因なのね。核石の浄化をして、骸を還す。魔物に核石があるのは知っていたけれど、人にもあったなんて。それに、核石は人の記憶を収納しているとも書かれている。)
墓守りが記憶を読むという事は、核石を浄化する時なのだろうと、タニアは予測する。
この何ヵ月か、グリーグが仕事をする時は、必ず処理室内に1人で入り行っていた。
その作業は如何なるものかは、近くで過ごすタニアにも分からなかった事だ。
「貴族の記憶を持つ核石。確かに腕の良い墓守りが必要になる訳ね。もしも流失でもすれば大変な情報よ。例えば皇族とか、、」
グリーグの腕がどの程度かは、タニアにも推し量れないが、貴族の棺が絶える事はない。
(その気になれば権力の弱みさえ握りかねない仕事だけれど、精霊は純粋な魂を宿す者にだけ応えるとあるわ。邪な気持ちを持った途端、精霊と介する事は叶わなくなるのね。)
タニアは渡された本を読み進みながら、精霊師としての力の流し方をイメージしてみる。
光のエネルギーを意識しながら両手を開いたり、握ってみる中で少しだけ開放する感覚が分かる。
ただ精霊とのコンタクトとなると、全く理解し難い。
「グリーグが帰って来たら教えてもらおうかしら。ね、おじいちゃんが沢山狩って帰るといいわね。」
「何だ、お前墓守りと、どんな仲なんだ。」
タニアが腹に手を当てながら、子に話し掛けた時、いきなり不躾な言葉を投げられる。
(イグザム、!)
「またその顔か、、今のお前は只の領民だろ。」
墓守りの建物に勝手に入って来られる人物は、エンルーダでもそう多くは無い。
赤毛の短髪を後ろだけ伸ばして括るイグザムが、戸口に仁王立ちしていた。
「次期領主様、今墓守りは留守にしております。何方お急ぎの送り出しでしょうか。すぐに戻るよう呼びますが、、」
改めて言われるまでも無く、タニアはもう平民としての意識で此処に居るが、イグザムの目からはタニアの素振りが酌にさわるのだろう。
タニアは突然の来訪者がイグザムであっても墓守りの部外者。
タニアは読んでいた、大事な本を閉じるると、墓守りの留守番としてイグザムに対応する。
「今すぐでは無いからな、別に墓守りを、わざわざ呼び戻す程では無い。」
タニアが、グリーグを呼び戻す試すに胸元から呼笛を出すのを、イグザム見たのだろう。タニアが口で鳴らそうとした呼笛を乱暴にもぎ取る。
カタンタンタン、、、
お陰で呼笛がタニアの手から離れて、床に落ちてしまった。
(本当は、単にグリーグを呼び戻したいのだけれど。)
タニアは恨めしい気持ちを押し殺して、床に手を伸ばしたが、すぐに横から手が伸びて拾うのを邪魔される。
「墓守りの手ずから作った呼笛か。」
イグザムはタニアから掠め取る呼笛を、クルクルと指で弄びながら、呼笛を忌々しそうに眺める。
喋る事が出来ないグリーグは、その変わりに異常な程耳がいい。
特にグリーグが自分で作り、タニアに渡している呼笛は、空気が良く振動して、遠くまで聞こえるのだと言う。
また墓守りの留守番として不慣れなタニアにとっては大事な笛だ。
「こんなもの、、」
それをイグザムがタニアに届かない位置の高さに、わざと投げて寄越す。
(次期領主が聞いて呆れる。まるで子供ね。)
タニアは伸び上がって、投げられた笛を受け取ろうとて足元をふらつかせた。
(あ、しまった。)
ズキン!!
「う、痛い!!」
急な動きが仇となったか、タニアの膨らんだ腹に激痛が走った!!途端にタニアの足元に水が流れた!破水したのだ。
「お、おい。お前、」
「ううあ、う、、あ、あ!!!」
急激にやって来た痛みにタニアは蹲り、呻きだす。
「い、医師は!」
イグザムが焦って馬を走らせに出て行く。
残されたタニアは、押し寄せる激痛の中、意識が飛びそうになるのを堪えて、腹に両手を当てる。
(ひ、光の、癒し、)
初めは小さな光がタニアの手から生まれ、やがてそれは大きな金色の輪になると、タニアを眩しく包み込んだ。