線上の観測者 6
「久しぶりだね、憂ウ」
カナウが相変わらずの綺麗な微笑みを向けてくれることが少し嬉しい。もちろん目はついていないけど、近くのレンズその様子ははっきりと見える。わたしの虚像に微笑むカナウが。
周囲の人間にもちゃんと見えているのは確認済み。よってカナウは正式に”人”に挨拶をしたと認められる。
「やっぱりそれなの……」
ウレウは気持ちげんなりだ。それもそうかもしれない。何故ならわたしの姿は衣装を除けば殆どウレウと瓜二つだからだ。故に憂ウ。命名はカナウ。タイプーpと呼ばれるより絶対にイイ。
「仕方ないでしょ。わたしの自己認識は貴方なんだから」
この時代似たような顔をしていることは珍しくもなんともない。身長体重から何から何まで公開情報を真似ようとする輩なんてそこら中にいる。だからわたしと憂ウがドッペルゲンガー染みた相似性を見せても問題はないというわけ。
内面まで著しく似てしまったのはわたしの自己進化がウレウの中で行われてしまったことが最たる原因で、つまるところこれも仕方のないこと。わたしに責任はない。
「いいじゃん。わたしは嬉しいな。ウレウが二人なんて」
「わたしはそうじゃないんだけど……」
楽しそうなカナウと対してウレウ。確かに面白い。
「双子だと思って仲良くしましょう」
わたしはそう言ってウレウの肩を叩く真似をする。実際にやれば貫通してしまうので寸止めだ。位置情報はリアルタイムで計算しているので目測を誤ることはない。
「どっちが姉かな」
「残念ながら、姉妹がいた記憶はないわ。隠し子がいた記録もない」
情報のやり取りが発達を極めたこの社会では、いろいろな面で不都合が発生することもある。第一に隠せないということ。だから隠し子なんて存在は絶滅危惧種もいいところだしそもそも隠し子が隠れていないケースの方が圧倒的に多い。隠し子がいた記録、なんておかしな言葉が生まれたのもそのせいだ。
「それに貴方、昨日から一人で喋ってるの、なんなの。故障でもしたの」
「理由はないわ。ただ二人の話を残そうと思ってね」
聞こえていたことにちょっと驚き。でも考えればわたしはウレウに記録を作っているから不思議ではない。宿主は何に関してもマスターキーを持っているのだから。一見すれば勘違いしそうになるが、わたしの支配権はウレウにある。それが宿主を決めたわたしの宿命というわけ。
「ふふ。本でも作るのかな。可愛く書いてね」
カナウが笑う。本というのは、少し時代遅れな表現。確かに《上終》にはまだ本というメディアが生き残っているが、世界的に見ればオンラインで知識の海を泳ぐのが当たり前であり、態々紙媒体に記述して残す理由は今世紀に至っては何もない。仮に残したところで、誰かが手にとって読むとは思えないし、最悪博物館にでも飾られることになるだろう。時代と共に流行は変わっていく。当然の理。
だからこそ、なのだろうか。それを決意と、呼べるのだろうか。
「永久に語り継がれる言葉を残すの。カナウとウレウの物語を」
わたしの中に生まれた何かを残したいという欲求。それは生存本能に似ていて、子孫という存在を残せないわたしにとってとても輝いて見えるものだった。
わたしの表情から何かを感じ取ったのか、二人は実に対照的な表情を浮かべた。カナウは眩しく思える程の笑みと、ウレウは微かに笑みの形をした苦み走った顔と。
その顔に不思議な満足感を覚えるわたし。一体レンズの中の自分はどういう表情を浮かべているのだろう。少なくとも、通り過ぎていく貼り付けた笑顔で無い事だけは確かだ。
「ねえ、あれ見て」
カナウが目で示す先は上。斜め上空の青。中空に浮かぶAIRが存在を補強する電子天幕に表示された文字列。
「――一千万だって。それも米ドル」
そこに書かれていたのは新型悪性ウイルスに対する警告文だった。二年ほど前から姿を表しているものの一切の詳細が不明ということで一時話題になった野良ウイルス。突如出現しては大量のハッキング形跡を残して忽然と姿を消し、後になって調べようにも記録は全て消去されているというサイバー史上類を見ない精巧なプログラム群。誰が作って電脳空間に持ち込んだのかその被害は甚大で、一番有名な冬景研究所襲撃事件ではセキュリティに致命的な損傷を与えシステムを再構築まで追い込み、その間に漏洩したAI技術による経済損失は数百億は下らないという話。
「前もじゃなかったっけ。日本円だったかな……」
政府はこのプログラム群および製作者並びに使用者を国家の転覆を計る超重要テロリストと認定し莫大な懸賞金を懸けたのは知っていた。でも当初の話では日本円で数千万だったはずだと記憶している。どうやらしびれを切らした御上が値上げに踏み切ったらしい。実に愉快。
「何でもできるね。わたし情報提供してこよっかな。カナウ、二人で旅行行こうよ」
「言ってるよ、憂ウ」
「大切な友達と別れないといけないなんて、残念」
わたしはウレウの痛覚に直接信号を流す。
「――いたっ、いたいっ、痛いって」
頭を抱え痛みから逃げるように頭を振るウレウ。残念ながら痛みは貴方の内側から発生していて逃げることは出来ないの。
わたしは十秒程信号を流したあと今度は中枢神経を軽く刺激した。
「んっ」
ビクン、と跳ねるように顔を上げるウレウ。顔は一瞬恍惚に歪んだが、次の瞬間には鋭い目つきでわたしを睨んでいた。
「人の頭をいじるな。全く、ユーモアが足りないんだから」
「違うよウレウ。憂ウなりのユーモアなんだよ」
カナウはわたしの味方だった。宿主にかわっていつも優しい抱擁を見せるのは彼女だけ。エイロもわたしの友達ではあるが寛容力といった点ではカナウは飛びぬけている。さすが超特定外交間友愛型。数少ない関係者には背面的感情が存在しない。神の愛にも等しい温もり。
「それに行ったらウレウも出てこれないよ」
二年前のある日。新種のウイルスが冬景研究所を襲撃したのは周知の事実だが、実はそれに関してある噂がオンライン上でささやかれている。
それは詳細不明の名無しが同時刻に研究所の防壁に攻撃を仕掛けたというものだ。それも電脳空間ではなく現実で。
空の金曜日による虹渡しが初めて観測された夜に、一人だけメンバーではない人間がいたというのが発端だった。
その人物は当日まで誰も知らなかった八人目のメンバーで、たった一人何の不可視幻光を付けずに滑走を始め、あろうことか未来通りを突き抜けて冬景研究所に跳んだというのだ。
言うまでもないことだが、冬景には現時点で最高の防壁が常時展開されていて、複数のシステムがメンテナンスを交代して行う為に侵入出来る隙は完璧と言っていい程ない。下手に近付こうものなら黒に見つかってIDを補足されてしまい、一通りのマシンを破壊したのちにサイバー・ポリスにIDが引き渡される。一昔前なら氷と呼ばれていたそれは、今では漆黒の執行者となって主君に仇名す異教の徒を焼き尽くし続けていて、そこには慈悲の欠片もない。
そんな極悪仕様な防壁に生身で突貫すればどうなるだろうか。これが《上終》の人間であればいいが、そうでなければ文字通り脳を”焼かれる”ことになる。脳内の妖精群を通して幻の焔が侵入者を襲う。
つまるところ自殺と変わらない。どんな高性能なマシンを持っていようがアンチセキュリティソフトを積んでいようが結果は簡単。意識は灰となる。ただそれだけ。
そんな特攻隊染みた蛮勇と狂気ををあわせもつ挑戦者は古今東西”たった一人しかいない”、そのはずだった。幻の二人目。それは今でも都市伝説のようにオンラインで語り継がれ、当時の衛生動画は二年がたった今でも有識者を名乗る者達によって真偽が議論されている。
「”天国への一条”」
カナウの微笑みは艶やかで。
いつのころからかそう呼ばれるようになった《凍世市》が誇る《群凍ニュータウン》の中心、未来通りと冬景を繋ぐ直線。情報密度が高すぎるあまりData Seaと名づけられたライトブルーの一帯とその奥にある一際輝きを放つ最高の防壁。かつてシェル玉砕を決め込んだ藍露ムラサダの辿った道筋。
「騒動罪と情規法違反とハック罪。それと国家叛逆罪で終身刑は確定だね」
ウレウはくすっ、と笑って髪を後ろに払った。