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Wire-Live   作者: 凪さ
3/6

線上の観測者 3



 それから十分ほどエイロとウレウは昨日ぶりの近況報告をした。この前来たマフィアの幹部が、可愛い息子に刺青を入れさせられていたと聞いた時は流石にウレウも笑っていた。どうやらエイロとの逢引が目を掛けている親にばれたのだとか。それでもエイロの元に通う男の本能には感心してしまう。

 やがてお互いのグラスの中が綺麗なアイスだけになりかけてきた頃、カラン、と控えめにドアが開けられる音がした。”荏苒ジンゼン”の開け方ではない。もちろん《上終》の流儀でもない。

 続く足音も、聞いてて不快じゃない軽い音で、他の客の汚い会話に掻き消されてしまいそうだった。

 鳴らすブーツは黒の編み型、白く透き通る肌が膝上で、これまた白いワンピースに隠されている。向こう側が見えそうなガウンを纏う姿は天の使い。長い黒髪が波打っている。カナウだ。


「お楽しみ中だったみたいだね」

 そう言ってカナウはウレウの右隣の席に座り、

「バーテンさん、ミルク、甘めでお願い」

 律儀に敬称を付けて注文を出した。古典的な西部劇みたいにカナウに野次を飛ばす外野はここにはいない。というかこの三人娘ラビットに構ってと言うやつはいない。いつの文献を見ても女子供に手を出すな、という不文律は存在するが、それは真実だと付け加えておく。レンズに微笑みが向けられた。

「なに、秘密の話(シークレット)だったかな」

 そう言われてエイロの方を見る。エイロは頷きを返して、

「おかしな客が来てね、お願いしてたところ」


 バーテンがミルクを持ってくる。その隣にシュガースティック。年代物の形式が時を越え、新装されて世に出てきた。——形式、それは時として正論をコーカサスくらいまで吹き飛ばし、裏社会に微妙な均衡を齎す。

 そのわずかな音がきっかけになったのか、店内に瞬間的な静寂が訪れる。一瞬で気まずさが頂点に達するあの瞬間だ。その空白の何かをそらすように再び会話が始まる。誰かの甲高い笑い声。

「いいよ、見せなくて。ウレウに頼んだんでしょ」

 エイロは首を振り、

「見て、間違いがあったら困るから」

 四方は夜。周りは針のむしろ。それこそ《上終》であり”荏苒”に生まれた在り方。《ホメロス》が取り戻そうとした時代はこうして蘇ったというわけだった。

 《ホメロス》は《上終》を建設するにあたって創設された出資者団体であり、ここで働く住民たちの主な雇用者でもある。


 生きるために孤独な戦いを強いられ、真剣な眼差しウレウに向けるエイロ、わたしを信用していない、というよりは万全を期す姿勢。そういうのは嫌いじゃない。そして約五分、同じやり取りを繰り返す。

 まだ少女と言っても通用する三人がカウンター席で友人のポルノを見るというのは、少しだけ背徳感と日常が非日常に変わったような俗物的な興奮があった。オンラインでVアイドル(バーチャル・アイドル)のIDを見つけた時のような、それも当事者の目の前で、当事者と一緒に。

 頭と腹部の奥にむず痒いような熱を伴った感覚が走るのを知覚する。再生が終わってカナウは、

「わお」

 と言った。まるで形式的にこう言わないといけないというルールがある、とでもいうように。

「なんだか、熱くなるね。こう、じわっと」

「やめてよ、恥ずかしくなってくるじゃん」


 そう言ってエイロは追加のジュースをバーテンに頼む。今度はグレープフルーツだ。微かな疎外感をウレウが感じている。偽物の感傷が去来し少しだけ苦笑。

「顔は映ってるから大丈夫だと思う。ちょっと待ってね」

 カナウはそう言って自身のAIRを操作し始めた。指が勢いよく宙で踊り出す。オンラインで自身が知る限りの方法で検索を掛けている。本気の検索。本当なら意識だけで操作できるところを態々指で行うあたりカナウはまだ律儀だった。人としての律儀さが、人としての存在意義のようなものが感じ取れる。わたしの力に頼らない、その強さ。

 まだぎりぎり大丈夫。情規法的には白よりのグレーだ。誰かを探すために検索を掛けることは今のところ法律では規制されてはいない。今のところは。何故ならどこまでが個人情報プライベートでどこまでが公開情報オープンソースなのかはこの高高度情報社会では日々激しい論戦が繰り広げられている最中なのだから。違法コードを使って個人のアカウントにハックでもしない限り情報局が動くことはない。とは言っても白昼堂々とAIRを操作している場面を治安維持警察テクノ・ポリスに見つかれば罰金では済まないのだけど。


 技術に取り残された街と揶揄される《上終》でも情報規制はある。とりわけ個人情報といったものに対する執着は他のどの都市よりも強いのがここであり、故にオフラインが正常でAIRが入っていない住民も多い。

 エイロは職業上の理由から数年前に手術を受けた――と言っても注射だけだが――らしいがそれ以前はバーテンと同じようにそもそもAIRを知らなかったらしい。

 情報格差。ある一定以上の所得がある家庭とそうではない家庭の情報取得率および取得範囲を調査した結果、それの実証例。”あっち”ではそこまでの垣根を作っていないその言葉が、こちらとあちらでは文字通り天と地ほどの差になって現れている。情報密度が違うのだ。こちらと向こう側では。それ故に必然的に検索も時間と労力がいる。そもそもとしてこちらのネットワークは貧弱なのだから。”あっち”のネットワークに渡る為に接続を繰り返していたのでは効率が悪すぎることは明白だった。

 それでもわたしにとっては時間の問題ではあるが。


「やっぱり、見てもらった方が早いかな」

 しばらく虚空と睨みあいをしていたカナウがそう呟いた。

「うん、仕方ない」

 そう言って指をスライドさせていく。まるで遠くに線画でも描いているみたいに。雲のデッサン。次々と消去されていく重なり合ったタスクが見えた気がした。ライトグリーンの積層雲。複数の線によって集積したデータの結晶。

「ごめんね。でもこういうの、まだ分からないからさ」

 その一連の流れを見たエイロが申し訳なさそうにそう言った。いつもは自信にあふれているその顔が、少しだけ濃い影を作る。それでも明確な皺が出来ないのは細胞造成技術セル・バイオ・テクノの進歩のおかげだろう。驚異的な肌の白さが薄明りの店内でも分かる。

「大丈夫」

 カナウは微笑んだ。口元の形が美しい曲線を描いている。天然なのだ。その手の筋に聞けば値段が付けられない(プライスレス)だと言われたっけ。事実カナウはその手の改造テクに手を出したことがない。パターンを取らせてほしいと大金を積まれたと本人も言っていた。本物の傾国。

「任せて。強い子を知ってるから」

 


 《凍世市》に渡るためには手続きを殆どしなくてもいいのが特徴だ。《上終》に戻るときに技術検疫を受け無ければならないことを除けば、それらしいことは何もないと言っていい。

 実はこの検疫が少し厄介な代物で、間違って体内の妖精群を起動させたまま入ろうものなら問答無用で連行される。その後、起動していたソフトとOSをくまなく調べ上げられ、もしこれが過度な利便性の向上に繋がると判断されれば強制的に都市追放となる。

 一回目でそこまで行くケースはなかなか珍しいが、回数さえ重ねれば誰だって反逆者として追放されてしまうのが油断ならない最たる理由だろう。そもそもとしてこの都市は前提がオフライン。AIRを入れている方がレアにあたり、検問所は容赦する必要がない。


 したがって去る者に対しては別段厳しい制約が設けられている訳ではないのですんなりと外に出ることが出来る。と言っても、徒歩で出る人間はほとんどいないが。

 あのオレットでエイロと別れたカナウとウレウは、日の沈む街の中で送迎車を捕まえ中央駅に向かっていた。”荏苒”の石畳では呼ぶことが出来ない送迎車は、態々通りまで出て呼ばなければならず、入り口に相当する一番街通りの四つ目の交差点を指定してそこまで歩いていく必要があった。地下の鉄道網がそれほど発達していない”荏苒”ではこちらの方が幾分か早い。

 騒音を鳴らす排気車両が夕日と灰色のコントラストを描くアスファルトの上を滑っていく。《上終》の八割以上の車両は電気自動車となっているが、中にはオールドファッションを気取る紳士淑女がいて、たまにこういったサプライズを受けることがある。個人の送迎業者としてはかなり粋な部類だ。もちろん条例違反でこれは”荏苒”の流儀に当たる。


 ウレウは外の景色を眺め、自然とドアについているスイッチを押す。

 如何にも機械的な動作音と共にパワーウィンドウを開けると、目をしかめたくなるような、夕日を返し光る幻想的な埃を孕んだ空気が車内に吹き込んでくる。外は時代の背景を切り取った風景画のようで、頭を下げながらまるでうなだれているかのように歩く人波が印象的だ。

 喫茶店パール・セ・ラに人が集まっているのが見える。どこかの酔狂な手品師が自慢の技を披露して次の瞬間には地面に倒れていた。古きセダンはそんな光景に見向きもせずに背中を向ける。中央区はまだ西。アトラス記憶集積場データバンクも西。日の当たるエリアも西。《砕千》と《上終》の繋ぎ目。

 約十五分程ノスタルジックな旅を続けると視界の右側に巨大な施設が見え始めた。かつてここにあった大通り駅をそのまま改築し現在に至るまで使用している《新凍駅シントウ》であり、ここから先が日当たりのいい区画となる。《レッド》の影響力もここまでくれば僅かなもの。

 外装はこの街には珍しい白の装飾が施されているのが最大の特徴で、似たような輝きを持つ家屋は庁舎を除いて一つもない。灰色とくすんだ黒の街に置いて異彩を放つこの場所は真実異界へと繋がる唯一の入り口となっていて、駅前広場の四角形のモニュメントが巨大なスクリーンとなって四面から映像を流している。

『政府は関連企業との連携を強め——』

 見たことのある初老の男が、陰で全てを見下している者特有の雰囲気でインタビューに答えている。

 答えは直ぐに分かった。《凍世市》の政治団体の幹部だ。

 わたしたちは駅の中に入った。

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