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Wire-Live   作者: 凪さ
2/6

線上の観測者 2


 見上げた空は掻き混ぜた(スクランブル)虹を見ているようだった。

 まだら模様に黒ずみ雨よりも有害な”何か”を降らせそうなパノラマ。狭間狭間に見える微かな青だけが追いやられた正常を表現している。

「今日だって、酷くやられたもんだな……」

 ネオンが停まった看板の影、穴だらけのジーンズとボロボロのシャツを来たホームレスを眺める声。《上終かみはて》の一種のジョーク。《上終》の流儀。反社条例によって再現された古き良き時代のワンシーン。石畳の道路という超現実主義的シュールレアリスム景観に落ちている星沙鶴シンシャーフーの煙が消えゆく儚さを演出している。

 オジロから三ブロック南、《上終》は”荏苒じんぜん”。鉄と焦げ付いた匂いのするこの街の中でも、一頭華やかな香りの漂う名所。道端の脇にある千本格子の扉が更にその情感を加速させる。


「ここじゃ誰かしらこうなんだよーー」


 そんな悟った子供のイキがりを聞きながらわたしたちは《オレット》のドアを潜った。

 何百年も前の《パイレーツ》の化粧。黒を白と押し通すことの出来た時代の残り香。古めかしいバー・カウンターに今では禁制の風潮がある第一次禁酒類アルコール。壁に《エッペル》の絵画が掛けられている。奥にいるのは売り手(バイヤー)のロテロだった。インド系の巻き髪と眉唾物の十字架クロスを首から下げている。カウンターの中にいるバーテン――本名バーテン――が白人と黒人の中間地点をさまよう不気味な顔色と皺が深く刻まれた口元を歪ませこちらを見る。笑った。

 眠気を隠そうとせずにカウンター席に座るとバーテンが言う。


「ここは喫茶店じゃないんだぜ……」

 そう言いながらもバーテンはなかなかお目にかかれない酒瓶が陳列された棚から年代物のウィスキーを取り出し、

「全く、おかしな話だぜ」

 グラスに注いで滑り渡してくる。

「飛んでるの」

「ああそうさ。ロテロも今夜一番のフライトに出掛けてる」


 なんて返してくる。わたしは知っている。この男はジャック《ビーン》はやらない。

 三つ隣のロテロは目を瞑って微動だにしない。専門家プロの楽しみ方だ。夢は目を瞑ってこそ素晴らしいという経験則からくる事実を悟っている。十分なほどにその身に焼き付けた風格。自分にはないもの。指に付けている《バガル》製のルビーリングがプラスチック製のカウンターにぶつかりかたかたと音を鳴らしている。

 エイロはわたしたちの隣に座りオレンジジュースを注文した。その間にロテロには一瞥さえしていない。この手の馬鹿は嫌いだと言っていたっけ。


 目の前の琥珀色の液体を見る。薄暗いこちら側へ透けるようにカウンターの淡い照明が色を伴って突き抜けている。樽の中で年を重ねた証である甘い香りが不意に漂って来た。

 内面的静寂を感じる。己の中に自分を遮るものが無い。目を開けていたって見られる暗闇に酔っている。それこそこの琥珀色の渇きを癒すもの。誰よりも長い時を生きてきた魂の琥珀。

「姫様は来るのかい」

「メッセは来てたかな」

 ロックアイスが溶け、少しだけ色が薄くなった気のするそれを口に運ぶ。僅かに、甘い。味覚を繋げてひと時の快楽を共有する。

「学生も大変だねェ。休みなし、待ったもなしかい……」

「貴方もね」


 もう一口、口に運ぶ。やはり甘い。けど今度のそれは喉の奥に確かな熱を齎して、そこでここに座って初めてドアの音が鳴る。時計は丁度直線(ストレート)の一つ手前を指していた。開店の時間だ。

「仕事、上がって大丈夫だった……」

 いきなり呼ばれた理由を聞く。街中では商売ビズのことは話さない暗黙の了解がある。

「全然。即だって。一発」

 《ラスデロ》の高級娼婦エイロと言えばこっちではそれなりに有名であり、彼女の一時間当たりの単価は高額だ。そんな彼女を連れまわしているのは結構目立つことだったりする。

 それでもわたしたちがマフィアに絡まれないのにはそれなりの事情がある。

「あっちの客だからさ、期待してたんだけど、全く。馬鹿にされた気分」

 バーテンが何も言わずにグラスを滑らせてくる。中はオレンジジュース。下戸なのだ。

「でもさ、そのアメリカコロンブス、おかしかったんだよね」


 またドアの音がなった。二人組の来客。店内に付けられた二台のカメラが新手の侵入者に向けて威嚇的な視線を投げている。監視社会ディストピア条例によって一部公共施設を除いて絶滅した無機物には違いない、しかしこういった店では未だに現役であり、無秩序の中の秩序を保つことに大きな貢献を果たしている。

 わたしは入り口側のレンズに潜り込んだ。


「おかしいって、まともなのが来た試しないじゃない」

「そうなんだけどさ、なんかこう、違うんだよ。まるで人形オート・ドールを相手にしてるみたいだった」

 エイロはそこで何かを思い出すように左上を見て、

「うん、ちがった。あれだ、AIRエア・リアルを見てるような目だった。こっちを見ているのに見ていないような」 

「飛んでたんじゃないの」

「それならすぐわかる。飛んでる客っていうのは何かしら壊れてるのが多いから」

 エイロはそう言って肩を竦めた。カウボーイの仕草。

 ジャックは覚醒剤スピードタイプの混合で即効性が売りの薬。打った時に現れる全身の硬直がまるでジャーキングにそっくりだったからこう呼ばれるようになった。豆の木ジャック、転じてビーンというわけ。


 対面のウレウは唇に指先を添える。わたしが抜けたことを知らない透明な爪。整形技術が突き抜けに突き抜け、顔面形成フェイス・クリエイトさえ自由になっている時代に貴重な存在。闇クリニックには当然のようにモデルや女優の生成型パターンが置いてあるがそのどれにも当てはまらない光沢。

 わたしは考える。エイロの元に来たおかしな客だ。何かがおかしくて当然のこの界隈でおかしくない癖におかしい人間。奇妙な話だ。フライト依存(中毒)でもなく興味本位の金持ちでもない、高い金を払った割にさっさと帰る変わり者。そんな人間は少なくともこっちにはいないし見たこともない。

 確かに、おかしな話だった。


「あんまりだったからさ、ちょっとお願いしようかな、なんて。わたし上手く探せないから」

 そう言ったエイロの顔は少しだけ強張っていて、珍しくも確かな恐怖を感じさせた。

記録ログは」

 ある程度の閾値に危機管理ステータスが達する職場では、《上終》でも記録ログを残しておくことが推奨されている。それは当然レンズでも契約書でもいいわけだが、一番確実な記録はいつだって主観映像に限る。《凍世市》ではそれだけで立件が可能だ。


 気にしすぎ、なんて軽い言葉は厳禁。少なくとも”こちら側”では。そう言って些細な何某かのメッセージを見逃す奴ほど早く消えていく。裏社会の絶妙な綱渡りに失敗して。そこに誰かの介在の余地はない。自分だけのエリアをどこまで広く維持していられるかが生存のカギだ。そうやってキケンにいち早く気付いた者が明日を生きる権利を得る。それをわたしとウレウはこの二年で知った。

 だからこんなにもいい加減な存在が介入する余地を見つける。


「あるよ、途中から回してた。名前は、ごめん。入店名しかないや」


 そう言ってエイロは顔の前で虚空に向かって指を動かし始めた。AIRエア・リアルと呼ばれる拡張現実の一種。インデックス製の妖精群フェアリー。わたしの家でありOSはWelderウェルダー。《上終》で使う機会はそう多くはない。まだ苦手なのだ。スライド、スライド、タップ。

 数秒後、ウレウが頭を軽く振りながら視線をどこか規則的に動かしだす。わたしはウレウの中に戻った。視界にライトグリーンのタスクが展開し左端の中段にあるメッセ・リンクに白のエクスクラメーションマークが点灯している。それはウレウの体内にある妖精群が受信したデータを復調し、二進数データを視覚野と連動して描画したもので、ウレウは視線を向け頭の中だけで展開を意識。リンクの先に飛ぶ。


 セキュリティ勧告を飛ばし本題である動画ファイルを開く。この時点でもうわたしは中身を見てしまっていたけど、口は出さなかった。続けて意識は軽いタップ。再生時間が表示されロードが始まる。時間は五分程。

 短いロードが終わるといきなり画面いっぱいに男の顔が映し出される。白人、アメリカ人だ。黒髪で目が灰がかっている。画面の端に《ラスデロ》の個室に掛けられている黒革のバニースーツが脱ぎ捨てられた形で映っている。高級娼館なだけあって内装は極めて豪華。少なくとも表面上は。この景観を維持するために安くない外注を掛けていることを知っている。


 男は確かに、おかしかった。目の焦点が少しだけあっていない。口にする言葉も殆どなく、たまに、お、あ、といった意味のない音を発するばかり。動いてはいるのが唯一のまともな行動だった。精神疾患とともに薬を使って脳を痛めつけたような印象。

 エイロにのしかかった男はその後も白昼夢を見ているような様子で自分自身をエイロの中に押し入れ続け、やがて達した。一瞬だけ体を緊張させこらえるように息を止める。目は僅かに細められただけだった。また少し焦点がずれる。もっと奥、エイロが横たわるベッドの奥、ありもしない何かを見ている。それが動画を再生させて三分くらいの話。


 九秒前後の至福の後、男は立ち上がり緩慢ではあるがしっかりとした手つきで脱ぎ捨てていた服を着始めた。様々な液で濡れている自分自身もそのままに明らかにブランドもののスーツのチャックをあげる。銀で装飾された社章が見えた。エイロはそれをただ黙って見つめていた。少々唖然としていたのかもしれない。アダルトな雰囲気を醸し出す薄いピンクの照明がスポットライトのように男を照らし出し、カシャカシャという音だけが聞こえてくる。

 そして男はこちらを見ることもなく部屋から消えていった。僅か五分の話だった。

 わたしはまたレンズに潜る。


「確かに、見たことないね……」

 ウレウがそういった時、アイスはもう三分の一程になっていた。

「でしょ。気味悪いったらなくて」

 いつの間にかエイロは身を守るように両手を豊満な胸の前に回していて、生存本能が当然の反応を返しているようだった。

「安くしとくよ」

 それはわたしのセリフ。

「酷い、友達が困ってるのに」

「じゃあタダでいいよ」

「――それは嫌」

 それはないと思ったのだろう、本当に嫌そうな顔をしている。表情に出やすい性格なのだ。元がきっと”まとも”な性質で、そのせいで難儀していると本人からも聞いたことがある。いずれにしても彼女はエイロだった。

「多分そろそろだから、安心して」

 それだけがウレウが言葉に出来る唯一の気休めだった。

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