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Wire-Live   作者: 凪さ
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線上の観測者

 

 文献によると、《上終かみはて》の街並みは半世紀以上前の《東京》に似ている。

 所狭しと立ち並ぶ高層建築は変わらずで、解体が進んでいる今でもそれなりの数が生き残り、オフラインによる仕事と浮浪者のたまり場となっている。まっとうに経済活動を行う企業の反面、マフィアと名乗る伝統的な反社もセットで。

 オンライン的にはスラムも同然な旧式のデジタルワールド。ここでは未だに携帯電話という遺産さえ現役で、ネットワークは流れてきた技術者達が勝手に作り上げて一個のシステムにしてしまった。ネットワークは完全に《凍世市(トウゼイ)》とは隔離されている。

 つまるところここは政府から干渉を極めて受けづらい一帯となっているのだ。


 道路にはひび割れたアスファルトが、空は遮るものがなく青と濁った黒で包まれていて、走るガソリン車が灰色の排気を撒き散らす。そこには他者への配慮も環境への気遣いも何もない。

 顔を撫でる空気は何かが焦げた匂い。過ぎゆく人波の足音は重くその顔には諦観。

 己の為に生きる。それだけがルールとなった街。

 誰かが作り出した違法薬物が一時的な高揚を齎し、夢が覚める時には現実という刃が今以上に魂に傷を付けていく。J・G・バラード。魂の郊外。

 誰もが知っている。ここに未来はない。あるのは身を蝕んでいく終わりのみ。足元から這い寄るように、駆け上っていつの日か心臓に食らいつく。故にここは《上終かみはて》。

 誰もが知っているが、誰もがここからでようとはしない。誰しもが持っているから。漫然と過ぎる日々の中で、ここでしか癒せない傷を。

 静寂という薬でしかふさげない隙間を誰もが胸の内に秘めている。

 だからこうやって廃墟から空を眺める不適合者がまた一人。


「夢は夢だからこそ美しい……」


 かつてそんなことを言った詩人がいた。数百年も前の話。今と同じように、廃墟に寄り添った誰かがいた。

 空は変わらず黒く濁った雲が厚く重なっていて、未だに稼働を続ける富士の前進であった旧新鋼の化学工場――《象の足》がその子供達を忙しなく空に送り出している。

 ここで生産されていると”される”各種半導体はこちらでは現役であり、それを密売して巨利を上げる企業も少なくない。公式には製造が止まっているはずの廃工場が生きて黒煙を上げる姿を見て上層部は何を考えているのだろうか。何故煙が上がっているのかを察している者はいるだろうか。

 目の前には空と同じく濁った海がある。それがなんらかの物質で汚れているのかそれともたんに空の鏡となっているだけなのかはわたしには分からない。解析する気にもならない。この工場が止まっている姿を見たことがないから。あそこではここでさえ居場所のなくなった救いようのない連中が昼夜を問わず働かされていると聞く。


 視線を右に向け陸と海の境界線を沿うように見る。今は廃棄された富士自動制御フジ・オートマチック車両の製造工場が住宅地の中から頭を突き出すように聳え立ち、その手前にある天ケ瀬港(アマガセ・ターミナル)が頽れそうな巨大クレーンと共に時を止めている。今でも時折動いている場面を見るが、あの年老いた巨人は赤く朽ちていくその日まで安らぎを得ることは無いのだろう。


『オジロ、待ってる』


 聞こえるか聞こえないかの電子音。表示される短い文字列。

 ボロボロに錆びた手すりに預けた体、埃を孕んだ風が通り抜けていく感触。単一の音が単純な周期で繰り返される一種の静寂。変わらない視界。

 隙間が埋まっていく感覚があった。虚しさの一歩手前にある感情だ。あのクレーンと同じように、止まってしまえたらと思う。

 無限に続く夜こそ楽園、そんなことをカナウが言ってたっけ。

 明けない夜は無いけれど、昼より眩しい夜はある。明けてほしくない夜があり、来てほしくない明日がある。

 夜に消えていきたくて、それでも消えれなかった臆病者がここにいる。

 この風景と同じ、どこまでも臆病でいて、消えたがりな迷子だ。

 感傷がひとしきり隙間を慰めた後、この景色にさよならを告げた。

 歩き出す。後ろへ。

 割れそうな屋上の床を蹴る。もう誰もいなくなったビルを後にする。名前の標識はもう読めなかった。


 港近辺の道路は基本的に一番街通りとエリア通りに集約される。エリア通りは丁度港から左右反転のL字のようになっていて、一番街通りはその三ブロック左を一直線に貫いている。だから余程避けて歩かない限りはどの小道を通っても最終的にはどちらかの通りに出るようになっていて、この二つの通りの交差点が今のところ《上終》で最も活気がある場所だ。

 例えば”何でもあり”で有名な喫茶店パール・セ・ラはその中心から一ブロック先にあるし薬を卸している売人ギルドも二ブロックと離れていない場所にある。生体チップを扱う闇クリニックも平然と店を開けているし何といっても”オジロ”。


 《ラスデロ》を含む娼館と数多の違法接待を受けられる観光名所的スポットであり、賭博から拷問まで一通りの娯楽を体験できる。一夜限りの王となり美女と奴隷を従えカジノで接待を受ける闇勢力の幹部の姿はいつになっても《レッド》の憧れだ。

 その近くにも名を連ねる名所はあるものの《上終》と言えばここ、という印象は強い。

 そんな”オジロ”に向け足を進めてしばらく、わたしたちは一際背の高い摩天楼の麓にいた。

「だから、今日はもう上がりって言ってんじゃん」

「昨日やっと余ってたチップが売れたんだ、付き合ってくれよ」

 ビルの前では、いつものように露出過多な服装に身を包んだエイロが何やら怪しさが振り切っている男に絡まれていた。ブラウンのブーツと曝け出された小麦色の足、際どい部分まで上げたジーンズタイプのパンツと胸元しか隠されていないオレンジのキャミソール。僅かに薔薇の刺繍が見えている。アジアと欧州の狭間の顔立ち。そして自慢の天然のブロンド。


「なら明日来るか他の子当たりなって、これから用があるの」

「金ならあるって言ってるだろ、俺はな、マフィアに卸してるんだぞ……」

「そう、ならボスに言っておくよ。はぐれが手を出してきたって。わたし、お気に入りだから」

 取り付く島もない、とはこのことだろう。裏社会関連の脅しを掛けるなら相手を酷く間違えていると言わざるを得ない。組織はこの《上終》の創設当初からある一大派閥ではあるが、幹部よりも覚えが良いエイロに向かって脅すとは、男の将来が楽しみになってくる。

 袖にされた男は、それでもどうにかしてエイロを侍らせたいのか執拗にエイロに近付いていく。エイロの顔は次第に険しくなっていくのが見て取れた。いくら何でも手を上げるのは不味いと思っているのか、一線だけは越えないように耐えているようだった。

 わたしたちはそんなエイロに近付き、

「ごめん」

 とエイロに言いながら手加減なしで腕を振りぬいた。

「待たせちゃったね」

 ドン、という鈍い音と共に拳に固い感触。正確に顔の側面を打ちぬかれた男が転がりガードレールにぶつかる。派手な衝突音。通りを歩いている人波が一瞬だけ視線をこちらに投げては通り過ぎていく。


「遅くはないけど、丁度終わったとこだし。でも、もう少し早く来て欲しかったかな」

 白みがかったブロンドが振りぬいた風に乗って波打つ。くすんだ空が齎す光でも、エイロの輝きは損なわれず、寧ろ存在感を放っている。

「ごめんって。今度はちゃんと見張っとくよ。朝から」

「それは困るよ。ウレウが居たら誰も来なくなるじゃん」

 わたしたちは笑った。エイロのセリフは的を得過ぎていて。

 そんな事を言いながら歩き出す。早仕舞いをしたエイロが健康的な四肢を見せつけるようにして。まだ陽は高い。


 先程のどっちつかずの半端男はまだガードレールの下で夢を見ていた。もしかしたら打ち所が悪かったのかもしれない。自業自得。親しき中に礼儀あり、ではないが、まっとうな手順というものがこのまっとうではない場所には存在する。それを破ったものに与えられる罰は最悪死。

 エイロのやり方は随分と優しい方だ。あくまでも追い返すことを目的とした立ち回りをする人間が果たしてどれだけいるだろうか。通常あそこまでしつこい客に対してはその筋の怖い方々が直々に鉄槌を下しに来る。《ラスデロ》の娼婦に掠り傷一つ付けようものなら命の保証はない。良くて工場送りにされて身に覚えのない莫大な借金を返済させられる。つまりわたしたちがやったことも立派な人助けの一つという訳だ。もう一つ言えばマフィアに卸しているというのも間違いなく嘘。本当はその逆でマフィアから仕入れた品を売りさばいてるというのが事実。流通は殆ど彼らが仕切っている現状で個人でのビジネスは余りにもリスクが高い。

 最近ではそんなことも少なくなってきたという話をエイロから聞いたことがあるが、どうもその傾向は変わり始めているらしかった。エイロの身の上を知らない人間はそれほど多くないが、《上終》の女性に迂闊に手を出してはならないという暗黙の了解は誰しもが知っている。特に胸元にバラの刺青を入れている女には絶対に。


 それを知っていて尚手を出す猛者は流石にいない。恐らくはさっきの男もつい最近ここに来たばかりの新人だろう。流入者が増えている。それもかなりの数だ。

 何か目的があるわけではなかったが、視界を切り替え、ネットワークを可視化してみる。

 色は紫か多くて緑。飛んでいるデータの密度は薄い。薄すぎて”呼吸”が出来なくなりそうだと思った。今時の情報社会にしてらしくない。それも当然。《上終》は繋がることを拒絶した街なのだから。


 高高度情報社会が形成されて二十年と少しが経ったころ。人類は日々進化する技術の奔流に飲まれある一種のアレルギー反応を示し始めた。先天的な素質を持ってか、もしくは持たなかったからなのか、それはゆっくりとだが確実に極一部の人間を精神的に、或いは肉体的に死に追いやっていって、有体に言って疲れ切っていた。《凍世市》はその最先端で、流行を追いかけなければ置いて行かれるこの電脳社会は、例え一日だとしてもそこに留まっては居られない。ダイジェストのダイジェスト。スピードインスピード。

 止まってしまえば先頭を走るものは見えなくなる。ドロップアウトは簡単だ。

 早回しを重ね掛けしたような社会。常に何かとのつながりを求める社会。

 旧態依然とした情報開示は今や必要ない。道行く人でさえ自分の名前と所属企業を確認出来て、どこに行くにも政府に登録されたIDを提示する必要があり、家の中でさえ家族や友人とのオンライン上でのやり取りが続く。仕事も、プライベートも、全てが何かに紐づけられてこの社会から孤独という言葉は綺麗さっぱりと消えてしまったようだった。


 それは一種の優しさで、残酷さだった。


 社会からの離反者が集団を形成するというのは歴史的に見ても非常にありふれたパターンの一つだが、それが高度に発達したシステムをもとにしているとその成り行きは非常にユーモラスで、知識と資産により社会にある程度の幅を利かせられる存在となって社会とは独立を果たそうとしだした。その結果生み出されたのが《砕千サイファ》北部エリアであり《上終》。多くの資産家と一部の権力者が合致した利潤の元に作り上げた都市。

 計画段階から注目を浴びていたこの都市に移住した住民は初期段階で七桁に達し、今でも国中から登録に走る者が後を経たず、世界初の技術後退都市は国外からの渡航者をも呼び寄せた。主に中国人とアメリカ人(コロンブス)を。


 一足先にインフラを整え経済を走らせた国がいち早く疲弊してきているとは皮肉。肉体的な強度と必ずしも内面が一致するとは限らないという証明。

 特に世界をリードしてきたアメリカ人と言えば、今や日本のお株を奪って過労死の代名詞となっている。自殺率の上昇は輪を掛けて酷い。

 一方中国人は爆発的に進んだIT化の影響で人口もオーバーフローを起こしてしまった。貧富の差は越えられない絶壁を築き上げ、居場所の無くなった貧困層が追いやられる形で海外へと流れ出している。情報難民にとって《上終》は最後の楽園なのだ。

 ここにはいま様々な人種がいる。未来を生きる人間が過去を笑いに来る一種博物館的な都市となった北部エリアは観光都市としての側面も強い。それに伴って旧時代的なドラマが数多く再演され、それがどこか漠然とした高揚感を撒き散らし、熱に浮かされた夢遊病患者のパラノイアが伝染して伝わっていく。どこまでもどこまでも——

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