第四話:笛の音色
「……どうしようか」
私は悩んでいた。
理由は本当に単純なものだが、とても深刻な問題だ。
ついさっき、防具屋で気に入る装備を見つけた。それも3つも。紹介しよう。
1つ目。篠笛にピッタリ! 赤紫を基調とした和の着物。気になるお値段、なんと今なら109,800G。……って高いわ!
2つ目。着物にピッタリ! オシャレな上げ底草履。29,800G!……草履だけで!?
3つ目。和装にするなら頭まで! 銀色の装飾がついた花の髪飾り。なんと大特価120,000G! ……いや着物より高いんですが!?
……と、現在の所持金22,600Gである私には明らかに手が出せない装備達だった。
――お金が、無い
しかしいくら悩んだところで、買えないものは買えない。そもそもお金はどうやって入手するのか……あっ、書いてあるかも。
メニューを開き、所持アイテムの一覧から大事なものタグを選択。
やっぱり普段はタッチ操作の方が便利だなぁと考えながら目的のものを見つけて選択したら実体化。すると手元に電子タブレットが現れた。
本じゃ無かったのかと思いながらも、大きく書かれた『初心者の心得』というタイトルを確認。タブレットの表面を左に向かってスワイプすれば目次が表示された。
この『初心者の心得』というアイテムはチュートリアルのクリア報酬だ。先程チュートリアルを終えてすぐにメールボックスから受け取ったが内容はまだ確認していない。
えーと、お金の稼ぎかた… ………あった。ゴールドの入手方法。24ページ。
目次にある文字をタップしたらすぐにそのページまで飛んだ。
そうして分かったお金の入手方法は、大きく3つ。
武具や素材の売却。依頼の達成報酬。そして魔物の討伐だ。
えっと……魔物の討伐。魔物は偶にゴールドを所持していることがあります。倒すことでその魔物の所持ゴールドが手に入ります……か。
……よし。金策は後にしよう。そう決めた。
なんせまだ魔物を倒すどころか街から出てすらいない。それに持ち物の売却にしても、先立つものなどチュートリアルで貰った剣とスライムの素材くらいしかない。
と、そんな言い訳を心の中でしつつも、金策を後回しにした一番の理由はせっかく買った篠笛を早く吹きたいからである。
リアルで吹くことなんてまず無いからね。暑いし。そもそも持ってないし。
「……この辺でいいかな」
できれば人目に触れないところがいいな……ということで、やってきたのはシーザから南に広がる森。
森は好きだ。静かだし、空気も澄んでいる。川辺は涼しく避暑にも向いていて、場所にもよるけど人が少ない。
虫も出るけれど嫌いというわけでもないし、部屋で無駄に耳元を飛ぶ蝿や突如として現れる黒いアイツに比べれば好きと言っても過言ではない。
そんなわけで森へと入った私は、ひとまず手頃な木に登り始めた。もちろん、魔物を無視するためだ。
ここへ来るまでに遠目から魔物を何匹か見かけたが、鳥の魔物は今のところ見ていない。となれば、一番安全に笛を吹けるのは木の上な気がする。
……おっ、ここ良いな。
手頃な木を登っていくと横に伸びている頑丈で平たい枝を見つけた。座ってみるとかなり安定感がある。
私は早速、腰にぶら下げていた笛を手に取ると下唇へ当てがった。
指で穴を塞ぎ、下唇の位置で角度を調整したらまっすぐに息を吐き出す。
〜〜♪
高く、綺麗な音色だ。昔吹いていた笛と同じような音程の、けれどそれよりも深く響くような音。
記憶を探るように指を動かすと、思いのほか滑らかに指が動いた。
――なんだろう。指が覚えている? でもそれだけじゃないような。
どこを抑えたらどんな音がどう出るのか。手に取るように分かる。
〜〜♪ 〜〜〜〜♪
感じるままに指を動かした。単一であった綺麗な音色が連なり、旋律ができる。
何かの曲を吹くのではなく、綺麗な旋律を辿っている感覚。即興と言えば、そうなのかもしれない。
枝に座り足をぶらぶらとさせたまま、目を瞑って音に集中する。
――楽しい
音が繋がる感覚が楽しい。耳に触れる綺麗な旋律が気持ちいい。
〜〜♪ 〜〜♪ 〜〜〜〜♪
その、どこか不思議な心地よさに身を委ねたまま、私は笛を吹き続けた。
……あっ、今何時だろ。
私は暫くの間、時間を忘れて思いのままに笛を吹き続けていた。ふと上を見上げると、木の葉の隙間からは仄かに赤く染まった空が覗かせている。
メニューを開いて時間を確認する。
「……嘘、もう18時? 早く夕飯作らないと」
たしか今日は私の当番だ。このままでは花恋に怒られてしまう。
ログアウトは……ここか。
開いたままのメニュー画面からログアウトを選択すると、安全地帯外でのログアウト時はアバターが一定時間残る旨の注意書きが現れる。
まあ木の上なら安全だろう。少なくとも笛を吹いている間は無事だったわけだし。
ということで、そのままログアウト。
目の前が一瞬暗転して、それから感覚がリアルに戻ってきたのが分かった。
目の前にホーム画面が現れて、ゴーグルの横にあるボタンを押せば蓋が開いてブゥンという低い音と共に電源が落ちる。
「……あれ。暑くない?」
座っていたVRチェアから起き上がるようにして出れば、当然むわっとした暑さに包まれるものだと思っていたが、何故か部屋の中もあまり暑くない。
もしかしたら温度差がVR機器の周りに起きないように、少し外側の空気も冷やしているのかもしれない。
……えっ、それもう実質的には冷房では?
最新機種って凄い。VRゲームを買って良かったと心から思う。だって、私の部屋が涼しいんだ。こんな素晴らしいことってない。
私が冷房付きゲームという近未来的アイテムに感動していると、コンコンとドアがノックされた。
音に反応して振り返ると、すぐにドアが開かれ妹の花恋がひょっこりと顔を覗かせた。
「ちょっとお姉ちゃーん。夕飯早く……なんかこの部屋涼しくない? ってどうしたのそれ!?」
「ごめん。今から作るからちょっと待ってて」
「それはいいけど……。そのカッコいいの、何?」
「VRゲーム機。買ったの」
「買ったのって……そんなゲーム機あったっけ?」
「なんか有名らしいよ。フツロスだっけ?」
たしかそんな名前だったはず……と言うと、花恋がわなわなと手を震わせて。
「ま、まさか……フツロスのVIP機!? お姉ちゃんこれどうしたの!?」
「買ったの」
「嘘だ! こんな高いものバイトしてないお姉ちゃんが買えるわけないもん!」
「運良く一個分の値段で2つ手に入るって子が居たから、割り勘して半額以下だったの」
「どんな幸運なの……」
「さあ。世界が私を中心に回ってるんじゃない?」
「……」
呆れたような視線を向けられた。でも実際私は惰性で生きているのに、なんだかんだ上手くいっている。私が中心であってもおかしくない。
「ねえ夕飯何がいい?」
「んー、卵かけご飯?」
「それだけでいいなら本当に楽でいいね」
「おかずは青椒肉絲で」
「おっけー。筍あったかな……無かったら椎茸でいい?」
「えーヤダ。キノコ嫌い」
「なら自分で作って」
「今日の当番お姉ちゃんじゃん!」
そんなことを花恋と話しながら部屋をでて、むわっとした熱気を感じながら階段を降りる。私と花恋の部屋は2階、キッチンは一階だ。
「筍あるかな〜♪ たけたけ〜のこのこ〜たっけのっこさーん♪」
暑さをものともしない花恋が愉快な歌を歌いながら冷蔵庫へ駆けていく。私はリビングの冷房の電源を入れてから、そちらへ向かう。
「じゃっじゃーん! 筍あったよ!」
私がキッチンに入ると花恋はこれ見よがしに筍を頭の上に掲げた。
「ほんとだ。じゃあそこ置いといて。あと、冷蔵庫ちゃんと閉じて」
「はーい。夕飯できたら呼んでねー」
それだけ言い残すと花恋はすぐにリビングから出て階段をリズム良く駆け上がっていった。
「手伝ってくれてもいいのに」
花恋は基本的にやらずに済むことは決して自らやろうとしない。まったく、さすが私の妹だ。
……さてと、夕飯作るかー。
◇◆◇
俺はしがないライトなゲーマー。今は幽玄の魔紀章というゲームを楽しくプレイしているところだ。
ちなみに趣味は音楽鑑賞……と自己紹介では言っているが、ただ音楽を聴いてる時間なんてゲームをしている時間の1%にも満たない。この場合、明らかに趣味はゲームの方だろう。
それはさておき、俺は今日とある素材を手に入れるために森へ来た。
しかし、その素材が何かは今はどうでもいいことだ。
――ここで、何があった?
わからない。全くわからない。
俺はこのゲームをリリース日……2週間前からやっているが、こんな事態は初めてだ。
「……なんでコイツら、寝てるんだ?」
目の前には一本の木に寄り添うようにして眠る10匹以上の魔物がいた。
誰か高レベルのやつが眠りの状態異常効果を持つ範囲攻撃でもしたんだろうか。ぐっすりと眠っている。
しかし、何故やったのか分からない。それをすることにメリットはあるのか?
本来眠らせるのは倒すためであって、眠らせること自体が目的ではない。
しかし目の前の状況は明らかにそれとは違っている。
眠っている魔物は狼や熊、羊やスライムなど様々。つまり群れを眠らせたのではなく、故意に魔物を集めて眠らせたということだ。
……一体、なんのために?
「……まさか、MPK?」
モンスタープレイヤーキル。
モンスターをわざと引き寄せて他プレイヤーになすりつけることでキルをすることだが……この場合は少し違う。
先回りして大量の魔物を眠らせておき、近くを初心者が通り掛かったところで遠距離攻撃で起こせば、一番近くにいたプレイヤーになすり付けられる。
しかもプレイヤーの反対側からそれを行えば誰がやったかなどバレることも無い。
「なんて悪質な……」
確証は無い。無いけれど、それ以外になんの理由があって大量の魔物を眠らせて放置するというのか。
単なる推測ではあるが、可能性は、高いだろう。
「スクショは撮ったし、掲示板で注意喚起だけしとくか? でもこの方法に気がつかなかったやつが真似してやり始める可能性もある、か……」
暫く考えた後、知らなければ対策もできないと考えて注意喚起することを決めた。
眠ったまま一向に目覚める気配の無い魔物のスクリーンショットと、その位置情報を載せる。
「シーザ南方の森へ行く人はご注意下さい……っと。これでいいかな」
それから、眠っていた魔物たちを一匹残らず粒子に変えて、目的の素材を手にすると街へと引き返す。
MPKの被害者が一人も出なければいいけれど、そうはいかないだろう。
「そろそろ、クランを作るのも良いかもな」
ソロで動かないだけでも違うだろう。
初めたばかりの人を助けることもできるかもしれない。
「俺は主人公だからな」
このゲームの本質は『自分の望む主人公になること』だ。そして俺の望む主人公は、悪を退き弱きを助ける勇者。
見ず知らずの他人であっても、NPCであったとしても、関係なく助ける。助けることに、理由なんて必要ない。そういう主人公。
だから俺は胸に誓った。
たとえゲームシステムが許しても、俺は決してプレイヤーキラーを許さない。
◇◆◇
「美味しかった! お姉ちゃんほんと料理上手いよね。毎日食べたいくらい」
「そりゃどうも」
夕飯を食べ終えると、花恋が絶賛してくれた。
ただ、こういうことを言ってくれるのは嬉しいけれど、騙されてはいけない。花恋の言う『毎日食べたい』は自分で作るのが面倒という気持ちが8割だから。
「……美味しいのは本当だよ?」
「ありがと。でも夕飯作るの面倒でしょ?」
「当たり前じゃん。食べるのが私だけだったら食パンだけにするし」
これが大袈裟に言ってるだけならいいのだけど、花恋の場合は本気である。
前に花恋が自分の分だけを作ることになった時は面倒と言って結局夕飯を抜いていた。花恋によると「死ななければいいじゃん」とのことだ。
「そんなんで一人暮らしできるの?」
「一人暮らししないから大丈夫」
「大学は?」
「お姉ちゃんと同じ大学行けば2人で住めるでしょ?」
なんと。密かに大学進学後の一人暮らしを楽しみにしていたのに、こんな身近にそれを阻むものがいようとは。
「まあいいや。お皿洗いは花恋よろしくねー」
「はーい。あとでやっとくから流し置いといて。それからそっち行くついでにお風呂入れてー」
「はいはい」
キッチンの流しへ洗い物を置き、それから近くにあるお風呂の自動ボタンを押せばお湯はりをしますという機械音声が流れる。
「そういえばお姉ちゃんって何のゲームやってるの? フツロス買ったってことは、何かやってるんでしょ?」
私がソファに腰を下ろすと、花恋が隣に座り口を開いた。
「うん。幽玄の魔紀章ってやつ」
「お姉ちゃんもやってたんだ! いつから?」
「今日の昼から」
「ホントに始めたばっかりじゃん。楽しい?」
「うん。超楽しい」
「今度一緒にクエスト行こ」
「おっけー」
それからお風呂が沸くまで、花恋と話していた。
どうやら私はまだレベルを上げていないから魔紀章システムに何も触れられていないらしい。
明日は魔物を狩ってレベル上げをしようかな。そんなことを湯船に浸かりながら考える。
幸い明日は日曜日。1日くらいゲームに感けてもいいかもしれない。
私はどことなく、ゲームの沼にハマっていく感覚を覚えていた。