第二話:戦闘チュートリアル
「おー、凄い」
これが五感完全没入型というものか。
目の前には黒水晶のような足場の広がるファンタジーチックな景色が広がっている。しかし"凄い"のはそんな景色のことではない。
まず、手をぐーっと横に伸ばしてもどこにも当たらないのだ。恐る恐る立ち上がっても頭をぶつけるなんてこともなく、振り返れば視界に映るのはどでかいVRゲーム機ではなく、ただの1人掛けの白いソファ。
目元に手をやっても付けている筈のゴーグルに触れることはなく、触った目鼻の感触が指に、指で触った感触が目鼻に伝わる。
なんとも不気味な程に自然だ。人間の技術はここまで進歩したのかとなんとも感慨深くなる。
まあなんでこんなことできるのかは知らないけど。
ところで、私はここで何をすればいいのだろう。ググッと伸びをしながら周囲を見渡してみれば、どうやらここは浮島の1つであるように見える。空には他にも同じような円形の黒い足場が浮かんでいるが、どこかと繋がっているような雰囲気もない。
ひとまず周りを調べてみようかと一歩踏み出したとき。
「こーんにーちはー!!」
「へっ?」
私の思考をぶった切るように、いきなり背中越しに幼い声が掛けられた。
ビクッと肩が上がりながらもすぐに背後を振り返ると、そこに居たのはセーラー服を着た背丈低めの女の子。なんと空中に浮かんでおり、すぐに私の目線の高さまで降りてくるとニコッと微笑んだ。
「どうも、新たな旅人さん。幽玄の魔紀章へようこそです! 歓迎しちゃいますよ」
「えっと……?」
「ああ、自己紹介がまだでしたね。私は【幽玄聖女】シャルロット・アークネスです! 気軽にシャルちゃんって呼んで下さいね」
その金髪少女……シャルちゃんは敬礼のポーズをしてそう自己紹介をすると、手を下ろしてから更に言葉を続ける。
「ではでは! 早速なのですがキャラメイクに入りましょ〜」
キャラメイクってなんだろ? と私が思ったのと同時に、私くらいの背丈の女の子が隣に現れた。
……いや、高精度なホログラムか。確かめるように肩に触れようとすれば、伸ばした手はすり抜けて空を掴んだ。
「さてさて、こちらはアバターイメージです! この世界での貴女の写し身の姿をお好きなようにカスタマイズしちゃって下さいっ!」
「カスタマイズ?」
「そうです! 性別に始まり髪の長さや目の形などなど、その無限大にも上る組み合わせによってできるキャラクターは千差万別、多種多様っ! 幽玄の魔紀章の世界をお好みのアバターで楽しんじゃいましょー!」
アバターイメージと呼ばれたそれに目を向ける。要するにこれを自分のなりたい姿に変えるのだろう。
試しに髪へ目を向けてむむっと念じてみれば、髪色一覧が現れたためとりあえず白色に変更。同じ要領で髪の長さもデフォルトの長髪からミディアムへ変更。そのままだと前髪が鬱陶しそうであったためアクセサリー欄から髪留めを追加。次いでその色をデフォルトの赤から水色へ変更。
そして、なるほどと思った。こりゃあ時間がかかるな、と。
凝ろうと思えばいくらでも調整できるのだ。例えば髪留めの色。水色と一言で言ってもそれだけで明度・彩度の少しずつ異なるものが十種類以上。
簡単に終わらせようと思えばデフォルトで用意されたプリセットがあるから既にパターンの絞られたそれから選べばすぐにでも終わるだろう。けれどこの一度しかできないキャラメイクでそれは些か躊躇いがある。
それから調整を重ねること早60分。
――まあ、こんなもんでいいんじゃない?
大雑把に作ってから細部を調整しつつ、程々のところで切り上げた。
できたアバターは少し童顔の、小柄で可愛らしい女の子である。髪はクセの無いミディアムヘアで、色は白。前髪は水色の髪留めで留められ、分け目からはおでこがちらりと覗かせている。
そして一番こだわった身体つきはスレンダー、というよりはスライトの意味で華奢な感じだ。胸もかなり控えめにしてある。
……私にとって胸は紛れもなく無駄な脂肪だからね。迷うことなく絶壁にした。大体リアルの千夏と同じくらいだと思う。
「おー! 可愛いアバターが出来上がりましたね! ところで耳の形や角を弄ってないようでしたが、このままで大丈夫ですか?」
自分の憧れの体つきとなったアバターを満足気に眺めていると、完成と察したらしいシャルちゃんが楽しそうに私のアバターの周りをぐるりと周りながらそう言った。
「耳の形? それにツノって?」
「耳の形を尖らせればエルフのようになりますし、そもそもの人の耳を無くして猫耳に変更することも可能なのです。他にも額や後頭部にツノを生やせば龍人のようにもなれます!」
「へぇ……」
ホントだ。試してみたら耳が変わった。猫耳や兎耳にしてもコメディーチックなデザインだからか、なかなかに可愛い。
せっかくなので猫耳にして今度こそ完成。
「さあさあ、これでこの世界での宿り身ができましたね。ではでは、次に貴女の能力を定める重要装備。魔紀章を選びましょう!」
魔紀章、というのはゲームタイトルにもあったけど、なんなのだろうか。と、そんな風に思ってるとシャルちゃんはまた察した様子で説明してくれる。
「魔紀章、というのは成長の方向性や取得できるアビリティを定める才能装備ですね。この魔紀章を成長させると、ステータスが上がったりアビリティを使えるようになったりするんです!」
「へぇ……。装備できる魔紀章って1つだけなの?」
「いいえ。初期は2つで、レベルを上げていくと徐々に装備枠が増えていきます」
「あとアビリティっていわゆるスキルのこと?」
「その認識で大体合ってますね。例えば【魔法師】の魔紀章では『炎弾』や『瞑想』のアビリティが使えるようになります」
となると魔紀章の組み合わせによってステータスの値も使えるアビリティもかなり幅広く変わりそうだ。
「そしてそして、こちらから魔紀章が選べます!」
そう言ってポンと出されたのは2つの丸い球だった。よく見ると真ん中に薄っすらと線が入っている。
「こちらの球を開くと魔紀章が貴女の身に宿ります。『こんな魔紀章が欲しい』とか『こんなことをしたい!』とか。そんな風に願いながら開ければ一番合ったものが選ばれるのです。ちなみに思ったのと違ければ一度閉じてから再度開けば再抽選もできますよ」
選びましょうと言っていたから、てっきり一覧みたいなところから選ぶのかと思った。まあ何になりたいってところから選ばれるなら期待外れってことが無さそうだからいいかもしれない。というかいきなり一覧で出されても私にはよく分からなかっただろうし。
とりあえず開けてみようかと思ったところでふと手が止まる。
「……そういえば理想とか方針とか全く決めてないんだよね」
何を願えばいいだろう。そんな風に考えたところでシャルちゃんが助言してくれた。
「そういう時は、自分に合ったものを! と考えて開けば性格や嗜好を元に選ばれますからオススメですー」
ならそうしようかな。ということで、私に合うやつ出てこいーと念じながら2つ続けて開けた。出てきたのは……。
「おおー。【繊細】と【魔物使い】ですか。どちらも面白い魔紀章ですよ!」
繊細ってなんだ。怠惰な私とは正反対な気がするのだけど。
どんなアビリティがあるのか予想できない。魔物使いの方はなんとなく想像しやすいけど……まあ面白いならいいかな。
「そういえば魔紀章ってレアリティとかあるの?」
「一応なりたい人が少ない、という意味でレアなものは存在しますけど、レアだから強いとかは無いですよ! それに魔紀章自体かなりの数ありますから、その組み合わせによる可能性は無限大です!」
「じゃあ魔紀章はこれに決めるね」
「ではでは、あとは降り立つ町を決めて、いざ冒険の世界へ行きましょうっ!」
シャルちゃんがそう言ってパンと手を叩くと、アバターイメージのすぐ隣に高校にある黒板半分くらいの大きさの電子パネルが現れた。見てみると地図のようだ。
「降り立てる街は全部で5つ! どこを選ぶかで得られる加護が変わりますっ!」
ふむふむ、なるほど。地図を見てみればその言葉の通り、たしかに5つの街の名前が表示されている。更にそれぞれの街の名前に視線を合わせると各街で得られる加護や街の説明が現れた。
島の最北端にあるのが、フラウの加護を得られる【山腹の街】ガシェード。加護内容は防御と攻撃に追加効果のバフらしい。……まあ山は歩きづらそうだし却下かな。
そこから南東にあるのがシルフの加護を得られる【深き森の街】メッセル。……森も歩きづらそうだし却下で。
山から南西に向かえばミューズの加護を得られる【海辺の街】シーザがあって、シーザとメッセルの丁度真ん中くらいにスプライトの加護を得られる【平原の街】フィスリ、と。
この二つは良いかもしれない。海に近いシーザは景色良さそうだし、どの街からもさほど離れていないフィスリも居心地良さそう。
それで、残るあと一つは……ここか。フィスリから南へずっと行ったところ。海を挟んで唯一の離れ小島。ノームの加護を得られる【砂の街】モシエ。
……うん。却下だね。砂漠とか絶対つらい。暑い現実から逃れるためのVRゲーム、何が悲しくて暑そうなところを選ぶのかと。
そんなわけで私が最終的に選んだのは【海辺の街】シーザ。ミューズの加護は『歌や楽器の音色などに追加効果が発生する』というもの。歌とか楽器がめちゃくちゃ得意というわけではないけれど、スプライトの加護の『触手を扱える』とかいう摩訶不思議なものに比べれば、まあ無難だろう。
降りる街が決まったら私の隣で金色の髪を揺らしながらニコニコと笑っているシャルちゃんの方に声を掛ける。
「ねえシャルちゃん。これって決まったらどうすればいい?」
「決まったのですね! シーザでしょうか? ミューズさんは音楽や舞踏が大好きですからね。ぴったりだと思います!」
シーザにするとなぜわかったのかとか音楽や舞踏が大好きなミューズさんの加護がなんで私にぴったりと思ったのかとか色々ツッコミたい。しかし聞く間もなくシャルちゃんはニコニコ笑顔のまま説明してくれる。
「それでは、これでキャラメイクは終了ですっ! それでは最後に、あなたの名前を教えて頂けますか?」
「名前?」
「ですです! この幽玄の魔紀章の世界におけるあなたを示す名前。残念ながら他の方と同じ名前は名乗れませんが。いかが致しますか?」
名前はいつも通りでいいかな、ということで。
「ユウって名前、被ってる?」
「ユウさんは既にいますねー。数字を付ければ大丈夫ですけど、どうしますか?」
残念。数字を付けたりxで挟んだりしてもいいんだけど……どうせなら被らない名前がいい。
「それじゃあ、グレイスって名前、被ってない?」
「グレイスさんはまだいませんね。グレイスさんでいいですか?」
「うん、そうする」
「わかりました! ではでは、幽玄の魔紀章の世界へいってらっしゃいませ!」
その声を最後に、目の前が白い光で包まれた。
◇◆◇
「光が止んだ……?」
瞼を閉じても感じられていた強い光が弱まったのを感じてゆっくりと目を開くと、そこには先程まで居た浮島とは全く違う景色が広がっていた。
広い。とても広い平原だ。そのリアルではまず見ることの無い地平線まで広がりゆく壮大な景色に圧倒され息を飲む。頬を静かに撫でる柔らかな風も仄かに感じる草の香りも、今までに私の感じたことの無いものだった。
そうして暫らく呆けていたが、唐突に響いた大きな音が私を世界に引き戻した。
ドゴオオオオオォン
背後から響いた低い重低音。急ぎ振り返ればそこに居たのは大きな虎のような怪物。
先程のは振り下ろした前脚で岩を粉砕した音だったようだ。岩の破片と砂埃が舞っている。
「いや、初っ端からハードじゃない?」
そう呟いた時、ティロンという軽い効果音と共に青色のテロップが目の前に現れ、同時にシャルちゃんの声で読み上げられた。
『チュートリアル:戦闘の基本』
どうやらチュートリアルらしい。
……いや、ちょっと待てと。目の前にいるのは四つん這いの状態で高さ2メートルはある虎。身体は血に染まったように赤黒く、何より威圧感が凄い。正直言って今すぐ逃げ出したいくらいだ。
少し心配になりつつも、唸るばかりで襲ってくる気配のない虎を中央に見据えたままシャルちゃんの声に耳を傾ける。
『この幽玄の世界には魔物と呼ばれる生物が多く生息しています。まずは目の前の魔物、炎スライムを撃退してましょう』
やっぱり撃退するらしい……ってスライムなの!?
よくよく目を凝らして見てみると、本当だ。体表面が若干透明がかっている。
言われてみれば目だと思ったところもただの模様に見える。大きくて赤いスライムか。
『①武器の装備。武器はメニュー画面から〝キャラクター〟を選ぶことによって装備が可能です。視界右上のアイコンに意識を向ける、もしくはメニューと唱えることで画面が現れます。まずはインベントリに入っている鉄の剣を装備してみましょう』
指示された通り「メニュー」と唱えると、水色のメニュー画面が視界に現れた。キャラクターから装備を選び装備可能な武器から鉄の剣を選択。右手に剣が現れたことを確認してメニューを閉じる。
『オッケーです。装備できましたね』
「オッケーです。装備できました」
『②通常攻撃。敵に剣を当てることで攻撃が可能です。ちゃんと握っていないと剣を落としてしまうので気を付けてください』
私の返事は完全にスルーされた。そして握ってないと武器落とすとか割と当たり前のことを解説してくれた。
ん……当たり前じゃないのかな? 装備していても落とすことがあるなら、投げたりもできるのだろうか? でも落とした武器はどうなるんだろう。装備が勝手に外れてインベントリに戻るのか、それとも拾うまでそのまま?
「とりあえず通常攻撃だけど……敵に剣を当てることで攻撃が可能、ね」
この説明の通りなら、投げて剣を当てても通常攻撃になるかもしれない。気になったのでやってみよう。
虎に近づくの怖いという理由も少しあるけど。
「いちにーの、さんっ!」
掛け声と共に思い切り剣を投げれば、、ブォンと風を切りながら思いのほか綺麗に放物線を描きスライムの方へ吸い込まれるように向かっていく。
グオオオオォォ!!
「おー、当たった」
というかスライムも悲鳴?上げるんだね。それとも風が通り抜ける音がそれっぽく聞こえただけなんだろうか。
『上手く攻撃できましたね。武器を持って攻撃するだけでなく、今のように武器を投擲したり、武器を地面に設置して罠を張ったりしても敵に攻撃することができます。自分に合った攻撃手段を見つけましょー!』
罠として設置もできるらしい。装備システムは一体どうなって……そういえば今投げた剣、装備はどうなっているのかな。
気になって装備欄を開いてみると、そこには変わらず銅の剣が装備されている。
「外すことは……できないのか」
戦闘中は装備を変更できませんというテロップが出てきた。
けれど投げた剣は手元に戻ってくることもない。スライムの足元に転がった剣を見れば戦闘終了までは回収も無理そうだ。
『②魔法について。炎スライムの頭上にある青色のバーが見えるでしょうか?』
頭上にあるバー……言われたところに目を向ければ青色一色に塗りつぶされた横棒があった。
HPかな? と思ったけれど剣で攻撃した分が減っているように見えない。それとも効いてなかったってことだろうか?
『一度攻撃を与えると、敵の頭上にHP残量を示すバーが現れます。炎スライムに物理での攻撃は低レベルのうちは殆ど効きません。そこで、魔法攻撃を使いましょう!』
効いてなかったらしい。そして魔法が使えるらしい。
見た目はデフォルメされているとはいえ、五感によってかなりのリアリティがあるため魔法というファンタジーな要素に少し驚いた。
「いや考えてみれば私の見た目もファンタジーか」
自分の頭を撫でてみればリアルの身体には無いふわふわとした猫耳に手が触れる。
そこで気づいたが、猫耳を塞げば音の聞こえ方も変わった。ちゃんと聴覚は猫耳にあるらしい。
『魔法攻撃はアビリティメニューから選択することによって発動できます』
その言葉と同時に視界の右下の方でアイコンがチカッっと光った。たぶんこれがアビリティメニューだろう。意識を向ければ四角いメニュー画面が開く。
『現在使用可能な魔法、水流槍で炎スライムを攻撃してみましょう! 水流槍を選択したら手のひらを炎スライムに向けてください』
言われた言葉に従い、水流槍を選択してから手のひらをスライムに向けてみる。すると視界の真ん中に水色のサークルが現れた。
『その状態で発動と念じることで水流槍が射出されます。サークルの真ん中に炎スライムを納めたタイミングで発動してみましょう!』
サークルの真ん中に……おお、手を動かせばサークルも動くみたい。スライムを納めたタイミングで……発動っ!
そう軽く念じてみれば、手を向けた先に直径60センチくらいの魔法陣が描かれ、中央から勢いよく槍型の水が発射された。僅かな発射の反動を右手に感じながら、その魔法の行方を見れば、すぐに炎スライムの作っている虎の頭部分に当たった。
槍状であった水は炎スライムの叫び声を残して霧散。直後、スライムの身体がキラキラと光る粒子のようなエフェクトと共に消え去った。
「何これ凄っ……」
魔法、めっちゃカッコいい。
あと撃つ瞬間の感触が未だ手に残っていて、本当に自分の放ったものだという感覚もある。
「これは中二病も増える……」
そう確信した。絶対に増える。というか、私まで中二病になりそうな予感がする。
それくらいに、魔法を使う感覚は未知の体験だった。
『上手く撃退できましたね! これでチュートリアル:戦闘の基本コンプリートとなります。後ほどメールボックスから報酬を確認しておいて下さい」
感慨に耽っていた私の耳に、シャルちゃんの声が届いた。戦闘をした感じはあんまり無いけど、基本さえ覚えておけば大丈夫かな。
『それではチュートリアルの最後に、言っておかなければいけないことがあります。大事なことですので、よく聞いておいて下さいね』
大事なこと。そう前置きした後、シャルちゃんの声が頭の中に響いた。
――決して忘れないで下さい。これは、貴方が主人公の物語です。