労働の多い生涯を送って来ました。
労働の多い人生だった。
物心ついたときには家が貧乏で、母子家庭。しかも、母は病気がち。
少年の頃から新聞配達や牛乳配達をして、家計を助けた。
高校は学費免除のために猛勉強をして特待生として私立男子高に入ったが、生活費を稼ぐためにファーストフードのバイトや単発の肉体労働もこなして勉学と労働に明け暮れた。
そして、学費免除の特待生として学校に入ったために大学に行かないというわけにもいかず文字通り血を吐くほど猛勉強をした。ただし、予備校に行く金はないので、古本屋やネットで予備校のテキストや問題集を中古で手に入れた。そして、どうにか学費の安い国立大学に受かった。
これで少しは楽になれるかと思いきや――大学入学目前に母が不治の病で倒れ、生活費に加えて医療費まで担うことになってしまった。ほかに頼れる親戚などおらず、俺はまた労働と勉学に明け暮れた。
周りの大学生がサークルだ合コンだと浮かれる中、ひたすら苦行のような毎日をすごし、四年間はあっという間に経って、就職。
就職で今度こそ暮らしが楽になるかと思いきや――入った企業は超絶ブラックだった。
これまでの人生で多少のことにはへこたれないと思ったが会社の厳しさは想像を絶していた。
就職活動中に調べたところでは悪い噂はなかったのだが、実際に入ってみるとサービス残業当たり前、男はパワハラに遭い、女はセクハラされる、地獄のような環境だった。
それでも、生活のために俺は働き続けた。収入がないと難病で入院している母の治療費を稼げない。
だが、俺の労働も虚しく――母は他界した。
そこで俺は、なんのために働けばいいのかを見失った。家計を支えるという大義名分がなくなったからだ。だが、それでも労働の時間は毎日やってくる。
ずっと勉強と労働だけをやってきた俺には親しい友人もいなかったし彼女もできなかった。そんなことよりも金を稼ぐことが大事だったからだ。
そして、働くことでしか生きる意味を見出せなくなった俺は滅私奉公とばかりにさらに全力で労働をし続け――。
そして、ある日のこと。
ついに俺は、過労死した。
午前二時半に自宅アパートに帰ってきてドアを開けたところで心臓に異変が起き――目の前が真っ暗になって倒れたのだ。
だが、俺はどこかでホッとしていた。
――もう働かなくてすむ。
それが、救いだった――。