毒りんご
心地よい振動が、体を揺らす。閉じていた瞼を開けると、これでもかと身を寄せ合って立ち並ぶ家々から、田園ばかりの殺風景な景色に変わっていた。この辺りはあいも変わらず物寂しいところだが、秋となればなおさらだ。車が一台も走っていない道路の白線は消えかけ、曇天から微かに射す陽の光も、どこか頼りない。
腕時計を見ると午前十時を過ぎていた。電車に乗ってから一時間弱は眠っていた計算になる。
私は身をよじって深く座りなおすと、欠伸を噛み殺して再び車窓の外に広がる風景を見つめる。この地に来るのは何年振りだろう。都会はすぐに新しいビルが建ったり、高速道路が開通したりしたが、ここは昔となにも変わらない。もう三駅ほどいけば母校のある宵神町だ。そこは田舎の中では比較的過ごしやすい土地で、スーパーもあればコンビニも、漫画喫茶も、カラオケだってある。"彼女"とよく行っていた図書館も、まだあるだろうか。
考えを振り払う。私は何も、故郷を懐かしむために来たわけではない。特に思い入れのない、とうに"捨てた場所"だったとしても、誰だって久しぶりに見覚えのある場所を通れば少なからず過去に想いを馳せるだろう。私が再びこの地に来たのは、"彼女"に会うためだ。
私はショルダーバッグから一枚の封筒を取り出す。宛名は"彼女"――白雪小夜。
毎年一通。欠かさず送りあっていた手紙が返ってこなくなったのは去年からだった。その時は仕事と育児が忙しく、深く考えずにいたが、今年もまた手紙は来ず、更には出した手紙がそのまま帰ってきた。
返ってきた手紙を見つけて、旦那に相談したのはつい先日のことである。
「ねぇ、あなた。どう思う?」
残業から帰ってきた旦那は缶ビールに手を伸ばしながら答える。
「住所を書き間違えたんじゃないのか?」
「ちゃんと確認したわよ。それに、毎年書いているんだから間違えないわ」
「それもそうか」
缶の中身を豪快に流し込むと、話は終わりとばかりにテレビのチャンネルをいじりだす。
「音量、小さくしてね。やっと寝たんだから」
「分かってるよ」
二歳の娘は隣の部屋でキリンの縫いぐるみと一緒に寝息を立てている。狭いアパートでは、テレビの音がよく通るので少し神経質になっていた。
旦那は野球中継にチャンネルを合わせると、暖めなおした惣菜を箸でつつく。
「住所を間違えたんじゃないんだったら、引っ越したんじゃないのか?」
まだ話を聞いてくれる気があるみたいでホッとする。
「……もしそうなら一言いってくれると思うの。それに小夜からの手紙だってきてないんだよ?」
「まぁ、それもそうか」
また同じ言葉を口にして、それからはテレビにくぎ付けになっていた。文通相手が女性だということは知っているので、さして興味がないのだろう。一言だけとはいえ考えを述べてくれただけマシだと思ったほうがいい。
「私……明日、行ってみる」
「は? 行くって、どこに」
「小夜のところ」
旦那は箸を止めてこちらを見ている。怒られるかも、と思ったが目を逸らさずに見つめ返すとやがて溜め息混じりに頷いた。
「いいよ。それだけ、大事な友達ってことなんだよね」
「うん。わがままいってごめんなさい」
「いや、子育ては任せきりだったし、明日は俺も休みだからね。たまには子供の面倒見るよ」
「ありがとう」
私は再び便箋に目を落とす。朝早くから出れば、昼前には着くだろう。子供のこともあるので、その日のうちに帰ってこれるよう頭の中でシミュレーションした。
目的の駅に着いたのは、シミュレーションした通り昼前だった。曇り空のせいでどこか陰鬱とした駅だが、見慣れた光景に懐かしさを感じる。
最後にこの駅を使ったのは七年ほど前だ。今の旦那と駆け落ちするために、朝早くに改札を通ったのを鮮明に覚えている。都心の大学にいる彼と一緒になりたい、そう相談をして背中を押してくれたのは他でもない、小夜だった。
「美樹ちゃん。落ち着いたら手紙を送ってくれない?」
出発前夜、私は小夜と二人で駅前のベンチに座り、肩を寄せ合っていた。吐く息は白く、空からも白い雪が間断なく降り注いでいる。長い朱色のマフラーを二人で一緒に巻き付けて、手を繋いで寒さを凌いでいた。小夜の手は、雪のように白いがとても暖かかった。
「手紙?」
「うん、私手紙って好きなの」
はにかむ小夜は寒さのせいか頬が赤い。
「手書きの文字で自分のこととか、相手のこととか、考えて書いてあるのを読むのが好き。何だかその人の心が籠っている気がして」
「言われてみれば、そうかも」
「でしょ?」
クスクスと笑う小夜につられて私も笑う。
「じゃあ私からも一つお願い」
「なぁに?」
そう言いながら、小夜は繋いでいるほうの手の人差し指をすりすりと動かす。多分私が言おうとしていることなんて分かっているんだろう。それでも言わせたいから待っている、そんな気がした。
「小夜も手紙、書いてね」
「もちろん!」
駅前のベンチは、バス停にもなっている。遠くからバスのヘッドライトが見えた。小夜は名残惜しそうに手を放して、マフラーを解く。立ち上がってスカートのお尻を軽くはたくと、こちらに向き直った。
「じゃあ、お別れだね」
「……うん」
冬の月明かりに照らされる小夜は、まるで月に還るようだ。
「そんな悲しい顔しないで。一生会えないわけじゃないんだから」
「そう……だけど!」
気が付けば、私は立ち上がって小夜に抱きついていた。
「ありがとう、小夜。小夜のおかげで私、踏ん切りがついたの。だけどやっぱり、寂しいよ」
「もう、甘えん坊さんなんだから。そんなことでやっていけるの?」
そう言いながらも、小夜の瞳には涙が浮かんでいた。
私と小夜は中学、高校と同じで、いつも一緒にいた。そんな彼女と離れるという実感が強く溢れてきて、涙が止まらなかった。
「いつもは美樹ちゃんのほうがしっかりものなのに、変なの」
「だって……」
鼻を啜りながら反駁するが、言葉が出ない。小夜は最後に優しく頭を撫でると、するりと私の腕の中から抜け出した。
「私より彼を選んだのは美樹ちゃんなんだからね」
小夜は小さく舌をだしておどけてみせる。
「ごめん、ごめんね」
「冗談だよ」小夜はハンカチを出して私の涙を拭く。「約束、忘れないでね」
「うん、絶対手紙書くよ。いっぱい書く」
「そんなに沢山送ると、隠しきれないよ。うちの使用人さん、パパに隷従してるんだから」
小夜はお手上げだと言わんばかりに肩を竦めた。
「じゃあ、小夜の誕生日に送る。それならいい?」
「うん、分かった。待ってるね」
軽やかに停車したバスに、小夜が乗り込む。振り向いてからぎこちない笑顔を浮かべると手を振ってくれた。悲しみを堪えているのが手に取るように分かった。
「明日の朝、ちゃんと起きて電車乗るんだよ。本当は見送りに行きたかったんだけど、朝は抜け出せないから……」
「うん、小夜。ありがとう。元気でね。また会おうね」
「……またね」
扉が閉まり、ややあってバスが動き出す。私は小夜がいなくなってからもしばらく、動くことが出来なかった。
冷たい夜に、私の嗚咽だけが響く。涙を流しながら、次第に温もりを失っていく朱色のマフラーを、ただ強く抱いた。
あの時のベンチを懐かしみながら、バスの時刻表を見ると、二十分もしないうちにバスが来ることが分かった。だが、ずっと座りっぱなしだったのでどちらかといえば歩きたい気分でもある。子供が出来てからというもの、ろくに運動もしていなかったのでちょうど良かったかもしれない。手荷物も、ハンドバッグだけなので問題はないだろう。
ここから小夜の家までは、歩いて三十分はかかる。のんびりと歩いていると、どうして手紙が届かなかったのか、また、どうして手紙を送ってこなくなったのかを考えてしまう。
最後に小夜から来た手紙は、しっかりと覚えている。親同士が勝手に決めた縁談だったが、とても印象の良い殿方だったので結婚するかもしれないという内容だった。それを読んだときは飛び上がるほど驚いたし、相手の男性はどんな人なんだろうという興味も沸いた。
ふと、思う。小夜が男性に好意を示したのは、初めてなのではないか。
小夜は中学のときからモテていた。といっても、同学年の男子からは高嶺の花といった様子でアタックするものはいなかった。だがある時、運動部の先輩からの告白を一蹴したという出来事がたちまち広まったのはよく覚えている。
「えっ、もしかしてあの高嶋先輩!? なんで断ったの!?」
下校途中に自動販売機でジュースを買っているときに、実は、と話し始めた小夜に、私が理由を問うと返ってきたのは納得しがたい理由だった。
「あそこの家の人は、うちの親と折り合いが悪いから……」
「そんな理由で?」
「……変かな?」
私からしてみれば変な理由だ、と思った。高嶋先輩は運動部のキャプテンだったし、人望もある人だ。でも、小夜は高嶋先輩というよりその背景にあるものを見ている。きっと高嶋先輩とくっついても、うちの親の顰蹙を買う。そう考えているんだろう。
小夜がそれほどまでに親を気にするのには、一つの理由がある。小夜の家、白雪家はこの地では知らない人はいないほどの豪農なのだ。
「そりゃ家のことも大事なのはわかるけどさ、大事なのはその人を好きって気持ちがあるかないかだと思うよ」
「うーん、私……高嶋先輩のことよく知らないし。それに、私には美樹ちゃんがいるから」
「なにそれ」
プルタブを開けると、炭酸の抜ける心地よい音がした。
「だって私、美樹ちゃんのこと好きだよ?」
学園のマドンナといっても過言ではない彼女から無垢な笑顔で言われると、同性の私でもどきりとする。小夜は全く気にしない様子で缶を開けようとしていたが、プルタブが固いのか諦めて手渡してきた。
「あはは、じゃあ私と結婚する?」
どきまぎしながらプルタブを開けてジュースを返す。小夜はほんのりと頬を染めながら受け取ると、照れ隠しなのか、ぐいっと缶を傾けた。私もジュースを一口飲んで、喉を潤してから続けた。
「でも私の家はただの古書店だし、いい顔されないよね」
小夜はふうっと一息ついてから、「そんなことないよ」と言った。
「そうかな? 私たまに店番させられるけど、お客さんなんて全然こないよ」
「美樹ちゃんが店番してるとこ、想像できないなぁ」
「えー、ひっどーい」
そうは言いながらも、小夜が言ったことは概ね当たっているので反論はできない。店番、といってもただ居るだけで漫画を読んだり携帯ゲームをしていることのが多いのは確かだった。
「あ、でもね。こないだ来たお客さんね、良かったよ」
「良かったって?」
「絶版本を探して来た大学生だったんだけど、見つけたときの嬉しそうな顔みたらこっちまで嬉しくなっちゃってね。初めて店番してて良かったって思ったなぁ」
「探し求めてたものに出会えるって、何だかロマンチック!」
「古書店冥利に尽きるってもんよね」
その時のお客さんとまさか恋仲になるとは思ってもいなかった。親の経営する古書店は、まだやっているんだろうか。
後方から聞こえるバスの音で、懐かしい思い出から現実に引き戻された。だいぶ時間が経っていたようだ。小夜の家は、もう近い。
県道から逸れていくと、巨大な屋敷が目に飛び込んでくる。辺りの土地は全て白雪家のものだが、あまり手入れが整っているとはいえない状況になっていた。立派な門は寂れて、塀の上からは松の木の枝が飛び出ている。
玄関チャイムを鳴らすが、返事はない。よく見ると、郵便受けはある。なぜここに私の手紙が届かなかったのだろう。
もう一度、チャイムを鳴らす。何となく、扉を触ってみたが鍵が掛かっていた。
「あんた、誰や?」
不意に背中から声を掛けられて肩を震わす。振り返ると、矍鑠とした老人が佇んでいた。
「あの……白雪さんの家の、小夜さんの友達です」
そういうと、老人は目を細めながら「そうかい」と短く呟いた。
ここにいるということは、白雪家に用があるのだろうか。
「ご不在のようですよ」
私が告げると老人は当然だと言わんばかりに頷いた。
「あんた、友達いうとったけど何も知らんのか?」
「小夜さんに、何かあったんでしょうか」
老人は視線を高く上げる。まるで門を飛び越えてその先の家を思い出しているように見えた。
「いやな、事件じゃったな」
その一言だけで、私の胸の中にぽっかりと穴があいたような気がした。
届かない手紙、送られてこない手紙。人気のない白雪家。いやな事件。
「あの……」
どんな事件が、と訊くまえに老人が言葉を発した。
「去年、亡くなったよ」
白雪小夜は二十四歳という若さでこの世を去っていた。
私と別れてから七年。
――そんな悲しい顔しないで。一生会えないわけじゃないんだから。
話をしてくれた老人は、名を藤山勝治というらしい。豪農白雪家の専属庭師だった、と語った。彼の視線を辿ると、脇道に軽トラックが停められている。荷台には、剪定道具が顔を覗かせていた。
「あんた、もしかして矢草さんとこの子か?」
矢草、とは私の旧姓である。今の旦那と駆け落ちして、私はこの地と、両親と、苗字を捨てた。どこか後ろめたい気持ちで、頷く。
「やっぱりか。奥さんによう似とるわ。矢草古書店には、世話になっとる。娘さんが居らんようになったとは聞いとったけど元気そうやな」
「……はい」
「その様子じゃ、家に顔はだしとらんようじゃの」
私が黙りこくっていると、老人は軽く右手を振った。
「まぁ色々あったんじゃろて、詮索はせんが親っちゅうもんは大事にしたほうがええ。わしは若いときに亡くして親孝行なんて出来んかったからのう」
「心にとめておきます」
親との折り合いは悪い。というより、絶縁状態だ。昔から酒浸りだった父と、いいなりの母に辟易していたこともある。駆け落ちして住まいを定めた今、再びのこのこと赴く気にはならなかった。そのため、小夜の考えの根幹に親が関わっていることが不思議でならなかった。私は親がどう思おうが関係ない。大事なのは自分の意志なのだと今でも思っている。
「それでその、小夜さんのこともっと訊かせて貰ってもいいですか?」
「構わんが、立ち話もなんじゃ。うちが近いから寄っていきなさい」
言われるがまま勝治さんの軽トラックに乗り込んで、十分もしないうちに目的地に着いた。通された客間で勝治さんの妻は目を丸くしていたが、すぐに温かいお茶とミカンを出してくれた。
「それで、白雪さんの話じゃったな。今は旦那さまも肺を悪くして亡くなってしもうて、そのせいか奥さまは塞ぎこんで妹さんのとこで厄介になっとる言うとったか。懇意にしとった使用人も蒸発してもうてな」
「小夜さんは、どうだったんですか?」
「うむ、綺麗な方じゃったな。縁談があって、身を固めたという話になっとったと思うが」
「良い話があったというのは伺っておりました。手紙でやり取りしていたので」
私がそういうと、勝治はそうだ、と手を叩いて家内を呼び出した。
「預かっとったもん、あったじゃろ。矢草の娘さん宛じゃなかったか」
それだけですぐに思い出したのか、勝治さんの妻はいそいそと隣の部屋に消えていった。
「あんたか、毎年同じ日に手紙寄越しとったんは」
「はい。小夜さんの誕生日に送っていました」
「それだけはよう頼まれとったわ。郵便は使用人が受け取って旦那さまに渡すもんだから、その前に手紙だけ抜き取ってくれと」
――そんなに沢山送ると、隠しきれないよ。うちの使用人さん、パパに隷従してるんだから。
私は駆け落ちをして、小夜に手紙を送った。返事をもらうためにそこには新しい住所が書かれている。もしそれが小夜の父に知れれば、きっと両親の知るところとなっていただろう。小夜はそれを避けるために、勝治さんにお願いしていたのだ。
「まぁ、朝早くから出向いとったで苦ではなかったが、そうかあんたが……」
「ええ。ですが、手紙も届かなくなって不思議に思い訪ねてきた次第です。それで、小夜さんはどうしてお亡くなりになったんでしょうか」
勝治さんは口につけようとしていた湯飲みをそっと戻す。
「そうか、言っとらんかったか。……自殺じゃよ。浴室で腕を切っておったのを、奥さまが見つけてな」
滔々と語る勝治さんは思い出すのも憚れるといった面持ちで頭を下げる。私は返事もできず、ただ焦点の合わない目を伏せる。
自殺。
小夜が浴室で血を流して蹲っている様子が脳裏を過った。傍らに落ちている包丁。深く傷つけすぎた血管からとめどなく溢れる血液。だらしなく垂れ下がる腕。失われていく体温。
「お待たせ致しました」
勝治さんの妻が、小さな木製の文箱を持ってきた。
「遺品の多くは荼毘に付したそうじゃが、それは後から出てきたものでな」
私は恐る恐る、文箱を開ける。中には見慣れたレターセットが入っていた。
「これ……私が送った手紙です」
「中には、あんた宛の手紙も入っとった。じゃが、故人の手紙を読んだり勝手に送るわけにもいかんし、家は無人だしどうしたもんかと、結局今の今まで預かっておったんじゃ」
勝治さんはゆっくり湯飲みに口をつけてから補足すると、しばらく席を外すといって部屋を出て行った。思うところもあるだろうと気を遣ってくれたことに感謝する。
手紙を一枚一枚取り出していく。これは、三年前の手紙。これは、四年前。まるでタイムカプセルを掘り起こしたかのように、当時の記憶も蘇ってくる。順番に取り出していくと、見たことのない手紙が出てきた。小夜の字だ、とすぐに分かった。
ゆっくりと手紙に目を通す。最初の数行で、これはただの手紙ではなく遺書だということがはっきりと分かった。
『美樹ちゃんへ
この手紙を読んでいるとき、私はこの世にいないと思います。それでもこれだけは言わせて下さい。手紙を送るという約束を破って、ごめんなさい。またね、と言ってお別れしたのに会えなくてごめんなさい。
私は死のうと思っています。この世に私の居場所がないと、そう感じたからです。
ここからは美樹ちゃんを裏切った私の言い訳だと思ってください。そう思ってくれたほうがお互いのためになると思います。
良い縁談があったという話は覚えていますか? 話はとんとん拍子に進んで、すぐに入籍しました。両親の顔色を窺っていないといえば嘘になりますが、昔、美樹ちゃんが言ってくれた言葉を忘れたわけではありません。私自身も彼に惹かれるところがあり、身を固めました。
誠実な彼を婿養子に迎え、両親からは毎日のように早く孫が見たいと言われました。それに応えようと努力はしましたが、実りませんでした。私の体は、赤子を迎えることの出来ない体だったためです。
最初は彼に非があるのではという話でしたが、検査の結果、悪いのは私の体のほうでした。相手方の両親に強く言われることはありませんでしたが、我が家にとって私は一人娘であり、子が産めないという現実は両親にとって受け入れがたいことだったと思います。
そんな折、美樹ちゃんの手紙が届きました。第一子を授かったそうで、何よりです。
その報告をきいて、不妊治療にも取り組みましたがうまく行きませんでした。両親は養子を迎え入れようと躍起になっていましたが、私は正直言って反対でした。親のために見ず知らずの子を育てるというのは、私には荷が重く感じたためです。
そして先日、美樹ちゃんからまた手紙が届きました。もうあれから一年経つのだと驚いたのを覚えています。娘さんは元気に育っているようで、嬉しく思います。やはり自分がお腹を痛めて授かった命というのは尊いものなのでしょう。文面から美樹ちゃんの慈しむ気持ちが伝わってきます。
今にして思えば、美樹ちゃんと二人、一緒に遊んでいたときが人生でもっとも輝いていた時期だと思います。願わくば私がいない世界でも元気に暮らしてください。
今までどうもありがとう。さようなら』
顔を上げると、窓の外を鶺鴒が飛んでいた。秋の空は相変わらず曇っている。
小夜は自殺をした。本当にそうだろうか。
――第一子を授かったそうで、何よりです。
苦悩や、怨嗟が入り混じった感情が鋭く胸を突く。
――手書きの文字で自分のこととか、相手のこととか、考えて書いてあるのを読むのが好き。何だかその人の心が籠っている気がして。
小夜の言っていた言葉は今でも鮮明に思い出せる。子が産めない苦しみを抱えた彼女に、私の"心の籠った"文面が彼女の白い肌に刃を押し込んでいく。
毎年送った私の手紙は、小夜の体に毒のように染み込んでいったのではないか。
彼女を殺したのは、私なのではないか。
手紙を閉じると、文箱の底に一枚の紙切れが置いてあることに気付いた。まだ高校生のときに、修学旅行で小夜と一緒に撮った写真だ。
震える手で、写真を拾い上げる。
写真に映る小夜は、笑っていた。