7th pinch 問いと答え
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「なんで……?」
「あれだけの戦闘をされたのです。生命力が回復しているとはいえ、もう少しお休みにならなければなりません」
ベッドの上で体育座りをしていた私が疑問を口にすると、ちょうど部屋に入ってきたエルドラが検討違いな答えを述べた。
私が目が覚めたのは、今朝方のこと。
起きようと身体を起こせば全身が気だるく、侍女たちの報告を受けてやって来たエルドラにその旨を伝えると懇切丁寧に介抱されて今に至っている。
「いや、私が言ったのは、〝なんで、私が勝ったのかな?〞って意味で……」
そう。
なんと、私はバルナバスとの決闘に勝利していたのだ。
加えて驚くべきことに、私はバルナバスと決闘をしてから丸二日眠りこけていたらしい。
エルドラの過度な称賛が混じった決闘の経緯を聞くところによると、どうやら私はバルナバスを水球の中に閉じ込めて窒息させ、戦闘不能に追い込んだらしい。
そして勝敗が決したあとに私も倒れた――そうだ。
(……そう言われても、まったく身に覚えがないんですけど!?)
あの日のことを思い出そうにも、バルナバスが客席から落ちてきた少年も巻き込んで火の玉を投げつけようとしてキレた辺りから記憶がなくなっていた。
もしエルドラの言うことが本当なら、バルナバスを戦闘不能にさせたのは、自我を忘れた私ってこと?
もしくは、ジークリンデが何かしてくれたのかもしれない。
(リンデに話を聞きたいけど、どうにもパスが繋がってないのよね……)
互いの魂が入れ替わったことで、私とジークリンデとの間にはパスができていた。
いわゆる、糸電話のような細い繋がりだ。
これまでは一方からもう一方に話しかけることで、それを開くことができていた。
けれど、今日起きてから何度も試しているのに、パスが繋がった感覚はない。
(まさか……)
まさか、もうジークリンデと意思を疎通することができない?
一度、負の思考に陥った私は、その後ももとの世界に還れないかもしれないという不安に行き着いてしまい、一人頭を抱えていた。
「もう寝よ……」
眠気がまったくないものの、私は不貞寝を決め込んでベッドのブランケットにくるまった。
(うう……これは前に、PCに保存してたレポートのデータがぶっ飛んだ時と同じ喪失感……)
実際問題、レポートのデータはPCにバックアップが取れていたから、少しのリカバリーで済んだし、もしかしたらジークリンデとのパスも、時間が経てばまた繋がるかもしれない。
(……にしても、私が魔法を使えるとは……実は私って、凄い人材だったりする!?)
以前、弟の玲也が言っていた、最近のライトノベル業界のトレンドのことを思い出す。
俺ナントカ系。
〝俺もえー〞? いやいや、萌えてどうする。
〝俺すげー〞? あ、ちょっと近付いた。
〝俺つえー〞? そうそう! こんな響きだった気がする。
(確か、〝俺TUEEE〞系? あれ、〝E〞の数は何個だっけ?)
もどかしい脳内検索結果に悩んでいると、いつの間にか部屋の外に出ていたエルドラが戻ってきて、私に声をかけてきた。
「陛下」
私は彼のエメラルドの瞳を見て、続きを促す。
「どうしても、陛下にお目通りを願いたいという者がおりまして」
「? いいけど……」
エルドラの指示で扉から入ってきたのは、どこか見覚えのある少年だった。
「君は――」
直近の記憶を思いだし、彼がバルナバスとの決闘中に観客席から落ちてきた少年だとわかる。
「ジャックス=クロムウェルです」
ジャックスと名乗った少年が、突然頭を下げた。
「魔王陛下! 僕を……使節団にいれてください!」
「へ……?」
目を瞬かせた私は、彼の言っている言葉を頭の中で反芻する。
(入りたいって言った? 使節団って、和平の?)
頭を下げているジャックスの真意を図りかねていた私に、泳がせた視線の先にいたエルドラが、説明をしてくれた。
「この者は先日の陛下への恩に報いるために、和平使節団への入団を志願したいと申しております。
いかがでしょうか? 陛下」
〝恩〞って、決闘の巻き添えになってところを助けたってこと?
「えっ、ああ、うん。勿論、大歓迎だけど……」
私の言葉を聞いて頭を上げたジャックスに、私は改めて問う。
「ジャックス君。一応、あなたの入団動機を聞いてもいいかな?」
私に助けられたからというのは、きっと最後の後押しだったのだろう。
彼のなかには、元々使節団への興味なり意味なりがあるはず。
「僕は……前に一度、人間に助けてもらったんです」
「!?」
目を見開いた私に、エルドラが耳打ちで教えてくれた。
「先代魔王は、時折人間の地に行っては魔族の救出をされていたのです」
それ、初耳なんですけど。
「……その時、〝人間は全員が悪い人じゃないかも〞って思ったんです。だから、陛下が掲げる人間との和平に僕も何か力になりたくて……」
伏し目がちにそう言ったジャックス。
「わかりました。ジャックス=クロムウェル君。君を和平使節団への入団を許可します」
「あ、ありがとうございます!」
詳細については後日改めて聞くことになり、ジャックスとエルドラは部屋から出ていった。
私はベッドから起き上がり、ベランダへと繋がる窓を開ける。
昼時を過ぎた空からは、涼しい風が吹いていた。
そして、先程ジャックスが言った言葉を思い出す。
(〝人間は全員が悪い人じゃないかも〞か……)
今まですっかり頭が回らなかったけれど、私はあくまで魔族、それも魔王としてこの世界にいるのだ。
けれど私はこれまで、心のどこかで人間として、魔族の彼らに接していた。
価値観、歴史、目的、本能。
そのすべてが違う種族に、私は押し付けにも似たものを提示した。
だから、彼らから異端だと思われても仕方がない。
(偽善、だったのかな……)
もし、今ジークリンデに訊けるのなら、問いたかった。
魔族として、争いでなく和を求めることは間違いではない、と。
「……」
しばらくして、風に当たって頭を冷やしていた私の耳に、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
扉を閉め、ショールを羽織った私の背中に、思わぬ声がかけられる。
「カンナ様」
「……って、ええ!? クリストフさん!?」
振り向いた先には、クリストフさんが立っていた。
確か、前にジークリンデから聞いた話では、クリストフさんは〈魔の大迷宮〉からほとんど出てくることはなかったという。
そんな彼が、どうしてここに?
「お加減はどうですか?」
「は、はい。もう大丈夫ですっ」
私はベッドの向かいにあるソファに腰を掛ける。
するとクリストフさんは率先して紅茶の用意をしだした。うっ、女子力の差か。
かちゃりとローテーブルに並べられたティーカップからは、優しいハーブの香りがした。
それを一口啜り、風に冷えた身体に巡らせる。
同じように紅茶を一口含んだクリストフさんが、おもむろに口を開いた。
「カンナ様……あの時のことは、覚えておいでですか?」
「〝あの時〞って……?」
思い当たる節がいくつかあって首を傾げる私に、クリストフさんは「競技場でのことです」と静かに答えた。
「ああ。えーっと、実はですね……」
私は競技場での決闘の途中、バルナバスの攻撃で壁にぶつかったあとの辺りから記憶がさだかではないことを正直に話した。
「……そうですか。やはり」
「やはりって……」
どうしてクリストフさんが知っているの?
「カンナ様。今魔法を使うことは可能ですか?」
真剣な眼差しに見つめられ、私は前に使ったことのある〈影纏い〉の呪文を唱えた。
「……どう、ですか?」
「はい。確かに」
「ではそのまま次に、水魔法でこの紅茶の中身を宙へ浮かせて見てください」
そう言って、クリストフさんは先程まで私が口につけていたティーカップの中身を指差した。
「は、はい……」
私はジークリンデから聞いた水魔法の基礎の呪文を唱えた。
「〈形なきもの 万物を生み出し母なる水よ――〉
……って、あれ? 何も起きない?」
ティーカップの中の紅茶は、僅かに波紋を立てただけ。
そしてその波紋は何事もなかったかのように静まっていった。
エルドラの話では、私の中の生命力はもう回復されていて、それが不足するという事態にはならないはずだった。
けれど、何度やっても結果は同じ。
「もう結構ですよ。カンナ様」
クリストフさんの言葉で、私は水魔法を唱えるのを止めた。同時に〈影纏い〉の効果もなくなる。
「恐らく、今のカンナ様は、一度に複数の魔法を行使することは出来ないのでしょう」
「な、なるほど?」
クリストフさんに言われたことで、試しにもう一度、ティーカップへ向けて呪文を口にする。
すると、先程までが嘘のように、紅茶が大きな球体となってカップから離れて宙へと浮き出した。
(ほんとだ!)
先程は〈影纏い〉と同時だったから、いくらやってもダメだったと言うわけか。
「……でも、どうしてクリストフさんがそのことを?」
紅茶を元に戻し、私はクリストフさんへと尋ねた。
「あの決闘が行われた時、私も競技場にいたのですよ」
そして彼は続ける。
「本来のジークリンデ様ならば、複数の魔法を同時に操作することは容易いでしょう。それは、周囲の者たちも理解しています。
ですが、あなたは違う。
カンナ様。あなたはこれから、いつ正体がバレるともわからないそんな状態で、人間との和平を結ぶと仰るのですか?」
「……」
クリストフさんの言いたいことは十二分に理解した。
でも。だとしても。
「――はい。やります」
私は答える。
「私は、このまま魔族が人間と争うところなんて見たくないし、争わせたくありません。
それは私がもともと人間だからでも、今、魔王の身体にいるからでもありません。
私が、私だからです」
それに、魔族にとって、私が魔王かなんて、関係ないんです。
沈黙のあと、クリストフさんが小さく溜め息を吐いたのがわかった。
「なるほど。だから、あなたはその色なんですね」
「……色って?」
「あなたの考えはわかりました。いいでしょう――私も協力します」
「協力? もしかして、それって……」
まさか?
そう頭の片隅で考えていたことが、クリストフの口から言葉で紡がれる。
「ええ。私も使節団へいれていただきたいのです」
「いいんですか!? ……でも、一体どうして?」
「……目に見えるものだけがすべてではないと、実感したので」
哲学的な話になりそう。
「とはいえ、私が非力なことには代わりないですが」
「そんなことないです、クリストフさん! とっても心強いです!
それに立候補者はあなたで三人目……これでやっと光が見えました。ありがとうございますっ!」
「……そうと決まれば、カンナ様」
舞い上がる私に掛けられる、クリストフさんの言葉。
それが些か静かであることと、彼のにこやかな表情がどこか仮面のように思えて、私の喜びの感情が一瞬にして落ち着いていく。
「はい? な、なんでしょう?」
「先程申し上げたように、今のあなたはジークリンデ様のように魔法を行使することは出来ないでしょう。
ですが、そうはいかなくとも、あなたにはこれから〝魔王〞らしくご自身の魔力を、完全に制御仕切れるようにしていただきます」
「それは、つまり……?」
「特訓しかありませんね」
次の日から、和平使節団の出発準備の合間を縫って、クリストフさんによる魔法の実技訓練が行われた。
それがスパルタ特訓であることは言わずもがな。