5th pinch 強さの証明
◆
(――どうしよう! どうすればいい!?)
私は報告があった中庭へエルドラと向かいながら、頭のなかで必死に頼みの綱である彼女を呼び続けた。
(ねえ、リンデ! 聞こえてる!? 聞こえてるならお願い、力を貸して!!)
《ん……カンナ? どうしたの?》
しばらくして、応える声。
それはどこか寝ぼけているようで、舌が上手く回っていなかった。
私はジークリンデに現状をかいつまんで説明し、助けを乞う。
《えっ!? そんなことになってたの!?》
状況を把握した彼女は、途端に驚愕の声を上げた。
報告で名前が上がったバルナバスは、件の魔王選抜総戦争の参加者であり、生き残った過激派の一人でもある。
そんな相手が起こした謀反。
ただで収められるとは考えない方がいい。
けれど対する私に、身を守る術はないに等しかった。
(お願い、リンデ。何でもいいから、今すぐ私に使える魔法を教えて!!)
自慢ではないけれど、私は幼い頃から運動音痴だ。
それが本気でこちらを倒そうとしてくる、ましてや、魔法を使ってくる相手になんて敵うわけがない。
だから、頼れるものなら藁でも頼る。
《魔法をっ!? そんな無茶な……でも、私の身体にある生命力を使えばなんとかなる? うーん……でも、カンナは魂的には人間だし……》
私の言葉に驚いたジークリンデはしばらく逡巡していたものの、やがて何かの結論に辿り着いたように言葉が落ちてきた。
《いい? カンナ。前に言ったかもだけど、魔法を使うには魔力が必要なの。
それで、魔力は大気中の魔素か、体内の生命力のどちらかを変換する必要があるんだけど、魔素を魔力に変換するのは、正直、今のカンナには難しいと思う。
だから、今は生命力の変換の仕方を教えるね》
それから私は、道すがらジークリンデによる生命力の魔力への変換方法と使えそうな魔法についてのレクチャーを受けた。
問題は、こんな緊急事態かつ急ごしらえで初めて使う魔法が、本当に相手に効くのかということ。
とは言え、体内にあるという生命力には限りがあるらしく、ぶっつけ本番になるのは仕方がない。
(……わかった。ありがとう、リンデ。やってみる)
私たちが魔王城の中庭に到着すると、両目にその悲惨な光景が映し出された。
まるで破壊の限りをしつくされたとでもいうように、中庭の地面は抉られ、木々は倒れ、壁は壊されている。
そしてその中心に、私よりも身長が倍以上ある巨漢が立っていた。
彼の足元には、その暴挙を止めようとして返り討ちにあったと思われる、数名の衛兵。
(……酷い……)
全身から血の気が引いていくのがわかった。
よく見ると倒れている兵は全員、虫の息ではあるものの、辛うじて生きている。とは言え、皆重症であることに代わりはなかった。
「おう。やーっと来たか」
振り向いた男から放たれる、異様な気配。
それが誰に聞かなくとも、殺気であることは私にも理解できた。
男の顔は人間のそれに近いものの、絵本でみた日本の鬼のような角が額に二つ生えていた。
加えてその手に握られているのは、大振りの棍棒。
重量も質量も、この中庭の惨劇から察するに申し分ないのだろう。
「……あなたが、バルナバスね」
私が男の名前を口にすると、彼は唾を吐きながら私へ指を指した。
「前から思っていたんだがよ……お前みたいな小娘が俺たちの魔王ってのは、我慢ならんねえんだよな」
怒号ともれるその声に、私は泣き出しそうな感情を圧し殺した。
「なるほど。ですが、あなたが謀反を起こした本当の動機はなんですか? 不満があるなら、今この場で直接伺います」
ジークリンデが王位に就いてから、もう百年以上が経っている。
今さらそれだけ謀反を起こすとは考え難い。
「ふんっ。今までお飾りだと思っていた嬢ちゃんが、急に魔王面しだしたかと思えば、今度は人間へ頭を垂れると言ってきやがる。
お前のような暗愚で軟弱者な魔王の下にいるなんざあ、一族に恥ずかしくて顔向けできねえ!
――今ここで、俺と勝負しろ!」
「貴様っ!」
そう言い放ったエルドラのエメラルドの瞳が、一瞬にして金色へと変わった。
私はエルドラを制止し、バルナバスへと言葉を向ける。
「バルナバス。私は人間に服従しようとしてるのではありません。彼らと平等に、対等に関わろうとしているだけです」
「脆弱な人間ごときと、我々魔族が対等にだと? 妄言はいい加減にしろ!」
(人間を上に見てるか下に見てるか、どっちなのよ!)
私は頭を抱えたくなる。
「で、どうなんだ? 俺と勝負するのか?」
「あなたが勝てば?」
私は恐る恐る訪ねる。
「俺が勝ったら、お前を殺し、人間に総攻撃を仕掛ける」
「……もし、私が勝ったら?」
バルナバスの渇いた笑い声がした。
「魔王サマの言うことを何でも聞いてやるよ」
「……わかったわ」
やるしかない。
《カンナァ! やっぱやめとこ? 絶対死んじゃう……敵うはずないよぉ!》
(……リンデ。あんたはちょっと黙ってて)
今私とバルナバスが立っているのは、魔王城の隣に建てられていた格闘場。
ここで戦うのが、正式な魔族の決闘場所なのだそうだ。本当、血気盛んなわりに格式や形式にはこだわる律儀さだ。
フィールドで一定の距離を保つ私たちの間に、エルドラが立って決闘のルールを説明する。
「……規定に乗っ取り、体術、魔法の制限はありません。
勝敗については、相手の口から〝参った〞と言わせるか、先に相手を先頭不能にした方を勝ちとします。
――両者。それで異論はないですか?」
「ええ」
「ああ」
そして、エルドラが腕を叩く掲げた。
バルナバスは、既に棍棒を用いて何かの構えをしている。
「それでは、両者――始めっ!!」
エルドラの声が格闘場に響き渡ると、すぐにその声が聞こえた。
《カンナッ! 右に避けてっ!!》
「え? ――っ!?」
リンデの声に咄嗟に反応して、右方向へ数歩避けた瞬間。
私の頭上で風が起こった。そして強い衝撃が足元から流れてくる。
私が先程まで自分がいた場所に目を向けると、その地面にバルナバスが持っていた棍棒が突き刺さっていた。
「なっ!?」
棍棒は三分の一も地面に食い込んでいるため、その周囲は盛り上がっている。
いつの間に投げたのか。
そんな疑問の答えを考える余裕もなく、ジークリンデの声が続けて聞こえてきた。
《しっかりして、カンナ! また来るよ!!》
バルナバスを見ると、何かの呪文を詠唱しているような素振りが見えた。
そして、それまで何もなかったバルナバスの前に、〝炎〞が生まれる。
その炎は一つ、二つ、三つと徐々に増えていた。
初めは拳大の大きさだったものが、次第に一回りも二回りも大きくなっていく。
「火の玉!? って、そんなのあり!?」
次の瞬間、バルナバスが私めがけてその火の玉を放ってきた。
火の玉は、ものすごいスピードで私へ向けて一直線で飛んでくる。
《カンナ! 避けて!! 左!!》
「はいぃ!?」
ジークリンデの声に従うまま、私は身体を左へとそらした。
すると案の定、火の玉は私の前にいた場所へ向かい、そのまま後ろの壁へと土煙と轟音を伴いながらぶつかる。
私は地面に膝を着いて、なんとか切れる息を整えた。
ここに来て、心拍数が半端ないほど上がっている。
足も先程までは辛うじて動いていたものの、壁に当たった火の玉をみてすっかり震えていた。
ここはいわば、剣と魔法の世界。
弟の玲也だったら泣いて喜びそうだけど、いかんせん、私には知識が少なすぎる。
(これが……魔法の威力……っ!!)
もしかわしきれずにどれか一つでも当たっていようものなら、大火傷だけではすまいだろう。
今さら感じる命の危険という恐怖に、すっかり身体が支配されていた。
《カンナッ! しっかりして! またあの〈火玉〉が来るよ!》
「次全部避けるの、無理無理っ! 出来っこないって!」
私は思わず声を上げていた。
先程すべてをかわせたのはただの偶然だった。
学生時代から反射神経はてんでない方で、徒競走のタイムも誇れるものじゃない。
もし次に時間差でこられようものなら、絶対どれか一つはかわしきれずに命中する自信があった。
「もっ、もう、限界……」
《大丈夫! さっき教えたでしょ! 〈影纏い〉!》
「……っ!?」
その言葉で、先程彼女から教えてもらった呪文を思い出す。
ジークリンデが言葉を続けた。
《大丈夫。さっきあんな大きい魔法を使ったから、こっちの方が起動は早いはずよ!
カンナはこっちの世界に戻りたいんでしょ? だからそのために私も協力するから……頑張って!!》
「……」
私は土煙のなか立ち上がった。
そしてばちんと頬を叩き、深呼吸をする。
うん。さっきよりも、心拍数はお落ち着いてきた。
あとは、覚悟を決めるだけ。
(……もう破れかぶれよ! ぶっつけ本番だけど、やってやろうじゃない!!)
私は、先程ジークリンデから教えてもらったことを思い出した。
魔法で大事なのは、創造力なのだそうだ。
何をどうしたいのか。
どんな力を得たいのか。どんな力を目の前に顕現させたいのか。
ジークリンデから教えてもらった魔法の一つである〈影纏い〉は、姿を隠す魔法だった。
私は教えてもらった呪文を声に出した。
「〈我が身に宿りし大地の化身よ その黒き瞳に我が姿を映し 白日の許 我を隠せ 影纏い〉」
足元から一陣の風が吹いたかと思うと、格闘場から観客の声が聞こえた。
「へ、陛下はどこだ!? 消えたぞ!?」
どうやら、私からは周囲の様子が見えるものの、皆からは私が見えないようだ。
(……今がチャンス……!)
転びそうになるのをなんとかこらえながら、私はバルナバスの許へ走った。
私が体格差のあるバルナバスを倒すには、超至近距離からの攻撃が一番の有効打だ。
だからこそ、不意打ちからの超至近距離攻撃。
「〈母なる水よ――〉」
私はジークリンデから教えてもらった攻撃魔法を詠唱しながら、バルナバスへと近付いてく。
背後からの攻撃。
と見せかけて、相手の懐へ大きな一撃を食らわせる。
その算段のはずだった。
けれど。
「――甘いな。小娘」
「っ!?」
背後から回り込んだ瞬間、バルナバスと視線が合った。