4th pinch 前途多難
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本日以降、投稿時間を朝7時に設定させていただきました。
◆
そこは、魔王城の中庭。
普段あまり用途を満たされていない掲示板に、その貼り紙は掲示されていた。
「……『使節団団員大募集』?」
そう声を上げながら読む魔族たちだったが、その言葉の意味がわからないという訳ではなかった。
なんでも貼り紙には、人間たちの許へ向かい、和平条約を結ぶための使節団の団員を募集しているという旨が書かれている。
募集してる魔族の要項としては、以下の三点が掲げられていた。
〝年齢が百歳以上であること〞
〝コミュニケーション能力が優れていること〞
〝他者理解(異種族含む)に努められること〞
人間という種族との関わりは、今から約三百年前に絶たれている。
そのため、それ以降に生まれた魔族たちは口伝でしか人間という生物のことを知らない。
「……使節団……」
大勢の大人たちがその貼り紙を一読しては去っていくなか、一人の少年だけはその貼り紙をずっと見つめていた。
◆
クリストフさんに和平使節団の勧誘を断られてから、今日で早三日。
私を待っていた現実は、それだけではなかった。
「――何で誰も団員に立候補して来ないのよ!?」
本日の会議終わり。
ほとんどの魔族が退席した円卓の間でしびれを切らした私は、つい円卓を叩いて声を荒げてしまった。
それほど強く叩いたつもりはなかったのに、どん、という鈍い音が手に衝撃と共に伝わってくる。少しヒリヒリした。
唯一円卓の間に残っていたエルドラが、視界の端でびくりと肩を震わせる。
(どうせ今日も、迷宮の道は違うんだろうな……)
三顧の礼を尽くすべく、和平使節団への勧誘に断られた翌日にもう一度〈魔の大迷宮〉へ向かって、驚愕した。
昨日の帰りまで確かに繋がっていたアリアドネの糸は、迷路の途中でプツリと切られていたのだ。
以前ジークリンデが言っていた、クリストフさんが迷宮の道を自由自在に変えられるというのは本当のことだったらしい。
結局、中央の塔へ辿り着くことはできなかった。
(魔族って、今ではほとんどが穏健派じゃなかったの!?)
張り紙を城内の掲示板に貼ってから、まだ三日。
とは言え、その成果はまるで見られていなかった。
先ほどの会議に出席した各魔族の長からも、それぞれの魔族たちから立候補者が出てきたという話が全く上がってこなかったという。それも、不安を煽る材料になっていた。
「恐れながら申し上げます、陛下」
「なに? エルドラ」
頭を抱える私に、恐る恐るエルドラが口を開く。
「恐らく魔族の皆の大半に、人間と和平を組む意図が正しく伝わっていないのかと」
その言葉を聞いて、私は首を傾げた。
「はい? だって、魔族は人間と争いたくはないんでしょう?」
だから数百年間、何も問題が起こっていなかった。そういう訳ではないの?
私の問いに、エルドラは頷きながらも渋い顔をする。
「ええ。ですがそれは、あくまでも先代が命じた『人間への攻撃を一切禁止する』というものに対してで、『人間と和平を結べ』という意味とは違います」
「……はい?」
彼は、目を丸くしていた私に噛み砕いて説明してくれた。
「我々魔族が先代魔王ベルガスヴラドより受けた命令『人間への攻撃の一切を禁止する』は、あくまでも人間が我々より脆弱な生き物であるという前提の基に成り立っています。
それは〝より強者であること〞という魔族の闘争本能が関わっているからです。
ですが強大な能力をもった異界人が現れたということで、その前提はすでに崩れてしまいました」
「つまり……」
つまり、まとめるとこうである。
弱者への攻撃は、魔族の矜持に反するものである。
そして、人間は魔族に劣る脆弱な生き物である。
故に、脆弱な人間への攻撃は一切禁止する。
(何よ、その考え方……)
その三段論法はありなの? 筋は通っているけれど、納得しがたい。
それは以前、ジークリンデから聞いた魔王選抜総戦争と通じるものがあった。
最強である魔族が魔王の座に就く。
だからこそ、魔王が命じた言葉には皆を従わせる力が生まれるのだ。
「じゃあ、今後誰も和平使節団には立候補してこないってこと?」
予定では和平使節団の内訳として、大使と副使、書記とあとは随行員も欲しいところだった。
そう考えると、最低限四名は欲しい。
もし立候補者がそれよりも満たないようであれば、発案者でもある私が行こうと思っていた。
けれど、私と他の魔族との間で、和平使節団を作る目的の認識がそもそも違っていたのだ。
彼らは〝平和な世界〞など求めていなかった。
(どうしよう……私は何をすべきなの?)
今では少し、ジークリンデの気持ちがわかる気がする。
戦いたくない。
けれど、魔族には平和を望む者の声ではなく、自身より強者の声に従う。
これは私の落ち度だ。
使節団の創設が根本から揺らいだことで、私の頭のなかはぐちゃぐちゃになっていた。
そんな時、私を呼ぶ声が隣から放たれる。
「陛下」
声の方へ視線を向けると、先程まで立っていたエルドラが、座る私の視線に合わせて膝をついていた。
「勿論、私は陛下に賛同いたします」
「エルドラ……」
「陛下、私は嬉しいのです。
この数百年、配下への関わりを絶っていたあなたが、我ら種族のこの窮地に御身自ら立ち上がり、その手ですべてを成さんとされていることに。
ですのでこのエルドラ、知恵者の名において、全身全霊をもってあなたの力となりましょう」
……そうだ。
今まで彼は、私の発する言葉に異を唱えることはあれど、頭から否定したりなどしたことはなかった。
それは、彼なりの魔王への忠義なのだ。
けれど、私は本当の魔王じゃない。
ジークリンデから押し付けられた代打で、もとの世界に還るために魔族と人間の戦争を止めようとしている。
決して、魔族のためだけにしていることではないのだ。
(もし仮に使節団の団員が集まったとして、私は、この人を……魔族全員を騙して、本当に和平なんて結ぶことができるの……?)
こんな全幅の信頼を寄せてくる相手に、私は正体を偽っている。
それは、公平じゃない。
だとしたら、今私がジークリンデと入れ替わっていることを伝えた上で、どうしたら戦争を回避できるかみんなと一緒に考えた方が、ずっといいのではないか。
「エルドラ。私、あなたに言っていないことがあるの……」
「なんでしょう?」
「私、実は――」
その時。
「大変です! 陛下!」
勢いよく会議室の扉が開け放たれ、その音が円卓の間に響き渡る。
そこには爬虫類のような顔と肌をした魔族の衛兵が、切迫した雰囲気で息を切らしながら立っていた。
彼は続く声を上げる。
「恐れながら申し上げます! 謀反です! 過激派のバルナバス卿が、謀反を起こしました!!」
それは、エルドラから魔族について話を聞いた時に、心のどこかで感じていた不安の正体だった。
〝もし、今の魔王が弱いと誰かにバレたら?〞
強者がすべての上に立つ魔族のやり方は、とても明確で実践的なものだ。
謀反。
どうやら、それが的中してしまったようだ。
◆
〈魔の大迷宮〉のゴール地点、かつては〈死神塔〉と呼ばれた塔の上に、その魔族は一人で住んでいた。
その魔族――クリストフ=ヴレットブラードは、開け放たれた窓から景色を静かに見つめている。
窓からは、彼自身が創り出した迷宮が見渡すことができた。
代わり映えのしない景色は平凡ではあったものの、クリストフ自身は気に入っている。
やがて、その窓辺に一羽の白い羽を持つ鳥が止まった。
白い羽とは対照的に、その瞳は血のような深紅。
その鳥は彼自身の使い魔であり、〝眼〞という役割を担っていた。
その鳥はクリストフに臆することもなく彼の肩に乗り、ぴー、と高い声で囀る。
「……なるほど」
ここ数日、諦めずにこの迷宮に挑戦していた彼女は、今日は来ないようだ。
そしてその視線は、机の上にある張り紙へ向けられる。
その紙は数日前、彼女によってもたらされたものだった。
白髪に赤眼。
その絵を見たとき、何の暗喩かと勘ぐってしまったが、どうやら彼女には他意はなかったらしい。
その証拠に、魔王城内の掲示板にはこれと同様な張り紙が何枚も貼られていると使い魔たちから報告を受けている。
わざわざ不吉の象徴である白竜を模している、というよりは、彼女がこの世界に伝わる伝承を知らないだけだった、と考える方が納得できる。
『だって、クリストフさんは優しいですから』
あの時、魔王と同じ姿と声の少女が口にした言葉が、ずっと頭のなかに浮かんでいた。
優しいのは、あの少女の方だ。彼女は優しすぎる。
一度はこの容姿の自分に驚いた様子だったものの、四度この迷宮を訪れ、自分に会いに来ようというのだから。
「さて、どうしたものか……」
クリストフは何かを逡巡した様子で、机の上の紙に描かれた絵を静かに手でなぞった。