3rd pinch 使節団団員大募集!
「よしっ! これで完璧!」
私は掲示板に貼り付けた渾身の出来の貼り紙を見ながら、うんうんと頷く。
「あとは、この貼り紙を見た魔族たちが、続々私の許へ立候補してくるって寸法よ!」
その背中で、エルドラが不審そうに申し出てきた。
彼のエメラルドの瞳が、何か訝しいものでも見るような眼差しをしている。
「……陛下。お言葉ですが、本当にこれらを城内に貼って回るつもりですか?」
「そうだけど……なに? 何か問題でもある?」
魔王城のなかに掲示板が設置されていると教えてくれたのはエルドラだ。
当初の予定では、貼り紙は三十ほどある魔族の各部族長へ渡すために用意したものだった。
けれどエルドラの助言で、使節団団員に求められる能力を鑑み、魔王城への入城を許可されているある程度知能や実力を持つ魔族から団員を募集した方がいいという結論に達したのだ。
それなのに、なぜ今それを訊く?
他に何か問題でもあるのかと首を傾げる私に、エルドラが貼り付けた貼り紙に視線を向けながら告げた。
「ええっと……恐れながら、この真ん中に描かれている白い生物は〝破壊の赤眼なる白竜〞という認識で、よろしいでしょうか?」
「違うわよ! 平和の象徴といったら〝鳩〞に決まってるでしょ?」
「ハト?」
知恵者らしからぬ疑問符での返答に、私は昨日寝ずに作った渾身の出来の貼り紙をもう一度見る。
白く広げた翼に赤く輝く瞳。
改善点を強いて挙げるなら、ちょっとインパクトを求めすぎるあまり、翼と効果線を大きく描きすぎたくらいだ。
中学時代、美術部に所属していた割には、少し絵心が寂しい気もしなくもないけれど。
(まさか、この世界には鳩がいないわけ……ないわよね?)
とは言え、エルドラの何とも言えない表情を見る限り、その線も濃厚に思えてしまう。
「本当にこれで『和平使節団』の団員が集まるのでしょうか? 確かに衝撃のある貼り紙だとは思いますが……」
「確かに貼り紙の宣伝効果が薄いってことは認めるけど、だからこその数打ちゃ当たるっていう作戦だし……」
貼り紙で大事なのは、まず見た目とその印象だ。それで目を引いて興味を持たせ、詳細へと向けさせる。
内容は二の次とは言わないけれど、見た目からくる第一印象が大事なことは否定しない。メラビアンの法則というんだっけ。
そのため、貼り紙には絵の他に、キャッチコピーも大きく書き込んだ。
〝求む! 平和の使徒!〞
〝平和の礎を築くのは君だ!〞
魔族語の綴りは、昨晩ジークリンデに確認済みで完璧なはず。
加えて、募集要項の内容に目を通したエルドラからも、お墨付きをもらっているのだ。
「今さら悩んでも仕方ないわ!
じゃあ、さっき話した通り、あなたは城の東館の掲示板に貼り付けお願いね! エルドラ」
エルドラに貼り紙の残り半分を持たせ、私は掲示板を求めて魔王城の西館へと歩みを進めた。
「どうしよ……余っちゃった」
魔王城の西館にある掲示板すべてに貼り紙を貼り終えた私の手元には、いまだに数枚が残っていた。
思った以上に、この魔王城にある掲示板の数は少なかったらしい。
エルドラに任せた東館の方も同じだと想定すると、合計で十ヶ所あれば良い方かもしれない。
けれど絵本という文化がある以上、魔族にだって識字能力はあるはず。
……はずなのだけれど、貼り紙は目に止まってはじめてその宣伝効果を発揮するという難点があった。
(うーん、これで募集が集まらなかったら、推薦式にする? それとも……って、あれ?)
あれこれ考えながら、中央塔の自室へ戻るために回廊を歩いていたその時。
左手に、見覚えのある壁が見えた。
(……そう言えば、ここって……)
今私がいるのは、魔王城の裏手。
そしてその先にあるのは、〈魔の大迷宮〉と呼ばれる大迷路だった。
城の煉瓦造りの壁とは違い、迷宮の壁は白くつるつるした肌触りで、磨けば顔が映り込みそうな光沢を放っている。
「前来たとき、この辺りに……あった!」
目星をつけた迷宮の入り口付近の茂みに、巻き付けられた紺色の糸を発見する。
その糸の端は、迷宮のなかへと続いていた。
これは以前この迷宮に迷い込んだとき、帰り道に持っていたハンカチをほどいて道沿いに残してきたものだった。
不意に、あの日の記憶が甦る。
「迷路だ!」と冒険気分で入って案の定迷い、衰弱死するかと思った。
結局出られたのは半日後。
きっと、私一人では絶対に出られなかっただろう。
「あの時はクリストフさんに助けてもらったんだよね……」
この〈魔の大迷宮〉のゴールである中心地。そこには高くそびえる塔があり、一人の魔族が住んでいた。
私はあの時、助けてもらった恩人のことを思い出す。
「……」
そして私がとある決意を秘めて、ギリシャ神話に出てくるアリアドネの糸よろしく糸を辿り始めた時。
《カンナ、やっほー。今どこにいるの?》
突如、脳内に《声》が聞こえた。ジークリンデだ。
「魔王城の裏手。これからクリストフさんに会いに行こうかなーって思っ――」
そう言いかかけた私の脳内に、ジークリンデの奇声がこだました。
《何でまたあんなとこに行こうとするの!? 止めときなよ! 〈魔喰い〉なんだよ、あの人!!》
……煩い。
私は溜め息を一度吐いて、また糸に沿って歩き出した。
「あーはいはい。魔喰いね魔喰い」
私の受け流す態度に不服だったのか、ジークリンデは再び抗議の声を上げる。
《前は私の説明不足だったから仕方ないけど、わざわざ行くような場所でも、会うような人でもないって!》
それは恐怖を前にして発する言葉だった。
「自分の配下の魔族にそんなこと言っちゃダメでしょう。それに……」
……そんなに悪いような人には見えなかったけどな。
その魔族の名前は、クリストフ=ヴレットブラードと言った。
何でも、魔族のなかでも珍しい能力を持っているとかで、同族からも恐れられている存在なんだそうだ。
その後も、私はジークリンデの反対を受け流して、糸を辿る手と足を止めることはなかった。
そして体感時間で十数分後。
(迷路、変更されてなくてよかった……)
糸は無事に〈魔の大迷宮〉の中心地まで繋がっていた。
そして。
目の前には、高くそびえる塔。
多分、私のいた世界のビル五六階くらいの高さはある。
私はここまで辿り着いたことに内心安堵して、そっと胸を撫で下ろした。
道中のジークリンデの話では、この迷路を作った張本人であるクリストフさんは、侵入者防止のためにしょっちゅう迷路を変えていたというのだから、ほんの少しだけ心配していたのだ。
「……!?」
塔の入り口である扉に手を触れようとした時、ひとりでに扉が開け放たれる。
扉の奥には、上層へと続く螺旋階段が続いていた。
《ねえ、カンナ……ほんとに行くの?》
螺旋階段を登りながら、ジークリンデが弱々しい言葉を寄越してくる。
「なんでリンデが怖がっているのよ」
《だって……〈魔喰い〉なんだよ、あの人……》
何度言うつもりなのか、この娘は。
「〈魔喰い〉って、そんなに危険視されるものなの?」
私が少しでも聞く耳を持ったとわかったジークリンデは、間髪いれずに同意してきた。
《そりゃそうだよ。私たちにとって、魔力の源である生命力を吸い取っちゃうんだから!》
「……え?」
待って。それは聞いてない。
階段を上る足が止まる。
「で、でも、クリストフさんは……」
以前会ったとき、そんな残虐的なことをする人柄には見えなかった。
加えて、そう思う理由があるのだ。
それは――
「お、お邪魔します……」
やがて辿り着いた、階段の先にある扉をノックする私へ、家主の声が返ってくる。
「どうぞ」
扉を明けて部屋の中へと入ると、涼しい風と共にフルーティーな紅茶の香りが漂って来た。
どうやら向かいの窓が開け放たれているようで、塔の主人は紅茶をカップに注いでいるところだった。
「いらっしゃいませ、カンナ様」
落ち着いた優しい声。
その声の主であるクリストフさんは、先日会った時と同じように、前髪を顔の半分まで伸ばして目元を隠していた。
加えて髪が白色だったこともあり、前回は幽霊かと思ってすごく驚いてしまったのだ。
そして彼は、私が魔王ジークリンデではないということを知っている唯一の魔族でもある。
「本日は、どのようなご用でこちらに?」
机の前の席を引いてくれたクリストフさんは、そう私に問うてきた。
「……」
私は一度、目の前のカップに淹れられた紅茶を一口啜り、呼吸を整える。
そして、ずっと手に持っていた貼り紙を机の上に置いて、クリストフさんへ告げた。
「今日はあなたに、お願いがあって来ました。
クリストフさん。人間と和平を結ぶために、使節団に入っていただけませんか?」
私は続けて、クリストフさんに今魔族が立たされている状況について説明した。
聖都に異世界人が召喚されたという兆しの光の柱が現れたこと。
人間側が連合軍を編成し〈テノト大河〉の対岸に布陣していること。
そして、これから予見される無用な争いを避けるため、人間との和平を結ぶ使節団を編成しようとしていること。
「――なるほど。団員を募集している意図は承知いたしました」
クリストフさんは一口紅茶を啜り、また言葉を紡いだ。
「では、私を勧誘する理由を伺ってもよろしいですか?」
私は用意していた答えを口にする。
「理由はクリストフさんが、私が〝魔王〞ではないことを知っている唯一の人だからです。
もしあなたが〝魔王〞のことを魔族にとって不要と考えているのなら、この事実を知られた時点で、他の魔族たちに知らされても仕方がなかった。
でも、あなたはそれをしなかった。
それは、あなたが魔族同士の無用な争いを望んでいなかったからではないんですか?
争いを厭うあなたが、このまま人間との戦争を望むはずがない。
だから、人間との和平を望む私の考えに賛同してくださると思いました。以上です」
「……」
クリストフさんは、私の言葉を静かに聞いていた。
そして、そっとその口を開く。
「私があなたのことを誰にも言わないのは、面倒事に巻き込まれなくなかっただけです」
彼の白い前髪の隙間から覗くその瞳と視線が合って、私は思わず目を見開いた。
「……っ!?」
深紅の瞳が、ただじっと私を見据えていた。
「それに、私は〈魔喰い〉ですよ? やろうと思えば、今ここであなたの生命力を吸い尽くすことだって不可能じゃない。
そんな能力を持つ魔族を、あなたや他の魔族は信用して横に置くことができますか?」
「……でも、クリストフさんは、そんなことなんてしないでしょう?」
「どうしてそう思うんです?」
「だって、クリストフさんは優しいですから」
彼と出会ったのは、これで二度目だ。
だから、その人となりをすべて知っているとは言わないし、言えない。
けれど、前回初めて会った時――迷路に迷い込んだ私を、この人は助けてくれたのだ。
面倒事に関わりたくないだけだというのなら、そもそも私のことなんて捨て置いたはず。
それに、今日だって私がこの塔へ無事着くように、迷路を変更しないでいてくれた。
〝困っている人を助けることができる人〞。
それが、私がクリストフさんを使節団へ勧誘したもうひとつの理由だった。
本当にクリストフさんが自分本意な人だったとしたら、そんなことはできないと思う。
「……私を優しいと言えるのはあなたくらいですよ、カンナ様」
「……」
クリストフさんは目を閉じたまま、紅茶を啜った。
しばらくの沈黙のあとに返ってきた言葉は、当然と言えば当然のものだった。
「――私を買ってくださることは非常に嬉しいのですが、使節団への勧誘はお断りします」