24th pinch 秘密と邂逅
「えっと……ここで大丈夫ですので」
皇宮の女官に部屋まで案内されたエルシーリアは、扉の前でそう言葉を告げた。
「承知いたしました。それでは、何かありましたらお呼びください」
「はい」
女官を見送り、エルシーリアは扉を開けて部屋へと入る。
彼女へとあてがわれた部屋は、記憶にある田舎の農家の一家屋よりも大きく、壁には暖炉まで付いていた。
午後ということもあって西日が入ってはいるものの、帝国は大陸の北の地にある。
夏はともかく、冬は暖炉がなければ皇宮といえ暮らすのが難しいのだろう。
「……よし」
ゆっくりと扉を閉めたエルシーリアは室内に魔道具や人の気配がないことを確認すると、さっそく行動に移った。
まず、暖炉の前に敷かれている大きな絨毯を除き、その白亜の床を露にさせる。
しゃがみこんでそっと手で白亜の大理石の床に触ると、ひんやりとした固い感触が伝わってきた。
エルシーリアは部屋を見渡し、テーブルにあった水差しを手に取ると、その中の水をコップへと注いだ。
そして、一度それを口に含む。
柑橘系のわずかな香り、そして冷たく涼しい水が程よく喉を潤していく。
うん。これなら使えそうだ。
エルシーリアは片手で手皿をつくり、そこへ水差しの水を注いだ。
次に手皿の水をある法則に従って床に撒いていき、水が無くなればまた手皿へと溜めて続きを描いていく。
魔法陣と呼ばれる一種の術式の行程をすべて終えると、彼女は古語を口にした。
「《この地に住まいし精霊たちよ。
我が言葉が届いたならば、その身をもって疾くここに。
我が祈りに応えるならば、その恵をもって今ここへ》」
それはすぐに訪れた。
床に撒いた水が、ひとりでに揺れ始めたのだ。
まるで、生命宿る生き物が呼吸している様にも見える。
(よかった。この国はやっぱり水の精霊との相性が良いのだわ)
よし。ひとまず、この国の精霊と接触を取ることが出来た。
本当なら、人捜しに最適なのは風の精霊なのだが、彼らに応えてもらっただけで感謝すべきだろう。
この帝国は先ほどのレーヴィスの言葉通り、〈精霊石〉の採掘量が他国に比べて劣っている。
それはつまり、かつてここにいた精霊たちの数も少なかったということだ。
言い伝えでは、〈精霊石〉は精霊と人間の約束の結晶だという。
精霊たちが〝人間たちがいつまでも豊かに暮らせるように〞と、今はこの地を去ってしまった神々へと願った奇跡の代物だのだと。
だからこそ精霊が少ないこの地では、その祈りの結晶である〈精霊石〉も少ないというわけだ。
エルシーリアは、懐から布に包まれたあるものを取り出した。
くるんでいた布を捲り、その中にあったものを静かに見つめる。
それは、ジャックスの腹を抉ったあの短剣だった。
「……」
あの時――初めてこの短剣をこの目にした時、この世にこんなに禍々しい呪詛と怨念を放つものがあるのかと身震いしてしまったほどだ。
今はそんな気配はなりを潜めているが、間違いなくその刀身を受けた者へと呪いが降りかかる。
だから、一刻も早くその呪いを解く手立てを見つけなくては。
エルシーリアは刀身を布から取り出すと、水で描いた魔法陣の真ん中へと置いた。
そしてその刀身へも水を数滴垂らす。
「《縁ある者へ我を導きたまえ》」
あの黒鎧の騎士が本当にこの国にいるのなら、なんとしても話を聞かなければ。
すると、床に撒いていた水が一ヶ所へと集まった。
そしてその姿は細長く紐状に短くなったかと思うと、扉の方へとひとりでに向かっていた。
(……やっぱり、ここにいるのね!)
エルシーリアは扉を開き、部屋の外へと出た。
静寂が支配する廊下の左手に、先ほど部屋の外へ出た滴を発見する。
滴はエルシーリアを待っていたのか、彼女が部屋を出たことを確認すると、廊下の角へと向かっていた。
エルシーリアがその後を追って廊下の角を曲がろうと思った、その時。
「あ?」
男の声が聞こえた。
そしてもう一人の声が続く。
「どうした?」
二人組と思われる彼らは。恐らく衛兵だろう。
エルシーリアは近くの壁にあった凹みに身を隠し、その場で息を潜めた。
「今、何か通った気が……」
「そうか? 何も見えなかったぞ?」
「……だよな」
そうだ。ここは皇室。
巡回があるなんて、考えればすぐわかることだった。
レイヤと違って、エルシーリアは部屋で休んでいることになっている。
「そう言えば、今来てる勇者と聖女って――」
彼らは廊下をまっすぐと進んでいき、エルシーリアが彼らと鉢合わせするはなかった。
精霊の依り代となった滴は、廊下の隅で彼女を待っていた。
この地ではじめての召喚とは言え、この精霊はエルシーリアにとても友好的だった。
それだけこの地に棲む精霊は、この帝国の地の人間と親和性が高いということだろう。
精霊には、人間と同じように、それぞれ個性がある。
エルシーリアにとって、精霊は生まれたときから身近な存在だった。
物心つく前にはすでに精霊の存在を見ることが出来たし、言葉は通じなくても、何となく、彼らの思っていることが雰囲気伝わっていた。
だから、〝聖女〞という肩書きを得て人間のでわかるだけ。
それでも、彼女が聖女として選ばれたのは確かなことだった。
精霊の滴の後を追ってしばらく廊下を歩いていくと、ある扉の前で精霊の滴が動きを止めた。
滴から精霊の気配が消えたのだ。
(……ここね)
一見して、通ってきた部屋と何ら変わらない。
しかし、扉のノブに手をかけようとしたエルシーリアへ、思わぬことが起きた。
突然扉が内側へ開き、部屋の奥から伸ばされた腕に胸元を捕まれたのだ。
それは一瞬のこと。
彼女の身体が、なす術もなく宙に浮かんだ。
エルシーリアは自身に起きた事態を瞬時に判断して受け身を取ろうとしたが、胸元を掴む誰かの手がそれを邪魔をして上手く動けなかった。
そして強い衝撃と共に俯せの状態で床へと叩きつけられる。
それと同時に両腕が背中へと回され、相手の体重がかけかれた。
顔を上げることすらもかなわず、文字通り身動きが取れなくなってしまう。
そんな手練れの動きに、護身術程度の訓練しか受けていないエルシーリアが及ぶはずもなかった。
「聖女がわざわざこんなところへ来るとはな。何のようだ?」
「待って! ゼイル!」
先に冷たく向けられた声は男性のもので、エルシーリアの背後で動きを封じている者でもあった。
そしてもう一方は女性の声で、男性に「違う」や「何かの間違いだ」と訴えかけている。
「もし私たちのことを知っていて殺すつもりなら、勇者も一緒にいるはずよ。
でも、彼女は一人でここまで来た。だから離してあげて、ゼイル」
女性の言葉に言い含められたのか、エルシーリアの背後にあった力が緩められた。
(〝殺す〞だなんて……)
物騒な言葉を耳にして身構えたエルシーリアは、ゆっくりと立ち上がる。
「ごめんなさい……あなた、大丈夫?」
「えっと、はい。大丈夫で――……」
恩人とも言える女性の方を見やった彼女は、それ以降の言葉を紡ぐことができなかった。
視線の先には、女性が優しげな微笑みを浮かべている。
栗色の髪に、額には装飾や大小様々な宝石がちりばめられた額飾りを着けていた。
けれど。
(この人……)
その頭の横に生える二つの黒い角は、明らかに人間のものではなかった。
「驚かせてしまい申し訳ありません。聖女エルシーリア。
私はレーネと申します」
レーネと名乗った女性が小さくお辞儀をする。
エルシーリアも状況が上手く飲み込めなかったとはいえ、返礼をした。
「えっと、あなたは……」
――魔族なのですか?
喉を越えて出てこないその言葉に、エルシーリアは自分自身が一番驚いていた。
何しろ、目の前の彼女からは敵意はもちろんのこと、魔力を一切感じない。
そうして、エルシーリアはもうひとつの事実に気がついた。
僅かに開かれたレーネの翠玉の瞳は、その光を失っていたのだ。
一体何から聞けばよいのかわからないエルシーリアへ、更に言葉が向けられる。
「お願いします。聖女エルシーリア。
私たちを――この国の魔族を、どうか助けてください」
頭を下げた彼女の額の額飾りに嵌め込まれた黒い宝石が、鈍い光を放った。




