21st pinch 黒鎧の騎士
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「――上手くいったみたいね」
「ですが、本当に良かったのでしょうか?
人間に害を加えていないとしても、僕たちは追われている身ですし……」
フードを被って村に入り、村人を誘導してくれたジャックス君が不安気に訊ねてくる。
私は彼の言葉に頷きながら自分の考えを述べた。
「確かに私たちが各地で暴れることによって、不安がる声も出てくるでしょう。でもここで大事なのは〝逃げる魔王〞と〝それを追う勇者〞という形なの」
この世界の人たちが魔族に持っている負の感情は、どうしたって、何をしたって拭えない。
だからこそ、〈魔封じの枷〉なんてものが産み出されたのだ。
なら彼らに、魔族は滅ぼすよりも前に戦うべきではない相手だと認識される他ない。
こうして八百長バトルをすることで、勇者と魔王の力が互角であるという事実を作り出し、人間側全員とはいかないまでも〝戦うべきではないのでは?〞という意見を出させる。
それが目的だった。
あとは、例の事件を私たちが先に解決し、真犯人を突き出す。
だから、真犯人が見つかるまではずっとこの八百長バトルをしなければならないのだけど。
「それが……一点お話しておきたいことがあります」
先程合流したエルシーリアがおずおずと手を挙げ、憂慮事項を口にした。
「先程、〈風の王〉であるカスト王から伝令があって……こちらへ、援兵が向かっているとのことです」
「援兵?」
「はい。それも聖都からではなく、帝国からの派遣なのだとか」
なんでも、先日新皇帝として即位した先王の嫡子たっての希望なのだとか。
「帝国側からすると、先代の仇討ちってところなのでしょうね。
それで、エルシーリアちゃん。その援軍の数は?」
「それが、とても腕の立つ騎士が一人、とだけ……」
「はい……?」
私は思わず聞き返していた。
エルシーリアも、自身で言いながらとても戸惑っているようだ。
「一人とは、我らを愚弄しているにも程がある」
エルドラが憤慨した様子で苛立ちを口にする。
「うーん。今のところ情報は少ないけど、それほどの実力者ってことかな?」
クリストフさんも思案顔でなにかを考えているようだった。
「どうしますか? 陛下」
その隣にいたジャックス君も、不安げな表情でこちらを見ている。
「相手がかなりの手練れでも、このまま何もしないわけにはいかないわ」
一体、どんな相手が来るのか。
不安はまだ拭えない状態ではあった。
けれど、このまま動かない訳にもいかない。
私たちはエルドラやクリストフさんの助力を最大限活かしつつ、これまで同様に各地で八百長バトルを行うことにした。
そしてそれから数日後。
とある村外れの丘で八百長バトルを計っていた私たちの許に、その人物が現れた。
それは、漆黒の鎧を纏う騎士。
その禍々しい様相の鎧の騎士は、遠目からでもはっきりと危険だと認識できるほどに強い何かを全身から感じ取れた。
ゆっくりとこちらへ近づいてくる騎士に対し、その場にいる全員が注意を払う。
「あんたが帝国からの援兵か? 助かったぜ! 協力して奴らを――って、おい!?」
玲也がその騎士へ向けて言葉を投げるも、騎士はその前を素通りした。
「はっ! 今さら人間が一人増えようが増えまいが、私の力の前には――っ!?」
黒鎧の騎士は、私の言葉もまったく意に介していない様子で携えていた長剣を抜刀。
そしてその一撃を向けて来る。
(な……っ!?)
すんでで剣柄を強く握りしめたから、剣を振り払われることはなかった。
けれど。
がきん。
今までにない衝撃が、剣を通じて腕に伝わる。
「陛下っ!!」
遠く背後で姿を潜めていたはずのエルドラの声が聞こえた。
振り向く余裕はないけれど、気配でクリストフさんやジャックス君までいることがわかる。
不意に、その黒い鎧の内側からその言葉が落とされた。
低く鋭い、男の声。
「……お前のせいで、俺たちは……」
「……え?」
剣身を合わせる騎士の視線は鎧の奥に潜んでいて見えないはずだった。
けれど、それなのに、睨まれている、そう感じてしまう。
そして視線と同様に私へと向けられたその言葉には、怒りや憎しみ、そして何より恨みの感情が込められていた。
この騎士にとって自国の皇帝の暗殺容疑者である私たちへ向ける感情としては、正しい言葉なのかもしれない。
けれど、どうしてもそれが原因で発せられたものではないと、私の直感は告げていた。
「――殺してやる」
再び、黒鎧の騎士から冷たい言葉が言い捨てられる。
私は、その決意と鎧から放たれるこれまで向けられた類いのものとは比べ物にならない負の感情に、一瞬身がすくんでしまった。
「……っ!?」
その一瞬だった。
剣を払って飛び退いた騎士の懐から、何かが飛び出す。
それだけわかっても、どうすることも出来なかった私は、反射的に命の危機を感じて目をつむっていた。
けれど。
(痛っ……くない……?)
一向に、想定していた痛みが訪れることはなかった。
身体の感覚も、どこにも異常は感じられない。
状況を確認するため、私は恐る恐る薄目を開けた。
開けた視界に映る私の身体には、どこも怪我は見受けられない。
その理由は、とても簡単だった。
「……ジャックス君っ!?」
私の前に倒れていた彼の脇腹には、短剣の刀身が深々と突き刺さっていた。
そう。私へ向けられた短剣を、ジャックス君が身を呈して受けたのだ。
「うっ……陛、下……ご無事、でしたか……?」
小さく呻き声を上げるジャックス君は、それでも私の心配をしてくれていた。
「ええ。あなたのお陰よ……っ。でも、どうして……っ!!」
徐々に服に染み出る血。
それは、私の手を当てただけでは止まらなかった。
「陛下……申し訳、あり……ません……」
痛みのせいか歪んでいる顔のジャックス君の口から紡がれたのは、私への謝罪だった。
「……ずっと、レンドのこと……黙っ、ていて……」
「ジャックス君!!」
辛そうにしながらも、喋り続けるジャックス君。
「……僕が、もっと前に、レンドのこと……陛下、たちへ相談……して、いれば……」
「クロムウェル、もう喋るな!」
駆け寄ってきたエルドラが、何も出来ない私に代わって止血を試みる。
魔王は答えずにはいられなかった。
「いつまでそんな過ぎたことを気にしてるの!
あなたは友達のために立ち上がった……それはとても勇敢で、誇れるべきことよ!!」
私の言葉を聞いて、ジャックス君の口許が僅かに緩む。
「本当に……陛下は、格好……いい、です……」
そう言って、ジャックス君の口は静かに閉じた。
「ジャックス君!!」
最悪が頭に過った私に、エルドラは気を失っているだけだと教えてくれる。
けれどその呼吸は浅く、どう見ても一刻の猶予もなかった。
なのに――
「余計な真似を」
耳元に聞こえたのは、憎々しげに吐き捨てられた黒鎧の騎士の言葉だった。
そして騎士は再び私たちへ攻撃体勢に入ろうとしていた。
きっとその黒い冑に被われた顔は、今でも私たちに敵意と殺意をもって私たちへと対峙しているのだろう。
(……待って。どうして、あなたがそんなことを言うの?)
涙で濡れ熱い頬とは反対に、頭は冷静になっていく。
人は、これほどまで一方的な負の感情を相手に向け、実行することが出来るのだ。
なら、私にも――
その時。
頭の奥で、何かが崩れる音がした。
それは錆びた鎖のような、鈍い何か。
「陛下?」
魔王のことを呼ぶその声がエルドラのものなのか、クリストフさんのものなのか、私にはもうわからなかった。
意識が、内側でいて遠くのような場所へ引っ張られていく。
《環奈……っ!》
不意に、耳の奥で私を呼ぶ声が聞こえた。
懐かしい声。
そして、ずっと待っていたような誰かの声。
けれどその声は、すぐにくぐもって聞こえなくなった。
私の意識は、まるで水底に沈んでいくように、遠退いていたから。
◆
「陛下?」
「……私や私の仲間が、一体いつ、お前に何をした?」
魔王が立ち上がり、黒鎧の騎士へと向き直る。
「〝答えろ。人間〞」
それまでの魔王とは雰囲気が異なっていることに、その場にいた全員が気づいていた。
そして。
「本性を出したか……っ!」
騎士は言葉を吐き捨て、再び魔王へと斬りかかろうとする。
「《縛れ》」
魔王が一言そう呟くと、その足元の影が瞬く間に伸び、騎士へと向かった。
「我が同胞が受けた苦しみ、お前にも同じ目に遭わせぬと気が済まぬ」
そして影の手は伸びる途中に幾つにも分かれ、その先端を槍のように鋭い形へと姿を変えていく。
騎士はそれらを剣でいなし、跳躍で後ろに飛び退いた。
しかし、弾かれたところでその影の槍は消えることはなく、変わらず騎士へと標準を合わせたまま追走していく。
「……くっ!」
それでも騎士の剣捌きは衰えることなく、応撃していた。
「――」
魔王はしばらくその局面を静かに見ていたかと思うと、ひとつの言葉を結ぶ。
すると、その足元からさらに新たな影の手が伸び、騎士へと向かっていった。
それは純粋な数の暴力。
黒鎧の騎士はなおも影の槍を剣でいなしていくも、魔王に攻撃を与えるどころか距離を詰めることさえも出来ていなかった。
そして、弾かれた影の槍の軌道が再び騎士へと向かう。
騎士の身体が貫かれそうになった、その時。
「《聖なる盾》!!」
すんでのところで騎士の前に光の盾が現れ、間一髪でその攻撃を防いだ。
守護の呪文を唱えたのは、エルシーリアだった。
そして幾重もの光の盾が彼女たちの前に出現し、魔王が放つ影の槍を受け止めている。
その衝突の衝撃は術者であるエルシーリアに不可を与えているようにも見えた。
しかし彼女は眉を僅かにひそめただけで、自身の後ろに匿った黒衣の騎士に対して声を張り上げる。
「……ここは私が引き受けます! だから、あなたは逃げてくださいっ!」
「俺に退けと? ふざけるな……っ」
騎士の怒号にも似た返答にも、エルシーリアは一切怯むことなく続ける。
「この状況が見えていますか!? あなたは魔王から完全に標的されているんです!
……先程の一撃ならまだしも、今魔王へ攻撃するのは不可能です!」
「……」
「だから、今は撤退を!」
「……やむをえん」
エルシーリアの言葉を渋々受け入れた騎士は、彼女たちの後ろにあった森へと駆け込んでいった。
それを魔王の影が追わないわけはなく、鋭く尖った槍が向かう。
かきん。
騎士へと向けられた槍を受け止めたのは、勇者の剣。
「おい、どうしたんだよ! しっかりしろって! ねー……魔王ジークリンデ!!」
それまで戦いを見ているだけだった少年が、豹変した魔王へと声をかけた。
騎士の気配が周囲より完全に消えたことを感じ取ったエルシーリアも、その声に呼応して相対する魔王へと声を張り上げる。
「そうです、ジークリンデさん! しっかりしてください!
人間(私たち)との和平を一番に望んでいたあなたが、人間を傷付けてどうするんですか!」
悲痛な叫び。
彼女のその声を聞いても、魔王の表情は一切変わることはなかった。
「……お前たちのことなど、知らぬ」
そして、そう切り捨てる声は、これまでの魔王のものとは思えないほど、低く暗いものだった。
「ホントに、どうしちゃったんだよ!?」
「ジークリンデさん!!」
「これはあの時と……」
そう小さく口にしたのは銀髪の魔族、クリストフだった。
この場にいる魔族は魔王を含めて四人。
そしてその全員が、一度この状況と似たものを経験していた。
その声を聞いて、ジャックスに手当てを施すエルドラの目が見開かれる。
「バルナバス戦の時か……」
確かあの時も、普段の彼女とは別人のようになっていた。
「エルドラ」
クリストフが静かに告げる。
「君は彼の手当てを」
「何をするつもりだ?」
「さあ? あの魔王様に諫言して、どうなるかはまだわかんないなあ~」
飄々と口で告げながら、その表情は静かだった。
クリストフは魔王へと歩みより、その背に声をかけた。
「我が王よ」
「……どういうつもりだ?」
彼の眼は魔王を捉えていた。
〈魔喰い〉とも恐れられるその眼を、である。
その言葉と行動に、魔王は振り向かず言葉だけで応じた。
「眼前の敵は失せました。今はその矛を収めください」
「まだだ。まだ奴らは生きている」
なおも攻撃は二人に加えられている。
「すべての人間を滅ぼせと願ったのはお前たちだ」
魔王は片方の手を挙げたかと思うと、足元の影から一本伸び、それはクリストフへと向けられた。
それは、王の下した判断。
「お前も、あちらに着くと言うのであれば、止めはしない」
「……」
しかしその言葉を受けても、クリストフはその眼差しを魔王からそらすことはしなかった。
「……そうか」
魔王は、挙げた手を握る。
「……?」
否、握ろうとしたの方が正しかった。
魔王の手が、僅かに震えている。
自身のものであるはずの手に視線を向け、魔王は呟いた。
「器か中身か……」
そしてその場で小さく溜め息にも似た声を出す。
その場にいた全員が息を飲んだ。
「……詮方ない」
そう言葉を落としたかと思うと、魔王の足元より伸びていた無数の影の手が元の影へと戻っていった。
すべての影の手が魔王のもとに戻り、全員の視線は再び魔王に注がれる。
そのすべてに向けて、魔王は最後に口を開いた。
「――次はないぞ。人間よ」
そう言い終えると同時に、魔王はその場に倒れ、騒乱の丘に静寂が戻ったのだった。




