1st pinch 魔王の代打
更新遅めです。
それでもよければ、気長にお待ちください。
【2021/5/1:改訂】
一部文章の表記の修正・変更を行いました。
最後に覚えているのは、夕暮れの光と、就活の一日面談地獄に耐えた満身創痍な背中ごしに聞こえた、弟の声。
「姉ちゃん、危ないっ!」
そのあとの記憶は、どこか曖昧だった。
寝不足のせいか、霞む視界と動かない身体。
まるで世界そのものが深呼吸をしているかのように、すべてがゆっくりと動く感覚。
直感的に気付いてしまった。
――ああ、私、死ぬんだ。
恐怖がないわけではなかった。
むしろ、まだ二十二年間しか生きていないし。やり残したこともあるし、やりたかったこともたくさんある。
しかし悲しきかな。二十二歳の女子大生、私こと――宮内環奈が最後に思ったことは、ひどく消極的で楽観的なものだった。
(もう、就活しなくてもいいんだ……)
*
以上が、『宮内環奈』としての記憶。
もちろん今の私も『宮内環奈』なんだけれど、状況が些か複雑だった。
「はあ……」
扉の隙間から部屋の中に誰もいないことを確認し、扉を開ける。
今私がいるのは、城の書庫だ。
私は持参したランプに灯を点して室内に入る。どうして自分の城でこんなコソコソしなければならないのだろうか。
《溜め息吐いたら、幸運が逃げるっていうの、知ってる?》
どこからともなく聞こえてくる声。
いや、正確には、私の《中》から聞こえてくる声だ。
少女と呼ぶに相応しい、実に愛らしい声だった。
「あれは単なる迷信でしょ。逆に脳へ酸素を取り入れてリラックスできてるから大丈夫」
《でも、近くにいる私は気が滅入りそうになるから嫌だな~》
幼い容姿を想像させるその声は、私の《中》で溜め息を吐いた。おい、言ったそばからあんたが溜め息を吐いてどうする。
「すべての元凶がなに言ってるんだか。それにもうあんたはこの世界にいなんだから、関係ないでしょ」
屁理屈をこねる相手に、なにも聞かなかったことにする。
私は昨日読んだ背表紙が赤い本を本棚から探し出して、窓際の机に腰を掛けた。
私が手に取ったのは『暁の魔王ルービア』という絵本だ。要するに、子供向け。
とある魔族の貴族が〈偉大なる始祖の魔王ルービア〉の偉業を、幼い子供達に分かりやすく教えるべく、作った絵本なのだそうだ。
用いられている単語や言葉も、日本でいうところの”小学校低学年向け”といったところだった。
そしてその貴族の本来の目的とは少し離れてしまったものの、今しっかりと私の役に立っている。
私は本と持参したノートを机の上に広げた。さあ、楽しい楽しい魔族語の勉強の時間だ。
「昨日はここまでだったから――この文字は……”赤”、だっけ? で、次が”髪”……」
本に挿し込んでいた付箋のページを開き、昨日の最後に覚えた単語をノートと照らし合わせる。
そうだ。この二つの文字で”赤髪”という言葉になる。
私は同じ単語をノートに何度も書き写す。原始的な学習方法だとは思うけれど、昔から私にはこれが一番合っていた。
魔族文字は、あちらでいう象形文字に似ている。ようは、何かのモチーフを基に創られた文字。だからモチーフと関連付けて覚えられれば、そうそう難しいことではなかった。
最初はどうなることかと戸惑いはしたけれど、幸いなことに魔族語の文法は日本語とほぼ同じだったし、漢字がないだけ楽かもしれない。
《いやあ、ほんとカンナって勤勉だよね~》
うんうんと頷きながら、《凄いな~》とまるで他人事のように言う声。
初めは彼女に、こっそりと読み方を教えてもらいながら過ごしていた。けれど現れるタイミングがまちまちで、ちょうど彼女が不在の折りに何度か窮地に陥ったことから、やむなくこの方法を取るとにしたのだ。
とは言え、いざ独学しようと辞書を手に取ってみたところ、まずそもそもこの世界の人間が使っているという文字がわからなかったとこが判明。
もう一から人間と魔族、両方の言語を独学するしかなかった。
地球で西暦1822年に神聖文字と民衆文字、そしてギリシア文字の三種類の文字で記述されているというロゼッタ・ストーンを解読したジャン=フランソワ・シャンポリオン氏は、とてつもなく偉大だと思う。
大学の象形文字学で学んだことを思い出すと同時に、苦悩したことも思い出した。
あのキャラの濃い教授の授業を受けたことを、今日ほど感謝した日はない。
そしてあれだけ就活の面談練習で『考古学は何に役立ちますか?』と訊かれ続けたが、今ここで胸を張って言える。
――異世界で魔族語を習得するためだと。
「……バカなこと考えてないで、続き続き……」
自分にツッコミを入れつつ、絵本のページを捲る。
絵本ということもあり、毎ページに絵が描かれてはいるものの、その内容はなかなかにヘビーなもので盛りだくさんだった。
創生神による世界の創造。様々な種族の誕生。魔族と人間族の争い……エトセトラエトセトラ。
《そんな根詰めてたら、身体が持たないよ?》
《お肌も荒れちゃうし》と続ける声に、私は鼻で笑ってやった。
「いいの。どうせ他人の身体だしぃ?」
《なっ! カンナ、酷い! 一応、私たち魂は繋がってるんだよ? 酷すぎる~ぅ!》
もし本人が今目の前にいたとしたら、全力でしがみつかれて、全身を強く揺さぶられていただろう。
けれど、今彼女がそれをできるはずもなかった。
「なぁにが酷いよ! それにね、勝手に召喚された私の身にもなりなさいよね!? いくら魔王が嫌だからって、異世界に逃げるなっ!」
《あぅ》
真夜中だというのに、つい声を荒げてしまった。
自分とは一切関係なかったら、元来可愛いもの好きな私は彼女の声色一つで癒されていただろう。
けれど「可愛いっ」と守ってあげたくなるような小さな可愛い声も、今は苛立ちを助長させるスパイスにしかならなかった。
そうは言っても、確かに最近は夜中に寝室を抜け出して魔族語の解読に勤しんでいるせいか、睡眠不足なのは確かだ。
不意に窓を見上げると、レースのカーテンごしに満月が雲間から顔を出しているのが見える。
(……月は似てるのよね)
こちらの世界では〈神の右目〉と呼ばれる空に浮かぶ天体。その姿は日毎に満ち欠けるし、黄色いし、地球の月と瓜二つだった。
同じように〈神の左目〉と呼ばれる太陽と同じような天体もあって、ほぼあちらの世界と同じと言えるのだけれど――
(あ。フリードさんが飛んでる)
窓の遥か向こう、城よりももっと月に近い空を、優雅に飛行する一匹のドラゴン。
初めてこの光景をみたときは、開いた口が塞がらなかった。
(今日はここまでにするか……)
私は伸びをして、息を吐く。
今日は数行しか読み進められていないけれど、なんだか、集中の糸がプツリと切れてしまった。大学受験の時は三日徹夜なんて余裕だったのにな。
もう一度窓に目を向けると、月明かりの淡い光に照らされて『私』の赤髪がキラキラと輝いていた。
私――宮内環奈は、異世界に召喚された。
よりにもよって、魔王であるジークリンデに。
弟が読んでいるラノベ小説で、最近話題だという異世界転生(この場合は異世界召喚?)と似たようなものと思ったが、如何せん、召喚したのは魔王サイドだった。
目覚めてそうそうにこの世のものとは思えない外見のモンスターたちから『ご気分でも優れないのですか? 陛下』と呼ばれた時のことは、今でも鮮明に覚えている。
弟が新刊を読み終える度に、暑苦しく最近のラノベ小説事情を話すものだから、基礎知識としては知っていた。けれど、けれどだ。
(なんで、悪者が召喚しちゃうかな……)
《だって……》
私の心の声は、召喚者であり、現在私と魂の部分で繋がっているジークリンデには筒抜けだ。
それはジークリンデから何度も聞いた。というか、聞き出した。
本来、異世界と繋がる扉を開くのは、膨大な魔力やそれに準ずる力が必要らしい。
だからよくある設定という『世界を救うための最終手段として召喚された』のような、国家や世界規模な事態に直面しえない限り実現しないのだ。
ただ、私の召喚者と呼べるジークリンデの場合は、実に利己的な理由で召喚に及んだ。
《……魔王を辞めたかったんだもん》
だそうだ。
しょぼんという擬音が聞こえてきそうなほど、なんだかこちらがいたたまれなくなってくる声だった。
彼女が魔王になったのは、今から百年と少し前とのこと。というか、このロリ声で年齢300歳て、魔族の成長おかしいんじゃない?
話を戻すと、先代魔王でジークリンデの父親でもあるベルガスヴラドは、ある日突然、魔王の位を降りると言った。
当然魔界は大混乱――になると思いきや、そうではなかった。魔族にとって、自分の死期は自分が一番わかるらしい。だからこそ、魔族たちは「そうか、隠居するんだな~」というくらいにしか思わなかったそうだ。
しかし、問題はそのあと。後継者選びで起こった。
すべての魔族の頂点に立つ魔王は、代々実力行使の放伐制で王位を継承しているらしい。
当代でもあるベルガスヴラドも数百年前に先王を殺し、王位を簒奪した過去があった。
しかし「死期が近いから魔王辞めるね」という王を倒しても、自分が魔族界最強、とはならないらしい。魔族って律儀なのね。
そこで行われたのが、次期魔王選抜総選挙ならぬ次期魔王選抜総戦争だった。
我こそは次期魔王に相応しいと名乗りを挙げた、魔族界屈しの猛者たちによるバトルロイヤルが開催されたのだ。
そしてそこで勝ち残ったのが、ジークリンデだった。
彼女はベルガスヴラドの唯一の指名で参加することになったらしいが、猛者たちを押し退けて優勝した。
バトルロイヤルに出場した三十人の魔族のうち、生き残ったジークリンデを除く十七名は全員が全員、口を揃えて『次期魔王にはジークリンデが相応しい』と言ったのだそうだ。
そしてめでたく、ジークリンデは魔王に就任。
というのは、あくまで表向きの話だった。
魔王ベルガスヴラドは、魔王になってから人間への攻撃を一切止めていた。むしろ、滅ぼすべきという過激派の魔族を抑える穏健派だったそうだ。
そんな穏健派な王が退位するのだ。過激派が黙っているわけがない。
そして行われたバトルロイヤル。参加した三十名のうち、過激派の魔族は十五人。生き残った過激派はたったの二人。
そう、完全に仕組まれていた。
これは、過激派を潰すための、戦争だったのだ。
次期魔王選抜総戦争という大義名分で行われた同族殺し。穏健派の中には反対するものもいたが、人間との戦争で訪れる未来などないというベルガスヴラドの一言に誰もが沈黙した。
生き残った過激派の二人は、すべてを理解した上で降参したという。
以来、王位を継いだジークリンデは、先王となった父や穏健派の魔族とともに、人間と戦争を起こさないことを選択した。
しかしそれから百余年。ある事件が起きた。
それまで安穏と暮らしていた人間の世界に、突如魔族が現れたというのだ。
幸いに死者は出なかったものの、魔族を見た人間は恐怖し、その衝撃は瞬く間に全世界へと伝播した。
人間たちはこう思った。今まで魔族が大人しくしていたのは、人間に戦争を仕掛けるための準備期間だったからだと。
そして、瞬く間に全世界が一致団結し、魔王討伐軍が結成された。
それこそ、異世界へ一縷の望みを託すほどに。
『聖都、クリスタル=ティ・ウェストラの大神殿から、天を射す光の柱が立った』
そう知らせを聞いたジークリンデは、魔王討伐軍がくることを恐れた。
そして、彼女がとった行動は――〝逃げる〞だった。
自分一人だけが助かるために、自身の膨大な魔力を使い、異世界へと繋がる扉を開いて。
「一族を置いて自分一人だけ逃げるなんて、ほんとに最低な王様ね」
《……もう言わないで……》
弱々しく言ってはいるが、彼女がとった行動は変わらない。
いくら仕立て上げられた王とはいえ、同族に対する情はないのだろうか。
《とは言え、向こうに還るためには、私がなんとかしなきゃいけないのよね……》
そう。私は別に死んではいないのだ。
状況としては、幽体離脱の特殊バージョン。
地球の私の魂は、こちらの世界のジークリンデの身体の中に。反対にジークリンデの魂は、地球の私の身体の中に入っているのだ。
どうしてこんな状況になってしまったのか。それは至極簡単なことだった。
あの日、私は事故に遭った。いや、遇わされたことで入れ替わってしまったのだ。
異世界へ繋いだ扉から、自分と波長が合いそうな人間を探していた、ジークリンデによって。
彼女曰く、事故に遭ったことで身体との繋がりが揺らいだ魂を一時的に抜き、他の魂と入れ替えるということは、存外簡単なことらしい。
というわけで、それぞれの魂が入れ替わってしまっただけで、命に別状はない……らしい。
火葬されなくてよかったと、一先ずは還る身体があることに安堵しつつ、私はすべての元凶をから押し付けられた現状を、もう一度認識した。
私は選ばれてしまったのだ。
――滅びの運命を待つ、魔王の代打として。