ナル 中篇
「うわぁっ!」
森の中、木の根に躓きながら走る影が一つ。
これが僕。
初依頼を受け、意気揚々と森に来たのはいいけど、ゴブリン投石兵の石が怖くて近づくことすらかなわなかった。
とりあえず木に隠れて息を整える。
ブンッ!
「ひぃ!」
木の陰からそぉっと顔を出した僕の耳元を石が飛んでいく。
幸いまだ一撃もくらっていないが、森の中は彼らの縄張り。
早く森の外に出なくては、殺されるのも時間の問題だ。
ゴブリンは決して頭が良いとは言えないが、それでも知能のある魔物だ。
武器も使えば鎧も着る。
そして何より厄介なのは、数で敵をじわじわと追い詰める集団戦法。
時間が経過すればするほど逃げ道は塞がれ、殺される可能性は高くなる。
「あぁ、もう!」
一体ずつ相手にすれば僕でも倒せると思ったけど、考えが甘かった。
よく考えてみれば、ある程度の知能があるゴブリンが単体で行動するわけがないんだ。
嫌な想像や後悔が頭の中をぐるぐるとまわる。
「キシシ」
「!?」
僕の隠れている木の真後ろでゴブリンの笑い声が聞こえた。
背筋に冷たいものが走り、全身から汗が吹き出る。
あいつらは「戦い」を・・・いや、「狩り」を楽しんでる。
ゴブリンのくすんだ黄緑色をした肌が見える。
シャッ・・・。
僕はゴブリンから見えないよう出来るだけ背筋を伸ばし、息を殺してダガーを抜いた。
このダガーでゴブリンの心臓を突き刺して、他のゴブリンを動揺させてから全力で逃げる。
失敗は許されない。
頭の中で何度もシミュレーションをする。
そして、カウントダウンを始める。
3・・・2・・・1・・・。
「はっ!」
グシャッ!!
「イギィ!!」
僕が右手で逆手持ちにしていたダガーは見事にゴブリンの心臓を貫いた。
僕はダガーをゴブリンの体から引き抜くと、そのまま全力で走り出した。
多分殺せた・・・初めて魔物を殺したけど、思っていた感覚とは違った。
あまりにあっけなく、残るのは達成感ではなく虚無感。
嬉しくはなかった。
「はぁっ、はぁっ・・・」
ゴブリン五体を倒せばクエスト達成だ。
僕はまだ一体。
それに倒した証にゴブリンの角を持って帰らなくてはいけないけど、さっきのゴブリンのは回収できていないから、実質0だ。
「はぁ・・・やっと!」
森の出口が見える。
ゴブリンたちも追ってきてはいなかった。
「助かった・・・はぁ、はぁ」
走り続けていたので、口の中が血の味がする。
でも、街に帰るまで油断は出来ないので、最後の力を振り絞って街までの道のりを歩き出した。
一応、クエスト失敗も報告しなくてはいけないので街に着いたらまずギルドまで行くが、恥ずかしいやら悔しいやらで気が重たかった。
カランカラン・・・。
心なしかベルの音も低く響く。
「おかえりなさい、どうでしたか?」
昼と同じ受付のお姉さんが、声をかけてくれた。
「だめ・・・でした」
僕は頭をかきながら苦笑いで言う。
「確かゴブリンでしたよね?」
「はい」
一日に何十という冒険者を相手にする受付の人が覚えててくれたことになんとなく嬉しさを感じる。
「なら、あちらで休んでいる方々に聞いてみるといいかもしれません、皆さん優しいので色々と教えてくれると思いますよっ」
受付のお姉さんがギルド内の椅子で休んでいる冒険者達を見ながら言った。
その冒険者達は立派な武器を持っていて、装備も綺麗に手入れされていた。
「あ、ありがとうございます!」
「失敗は誰にでもあるものですから」
受付のお姉さんはニコッと笑うと、最後に僕の耳元でがんばってくださいと囁いた。
僕は照れてしまって、お礼もいえないまま逃げるようにお辞儀をしてその場を離れる。
・・・いい匂いがした。
「ん、なんだ?なにか用か?」
僕は受付のお姉さんのアドバイスどおり、先輩冒険者のもとに近づいていくと、それに気付いた向こうのほうから話しかけてくれた。
「あ、あの、僕今日初依頼だったんですけど失敗しちゃって・・・」
「ああ、なるほどね、アドバイスが欲しいわけだ・・・ならこの天才冒険者のジーンに任せておけ」
「何言ってんのよ、Bランク止まりが・・・僕、お姉さんが優しく教えてあ・げ・る」
「うるせぇ、シエナも俺と同じBランクだろっ!」
もしかしたら、聞く人を間違えたのかもしれない。
二人は言い争いをはじめてしまった。
でも、Bランクというのは天才とまではいかないものの、結構な実力者のはずだ。
そう思うとこの二人はすごくかっこいい。
「君・・・」
「はい」
「シエナとジーンは言い争いをはじめたら長くなる・・・私が教えよう、私の名はゲルト、あの二人と同じBランク冒険者だ」
そういってくれたのは、無骨な鎧を身に着けた大柄な男の冒険者だった。
その見た目だと野蛮そうに見えるが、話し方はとても紳士的で優しそうだ。
「君の受けた依頼はなんだった?」
「ゴブリンです」
「ゴブリンか・・・差し詰め、投石兵の石のせいで近寄れなかったというところかな?」
ゲルトさんは僕の装備などを見てから、そういった。
「はい、そうです!」
Bランク冒険者ともなるとそういうこともわかるようになるんだと思うと、やっぱりこの人たちはすごい人なんだなと改めて感じる。
「ふむ、盾を買えばあまり怖くなくなるが駆け出し冒険者には少々値が張る、弓も矢を買わなくてはいけないから駆け出しにはおすすめしないな・・・となると石か」
「石?」
「ああ、そこらで手ごろな石を拾って投げつけるんだ・・・簡単だしお金もかからない」
・・・石。
「む?冗談で言っているわけではないぞ?石も思いっきり投げればやつらの骨を砕くには十分だ・・・現に君は、ゴブリンの石に驚いて帰ってきた、そうだろ?」
なるほど。
確かに、あの時石に当たったら死ぬと直感でわかった。
でも、ゴブリンは道具を使って石を投げていたような・・・。
まあ、先輩の言うことだ。
たぶん正しい・・・はず。
「やってみます!」
「うむ、がんばれよ少年」
「はいっ」
「勝ったぁぁあああ!ぜぇぜぇ・・・さあ、私になんでも質問しなさい少年」
ジーンさんとの喧嘩に勝利し、ジーンさんを踏みつけながら荒い息をしているシエナさんが僕に向かってそんなことを言う。
「もう終わった・・・まったく、後輩の前くらいはもっとしゃんとしないか、これでは先輩としてかっこうがつかないではないか」
ゲルトさんが二人を見ながら頭を抱えて言う。
「あっ、もうこんな時間!僕帰らなきゃ!」
僕は壁にかかった時計を見て、おばさんのことを思い出した。
「あっ、少年」
三人にお礼を言って走り出そうとするが、シエナさんにそれを止められる。
「はい?」
僕はその場で足踏みをしながら振り返った。
「名前は?」
僕はアドバイスをもらっておきながら名乗っていなかったことにいまさら気付き、足踏みを止めて背筋をのばした。
そしてお辞儀をしながら言う。
「ナルですっ!」