スランプのはなし
スランプになったときの体験談です。
「こうすればスランプは確実に治るよ!」という改善案を提示するものではありませんので、ご了承の上お読みください。
むしろそんな方法あったら教えてくれ。
何も展開が思い浮かばない。
何を書いていいやら分からない。
そもそも書いてて楽しくない!
こんな感覚に覚えのある方……きっといらっしゃることでしょう。
そう、これぞスランプ。我々創作者が最も恐怖する病。
そして最も身近な病。
スランプは徐々に、あるいは突然にやってきます。軽傷で済むときもあれば重篤化するときもあります。最悪二度と創作できなくなります。
そんな災厄。それがスランプ。
私も少し前までは、スランプとは無縁の日々を送っていました。頭の中でわくわくと展開を練り、登場人物を縦横無尽に暴れさせる執筆活動は大変楽しいものです。
ところがどっこい、昨年のこと。
なってしまったんですねぇスランプに。
それも超弩級の、筆を折りかねないやつ。
しんどかったし、参りました。本当に辛かった。
さて、そんなわけでさっそく始めます「スランプのはなし」
願わくば、スランプに悩む皆様のお力になれますよう。
○原因
まずは原因を考えてみましょう。どうして私はスランプになってしまったのか。
いま考えればの話ですが、思い当たる節はいくつもあります。
まず挙げられるのが、生活環境の変化。
スランプを自覚したのが昨年の一月頃ですが、そのとき私は引っ越しを控えていました。さらにそれに伴って仕事を辞めなければなりませんでした。
引っ越した後はさらに転職活動。いぬも飼い始めました(めっちゃかわいい)。
転居してから数ヶ月後。やっとありついたお仕事は、私にとってはとてつもなくレベルが高かった。例えて言うなら最初の村に住んでた村人Aがラスダンにぶち込まれるようなもんです。結果、仕事のストレスマッハ。
そしてラスダンから毎晩疲労困憊で帰還する私を待つのは……いぬ。
世界一可愛いいぬ。いや宇宙一可愛いいぬ。
しかしいぬは私を癒やすばかりではありません。
「いぬよいぬよ、癒やしておくれ……!」
「まって、いまうんこちゅう」
「おまッ、そこ布団の上ッッッッ」
生まれて間もないいぬには、しつけをせねばなりませんでした。
住環境の変化。
仕事のストレス。
いぬのしつけ。協力しろっつってんのに足並み揃えてくれない旦那。
エトセトラ。
すんません一部愚痴が混入しましたが、上記のフラストレーションはじわじわと私をむしばみ、そしてスランプの一要因と成り果てました。
次に考えられる、スランプのもう一つの要因。
それは創作そのものの問題でした。
私は二年ほど前から、ずっと一つの作品を手がけています。
その作品、最初から中盤にかけてはクソみたいなコメディなんですが、終盤のプロットはゴリッゴリのシリアス展開となっておりまして……。
ぶっちゃけると私、シリアス展開苦手なんです。
そんなわけで苦手意識を持ったまま、変わりゆく生活環境の中で無理矢理執筆。
シリアスなんで重要キャラの裏切りも起きます。伏線も回収したり新たに敷衍したりせねばなりません。さらには設定に齟齬がないかの確認。
しかも拙作、中華風味ファンタジーを標榜しております。ざっくり宋代をモデルに世界観を作っていますが、やっぱりそれなりに当時の社会や風俗に関する知識は必要で。
コメディ部分こそ考証なんぞ勢いではねのけておりましたが(中華世界にニンジャがおるクソな考証具合)、シリアスだとそうもいかない。しかも終盤の舞台を王宮にしちゃった。やっべ私王宮の暮らしとか官位とか、そういうものの知識全然ないぞ。
どうすんだこれ。どうすんの。
……なんて、自分で自分を追い込みまくった挙げ句。
いつしか私は、真っ白なテキストエディタを目の前に、真っ白に燃え尽きておりました。
やっと打ち込んだ文字は三文字。
「書けぬ」
○突入! スランプ状態
かくして一人の重症スランプ患者は完成しました。
軽度のスランプなら何度かありましたが、今回はほんとに重量級でした。
こうなってはにっちもさっちもいきません。
かつては脳内で勝手に動いていたキャラクターが、うんともすんとも言わないのです。ケチなあいつも乙女なあの子もスケベなあいつも、呼んだって全然出てこない。
展開を考える度にわくわくときめいていた心は、もはや何事にも反応しなくなりました。
勝手に自創作のテーマソングにしてた曲を聴いても、頭の中でオープニング映像が流れません。
なによりも。
書きたい文章が、何も思い浮かばない。
文字書きとしてこれほど辛いことはありません。
かつてはアドレナリン大放出しながら、出来はどうあれ文章を量産していた自分が。何も書けない。情けない。
書きたいという気持ちはあるだけに、余計辛い。
私はなろうにアカウントを登録したときの初心を思い出しました。
「この物語は、絶対に完結させよう!」
ごめんよあの頃の私。ちょっと無理だ。
私は段々と創作に対して、後ろ向きになっていきました。
テキストエディタを開かないどころか、執筆用のパソコンに近付かなくなりました。
創作仲間がたくさんいて、色んな刺激があるはずのツイッターにもログインしなくなりました。
そしてなろう自体に、アクセスしなくなりました。
○かつて
スランプになる前のことを少し話しておきましょう。
私はなろうでは珍しくない、自作品大好きピーポーでした。頭の中で繰り広げられる登場人物の乱痴気騒ぎを眺めながら、「ウフフ!」と大変不気味な満悦に浸る、なろうではありふれた頭のハッピーな人種です。
そして書くことが好きでした。
もちろん、好調のときでも気分に波があったりします。執筆するためにパソコンに向かったのに、いつの間にか動画サイト見てるとかザラ。
やっと書き始めても、文章や展開に詰まることは結構な頻度でありました。
でもそれほどの深刻さはなく、動画を見た後には「さあやるか」
文章に詰まったときは、「今日はここまで」
更新後に味わうのは、大体充実感。
もっとも、不安になることもあります。この展開でいいのかな、この人物の描写はこれでいいのかな、など。
でもそんなとき、私には自分を安心させるための常套句がありました。
「だいじょうぶ、明日の私がなんとかしてくれる」
どんなに物語の処理が難しくても、人物の心情がこんがらがっていても。この世で唯一、この作品を創ることができる「私」なら、きっとなんとかしてくれる。
私はきっと、明日もそのまた次の日も、自分が創作に携わり続けることをなんら疑っていなかったのだと思います。また、自分の解決能力も。
絶不調が訪れてから。「明日の私」はなんにもできなくなりました。
次の日も、その次の日も。
○脱出せよ! スランプ状態!
しかしこのままではさすがにいかんと思いました。
私には小説の執筆以外に、もう一つの趣味があります。
イラストを描くことです。
小学生の頃からの趣味で、いまだに細々と続けています。
イラスト分野においても、私は何度かスランプを経験していました。スランプって色んな趣味において現れるものなんですよね。
さすがに小学生の時分はデッサンなんて微塵も気にせずに複雑骨折人体を自由に書き殴っておりましたが、中学生辺りからこしゃくにも眼が肥え始めます。そんで自分の描いたものがヘタクソに思えてくる。描いても楽しくなくなってくる。
そういうとき、私はしばしばイラストを描く手を休めました。
楽しくないならやめちゃえばいい。また描きたくなったらやればいい。
クソ生意気にも、私は中学にして真理に到達していました。そしてその通りにしました。
イラストに煮詰まったら時間を置く。一日。一週間。長いときで一年。
そんな風にして、休み休み、長く続けてきたイラスト趣味。残念ながらデッサンはいまだに複雑骨折当たり前で、背景描けない雑魚絵描きもええとこですが……まあそれなりに楽しく続いております。
休み休みやる、っていうのが奏功したのでしょうね。
もちろん私はこの方法を文章のスランプにも試してみました。
作戦その一、「休筆」です。
一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。書かない日々は延びていきます。
この期間、仕事はとても忙しく、帰ってからはいぬの世話。飯を食らい風呂に入り寝るだけの日々。
書かない日々は、延々と続き……。
でも今回はこの方法、私には合いませんでした。
どうしても、何をしていても作品のことを考えてしまうのです。書けないくせに。気持ちだけは燻る。
でも書くのは怖い。どうすれば。どうしたら。
そこで作戦その二。「別の趣味を見つけよう!」
そうだ、文章を書くのが辛いなら、別の趣味を見つければいいじゃない! そんで別のこと考えたらいいじゃない!
そこでさきほどのイラスト趣味ですが、私は件の作品の挿絵を自分で描いたりなんぞしていて、文章スランプのダメージがイラスト方面にも及んでいました。「ちっ、違う……このキャラはもっと腕の筋肉があって……嗚呼っ、私筋肉ちゃんと描けないっ!」だめじゃ~~~~ん!
私は文章と絵以外の趣味を探しました。
編み物を始めてみました。不細工なアクリルたわしを量産しました。シンクのお掃除に使えてとっても便利。
映画をたくさん観ました。実写版ピー○ー・ラビットは大変な害獣でした。
元々好きだった中国のドラマ。いままでアクション物しか見てこなかったんですが、ラブコメなんぞ開拓してシリーズ物を一本見始めました。
システム手帳に凝り始めたりもしました。百均でアホほど面白系シールを買いあさる私。
どれもそこそこ没頭はするんですが……戻ってきちゃうんですよね。
編み物しながら作品のこと考えてたり。
映画やドラマを見ながら「この展開うちの創作にもある……!」ってなんか嬉しくなったり。
そうです。創作したい気持ちはずっとあるんです。
でも自分の実力が足りない気がして、文章を書く力が枯渇した気がして。書き進めるのがとても怖い。
でも、このまま手をこまねいていたのでは物語は完結しません。
それならば。
作戦その三! 「書く!」
私はもうほとんど無理矢理の心境でパソコンの前に座りました。
ギギギとマウスカーソルを動かして、やっとのことでエディタを開きました。
そんで書く。とにかく書く。納得いかなくても。
でも精神的に苦痛を感じてきたらすぐやめる。
作戦その二において、私はシステム手帳を導入しています。せっかくならば使わにゃ損とばかりに、執筆をした日にはちゃんとその旨を書くことにしました。もちろん、「がんばった!」と自分を褒めることを忘れずに。
毎日はしません。あくまで調子のいいときを選んでです。
それと執筆以外に、私は日記をつけることにしました。一日二~三行程度の超簡素なやつです。こっちでも執筆した日には「よくがんばった、えらい!」的な賞賛を必ず。
作戦その三の目的は、書くこと自体もですが、主に「書くことのハードルを下げる」ことです。
スランプに陥ってから、私の中で「書くこと」に対するハードルがむやみやたらに上がっていた感があり、それを引き下げたかったんですね。
そして書いたらちゃんと自分を褒める。労る。お前はスランプの中よくやった。
出来はどうだっていいんです。
なろうの良いところは、作品を後から改稿できるところ。
とにかく、先へ先へ書き進めよう。足りない部分やおかしな部分は、また、いつか。
WEB小説という編集可能な媒体の利点です。大いに利用するべしと自分に言い聞かせました。
(仮に拙作が書籍化していたら、紙面に載った部分は取り返しがつきません。書籍化してなくて良かった!! 万歳万歳万々歳!!)(色んな意味で滂沱の涙)
私は忘れていました。
作品を書いた後の高揚の源を。
自分を褒めることです。
以前はそういえば、よく思ったものですよ。よくこんなアホな展開考えつくなとか、ラーメン美味しそうに書けたね! とか。
私のなかには、私の小説が大好きな読者がいます。
以前はその声がよく聞こえていたのに、引っ越しとか転職とか苦手な分野の描写とか、色んな要素が重なった挙げ句、聞こえなくなってしまいました。
手帳とか日記とかを利用しながら、私は無理矢理その声を取り戻そうとしていたのかもしれません。
そして最も大事なこと。
リアル読者さまです。
幸いなことに、私の作品を読んでくださる方は皆さんお優しい方で、適度に私を甘やかしてくれるゴッドばかり。
以前、私が活動報告で「書けぬ」と愚痴ったとき、「難しく考えなくてよかよか」「だいじょうぶ、いつまでも待ってる!」と暖かいお声を頂きました。
この場をお借りして御礼申し上げます。ここ読んでるか分かんないけど。
自分を褒め、読者の皆さんに甘やかされ。
そんなほやっとした四苦八苦の日々の果てに。
○現在
まあこんな文章を書いているくらいですよ。快復傾向ではないでしょうか。
スランプ中は書くことが本当に苦だったのですが、現在はそれほどには感じられず、「どうしよっかな~こうしよっかな~」と、全く書き進められなくても焦燥感はそれほどありません。推敲もなんとなく、楽しい気持ちでできているような。
少しずつですが、スランプ前に戻りつつある感覚です。
さて、上述の作戦一~三に私が取り組んでいる間にも。
いぬはトイレトレーニングに成功しました。いまやうんち成功率は八割超え(たまに失敗します)。
職場にはこの頃やっと慣れてきました。村人Aはいまはがねのつるぎを手に入れてブイブイ言わせてます。
生活環境の方は、だいぶ改善されてきました。
ただ、私だけの力ではなく……仕事仲間や旦那のお陰であります。
○まとめ
結局、スランプが改善に向かった一番の要因がなんだったのか、私には分かりません。
なんにもしない間、作品のことは考えていても、執筆活動を休憩していたのが良かったのかもしれません。
他の趣味に勤しんでみたり、創作物を鑑賞したのが息抜きになったのかもしれません。
自分を褒めてみたのがやっぱり良かった……ような気もします。
慣れてきたことで職場のストレスが軽減されてきたからかもしれません。
いぬが可愛いのは確実でしょう。
もちろん、応援してくれた方のお声はすごく嬉しかったし、失われた自信がプラスへ上向くきっかけでした。
あと上で書き忘れましたが、キーボードをたっかいやつに変えました。打つのたっのすぃ~~。
全ての要素が絡み合って、運良く不調が改善された。私にはそう思えます。本当に、運良く。
もし、ここまでスランプの具体的な改善案を求めて読んでしまった方がいたらごめんなさい。
私には結局、なにをしたらあなたのスランプが解消されるのか、具体案を提示することはできません。
というのも、スランプに至る原因、対処法は、きっとその人ごとに違うからだと思います。
だから色々試してほしい。このエッセイで、私が試したことでもいいです。私は運動嫌いだからしませんでしたが、なにかスポーツを始めてみてもいいでしょう。
活動報告で正直に語ってみるのもいいでしょう。暖かいアドバイスが贈られるかもしれません。
キーボードを変えるのはオススメです。生まれて初めてメカニカルのキーボードを使いましたが、このスコスコ感すこすこ。
さてさて。
スランプに陥るとき、我々は趣味でやっているはずの創作を「義務だ」と言わんばかりに捉えがちです。
自分が書いているものがくだらなく思える瞬間もあるでしょう。高評価を受けている他作品と比べて、落ち込むこともあるでしょう。
自分の力量を超えた表現をしようとして、できなくて、自分自身に落胆することも。
その他諸々の要因が重なって、人はスランプになってしまいます。
思うに、頑張っちゃう人がなっちゃう病気なんですよ、スランプって。
だからいま苦しんでる人。ちょっと休みましょ。
休憩しててもいいじゃない。いっつも頑張ってるんだもん。私もあなたも。
自分を褒めてあげましょーよ。
確かに、スランプが原因で筆を折ってしまう人も少なからずいます。出口のないトンネルを延々と歩き続けるような不安と焦燥は、それはそれは耐えがたいものです。
でも、私のように快復に向かった者も確かにいるのです。トンネルにはちゃんと出口があります。
だいじょうぶ、きっとまた楽しくできるよ。
この度とても苦しんだ私ですが、スランプにならなければ良かったかというと、そうでもないです。
何より、自分が自作品にやべえ執着を抱いていることに気付かされました。大事な気づきでした。
いまも私はあの連載作品を書き続けています。
完結を迎える、その日まで。
私のなかの内なる読者は、いま書いてる部分に関してこう言ってくれました。「ええやん」
そして私はいま、さっそくお話の途中で詰まっています。そうそう、このエッセイ息抜きに書き始めたんですわ。それはまあともかく。
詰まっちゃっても、以前のような焦りと不安はありません。
私には例の常套句があるのだから。
「だいじょうぶ、明日の私がなんとかしてくれる」
これでまたスランプになったらウケる。