夏
それから私は、あっという間の短大生活を送った。
同じ高校出身の子も何人かいたし、前よりは人と話して知り合うのにも慣れ、さほど悩むこともなく過ごすことができた。
授業にもまじめに出席し、自由時間には友人と過ごしたりバイトに励んだりしていた。
恋愛に関することを除いては、それなりに充実していた。
二年目には就職活動が始まり、不慣れなリクルートスーツを着て、説明会、見学会等に数多く参加して試験を受け、忙しさと不安を抱えながら努力した。
幸い、少子高齢化のおかげで売り手市場になって就職率も回復し、希望の事務職をゲットすることができた。
就活から三ヶ月、就職先が決まったお祝いに、先輩社会人の理久に夕食を奢ってもらうことになった。
先に成人した理久は、おいしそうにお酒を堪能しながら、久しぶりの会食に盛り上がっていた。
「真乃は事務系が似合いそーーって思ってたけど、予想通りだったね」
「よく言われるーー。
すっごいがんばったんだからね!?
でも理久の接客業も、合ってると思うなぁ」
「まぁねーー。
見た目もいいし?
人間観察好きだから、割といいよ。
なかにはめんどくさいお客さんもいるけどね」
残り半分のお酒をぐぃっと飲み干して、ぷはーーとしながら理久は自画自賛した。
「で?
卒業までの半年は遊びまくるん?」
「うーーん……。
就活からは解放されるけど、学校もあるしバイトでお小遣い稼ぎたいから、そんなに変わんないかなぁ。
あ、卒業旅行は行くよ!
初海外旅行行きたいし~~」
「いいよなぁ、学生の卒業旅行。
あたしも高校の時真乃と行っとけばよかったーー」
「サービス業だから、まとまったお休み取れないよね……。
そういえば理久と旅行行ったことないね!
私が理久のお休みに合わせて、近場を計画しよっか?」
「んーー、まだ二年目だからなぁーー。
真乃がお仕事慣れてきたらにしない??
真乃のお仕事は土日休みだろうから、あたしがそれに合わせるって形でさーー。
ところで」
「うん?」
「彼氏とどっか行ったりとかは?」
「アハハハ、そっち方面忘れてたわ!
恋活、しよっかな?」
急な質問に、テンション高めに切り返した。
理久は肩をすくめて、すまなそうな顔をした。
「余計なこと言っちゃってゴメン。
いつでも相談と協力するから言ってね。
……あたしもそうだったけど、卒業までは自分の好きな時間過ごしてもいっかも。
自分で稼ぐようになれば、外見磨きも段違いだし、相手も真剣にデート誘ってくれたりするから」
「なるほど!
さすが理久、説得力あるわ~~」
「真乃より半年先輩で、先に社会人になっただけだよ。
大人って大変なことも多いけど、同じくらい楽しい気がするーー」
追加したお酒を更に流し込む理久。
今の私と比べると、理久は大人だなぁ。
「同棲生活はどう?
やっぱり、結婚とか考えてんの?」
「んーー?
同居人って感じだよ~~。
一緒に生活すると、時間とお金節約できるしね。
ケンカした時は、一人の時間をとことん確保するけど。
付き合って一年だし、若いから、すぐ結婚ってこたないね」
「そっかーー、そうだよねぇ」
私は、ただただ感心してうなずくだけだった。
理久がすごくうらやましくなっちゃうけど、幸せの形は人それぞれだから、焦らなくていいんだよね。
それに、理久のように社会人生活を楽しめるんなら、まもなく私も仲間入りするわけだし!
「あ、そうだ、高校のクラス会の葉書来てたね!
理久は出るの?」
「うーーん……、卒業してからまだ二年経たないし、懐かしい感じもしないから、いっかなぁ。
真乃は?」
「やーー、私もパス。
仲いい子とは定期的に繋がってるし、私自身に変化がなさ過ぎるしね」
「あと三年くらいしたら、久しぶりーーって思えるかも。
子ども産んでる人とかいるだろうねぇ」
「そうだよねぇ!
実は理久がママだったりして」
「今は思ってないけど、三年後は全然ありだよねっ」
「私もその頃には、彼氏欲しいなぁーー。
今は結婚・出産も30まで大丈夫そうだけど、やっぱり20代で変わってきそう……」
「人生にも計画が必要かもよ!
そういや、先生も来るのかなぁ?
真乃、確か石川のこと好きだったよね?」
「古き良き青春ですよ……。
今言われて思い出したくらいなんだから。
さ、終電になっちゃうし、そろそろ帰ろう?
今日はゴチになりました!」
「もうそんな時間?
まいっか、大切な友達の祝杯があげられたし。
って、飲んだのあたしだけなんだけど。
真乃が成人したらさし飲みしようねっ!
でも今度は真乃の奢りで飲みたいわ、初のお給料でね~~」
「喜んで!
なんかもう、完全に妹分ですよ。
姉御についていくから、先導よろしくねっ」
「任されよーー」
仲良しとの素敵なおしゃべりタイムはあっという間で、なんてことない尽きない話をしながら、私達は帰って行った。
それから二年。
私も晴れて社会人となり、新鮮な気持ちと大変な緊張を全身で感じながら、仕事を覚えて慣れるのに終始していた。
もちろん、理久にも最初のお給料でご馳走して、お祝いのお返しをした。
会うのもあの時以来で、一番の仲良しだと思っているけど、時間が合わなくてなかなか機会が作れなかった。
同じ学び舎の頃は毎日のように過ごしていたのに、別の環境になると時間を作ろうとしないとできないんだなーーって、つくづく感じる。
短大を卒業して、やっと同じような立場になれた気がする。
交わすトークにも、共感が増えた。
もちろん、プライベートはまさにこれから、なんだけどね。
「会社の同期、全員女なん?!
そりゃなかなか、男運がないね……。
じゃ、男の先輩にーーて、逆に激戦区かぁ」
理久の予想通り、私の職場はむしろ男性の方がモテ状態。
もちろん私は、そこに参戦するほどのガッツを持とうとも思わなかった。
職場恋愛の場合、公言するか隠すかってのもあるし、トラブった場合影響が大きいからなぁ……。
好きな人がカブると、同性のバトルに発展するし。
だから最初から安全地帯に身を置いて仕事に集中したいので、私は職場外恋愛が希望だ。
そう考えると女同士の同期で集まるのも悪くなく、私達新人は結構同期会をしていた。
仕事中にはできない、仕事や職場の人間関係に役立つ情報が共有できて、非常に有益な機会だった。
8月の三週目の日曜日。
前夜に一人暮らしの子の部屋で同期会があって、泊りがけで盛り上がった。
夏だったのでみな雑魚寝で休み、次の日の昼近く、ファストフード店で軽食をとって解散した。
あーー楽しかった……!
女子同士で朝帰りもいいわぁ。
今度は理久と旅行して、いっぱい話したりおいしい物食べたりしたいなぁ~~。
ハイなテンションを保ちながら、私は駅へ向かっていた。
お。
前方に、年上の男女が立っているのが見えた。
なんだか事情がありそうな雰囲気だった。
興味本位でチラ見しながら近づいてくると、二人は軽く手を上げ、女の方がゆっくりと離れて行った。
あら、去り際だったのかな?
それにしても、綺麗な女の人だったなぁーー。
女の去った方を見つめていた男が、私の方に歩いてきた。
バッ!!
思わず視線が合ってしまい、私は気まずくて立ち止まった。
男も近づいてきた私に驚いて危うくぶつかりそうになった。
そのほんの一瞬で、思いがけない事態が起きた。
「……せんせーー」
思いがけない再会に混乱しながらも、私はやっとの思いで発声した。
「ハーー~~……」
なかったことにしたい、そんな感じで長い溜息をついて、石川先生は頭をぐしゃぐしゃに掻き回していた。
少しの間の後、体制を整えて、じゃなって感じで手を開いて、先生は立ち去ろうとした。
せっかく会えたのに、先生には最悪のタイミング!!
でも喰らいつかなきゃ、チャンスはないっっ。
私はなんとか自分を奮い立たせて、背を向けた先生に必死についていった。
「突然失礼しました!
高校の時お世話になった田原真乃ですっ。
お陰で就職できました。
よかったら卒業式の日の申し出、受けて頂きたいのですが!!」
先生はピタッと立ち止まった。
そしてまた、ハーーと嘆息してから、振り返った。
「立派になったなぁ!
誰かわからんかったよ」
答えてくれたっっ!
私はYESを促すべく、先生の眼をじっと見つめた。
参ったな……と頭を掻きながら、先生は辺りを見回した。
「じゃ、そこのファストフードで……」
「すみません、さっきファストフード食べたばっかりなんで、隣のコーヒーショップでお願いします!」
私は先生の言葉を遮り、ゴリ押しした。
「そんなら無理しなくていいのに……。
あ、いや、約束だもんなっ。
コーヒーでいいか?」
「ありがとうございますっ!!」
声を張ってしゃべる私を、とりあえず約束を果たすことで人目から離そうと、先生は逃れるように店内に入っていった。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
感じのいい店員さんが接客してくれた。
「二人。
喫煙席で。
ーーあ、たばこ吸っていいか?」
慣れた感じで答えながら、先生は私に気遣ってくれた。
「どうぞ」
先生、吸うんだーー。
学校じゃ当然吸えないし、わかんなかったなぁ。
プライベートの先生と、初めて会うなぁ。
自分から誘ってすごいな、私!
けどさっきの人、きっと恋人だよね?
まぁいっか、教え子から社会人になって先生に会えたんだもん、奇跡に感謝しようっと。
案内された席に座り、とりあえずコーヒーとケーキを注文した。
さっき食べたばっかりなんだけど、デートっぽい雰囲気を味わいたくて。
程なくして「失礼」と断った先生は、煙草に火を点け、吸い込んだ煙をフーーっと長く吐き出した。
さっきの感じだと、彼女とケンカしたような感じだったな。
「なんかすいません、気まずいタイミングで声かけてしまって……」
私はぺこりと頭を下げた。
「いや、周りに気付けなかった俺が、甘かったから」
先生は私を責めなかった。
「あのでも私、誰にも言いませんから!
先生が恋人といるの見たってこと」
真剣な目で、私は先生に向き合った。
先生は、呆気に取られていた。
数秒たって、顔に手を当て、声をこらえて笑い出した。
「ありがとなーー。
田原のそういう真っ直ぐなとこ、好きだよ。
助かるなぁ」
ーー??
なんかかみ合わない……。
「私、変なこと言いました?」
「いや、謝るよ」
先生は座り直して、真剣な顔になった。
「他の人に言わないでね。
さっき俺、振られたの」
え!!
別れた瞬間だったのっ。
たまらず息を呑んだ。
確かに二人ともすごく難しい顔してた……、そんな重大な局面だったのかーー。
そんな時によく私に付き合ってくれたなぁ、ってか私がしつこくしちゃったんだけど。
ーー。
しばしの沈黙。
あぁでも時間がもったいない、トークトーク!
「あの、絶対誰にも言わないんで、先生の恋バナ、聞いてもいいですか?」
ふっと脱力して、優しい笑顔になる先生。
私が生徒の時に好きだった、あの顔だ。
「ーーじゃここだけの話ってことで、どうぞ?」
週刊誌の記者みたいに、私は質問を始めた。
「彼女さん、おいくつだったんです?」
「えっと……、3つ下。
俺の歳覚えてたら、そっから計算して」
確か、先生は私の10こ上だったから、31か32。
ということは、28か29。
「すごい綺麗な人ですね!
どこで知り合ったんですか?」
「大学の後輩」
「え、じゃあ、長く付き合ってたんじゃないですか!」
「残念。
サークルのOBOG会からだから、2年くらいだよ」
そうなんだ、私が短大卒業した頃、付き合ってたんだーー。
「ズバリ、破局の原因は?」
「ーー。
何だと思う?」
笑顔で質問返しされてしまう。
うーーん、でも一般的に考えると、適齢期だから……?
「結婚、ですか?」
一瞬、場が沈黙する。
「当たり。
田原も結構わかってんじゃん」
開き直った態度にムッとしながらも、私は会話を続けた。
「彼女は結婚したかったけど、先生は結婚したくなかった?」
先生はこくんと頷いた。
「お互いイイ歳だしね。
二年も付き合ったら、特に女の人はそう考えるよね」
丁度注文の品が届き、私たちは静かに飲食していた。
今の私に結婚の選択肢はないけど、彼女さんの立場だったら、かなり切実だろうなぁ。
先生、結婚願望ないんだな。
先生と自由恋愛できるようになって再会できて、しかもフリー、でも結婚願望はない……。
今の状況と将来の可能性を、天秤にかけて計算する私。
どうする?
相手に気持ちがあるかもわからないのに、私は一人で悩んでいた。
恋愛経験が乏しいせいもあった。
答えはもう、決まっていた。
「なんだ、田原。
もしかして俺と付き合いたいの?」
半分冗談だったかもしれない。
私は真っ赤になってしまったけれど、そのまま頷いた。
「はい、生徒だった頃から私、先生のこと好きだったんです。
付き合いたいです」
まっすぐに先生を見つめて告白した。
ハーー、先生はまた大きく息を吐いた。
「田原、どんだけ飢えてんだ……?
いや、恋人に振られた直後に元教え子に告られるって、俺どんだけモテんの」
軽くおちゃらけた後、先生は冷静な顔になって言った。
「俺と付き合うの、面倒くさいよ。
条件、聞く?」
先生と付き合う、条件……。
私は耳を疑った。
「教えて下さい」
しかしとりあえず、その内容を聞くことにした。
先生は私を見て、目を閉じて話し始めた。
「会うのは、毎月第三日曜日。
授業以外も忙しいから。
来られない時の連絡は、その前日の夜9時以降。
それ以外のメールと電話は一切しない。
会う場所は、俺の家と勤務先から反対方向の、この近辺で。
金は全部割り勘。
それから、他人に口外しないこと。
守れる?
元教え子と交際してるってバレたら俺ほぼ確実にクビになるから、そんときゃ即別れるけどね」
先生は一気にしゃべると、にっこりと笑った。
「そんな、すごい身勝手じゃないですか!!」
「無理に合わせなくていんだよ。
折り合えないなら、付き合う必要ないんだし」
「私が教え子じゃなかったら、その条件じゃないんですよね?!」
「いや、おんなじ。
元カノもそうだった。
俺に合わせてくれてた」
先生は静かに、コーヒーを飲み干した。
イケるかもなんて思った妙な自信から一転、モラハラの本性を表した先生に、地の底に突き落とされた気がした。
あんなに綺麗な彼女さんですら、厳しい条件で結局別れた。
付き合うメリット、ある!?
ぐちゃぐちゃに混乱した気持ちになりながら、私はもう一回、先生を見つめた。
冷酷非道なこと言われたのに。
先生を好きだった年月に美化されて、付き合えるかもしれない期待を自分から手放すことが、考えられなかった。
先生と付き合えるのは今しかない、後悔したくない……!
「よろしく、お願いします」
私は、先生の恋人になることに決めた。
どんな顔してたんだろう。
きっと、うれしい顔ではなかっただろう。
先生はそんな私の頬に手を添えて、つぶやいた。
「そういうまっすぐなとこ、好きだよ。
呼び方、名前でいいか?
真乃」
ドキッとした。
もう、先生しか見えていなかった。
冷徹な恋人から名前呼びされることで一気に恋愛脳になり、幸福感で満たされた。
「ーーうん。
私も、和哉って呼んでいい?」
和哉は、優しい視線で私を見た。
「もちろん。
ーー今日は、どこ行く?」
「行きたいところ、付き合ってほしいな!」
「いいよ、真乃」
お茶をして店を出た私達は、二人で寄り添って歩いて行った。
私は好きな人と付き合ってみたかった、先生と恋人関係になれた、幸せな日だった。