それをあけてはならない
この作品は、ホラー作品のつもりで書き上げたものですが
おそらく、あまり怖くはないと思います。
最後まで読んでいただいて、読者の方々に
どう胸に残ったか感じていただければと思います。
未熟な点があるとは思いますが、ご堪能ください。
6月も終わりに近づいた炎天下だった。
酷く熱したアスファルトを、自転車のタイヤを擦り付ける。自転車は田舎の一本道を走っていた。途中、山と山の間の砂利道を小学校に向かった。籠にはふくらみのあるサックが入っている。
汗だくになりながら、雑木林と田舎道に囲まれた薄暗い山道を、瀬際はじめはきつそうに自転車を漕いでいる。
もう、午後4時過ぎだというのになんて暑さなんだと彼は思った。時折、日の傾きかけた太陽を恨みながら、待ち合わせている小学校の校庭へとたどり着いた。
日陰では、スマホを弄っている同級生の柿谷敬幸を見つけた。
「あれっ? タカだけ? 他は?」
アメリカ人の癖を真似たのか両腕を直角にし、柿谷が『お手上げ』という呆れた表情を浮かべた。
1ヶ月前のことだった。衝撃的な記事が地元の新聞をにぎわせた。
小学校の裏の雑木林に、古めかしい昭和初期に、建てられたであろう3階建ての廃洋館があった。持ち主は行方不明のままに、市でも取り壊しを検討していたが、予算の都合上、放置せざるを得えないらしい。
その洋館に変な噂話が絶える事はなかった。
昼間でありながら、洋館の周りだけ夜のように真っ暗に見えたり、館の中に入るたびに部屋の配置が変わっていたりと、不思議さがあった。
どの噂も洋館に入らせないように、大人が作ったでまかせに違いないと、思った。実際に幼少の頃からその館に、何度となく足を踏み入れているはじめにはわかっていたことだ。
新聞によると最近になって現地調査として市役所の職員が、派遣されたらしい。数人のうち2人は現在も行方不明のまま、1人は病院で療養し正気を失っているという、記事で締めくくられていた。
現地の警察関係者は、その洋館を3回ほど調べるものの、特に異常がないこと、行方不明者の遺体やら遺留品がないことを知り、本格的に捜索をすることはなかった。
数日後にも、はじめの通う小学校の教諭が館に踏み込んだらしい。それを職員室の前の廊下で偶然にも、はじめは聴いてしまった。
「あの館には、子供たちを近づけさせないようにして下さい。最近のゲームによくある朱色をした大きい箱が無造作に、何かを誘うように置かれていたのを記憶しています」
男の教諭は、他の教師たちに熱弁をふるっていた。
「私はその箱にさえ近づきもしませんでした。昔から、あの付近で子供たちが遊んでいるところを、近くの住人が目撃しているようです」
ひとりの教諭が朝礼で発言したことで、職員の間で動揺が広がる。
最近、スマホを弄りゲームにばかり夢中になっていたはじめは、「大きい箱」に反応した。ゲームのように宝箱といえる大きい箱には、間違いなく金塊や宝石があるに違いないと、そう思った。
教室に戻ったはじめは、さっそく隣の席の柿谷に廃洋館への探索をしようと持ちかける。
柿谷は『廃洋館』という言葉を聞いて表情を硬くした。小声で呟き、
「はじめ、お前知らないのか? あそこの所有者さえ、1年前に行方不明になっているんだぞ! あの館はマジやばいって……」
「タカ、そんなこと俺に通用すると思っているのか! 俺は何度もあの洋館の中を探索したけど、何も起こらなかったし、こうして行方不明にもなってないだろ! それに宝を見つけて、行方不明者を救出できれば一石二鳥じゃンか」
「そうかもしれないけど……でも、そんなにうまくいくかなぁ?」
柿谷は不安な表情を滲ませながら、悩んだ。
「もし、おれたちが行方不明になったりしたら……」
「そんなことねぇよ! タカは心配性だな」
「そうじゃないんだ! あそこに入って悪い噂しか広まっていないから」
「じゃあ、俺ら以外に4人いればいいだろ! 文句ないだろ!」
「うん……」と渋々と柿谷は承諾した。
はじめの提案で今度の土曜日に、学校の校庭へ集合ということで話が決まった。
校庭の脇に自転車を止めた。はじめたちは、そこから歩いて学校の裏の雑木林を目指した。途中、カラスの鳴き声が、気になるほど響いていた。林の中は、意外なほど涼しかった。木漏れ日もなく、昼下がりを過ぎてまだ太陽が照らしているはずだった。が、屋敷に近づくにつれ、冷気が段々と増しているように思えた。久しぶりの洋館の探索に不安感があった。
数年前から小学校の授業や塾ではスマホやタブレット端末が普及した。外で遊ばなくなり暇があれば、ゲームに勤しんでいたからだ。自然の中への感覚に少し鈍くなっていたことに、はじめは気づいた。
はじめたちは館に到着した。中に入り懐中電灯を頼りに、はじめ自身が自作した館の見取り図をみる。館に入ってすぐに蜘蛛の巣の出迎えを受けた。みるとあちらこちらに蜘蛛の巣がみられた。最近、人が入ったとはいえ、すぐに巣を作る屋敷は、人気がないことを裏付けるのだろうとはじめは思った。
柿谷たちは巣を取り払うのだけで大騒ぎしていた。
柿谷にはじめは反論した。探索に6人もぞろぞろと行くのは、時間の無駄だと。
人一倍怖がりで慎重派の柿谷の意向でなるべく固まって歩くことを提案した。はじめ以外柿谷の意見に賛成した。多数決で柿谷に従うしかなかった。
何度かはじめは来たことがあるものの、この洋館の2階、3階には上がったことがなかった。
はじめが何度か訪れる際に見取り図を作成した。しかし、緻密さがない見取り図を柿谷に渡した。
柿谷は真剣にその図に奇妙さを感じずにはいられない。思い切ってはじめに問いただした。
「そんなの家に帰ってから、思い出して書いたものだから、でたらめだゾ」
「何だよ、それ……意味なくね?」
ある程度1階の部屋を見回した。何もないことで、はじめ以外ホッとしてる様子だった。
「大きな箱って、2階なのかな?」と、柿谷は呟いた。
上がるのは初めてとなる階段を、先頭に立ってはじめは、歩き始めていた。
踏み段を上がるたびに、独特の歪みの音が聴こえてくる。はじめ以外みんな、不安な顔つきをしていた。何が出てくるかわからないような洋館を、ぞろぞろと上っているからだ。
「そんなにくっつくなよ! 暑苦しいだろ!」
右腕にしがみつきながら、柿谷はあたりを警戒するどころか、怯えながら上る。
「だってさ……なんか、出そうで」
柿谷は4年生の時に、転入してきた。それ以来5年生、6年生と一緒のクラスだ。しかし、柿谷がこんなにも臆病だったのかと、はじめは思った。遠足や移動教室でも、一緒の班になったことがあったが、全く気がつかなかった。
例の大きな箱のある部屋は、2階の一番奥にあった。そこはがらんどうで荒れ果て、壊れた窓から日差しがいっぱいに差し込んでいた。とても怪しい雰囲気にある部屋ではなかった。
その箱は、みるからにゲームから飛び出したような、朱色で黄色い縦縞模様入りの箱だった。子供が1人隠れられるほどのスペースだった。よくみるとその箱が2つ並んでいた。どちらとも茶色く『古びた錠前』がしっかりとかかっていた。両方とも子供の力、6人がかりで箱全体を持ち上げようとしても、ビクともせず悔しさだけが残った。
「畜生! この中に絶対なにか入っているに違いないのに……」
「そんな箱を開けることに、どうして夢中になるの? はじめ」
「だって、ゲームじゃ大概、こういう箱は宝があるってきまってるだろ!」
柿谷の眼にははじめが、この箱の魔力に取り憑かれているように見えたようだ。
「とりあえず、今回は様子見でいいじゃないか」
「俺は高望みしても、家じゃすぐには手に入らないんだ!」
「はじめ、何を焦ってるんだよ!」
柿谷の隣にいた男の子が、ぽつりと呟いた。
「そういや、はじめの親って離婚して暮らしてたンだったな!」
「まあな、今裁判所で親権を争っているんだ!」
「シンケン?」
はじめの右隣にいた黒縁メガネの男の子が、考え込んでいる。
「父親と暮らすか、母親と暮らすかまだ決まっていないんだ!」
「引っ越すかもしれないってこと?」
「今、父さんが週に1回顔を見せに来るけど、中学になったら他の町に転校するかもしれない」
はじめの左隣にいた小太りの男の子が呟いた。
「ってことは、この館の探索も今のうちなの?」
「まあな……」
小太りの隣にいた男の子が、何か言いたそうだったが、
「ふうん……」とだけ呟き、黙ったままだった。
「だけど、鍵がないと、この箱は開けられそうにないぜ」
「……だよな」
その後、はじめたちは二手に別れ探索した。3人1チームで1階、2階で鍵を探した。
最初は怖がってやる気がなかった柿谷も、何も出ない雰囲気になると覚悟を決めたのか、1階を希望した。
はじめは2階の探索を担当した。3階の探索は、時間があったら、ということで全会一致になった。しかし、探索を始めてから、2時間ぐらいが経ったものの鍵らしいものはなかった。
1階も同じだったらしく、残るは3階だとはじめは意気込んだ。しかし、なにげなく壊れた窓から空を眺めると、雲がオレンジ色に映え、夕方になっているのだろうか、館の中が薄暗くなっていた。不気味な静けさの中で、カラスの鳴き声だけが異常なほどはじめの耳に聴こえてきた。
「これだけ探しても、見つからないから今日は諦めようか……」
「そうだよ! 薄暗くもなってきたし」
結局、苦労して何も得られないまま帰ることに、納得ができずはじめには悔しかった。だが、みんなからは疲労の色だけが窺えた。無理はしないほうがいいと考えた。ただ、探索に納得できなかった。
そろって1階に降りた後、外に出ようと扉を開こうとしたはじめは、柿谷が立ち止まってる視線にある方向を何気なく見る。そこには地下に降りる階段があった。
「タカ 、探索途中で気がつかなかったよな?」
「うん、別の場所に夢中になって見落としたのかも?」
はじめは、初めてこの館の異質さを目の当たりにしたように思えた。久々に訪れたものの、2年前のことを思い返しても、地下に降りる階段などなかったように記憶していたからだ。
早々と階段を下りるはじめ。懐中電灯をあて扉を調べる。扉板には『……ハイケナイ』と殴り書きで彫られた文字が読めた。
「? ……はいけない? 何だ、これ?」と気にも留めず、試しにドアノブを回してみる。
こすれる音と共に扉は開いた。
「やめとこうよ、はじめ」
柿谷の言うように今から地下を探索するのは、得策ではないと考えた。夕方からこの館を探索するのは彼にとっては、いやな予感がつきまとう時刻であるに違いないと思ったからだろう。
1階階段の上から4人の友達が、地下の扉前にいたふたりに手を振った。
「おーい、はじめ、タカ、先に帰るぞ!」
「ああ、じゃあな……」とはじめは友達4人が手を振り、扉から外に出るのを確認した。
「タカ、行くぞ! 第二ラウンドだ!」
「えっ? 帰るンじゃ?」
「何も得られないまま帰りたくねぇんだよ、せめて鍵だけでも……」
「まったく、はじめの好奇心には『怖い』という感情がないみたいだね」
諦めの顔に変わった柿谷は、ため息をつき言い放った。
「わかった付き合うよ。でも少しだけにしよう。この地下の空気って1階の空気と全然違うから」
「空気が違う?」
「うん、なんていうのかな……言葉じゃうまく言えないンだけど」
「……」
柿谷の言う『空気が違う』というのが、はじめには全く理解できなかった。だが、今まで柿谷といるときに危険な目に遭ったことが、そういえば一度もないことに気がついた。柿谷には、事前に危険とわかると回避できる能力があるのではと、はじめは想像した。
地下に降りたはじめは驚いた。どこから漏れているかわからないが、地下水まで流れ込み水溜りもできている。懐中電灯を片手に人工的に土を削って造られた通路が、右と左に別れていたからだ。これはやはり柿谷の言うとおり、少し探索して再度、出直したほうが賢明だろうかと考えた。
先頭に電灯を照らしながら進み、周りを調べ振り返ったとき、柿谷が何かに気がつき、前かがみにしゃがんでいたように思えた。
「ん? タカ、どうしたんだ?」
「ん? 別に、なんでもないよ」と柿谷は、はじめに悟られないように、何かを隠したようだった。
通路は左右どちらとも奥まで続いているようで、漆黒に包まれ見通せなかった。
「この地下って、思っていたよりも深そうだな!」
今にも通路の奥からモンスターか、クリーチャーが現れそうな雰囲気が、そこにはあった。
はじめは急に立ち止まった。何かが腐ったような不気味な匂いが、鼻をツンとつつく。
どうやら柿谷も気がついたようだ。
「何だろう、この匂い?」と思わず、手で鼻を押さえた。
「やめとこう」と脳が反応するよりも早く体が反応した。漆黒の闇から後戻りし、はじめたちは早々と1階に引き返した。
入るときの好奇心に満ちた顔が、上空のカラスの鳴き声に連れて行かれたように、不安に満ちた顔に変化した。
はじめは不思議に思っていた。10歳のときに初めてこの館に入ったことがあった。当時は全く恐怖心や不安感がなく、単なる遊び場として思っていた。しかし、2年経って館のことをすっかり忘れている間に、自分に芽生えた恐怖心や不安感が増した。館全体が遊園地のホラーハウス以上のようにさえ感じた。
無事に館を出られたが、心残りがあった。2階のあの『大きな箱』のことだ。どうしても頭から離れず、家に帰ってからも寝るときにも、あのことを考え続けていた。
週末が過ぎ、何事もなかったかのように、次の1週間が過ぎるかにみえた。箱のことを忘れかけていたはじめだったが、水曜日が小学校の建国記念日で休みになった。
その日の学習塾の帰り際だった。はじめは、偶然に座った後ろの席で、自分の小学校の、隣のクラスの子が、話している噂に何気なく耳を傾けていた。
隣のクラスの小学生が、あの洋館に行ったまま行方知れずになっているというのだった。 興味を持ったはじめは、その小学生に尋ねた。
「もしかして、その行方不明の子って、何か情報があって行ったのかな?」
「詳しいことはわかンないけど……でも、怖いよね」
それ以上のことはその子からは聞き出せなかった。明日、柿谷に聞いてみようかとスマホでメールを送った。
翌日、柿谷に隣のクラスのやつらが、館に行ったまま帰ってこないことを話し始めた。柿谷は青ざめていた。どうもおかしいと思った。いつもの柿谷らしく、明るさがなかったように見えた。
「おい、タカ、おまえ、何か知ってるのか?」
柿谷は話始めた。はじめ抜きで、館に行った事。隣のクラスの数人の友達と、左の箱の中身を開けたと言う。鍵は地下で拾ったと告白した。中身は白骨化した遺体だったという。右の箱の錠前には合わなかったと柿谷は言った。
死体を眺める中で、コミヤという男の子が、地下も探検してみようと言い出し始めたらしい。勝手にコミヤは階段に向かい始める。コミヤを止めようと必死になったが、その男の子はあろうことか宙に浮き、あっという間に地下1階の扉を潜ってしまったそうだ。コミヤを追って柿谷も地下1階に降りてしまったという。そのまま、コミヤの行方はわからなくなった。
そこで目にしたのは、『巨大な人食い蜘蛛』だった。太く丈夫な糸を吐き、行方不明者を繭状にして生気を吸っている姿だった。コミヤを残して柿谷たちは命からがら、屋敷を脱出してきたというのだ。
柿谷の語る言葉が、はじめには信じられなかった。
何故こんなにも行方不明があの館から出ているのか、はじめは気になりだし、塾の課題そっちのけで調べ始める。自分がまさかこんな形で、あの館のことについて興味を持つことを不思議に感じた。
翌日、授業が終わるや図書室に向かった。館のことを洗いざらい頭に入れ、更に暇さえあれば町の郷土資料館や市立図書館へと足を運ぶようになる。普段、学校の図書室など利用しないことを知っていた柿谷は、はじめが、本に夢中になり本棚の傍で、集中しているのを、珍しい顔で見守っていた。
噂を聞いてから1ヶ月が過ぎようとしていた。
市民プールのオープンを間近に控え、夏祭りのチラシポスターを横目に、自転車を漕いで炎天下を、小学校に向かってはじめは走らせた。
あの日以来、館に向かうのは2度目だ。今度こそ、箱の中身と行方不明になっている謎を解いてやる。
前日のうちに、クラスメートの4人には声はかけたものの反応はやや薄かった。もちろん柿谷にもはじめはもう一度館に行かないかと誘った。
「あれっ?」と、はじめは約束の時間を過ぎて、柿谷しかいないことに驚いた。
「はじめ、やっと来たか……」
「タカだけ…? 他は?」とはじめは呟くと、柿谷は肩をすくめ、『お手上げ』の仕草を見せた。
「メール、見てないのか? みんな来ないってさ……親に行くなって止められたみたい」
うっかりしていた。館のことで頭がいっぱいになっていて、スマホに友達からの返信メールに気づかなかった。
「そうか……」
無理もないか。行方不明者続出の館になんか、危険だと普通の親は行かせてはくれないだろうと、はじめは思った。
「タカは? 親に内緒で来たのか?」
「おれんち、共働きだから、家に帰っても誰も居ないンだ!」
「そうなのか……ありがとう、来てくれて」
「なんだよ急に……。気持ち悪いな」
「おれ1人でも行くつもりだったけど……タカが来てくれたおかげで、勇気を貰った気がする」
「はじめ……水臭いな、オレたち親友だろ!」と、柿谷はポンと肩を叩いた。
「ところで……?」
自転車の籠から、はじめは重たそうなリュックサックを持つと、背中に背負い始めた。
「はじめ、重そうだな……一体何が入っているんだ?」
「秘密道具! これから行くところは異世界のホラーハウスだからね」
「異世界のホラーハウス?」
なんとも自分でネーミングを考えて、可笑しくなっていた。ただ単に、スマホのゲームにある名前を貰っているだけだが、はじめは気に入っていた。
あの洋館にまつわる出来事を図書館で、見たあの当時の悲惨な事件記事をみたはじめには、生きて出られないような理由がほんの少し解った気がした。
雑木林を歩き、洋館の前まで来たはじめと柿谷は、改めて洋館の全体像がこんなにも不気味なものとは、知らなかったことに仰天した。
学校の校庭は、鉄板の上にいるように暑さがこみ上げてきたのだが、洋館の入り口付近はそれが嘘のようで、しかも肌寒く感じていた。明らかに別世界で異質だった。
「この間来た時と、なんか雰囲気が違くね?! マジ、異世界のホラーハウスっぽい」
「うん……」
乱雑に茂る草木に覆われ、3階建ての洋館をはじめと柿谷は見上げた。空にはあれほど燦々(さんさん)と輝いていた太陽が、いつの間にかいなくなり、暗雲が立ち込めていた。近くからはゴロゴロと、雷鳴りらしき音までなり始めていた。
不安げな表情を浮かべながら、柿谷ははじめの顔を真剣に見て、呟く。
「やっぱり入るのか?」
「ここまで来ておいて入らない気かよ?」
「そうじゃないけど……」
「今から校庭に戻るとなると、帰る頃には夕立にあうかもな」
「いやな事言うなよ」
「じゃあ、覚悟を決めろよ!」
その言葉で覚悟したのか、柿谷は大きく鼻を鳴らし、気合を入れていた。自分自身にも言える言葉だとはじめも、心に繰り返した。
ごくりと生唾を飲み込む柿谷を目にし、
「準備はいいか?」
「うん!」
はじめは洋館の扉を開き、中に入った。
2年前と今とで違和感を感じていた。館に入ったはじめたちは、直接2階のある例の『大きな箱』の部屋へと向かった。しかし、以前と違いその部屋に『大きい箱』がなかった。2人は仰天した。
2階には大きな部屋以外に扉がなかったからだった。
「そんなはずは……」
その時、突然外が光った。雷鳴だった。物凄い音を立て雨が降り出していた。
はじめは丹念に箱があったと思われる場所を調べた。すると、箱を動かした痕跡があった。
___あんな重いものをどうやって……?
「はじめ、6人で動かそうとしても、ビクともしなかったよな?」
「あの時は俺たち6人だから、大人が数人で持ち上げれば」
それでもはじめには腑に落ちないことがあった。だが、今ある推測はそれ以外考えられなかった。しかも、何の目的があって、あの『大きな箱』を動かさなければならなかったのか、それがさっぱりだった。
「そうかもね。でもどこに持っていったんだろう。あんなの外に持って行ったなんて思えないし」
「まだ、この館内にあるかもしれない」
「まさか、探すつもり?」
「そのまさかに決まっているだろ!」
二人して部屋を出た後、3階に通じる階段の前まで来た。懐中電灯で3階の奥を照らすが、窓がないらしく漆黒に包まれた空間があった。
「変わったね、はじめ」
「?」
「前は一つのことに、そんなにのめりこむ事、ほとんどなかったのに……」
「お前もな」
「えっ!?」
「昔からオカルト本好きなタカが、まさかこんなに怖がりで心配性だとは思ってなかったよ」
「わるかったな……心配性で」
「俺の場合、スマホにばかり興味がいって、今の現実を見つめてないのかもな」と、3階に上り始める中で、はじめはポツリと呟いた。
「……」
しおらしく黙ってしまった柿谷は、スマホをポケットから取り出し眺めた。
「あれっ?」
「どうした?」
スマホの電源ボタンやホームボタンを、押しても黒い画面のままだった。ウンともスンとも言わない装置に向かって柿谷は、右往左往して混乱しているようだ。
「壊れちゃったのかな? 急に画面がちらつき始めて……」
その時だった。どこからか信じられないような突風が、スマホを投げ出させた。思わず柿谷は床に落としてしまった。
「あっ……」
ただでさえ暗闇の中なので、手元が狂ったのだろうと、はじめは安易に考えていた。しかし、スマホを手にしようとした、柿谷の仕草に驚いた。スマホから遠のき、声にならない言葉で後ずさりし、はじめに抱きついた。
「どうしただんだよ? タカ!」
「ス、スマホ、見て……」
スマホがバックライトの光りに照らされ、暗闇に不気味に浮かび上がっていた。
はじめがスマホを拾おうとしたとき、文面に何か赤い文字が記されているのがわかった。
『ハコニハチカヅクナ ハコヲアケテハナラナイ』
見た瞬間、はじめは背筋に寒気が走り、警告文ともとれるその文面に絶句した。
「はじめ、やっぱり引き返そう! おれ、ずぶ濡れになってもいいから早いところここから出たい」
「タカ、こ、こんなものに、惑わされるなよ」
声が上ずり震えながらもはじめは、スマホを柿谷にかえす。
「じょ…上等じゃねぇか……」とっさにはじめは、テレビドラマの俳優の真似をしていた。
その時一匹の蜘蛛が懐中電灯の明かりの下を横切った。危うくはじめは踏み潰しそうになった。
蜘蛛ははじめの行動を知ってか知らずか、一時的に立ち止まり様子を窺い、再び歩き始めていた。
無理もない。空き家になってから、半年以上も経っているのだから。蜘蛛がいても不思議はないとはじめは、あまり気にしていなかった。
リュックから殺虫剤のスプレーとモデルガンにBB弾を用意し、柿谷に持たせた。
「タカ、一番奥の部屋を見たら、すぐ引き返してくる。降りて待ってろ!」
「は、はじめ……」
「大丈夫だよ」
ゆっくりと足元を気にしながらはじめは、懐中電灯で右奥に見える扉を目指し、歩を進めた。どういうわけだろうか、この辺に来ると蜘蛛の巣が無数に存在し、はじめの歩みを阻んでいるかのようだった。
巣を振り払い、なんとかドアの前まで来たものの、ガチャガチャとドアノブを何度も回そうとするが、開きそうにない。
「畜生! ここまで来てまた鍵か……」
諦め、引き返そうとしたとき、反対側にも扉があることに気づいた。試しにノブを回してみると、
「!? 開くぞ」
こっちは入れそうだと、恐る恐る懐中電灯を片手に中を覗いた。あの『大きな箱』が、光りに照らされ暗がりに、浮かび上がっていた。はじめは絶句した。
___こんなところに……どうやって?
箱をくまなく調べるがやはり、錠前がしっかりとかかっている。
すぐに柿谷のもとへと急いだ。
柿谷は2階に降り階段の隅で蹲ったままだった。
「おい、タカ、タカ! どうしたんだよ!」
我に返ったかのように「はじめ」と叫んでいた。
「タカ、見つけたぞ! 例の宝の箱!」
「だめだ! あの『大きな箱』を開けちゃ!」
「タカ、なんで、そんなことを言うんだ!」
物凄い力で両腕を掴み、柿谷ははじめを睨んでいた。
「あの箱は絶対、開けちゃ駄目だ!」
「お前、まさか開けたことが……のか?」
まるで、柿谷が自分をおびき寄せたようにとれた。
「はじめなら、図書館でいろいろ調べていたから期待していたんだ! あの巨大な蜘蛛をやっつけてくれるって」
「これで辻褄が合う」
「それって、どういうこと!?」
はじめは、図書館で調べたことを柿谷に掻い摘んで話し始めた。この館は、もともと蜘蛛を育てる専用の場所だったらしいのだ。つまり所有者にとっては別宅であった。その所有者は目的は不明だが蜘蛛をバイオ化して、巨大にする研究をしていたようだった。
所有者が行方不明になるという新聞記事を、はじめは図書館で見つけていた。以来、屋敷は荒れ果て、蜘蛛の巣だらけになっていた。
館に入ったときに感じた違和感は、蜘蛛の巣の数だった。市役所の職員や小学校の教諭が入ったにしては、巣が少なかったのだ。
だが、巨大な蜘蛛にしても腑に落ちないところが、はじめにはあった。どうやってあの『大きな箱』を持って行ったかだ。その中身は一体。本当に柿谷が言うように、白骨化した遺体だったのか。ならば、なぜ、子供6人で持ち上がらなかったのか。
考えていても仕方がない。もう箱のことはどうでもいい。今は行方不明になっている人の救出だとはじめは目標を変更した。今は可能性のあるほうを最優先すべきだと方向転換した。
「タカ、案内しろ!」
「どこへ?」
「地下に決まってるだろ! まだ繭になって生きている人がいるかもしれない」
「危ないって!」
「俺に期待していたんじゃないのかよ!」
「だからって今じゃなくたって」
「今以外にいつ行くって言うんだ! 俺はもうここに来ることはないんだ!」
「裁判に決着が着いたの?」
「ああ、夏休み中に、引っ越すことが決まったんだ! もう今日しかないんだ!」
地下通路に続く扉からの空気が、1階にいたはじめたちの鼻に鋭く攻撃していた。以前に感じたあのなんともいえない腐った匂いだった。
我慢に耐えながら地下へとはじめは降り立ち、リュックから武器になりそうなものとジャックナイフを用意した。柿谷に案内されるがままに右通路から奥へと入っていった。途中蜘蛛の巣があちらこちらに張り巡らされている。
正面に鉄の扉が拉げて壊れ、部屋の一部が見え始めた。
忍び足で部屋の前まで来た柿谷は小声で、はじめに呼びかけた。
「この部屋の中だよ! 気をつけて! 大蜘蛛がいることがある!」
数個の殺虫スプレーとジャックナイフ、そしてモデルガンの連射式のガス銃と大量BB弾を用意し、あたりを警戒しながら部屋へと入った。
そこには、柿谷の言うように人型に繭状に包まれているものがいくつも転がっている。中には繭状のミイラ化しているものもあった。
どうやら、大蜘蛛は、人間を糸で繭状にした後、時間を置いて生気を吸っているようだった。
繭を数えてみると市役所の職員の数名分と小学校の教諭、そして小さい繭が数個あった。
「誰か、生きている人いませんか?」
「誰か? 生きている人? いませんか?」
その声に反応したのか一つの繭がかすかに動いたのを柿谷は見逃さなかった。
「はじめ! この繭が動いた!」
直ぐに駆け寄るとジャックナイフで繭になった糸を切り「大丈夫か?」と声をかけた。
中からは、はじめたちと同じ年齢とみられる男の子がでてきた。柿谷はすぐに友達の一人であることに気づき、意識があるかを確認した。
「あれっ? かきたに……?」
「よかった! コミヤ、気がついたか」
「早いところここを出よう!」
「そんな、出られないよ……もうここで」
弱腰で恐怖に駆られた コミヤの表情は、絶望に満ちていた。もうすぐ、人食い蜘蛛の餌食にされてしまうという不安感だった。
「バカヤロウ! 絶対助けてやる! 早く立ち上がれ!」
巣を払い、部屋を出ようとしたとき、ミイラ化した繭から奇妙な音が聴こえてきた。
コミヤの泣き喚く声と共に、繭の隙間から蜘蛛が次々と出てくる。だが、小さいといっても通常見る蜘蛛と大きさが違っていた。通常は大きくても3センチ、5センチぐらいだが、繭から出てきた幼虫らしき蜘蛛は、体長だけでおよそ50センチはあった。そんなものに、集団で襲われれば、いくら大人でも毒で痺れて動けなくなってしまう。
小さい蜘蛛の集団は、人間の匂いを嗅ぎつけたのか、次々と溢れ出しはじめの方に向かってくる。
「どうするの?」
「こうなったら燃やすしかないだろ!」
「?」
「タカ、これで火をつけて放れ!」とマッチ箱を柿谷に渡すと、殺虫剤を蜘蛛の集団に向けて、吹きかけた。
「そうか、火で威嚇するんだな!」
「うん!」
「でも、そんなことしたら……」とコミヤのか弱い声が聴こえてきた。その後に続く言葉は、はじめには予想がついていた。そんなことをしたら、親蜘蛛がやってくる!と。
小さい蜘蛛たちは、断末魔のような悲鳴を上げ、燃えさかっている。
「今のうちだ!」
通路から巨大な脚の影が部屋から出る人間の匂いを嗅ぎつけ、近づいていた。
はじめは、そのことに気づき始めていた。もう『大きい箱』のことを忘れ、今は一刻も早く館から出ることを考えていた。しかし、館を出るには大蜘蛛を倒さない限り出られないのではないかと、覚悟した。
大人をミイラ化するぐらいの生気を吸い取るということは、バイオ化した巨大蜘蛛は、糸を巻きつかせる早さも早いに違いない、遭遇でもしようものならそれこそ命がないとそう思った。
1階に上がる階段の方角から、とても昆虫とは思えない奇妙な鳴き声が、狭い通路に響き渡る。それは、親が子たちに、怒りを露にする声や、号令の掛け声にも似ていた。
小さい蜘蛛の大群が階段を包囲していた。またたく間に灰色の通路が、茶色いじゅうたんのように所狭しと蜘蛛で溢れかえった。
絶体絶命のピンチだった。後ろの部屋からも蜘蛛が通路へと現れ始め、前からも溢れんばかりの蜘蛛の大群に、はじめたちは成す術がなく立ち往生する。
「はじめ、進退窮まったよ! どうするの?」
「……」
リュックからサッとはじめは、いろいろな花火を取り出した。花火に火をつけ、それを前方の蜘蛛の大群に放り投げると、スプレー缶をそれに向け吹き付ける。火はまたたく間に燃え広がり、周囲の蜘蛛たちを焼き尽くしていく。
「今のうちだ進め!」
花火に火をつけ更にスプレーを当てながら、花火を火炎放射器の要領で、その場の蜘蛛たちを焼き払い退けていく。やはり火が怖いのだろうか、後ずさりし蜘蛛は近づいてこようとしなかった。だが、スプレー缶の残り残量が少なくなりつつあった。
___持ちこたえてくれればいいが……
もうすぐ階段付近の扉に近いところだった。だが、正面には断固として、行かせようとしないであろう巨大蜘蛛が、阻んでいた。前足だけで数十センチあり、体長を推測する限り数メートルありそうだった。図書館で見た昔の《土蜘蛛》の類と似ているかもしれないと、とっさにはじめは感じた。
親蜘蛛は鳴き声を上げていた。それに萎縮しているのか他の蜘蛛たちは、親が来るや襲ってこようとはしなかった。しかも、意外なことに巨大な蜘蛛は、はじめをみるなり襲い掛かろうともしてこなかった。よくみると脚には赤いリボンが、巻かれていた。はじめはそのリボンに見覚えがあった。だが、どういう形で蜘蛛の脚に、あのリボンが巻かれたのか解らなかった。
「はじめ、今のうちに……早く」
扉を閉め、階段を登ろうとしたとき、扉板に書かれた意味がようやくわかった。
『扉をあけてはいけない』とそう書かれていたに違いないとはじめは思った。
1階にたどり着き、館から外に出た。すっかり雨が上がり、星空が見えていた。なんだか空気はすごくおいしく感じた。
持ってきたリュックの中身もほとんど使ってしまい、3人は学校の校庭から帰路に向かった。
家に帰ったはじめは、巨大蜘蛛に巻かれていた赤いリボンのことをずっと考えていた。
2年間、あの館に行かなかったことの本当の理由を、自分の心に封印しているように思えていた。
1人の少女が頭に浮かんできた。が名前は出てこない。この少女とあの館で一緒に遊んだ記憶がはじめにはあった。
1学期の終業式が終わり、はじめは母方の実家へと引っ越すことになった。もうあの館に行くことはその後なくなった。
結局、巨大な蜘蛛にリボンが巻きついていた謎も、あの大きな箱の中身も謎のままになった。そして、あの巨大な蜘蛛は、どうしてはじめたちを見逃したのか。
ただ、はじめは、あの館のことをきっかけにして大きな度胸と物事への信憑性を確かめることは、大人になるために重要だと、いうことを身にしみて感じた。
完
いかがだったでしょうか。
はじめは、小学校6年生を想定しておりますので、大人びた台詞と
度胸は、成人以上に逞しくしたつもりです。
変に謎めいたところがあったと思われますが、それはまた
違う作品で解決できたらいいなと考えています。
読んでいただいてありがとうございました。