75、衝撃
『隣のクラスの西野美樹ちゃんがね、赤下くんのこと、好きなんだって。律花ちゃんたち付き合ってないなら告白してもいいよね?』
――――小学生の頃の記憶なんて、もう消してしまいたかった。苦くて切ない…嫌な記憶。
「私のこと覚えてないかな?青島律花ちゃん」
――――笑顔で声をかけてきた彼女を、私はじっと見つめていた。
本当は、面影から何となく…――――“もしかしたら”と思い出しつつあった。だけど、無意識に…いや、記憶のどこかで―――それを思い出すのは止めろと警鐘を鳴らす自分がいた。
(だって――――…。)
高校生になってから数年ぶりにその名前を聞いていたから。――――しかも、頼の口から。
だから彼女の名前が、自然と頭に浮かんだんだと思う。
『律花も知ってると思う。―――西野美樹って覚えてない?小学校一緒だった』
(そう、――――だから、…知ってる。)
「西野さん…だよね?」
「わぁ、覚えててくれたんだ?同じクラスになったことがなかったのに。嬉しーい」
何だろう、喜んでいるような口ぶりなのに感情がまるで入っていない感じ。手を合わせて大袈裟にリアクションしてくれてるけど、敵意すら感じてしまうのは考えすぎだろうか?
「ちょっと話さない?」
西野さんに誘われて、廊下の踊り場にあるベンチ椅子に並んで座った。断る理由が咄嗟に出てこなかった私は大人しく従うしかなかった。
「ねぇねぇ、田端くんとお似合いだったのにどうして別れちゃったの?」
「――――え?」
何を話すんだろうと思っていた矢先、唐突にそんな質問を投げ掛けられた。しかも、無邪気に。
小学校が同じだったとはいえ、私は彼女と話すのは初めてだ。だから私達は一応“初対面”…な、はず。なのに、突然…――――何を言い出すんだ。
(普通、そんなこと聞かないよね……てか、聞けないよね?)
答えに困っていた私に、彼女はクスッと笑みを漏らす。こちらの顔を覗き込むように少し顔を傾けると、明るく染められた髪がさらりと流れた。すると、耳元のでかいピアスが目に入ってきた。
「まさかとは思うけど、頼が言ったこと真に受けたりしてないよね?」
「…ぇ?」
それは、さっきの質問よりストレートに胸に刺さった。
ちょっと待って。
西野さん、頼のこと“頼”って……呼んでるの?
そんなに、この子と仲が良かったの?
ショックで言葉が出てこなかった。
私以外の女の子が頼のことを名前で呼んだのを初めて聞いただけなのに、まるで私の知らない頼の一面を思い知らされたみたいだ。
―――――だけどそんなショックは、序の口だった。
「頼ね、貴女の事が好きだと勘違いしてるの」
「な……」
何言ってるの?
勘違い?
そう聞きたいのに、言葉が出てこない。
いや、これ以上は怖くて、聞きたくないからかもしれない。
(今聞くのは私の知らない頼のこと……ばかりだから。)
西野さんはそっと目を伏せると、思い出すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「頼は優しいから。“あの時のこと”ずっと気にかけてたよ…。“皆の前で貴女をフッてしまって、傷付けてしまった”って。」
「・・・・・」
頼は優しい。
そんなの、私だって知ってる。
私の方が、知ってるよ。
だけどその話は―――――…知らない。
「それに縛られて……頼は中学にいってもずっと苦しんでた。だからね、私――――隣にいてそんな彼のことずっと支えてきたの」
支えてきた?
西野さんが?――――頼を?
(嘘だ…嘘、そんなの、嘘…)
中学時代の頼を、私は知らない。
だけど、そんなのデタラメだって思う。
だってーーー信じられない、そんなの。
『好きでごめん』
頼が言ってくれたのが、真実だって。
そう、思ってるから。
『それでも隣にいてもいい?』
(ねぇ…本当は…―ーーー“勘違い”してたの?)
頼は優しいから。
あの時のこと、ずっと気にしててくれた。
だけどそれは、“好き”とかじゃなくて…。
考えれば考えるほど、私の心が悲鳴をあげてるのが分かる…。
(聞きたくない…っ、もう…やめて…)
悲しくて悔しくて、うつ向くしか出来ない私の横から、西野さんの声が響いて聴こえてきた。嘲笑うような、声が。
「あれ?頼から聞いてない?私、頼と付き合ってたの、中学の時。」
(―――――――頼が…?)
頭の中が、一瞬で真っ白になった。
うそ…、信じられない。
そんなはず、ない。
だって、言ってくれた。
頼は、私のこと好きだって言ってくれた。
(“俺が好きなのは、ずっと律花だけだから”って…言ってくれたんだから)
必死にその想いにしがみつこうと、都合の良いように思い込もうとする自分が、格好悪い。もう、息をすることさえ苦しい。
(頭の中、ぐちゃぐちゃだ…)
そんな私のことなんてお構いなしに、西野さんが容赦なく続ける。
「――――なのに、高校に入ってから頼はまた変わっちゃった・・・貴女と再会して思い出しちゃったのね、きっと」
(私の、せい・・・・?)
心の中でどんなに否定しても――――西野さんの言葉が全て正しいみたいに、上書きしていく。
「もう分かったでしょ?同情してるだけなの頼は、貴女に」
(同情――――…?)
ずっと好きだったって言ってくれたあの言葉も。
うそ?
ただの、同情だったの?
西野さんが、固まったままの私に微笑んで言った。
「だから、律花ちゃんからも頼に言ってくれない?“私はもう、気にしてないから”って。」




