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そろそろかな…と教室にかかっている時計を見ながら鞄に教科書を仕舞う。予習が終わった英語の教科書は机に仕舞い、私は席を立った。
教室には私一人で、静かなものだ。
暇潰しに声のする窓の外を眺めようかと窓際へと足を進めかけたところで、ガラリと教室の扉が開いた。
振り返ると、部活を終えた頼が扉に手をかけたまま立ち止まってこちらを見ている。
「おつかれー――って、…どした?」
思わずそう訊いてしまったのは、頼の表情があまりに暗かったから。
(部活に行く前はバカみたいに明るかったくせに。)
「部活で何か、やらかしたの?」
鞄を手に取り、冗談半分にそう言いながら教室を出ようとする私を、頼が通せんぼするように扉に手をついた。何?と顔を上げると、頼がどこか苛立っているような表情で私を見下ろしていた。
「…待っててくれたんだ?」
「“待ってて”って言ったの、頼でしょ?本当にどうした?」
待ってたことに関して怒っているわけではなさそうだ。だけど、なんで苛立っているのか分からない。
それに、そんなこと改めて聞いてくるなんて、やっぱり様子が変だ。
熱でもあるのかと手を伸ばして頼の額に触れてみたが、熱はなさそう。
「…笹野は?」
照れたのか口元を右手で押さえ、顔を背けながら頼が言った。私はその問いに、胸が苦しくなる。
(なんで……そんなこと訊くわけ?)
「…里桜なら、宿題写すだけ写して帰ったけど?」
そう。
里桜は先程まで一緒に教室にいたが、宿題を終えるとそそくさと帰っていった。――と言ってもつい五分くらい前のことだから、走ればまだその辺りを歩いていそうだけど。
そこまで言わなかったのは……――――私の心が狭いからだ。
「そか…」
そう言った頼が、なんだかガッカリしたように見えて、なんだかモヤッとしたものが胸に広がる。
(何なのよ…だから…)
だけど意気地無しの私は、それ以上訊けないでいた。
「――――律花、最近つらいこととか…ない?」
その帰り道、ずっと黙ったまま何かを考え込んでいた頼が、ようやく口を開いた思ったら、そんなことを言い出した。
ギクリとして息を呑み、私は慌てて薄っぺらい笑顔を作る。
「―――何、突然……」
訊かれた時脳裏をよぎったのは、クラスの女子達のことだった。彼女たちは私が頼といる前では露骨な態度をとらないから、頼は気付かないと思ったし、ーーー気付いて欲しくなかった。
里桜にも口止めしていたし、どこから頼の耳に入ってしまったのだろう?
そんなことを頭の中で巡らせ考えていた。
「あるんだ?」
やっぱりと言わんばかりの言い方に、私はすぐにムキになって答える。
「ないよ。ねぇ、何なのさっきから……」
「……っ、」
私に何か言い返そうと口を開いた頼が、ふっと力を抜いたように肩を竦めた。
「いや……ごめん、何でもない。」
(何でもないって表情じゃないくせに。)
だけど頼の表情から、これ以上は踏み込んで欲しくないんだと察して、私は話題を変えることにした。
「そうだ!明日席替えやるって」
「へぇ…――――え、席替え?」
「うん。やっと一番前の席から解放される!長かったぁ…!」
「律花の後ろじゃなくなるのか……やだな」
喜ぶ私の隣で、頼が拗ねたように小さく呟く。
「私は嬉しいけど」
「何でだよ、離れるかもしれないんだぞ?」
「だって私ばっかり見られててやだもん。私だって――――」
私だって、授業中の頼の顔とか見たいし。
横顔とか。
真面目に授業聞いてるところとか。
背後だと何も見えないんだから!
視界にすら、入らないんだから!
そう言いかけて、慌てて口を手で押さえる。
(バカじゃないの!?私、何をペラペラと…っ!!)
一気に顔に熱が集まって、湯気でも出ていそうな気がして益々顔を上げられない。
「“私だって”―――何?」
さっきまで元気がなかったくせに、意地悪な微笑みを浮かべた頼が、楽しそうに私の顔を覗き込んでくる。
「何でもない!」
「何でもないことないだろ?気になるんだけど」
「うるさい!てか、ニヤつくな!」
「ニヤついてない、こういう顔なんだよ」
「ッチ」
「あ、今律花、舌打ちしたでしょ」
「してない」
「した」
「しーてーなーいー」
うん。
やっぱり二人でいるなら、こんな感じが良い。
頼と私は、幼馴染みだから。
このままずっと一緒に…―――居たいから。
“彼氏彼女”よりも特別な存在で。
隣に居たいって気持ちは変わらない。
例えそれが、何かと引き替えだったとしてもーーーー。