66、嫉妬
「律花、部活行ってくるな!」
五時間目の授業が終わるとすぐ、後ろの席の頼が支度をしながら私に声をかけてきた。
「はいはい、頑張ってー。」
私は顔だけ後ろを向き、素っ気なく答える。
「待っててくれる?」
「え、また?だって今日当番なんでしょ?」
「マッハで片付けるから、待ってて!」
「もー、分かったから、はよ行きな」
私が片手をヒラヒラと振ると、頼が目をキラキラさせて笑った。
最近いつも思う。
頼はーーーー毎日とても……充実している。
(ーーーーリア充かよ、頼は。)
頼が教室から走って出ていくのを見ながら心の中でボヤく。
あっという間に日々は過ぎていき、じわじわと暑くなり始め、6月も終わりに差し掛かっていて。
夏服にもなり、ようやくそんな頼の姿にも目が慣れてきたところだった。というのも、夏服の頼がいつもより五割増しに見えてしまうのだ。
多分、今まで自分で気が付かなかっただけで、きっと夏服フェチだったんだ、私は。
(―――ってバカ。何考えてんだか…。)
「あれ赤下は?もう部活?」
自分の思考に呆れているところに、里桜が帰り支度を終えて私の席にやって来た。
「うん、今日当番なんだってダッシュで行った」
頼の所属しているバスケ部は、マネージャーがいないらしく一年生が当番制でマネージャー業務をしているらしい。
「で、律花は今日も待ってるの?」
私の後ろの席から頼の椅子を引きずってくると、里桜が私の机の前に椅子を置いた。そして座ると私の机に頬杖をついて上目遣いにそう訊ねる。色気のあるふっくら艶やかな唇がきれいに弧を描いている。
私が男ならイチコロでやられている。いや、私でなくても男ならやられてるはずだ。
「先帰っててもいいよ?里桜、今日ピアノじゃなかった?」
私はそんな可愛らしい里桜の表情から視線を落として、今日の英語の翻訳の宿題を続けながら言った。
「大丈夫!今日じゃないよ、明日だもん。」
「そう。」
「仕方ないなぁ、付き合ってあげるよ」
「頼んでない。ってかそう言いながら私の宿題写そうとしてない?」
「あ、バレた?」
エヘヘと笑うこの子は、本当に天然小悪魔だと思うんだけども。心の中でそんな事を思っているときだった。
「青島さん、」
「ん?」
名前を呼ばれて顔を上げると、クラスの女子が立っていた。
「これ、先生から渡しといてって頼まれてたの。」
「あ、ありがとう」
「―――うん、じゃ。」
素っ気なくそれだけ言うとその子は私から離れていく。
たったそれだけのことなのに、…胸が、痛い。
「目、合わせてくれなかったねぇ」
「うん……」
立ち去る女子を目で追いながら言った里桜の言葉に、私は静かに頷く。
何でもないみたいに、必死で宿題の英文を目で追う。
だけど心の中はズキズキと痛いままだった。
(こんなことになるなんて……――――)
ーーーーここのところ、私はクラスの女子たちから少し距離を置かれていた。
原因は、私と頼の関係にあるらしい。
頼の気持ちを知っていながら友達として隣をキープしてる、とか、頼のことは“好きじゃない”って言ってたのに……とか。
噂はさまざまだけど、悪いのは全て私で、頼はそんな悪女に振り回されてる可哀想な幼馴染み。
香織みたいにすんなり受け入れてくれる人ばかりじゃないってことを、私はここ数日で実感した。
(ただ、隣にいることさえ……許されない…?)
直接何か言ってくる人はいないけど、“里桜みたいに華やかな容姿でもない平凡な私なんかが”って思われてる気がして。
自分に自信がないから、周りの反応にいちいち傷付いている。
“頼は目立つし、モテる。”
高校に入ってからこの事実を何度、痛感したら良いんだろう。
(しかも最近、やけに機嫌も良いし!周りにもやたら親切になってるし!愛想ふりまき過ぎっ!!)
ポキッとシャープペンの芯が折れて飛んだ。
「わー、律花ちゃんが荒れてるー」
「荒れてません、芯が弱くて折れただけです!」
カチャカチャと新しい芯を出しながらそう答えるとなぜか里桜は苦笑した。
そして声を潜めると、言った。
「それにしても、女子の嫉妬って怖いねぇ」
「“嫉妬”って・・・」
「嫉妬でしょー。赤下の隣は律花だけだから、皆羨ましがってるんだってば、きっと。」
「・・・・・」
返事に困って、私は聴こえないふりをして教科書に視線を戻す。すると、痺れを切らしたように里桜が言った。
「もうさ、言っちゃえば?“彼女です”って。」
違う。
私は“彼女”じゃない。
(“彼女”だなんて…ーーーーそんな・・・。)
「――――簡単に言わないでよ……」
喉がぐっと詰まって小さな声になる。
「もぉ、ほーんと律花は素直じゃないんだからぁ」
可愛らしく頬を膨らませて、わざと冗談ぽくしてくれた里桜に私は少しだけホッとした。
頼の気持ちを疑ってる訳じゃない。
気持ちが離れていくなんて、思ってない。
(今……私が逃げてるのは――――。)
「触れられるのも、無理だし……」
「へ?なにそれ?」
私の独り言を、里桜が拾う。
『それでも、隣にいてもいい?』
頼が私を抱き締めたあの瞬間が脳裏から離れない。
頼の腕の中にいた自分ーーーーすっぽり包み込まれて、身動きがとれなくて。
頼ってこんな立派な体つきになったんだ…とか…一人の男として、頼を感じてしまって…ーーー。
(って!!わわわ私!!なに思い出してんのバカ!)
身体の体温が一気に上昇して、熱い。今里桜に顔を見られるのだけは死守しようと、うつ向いて宿題をしている素振りを続ける。
「え?じゃあ手を繋ぐのも?」
「なっ!なんで私が手なんか繋がなきゃならないわけ?」
突然変なこと聞くから、声が裏返ってしまった。
変に鼓動が早い。
だけどそんな中里桜はさらに訊いてくる。
「じゃあ、キスをするのも無「絶対無理!死んでしまうわ!」
私は食い気味にそう答えていた。
そんなことされたら、心停止して倒れる自信ある。
ていうか、妄想させないで!本当に勘弁して!
「律花ちゃん?さっきから顔真っ赤、だよ?」
里桜が満足気に笑ってそう言ってきた瞬間、からかわれていたことに気付いたのは言うまでもない。