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「それでね、遥ったら夏休みまで帰れないって言うのよ酷いでしょー?」
夕方になり、再び頼が我が家へやって来て三人で食卓を囲む。と、母が夕御飯を食べながら、兄の話題を出した。というか、愚痴だけど。
「大学入ってから全然帰って来ないのよね」
兄の遥は、大学に進学して以来全く家に帰ってこなくなった。元々父は仕事で夜遅い人なので、夕御飯は私と二人のことが多い。
だから今日は頼がいるからか、やたらテンションが高い母。うるさいなと思いつつも、母が居なかったら私も気まずいので、今回は口を出さず黙々と夕食を口にしていた。
「遥くんて、確か今大学院生でしたよね?」
「そうなの。あんなのんびりしてて本当に来年から社会人になれるのかしらねぇ…」
「っていうか、本当に大学院行ってんの?実は大学も行ってなかったりして」
母と頼が会話している横から、何気なく口を挟む。すると、母が私の方を向いて肩を竦めた。
「律花ったらなんてこと言うのよ縁起でもない。まったく、……昔はお兄ちゃんお兄ちゃん言って後つけ回してたくせにすっかりひねくれちゃって。遥に会えないのが、そんなに寂しいの?」
ちょ、ちょっと!言い方!
それじゃまるで私がブラコンみたいに聴こえるじゃない!!
「んなわけないでしょ!?だいたい、つけ回したりなんか、してないし!」
慌てて否定しながらチラっと目の前の頼を見た。
だけど頼は、とくに気にしていないようだった。
「あ、ご馳走さまでした。」
ご丁寧に手を合わせ頭を下げると、そう言っただけだった。
「いえいえお粗末さまでした。あ、頼くんデザートにアイスどぉ?」
「え?良いんですか?いただきます!」
母と頼の会話を聞きながら、(またアイス食べんの?)などと心の中でツッコんでいた私は、次の母の発言に耳を疑った。
「良かった!じゃあ、あとで律花の部屋に持っていくわね」
「「え。」!?」
ゲッに近い私の「え!?」と頼の唖然とした「え。」が同時に放たれた。
母は私の方を振り返りキョトンとした顔を向けて言った。
「え、なに。食べないの?律花は」
「いや、食べるけど…なんで私の部屋よ?」
「ダメ?なんか見せられないものでもあるの?」
「いや、別にないけど…」
「じゃあ良いでしょ?ほら、ここは私が片付けるから部屋行った行った」
なぜか食べ終わるとすぐに追い出された私と頼。
仕方なく私の部屋に行くことになった。
(―――お母さん、絶対おかしいってコレ!)
尋常じゃない動悸が、私をより動揺させる。
娘の部屋に二人きりさせるなんて、うちの母は何を考えてるのっ?
って――――私がもしあの場で言ったとしたら、絶対「律花こそ、何考えてるの?」って言い返されるに決まってる。
(本当に……何考えてるの、私は……)
意識し過ぎだ。
幼馴染みだから。
ただの、友達だから。
そんな言葉が、通用しないところまで来てしまってる。
(さっきだって…お母さんが帰ってこなかったら……)
階段を上がりきったところで無意識に唇に指が触れる。
もしかしたら、頼の唇がここに触れていたかもしれない。
(って!!!お、思い出してどうするっっ!??)
私に続いて部屋に頼が入った瞬間、私は自分自身にそんなツッコミを入れていた。
「律花、」
頼が後ろ手でドアを閉めると、すぐ、声をかけてきた。
「・・・な、なに」
顔が赤くなっている気がして、頼の顔を見ることが出来ない。
とりあえずベッドに座ると俯いたままの私に、頼は立ったまま口を開いた。
「そういえば昼間の答え、はぐらかされてたなと思って。」
「昼間の…、って?」
「“なんで田端くんと別れたのか”、ってこと」
ドキンッと心臓が激しく跳び跳ねた。
(そ、それ今聞く?)
私は困惑して頭の中で、なんて説明しようか考えていた。
告ってしまえば、楽になるって分かってる。
まわりくどいことを全部取っ払って。
“ただ、頼が好きだから。”と。
(だけど、私がそれを口にしてしまうと――――付き合うことに、……なる?)
「…………」
口を閉ざしたまま、俯いたまま、私はただ…ずっと逃げ道を探していた。付き合わなくても頼とずっと、仲良くしていられる最善の道を。
なんて伝えよう。
どう言えば、分かってもらえるんだろう。
付き合いたい訳じゃないの。
ただ、隣に居たいだけじゃ、ダメ?
頼の反応が怖くて、言葉が出てこない。
そんな私に、頼は優しく話し出した。
「律花、田端くんといるときはだいたい笑顔だったし、なんか表情とか柔らかかったし。…だから…悔しかったけど、でも…“二人なら”って。俺は身を引こうと思ってたよ。」
“身を引こうと思ってた”―――その言葉が胸に突き刺さった。
「だけど別れたって、聞いて。――――正直、嬉しくないと言ったら嘘になる。ホッとしたのも、ある。だけど、それよりも。――――なにが原因で別れたんだろうって。」
納得いかないんだ、と頼が私をじっと見つめる。
本当に、私を心配しているかのように――――…。
「昼間もあんな仲良さそうにしてたろ……?」
(頼―――…)
そして気付けば私も、いつの間にか頼を見つめ返していた。
「なぁ。…理由、聞いたらダメ?」
ベッドに座ったままの私の前にしゃがみこんで、頼が上目遣いに私を見つめる。
あの頃の頼は、ここにはいない。
頼は、変わったんだ。
今はただ、真っ直ぐ…気持ちを伝えてくれている。
幼い頃のように、真っ直ぐ。
(なのに……私は――――…)
「……私、」
正直に、話そうと思った。今の頼は、私と真っ直ぐ向き合ってくれている、向き合いたいと思ってくれている。
きっと…受け止めてくれる。
――――だから。
(私も、話そう……)
「私、戸惑ってる……。あんたとの距離が……分からなくて。」
勇気を振り絞って、声に出す。少しだけ声は小さくなったけど。でも、自分の気持ちをちゃんと言葉にする。
「田端くんのことは、好きだよ。好きだと思ったから付き合おうと思った。だけど……」
だけど田端くんの“好き”と、私の“好き”が違うことに、最初から気付いていた。気付いていたけど、私はそこに逃げ込んだ。そうしてまで、頼から逃げようとした。そうしたら、少しは心が落ち着くと思ってた。
「だけど、……私の頭の中にはずっと。……いつも、頼がいるから、」
そう。
そんなのは全て、無駄な抵抗だった。
私がいつも意識しているのは頼で。
頼にばかり、心は反応をして。
ドキドキして息が苦しくなるのも、嫉妬して胸が痛くなるのも、笑顔に締め付けられるような喜びを感じるのも………“頼”にだけ。
感情が昂って、涙腺が緩む。
「うまくいくわけないじゃんっ。……頼がいる限りうまくいくわけない。」
(これじゃ告白じゃなくて、まるで文句みたいじゃない……。)
ああ……上手く伝えられない。
なんてひどい言い掛かりなんだ。
どうして私はいつもこうなんだ…。
「ごめん…」
俯いて、自己嫌悪に陥りかけた私に、頼が小さな声で謝った。
(え?なんで―――…?)
「好きでごめん」
苦しそうな、切なそうな、そんな声色で。
「頼、違…っ」
私は思わず、顔を上げていた。
違うから。頼が謝るのはおかしいから。
私が勝手に……頼を好きになっただけなのだから。だから―――…謝らないでよ。
そう、続けようとした言葉は全て、頼の胸の中で溶けた。
(………え?)
「律花…、」
私を腕の中に大切そうに抱き締めて、頼が言った。
「それでも隣に、居てもいい?」