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女子の宿泊部屋の廊下に差し掛かると、里桜は私の手を離した。ここなら人も通らないからだろう。そして私の方を向くと苛立つように口を開いた。
「律花……相手が違うでしょ、律花が本当に好きなのは「ーーなんで?」
里桜が言い終わるより先に、私は里桜に問い掛けていた。ーーーー単にその先の言葉を聞きたくなかったからかもしれない。
「え……?」
「どうして里桜はそんなに“田端くんはダメで、頼にしろ”って言うわけ?」
「田端くんがダメとは言ってないよ。ただ、律花の気持ちも赤下の気持ちも、私は分かってるから」
ーーーー“分かってる”?
私の気持ちも、…頼の気持ちも?
里桜にまっすぐ見返されて、なんだか本当に見透かされてる気がした私は、気まずくなって目をそらした。
「赤下のこと、好きなんじゃないの?」
「ーーーー…そ、れは…」
追い込まれるような質問に、私は言葉を呑み込んだ。
頼と再会してからずっと、頼のことばかり意識してる自分に気付いてる。
だけど踏み出せないで逃げてばかりいる。
「なんで付き合わないの?両想いなんだよ?」
里桜がそう息巻くけれど、私はそれに頷けずにいた。
「だって、田端くんをフるなんて出来ない…」
「なにそれ、同情?同情で付き合ってるの?」
(同情……?)
そんなふうに言われると思わなくて、里桜を睨む。
「違う、そんなことない!」
「律花は赤下と向き合うのが怖いだけでしょ?」
痛いところを突かれて、私は押し黙る。すると里桜が静かに続けた。
「小学校のときのあれをまだ引き摺ってるから?」
「違う…」
“違う。引き摺ってなんかない。”
そう口に出して否定してみても、正直な心はズキズキと痛む。
(本当は、ずっとトラウマで…ーー今もずっと私の心に引っ掛かってる。)
「違うならなんで、」
理解できないというような表情で、里桜が私に訊ねる。私は言おうかどうか少し悩んで、それでも里桜には正直に話すことにした。
「ーーーーた、大切だから…」
自分の気持ちを否定されるのが怖かったのか、聞かれるのが恥ずかしかったのか、私の声はすごく小さくなっていた。
(頼のことが大切だから……付き合いたくない)
喧嘩する度に頼との別れに怯えたり、いつか頼が他に好きな人ができてこの恋が終わるくらいなら。
(何も、始めたくないんだ…)
だからずっと友達として隣にいたい。
異性としてではなく、友達として仲良くしたい。
(こんなの間違ってるのかもしれない…。だけど、)
私の中で頼はずっと大切な存在で。
二度と離れたくないからこそ、踏み込んでしまいたくない。
「じゃあ妥協ってこと?」
「え?」
里桜の言葉に顔を上げると、里桜は嘲笑うように言った。
「田端くんで妥協してるわけだ、律花ちゃんは」
「そんなことないってば!!」
カチンと来てそう言い返していた私は、心のどこかで図星だと思っていたのかもしれない。だけど自分の気持ちを正当化しようと、必死になっていた。
「里桜には分かんないよ!」
そうやって言い逃れようとした私の言葉に、里桜の表情が曇った。
(突き放すような言い方で里桜を傷付けた?)
言い方が悪かった、そう謝ろうと口を開きかけた時、絞り出すみたいに掠れた声で、里桜が言った。
「………分かんないよ、」
里桜の表情はうつ向いたままでよく分からなかったけれど、なんだか悲しそうに聴こえて私は顔を覗き込む。
「…里桜?」
「分かんないよ、お互い想い合ってるのに付き合わない律花の気持ちなんか、分かるわけないじゃない!!」
いつになく声を荒げて感情を剥き出しにしてきた里桜の迫力に圧されて、私は何も言えなくなった。
こんなふうに喧嘩をしたのは、里桜と出会って初めてのことだった。
(…里桜………)
「・・・・・」
「・・・・・」
お互い黙ったまま、気まずい空気だけが流れた。里桜の大きな声を聞き付けてか、廊下を覗き込む女子もいて私はその場を離れることにした。
「…部屋、戻る」
私はそれだけ言うと、自分の部屋に戻った。
里桜のことがよく分からなくなって、そんな自分が情けなくて、モヤモヤした気持ちを押し込めたまま私はその日眠りについた。