宿の部屋と食事
フローリアに導かれ、『穏やかな夕辺亭』と看板に書かれた宿屋に着いた。だがしかし、その受付けでは今、ちょっとした問題が起きていた。
「ですから、あの。シングルは空いていなくてですね……。ダブルがひとつ空いている以外は、すべて埋まっておりまして……」
その場で、3人の人間が困っていた。宿屋の受付けをしている40代か50代の女性――おそらく女将だろう――と、浩一とフローリアであり。その原因は、宿屋の部屋が一つしか空いていない、という現状だった。
宿屋としては、実際にその部屋以外空いていないのであれば、それはもうどうにもならないことである。
浩一からすれば、モロに好みのタイプの女性と同じベッドで眠れるかもしれないなんて諸手を挙げて歓迎したいラッキーハプニングだが、今日会ったばかりの相手にそこまで曝け出すわけにもいかず、我慢するしかない。
そしてフローリアから見れば、本来ならばそれほど困ることでもない。17歳の少年など、フローリアからすればただの子供である。本来ならば。
しかし、自分と一緒にいるコーイチという少年は、倍近い年齢の自分にスケべな目を向けるような少年だ。ダブルベッドで寝るということは、そんな少年と床を同じにするということで――――
悩むフローリアの姿を見て、浩一は溜め息をついた。これはどうやら同じベッドで寝るのは諦めねばなるまい、と。
「あの、俺は床で構わないんで、シーツかなにか貸してもらえますか」
その言葉に、あからさまにホッとする女将。だがしかし、フローリアがそれを良しとしない。
「待ちなさいよ。子供を床で寝させておいて、私がベッドで寝るっていうのは、ちょっと……」
確かに体面が悪いだろう。しかしそれなら、どうしろと言うのか。浩一は少し面倒くさくなってきていた。
「そう、そうよ。相手は子供なんだから、気にするのが間違ってたのよ。……女将さん、私とこの子は同じベッドでいいわ。だから、シーツはいらないわ」
なにかを吹っ切るようにそう言い切るフローリア。浩一は、やれやれと呆れたような表情を浮かべながらも、内心は歓喜で溢れていた。この美女と同じベッドで眠れるのだ、と。
それを受けた女将は、それでいいなら、とあっさり了承してくれた。というより、それ以外を求められても困るだけだからだろう。
「さ、部屋に行きましょうコーイチ。これからのことも話し合いたいし」
なんでもないように振る舞うフローリアについて、部屋に向かった。
* * *
部屋は、質素だが雰囲気の良い部屋だった。新しくはないが清掃が行き届いており、窓際の花瓶に活けてある花がほのかに良い香りを漂わせている。
壁際に設置されているベッドは、ダブルベッドなのでやはりかなり大きい。思わずそのベッドを凝視しそうになるのを、意志の力で抑え込んで目を逸らす。
「えっと、それで。これからって?」
二つ並んでいる椅子の一つを引き寄せて、それに座りつつ訊ねる。
「言葉通り、これからのあなたと私、それぞれのことよ」
答えながら、フローリアは腰に差していた短剣を鞘ごと外し、ベッド脇の机の上に置く。そしてベッドの上に座りながら、話を続けた。
「まず。あなたには命を救ってもらったお礼として、この宿の宿泊料を10日分、あとで女将さんに払っておくわ。街への案内とギルド・宿の紹介にそれをプラスして、十分借りを返したことになると思うんだけど、どうかしら。これなら、あとはここから先の生活費やらなんやらは、あなたが自分で冒険者ギルドでの依頼をこなすことで稼げるでしょう?」
と、その話を聞いて、浩一はあることに気付いた。
「そういえばさ。ギルドで依頼受けたりするのって、どうするんだ? さっき登録したとき、なんの説明も無かったよな」
浩一がそう聞くと、フローリアは「あ」とだけ声を出して一瞬固まった。が、すぐに気を取り直したのか、話し出す。
「……本当はカードを作った後に受付けが説明してくれるんだけど。私がコーイチをさっさと連れ出しちゃったから、その暇が無かったのね。もしかすると、私が代わりに説明するかも、とも思ったのかもしれないし」
「それっていいのか? 間違ってたり悪意ある教え方されたりしないよう、ギルド側がきちんと説明しなくちゃいけないようなことだと思うんだが」
「そうね。王都だとか、都会のギルドなら有り得ないわ。でもここ、ぶっちゃけ田舎だし。ギルド員へのその辺りの教育が甘いのかも」
その言葉に、浩一は納得してしまう。現代日本でも、都会では有り得ないようなことがド田舎では罷り通ったりする。そういったことには日本も外国も地球も異世界も無いのかもしれない。
「しょうがないから説明するわね。ギルドに入ると、壁に依頼の内容が書かれた紙が貼られているの。それを剥ぎ取って受付けに持っていって、ギルドカードと一緒に提出するだけで依頼を受けられるわ。面倒な手続きはギルド側で全部やってくれる。ただ、最初のうちはあまり危険度の高い依頼は受けられないの。で、駆け出しの冒険者が誤って危険な依頼を受けないように、冒険者と依頼にはそれぞれランクが存在するんだけど……コーイチ、あなたのカードを見てみなさい」
言われた通り、ポケットに手を突っ込んだ振りをしてインベントリから取り出したギルドカードを見てみる。
名前:コウイチ 年齢:17歳
レベル:1 ランク:1
スキル:
剣術 光魔法 召喚魔法
どうやら、登録時に書いたことしか記載されていないようだ。
「私にはなんて書かれてるか読めないようになってるけど、あなたには書いてある内容がわかるでしょ? あのスキャナっていう魔導具の効力でそうなってるらしいんだけどね。で、だけど。登録したばかりだから、当然ランクは1って書いてあるでしょ?」
その通りなので無言で頷く。
「ランク1の冒険者は、ギルド側がランク1と定めた依頼しか受けられないの。つまり、自分の冒険者ランクと同じ数字のランクの依頼までしか受けられないわけ。その規則を徹底することで少しでも冒険者が……死んでしまうのを無くそうとしてるのね。これは絶対で、例えあなたが魔剣使いだろうと同じことよ」
「なるほど……」
「で、そうやって自分に合った依頼を受けて、依頼の内容に記された条件を満たすことで依頼を達成したと認められ、基本的にはギルドを通して報酬となるお金をもらうわけ。もっとも、ランクが低いうちは高が知れてるけど」
「そのランクって、どうすれば上がるんだ? ていうか1からいくつまであるんだ?」
「1かは10までよ。依頼達成時に、報酬と一緒にランクポイントというものが与えられるの。形あるものではなくて、そのギルドカードにポイントが溜まっていくんだけど。それが一定値に達すると、ランクアップ試験っていうのを受けられるようになるわ。そしてそれを合格すれば、ランクが上がるの」
「へー……このカードに、そんな機能もあるのか」
手に持ったカードに視線を向ける。異世界の身分証明書は、意外とハイテクな一品のようだ。
「ただ、ポイントはそう簡単には溜まらないし、ランクアップ試験だって易しいものではないわよ。しばらくはランク1で頑張ることね」
そこまで説明を聞いて、思わず浩一は首を傾げてしまった。
「? どうかした?」
「いや……そうやって苦労してランク8になったんだろうに、どうしてフローリアはあんな如何にも怪しい連中にあっさり騙されたのかなって」
「ぐっ」
一瞬うめいたが、すぐに話し出す。
「……色々あって、焦ってたの。あいつらを完全に信用してたわけではないけど、それでも藁にもすがる思いで、つい……」
そこまで話して、うつむくフローリア。椅子から立ち上がり、その肩を叩く浩一。
「……ま、さ。誰にでも失敗することはあるだろうし、フローリアの場合は偶然とはいえ俺が通りかかったから結果として問題はなかったわけだし。反省してるんなら、もうそれでいいんじゃないか」
浩一がそう言って慰めると、ちらりと顔を見返してきて、フローリアは吹き出した。
「んもう。ランク1のくせにランク8を慰めるなんて、生意気」
言いながらも、その顔は苦笑している。
「そう……そうね。焦って失敗したのは事実だけど、助かったんだからいつまでも気落ちしてられないわよね。ありがとうコーイチ、少し気分が楽になったわ」
そう返すフローリアの表情は、先ほどまでより少しだけ晴れやかなものに見えた。
その後は、ギルドの仕組みや依頼について、細々としたことを聞いているうちに夕食の時間となった。フローリアに連れられて部屋を出て、宿の食堂に来る。
「さ、食べましょう。今日は早く寝ないと」
テーブルに並べられた料理。運んできた女将は「茹でオーク定食です」と言っていたそれは、豚肉のように見える肉を茹でたものとそれに付けるための黒い――醤油ではないタレと、黒くて硬そうなパンと、明らかにぐちゃぐちゃになるまで煮られた野菜が浮かんでいるスープ。それだけだった。
「…………」
現代に生きる日本人の感覚としては、不味そうにしか見えないし、貧しそうにしか見えない。こっそりフローリアに聞いてみたら、この食事だけを食べに来ると50ゴールドらしい。つまり日本円で500円。
「コンビニでおにぎり2つとペットボトルのお茶1本のがまだ……」
食べてみると、予想した通りにとても満足出来ない味だった。
豚肉のように見える肉は、まさに豚肉そのものだった。ただし、茹ですぎたのか赤身はボソボソで、それでいながら脂身はベタベタと妙に脂っぽく、胃もたれしそうだ。
黒くて硬そうなパンは、黒くて硬かった。だからといって現代のハード系パンのように噛み締めたら甘味が出てくるわけでもない。本当に、ただ黒くて硬いだけ。ついでに、口中の水分を根こそぎ持っていかれた。
そしてスープ。ぐちゃぐちゃに煮られた野菜がとても気持ち悪い食感だ。否、柔らか過ぎて食感が無いと言ってもいい。しかもダシらしきものはうっすらとしか出ていない。おそらく、煮過ぎてダシの風味が吹き飛んだのだろう。そこにこれまたうっすらと塩味が付いているだけ。
「なんてことだ……」
これは、世界中でこうなのか、それともこの国だけなのか、はたまたこの街だけなのか。
少なくともこの食事は、確実に不味い。日本人の口にはまず合わないだろう。
「く、両足を使って料理ネタのゲームもやっていれば……!」
足を使ってのゲームプレイはまだ修行中だったことが悔やまれる。
だが浩一は、食べないよりはマシだと、なんとかその食事を食べきった。パンをスープに浸すことで、その2つを同時に片付けることはそう難しくなかった。が、豚肉に付ける黒いタレはどうやら魚醤のようで、肉に生臭いタレを付けて食べるという食事には辟易としたが。なんとか必死に飲み込んで、胃袋に収めたのだった。
「料理系か、食材系のスキル持ち日本人っているのかな……」
そう心の中で呟く浩一の目は、俗に言うレイプ目であったという。
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