スライムを従属させてみる
浩一の目の前に、半透明のゼリー状の魔物がいる。色は青く、目・耳・鼻・口は無い。弱く吹く風に合わせて、その体がかすかに揺れる。
これはアレだ。RPGにおいて代表的な、多くの日本人ゲーマーにとって最弱の雑魚モンスターと認識される、アレ。つまりスライム。
草原を歩いていたら、目の前にそれがいたのだ。浩一に気付いているかどうかはわからない。
「……とりあえず、腕試しにはちょうどいいかな?」
言いながら魔剣ヴィゾフニルを抜く。美しい刀身が陽の光を反射して煌めいている。
「せいっ」
掛け声とともに振り下ろすと————剣はあっさりとスライムを両断し、さらに刀身から発生した光の刃のようなものがその後ろの地面に斬り跡を付けながら飛んでいった。斬られたスライムは、その光の刃が発したエネルギーの影響で瞬時に消滅してしまっている。
「うん、明らかにオーバーキルだな!」
にこやかに、努めて明るく言う浩一の頬を、冷や汗が伝う。笑顔が引きつるのを隠しきれていない。
実はある程度戦ったところで、スライムを仲間にするために『魔物従属』を使うつもりだったのだ。それなのにこれでは、強さを見せるどころではない。スライムがこちらの力を見る前に消滅してしまうではないか。
「……次のチャンスがあったら、素手でやるしかないか…………ん?」
歩きだそうとして、スライムが消滅した跡になにかが落ちているのに気付く。さっきのスライムと同色の、球形のなにか。
「なんだこれ?」
手に取り、凝視する。すると、自分のスキルを見た時のように『スライムコア』という文字がポップアップ表示された。
「へえ、こういうのもわかるのか。便利でいいな」
スライムコア:スライムが形を保つために必要な核。水溶性で、これが溶け込んだ水は薬草などの効能を高める効果がある。他のスライムが取り込むとステータスが上昇する。
「いわゆるドロップアイテムか。売ったり出来るかもだし、インベントリに入れておくか」
スライムコアを手に持ったまま、インベントリに入れることを念じる。すると一瞬で手の上から消えた。試しに自分のインベントリを開いて見てみると、きちんと「スライムコア 1個」と表示されている。
それに安心し、インベントリを閉じた。
* * *
十分ほど歩いたところで、またスライムがいた。先ほどの個体と同じように、浩一の存在に気付いているのかいないのか、それすらも判然とせずに風に揺れている。
同じ失敗を繰り返さないように、まずは『魔物従属』を使うことを意識する。そうすると、浩一の視界の中で一度だけ対象のスライムが輝いた、ような気がした。
「よし」
小声で呟いて、拳を握る。今度はさっきのような失敗はしないようにと心掛け、魔剣ではなく拳で戦うことにする。
『魔物従属』の使用はあれでいいはず、と考えながら、漫画かなにかで見たボクシングのファイティングポーズをとる。ジャリ、という砂を踏む音。
その音に反応したのか、スライムは突然、ギュッと身を縮こまらせた。
「ん? なん————」
次の瞬間、スライムはその身体を限界まで細く鋭くし、勢いをつけて浩一の胸元めがけて突っ込んできた。
「ぐお!?」
驚きのあまり、声をあげてしまう。が、痛みは無かった。ちょうどプラチナスケイルブレストで覆われている部分にぶつかったからだ。
「な、なんだ今の……攻撃か? 俺を敵と判断して……」
ならば、と浩一も覚悟を決める。驚いて思わず解いてしまったファイティングポーズをもう一度とり、その体勢からパンチを放つ。低い位置——地面にいるスライムに向けて、振り下ろすようなパンチを。
潰れた。カラーボールを地面に叩きつけたらこんな風になるんじゃないだろうか、という感じに。
「えっと」
手加減はしたはずだ。攻撃の意思自体は本気だったが、一撃で殺してしまわないように腕に込める力を少し抜いて……。なのに、これだ。
「当然、これって失敗だよな」
従属させようにも、そのスライムは潰れている。それはもう盛大に。ただの粘液と化した状態だ。これでは……と、そこまで考えたとき。
潰れて飛び散ったスライムだったものが、先ほどと同じく輝いたような気がした。そして更にそれをそのまま見ていると、巻き戻し映像のように飛散したはずの粘液が一ヶ所に集まっていき、スライムそのものの姿になった。
「……復活した?」
じっとそのスライムを凝視していると、突然スライムのステータスが表示された。
名前:
年齢:0 レベル:1
主:コウイチ・アシハラ
STR:2 VIT:2 DEX:1
AGI:3 INT:1 MND:1
スキル
融解:LV1 吸収:LV1
「弱っ!?」
そのパラメータのあまりの低さについつい声を上げてしまう。
が、それよりも。すぐに表示の中にある「主:コウイチ・アシハラ」に目を奪われた。
「これは……従属に成功した、のか? その場合、殺しちゃっても復活する、みたいな……?」
恐らくそうなのだろう、と答えを出す。手加減のコツをまだ掴んでない浩一には嬉しい仕様だ。
「名前は無いのか。……まあ、野生だろうからな。無くて当たり前かもな」
少し考えて、ポンと手を叩く。
「よし、お前の名前はシュナイダーだ。カッコいいだろ?」
浩一がそう言うと、スライムはその場で何度か跳びはねた。喜んでくれているのだろうか。もう一度ステータスを見てみると、「名前:シュナイダー」となっている。名付けに成功したようだ。
「しっかし弱いなぁ、お前。このままじゃ戦いの役には……あ、そうだ」
そこで浩一は、自分が持っている餌のことを思い出し、インベントリから極上特殊餌を取り出す。なんだか犬用のカリカリみたいな見た目だ。
「ほら、食べろ……食べれるか?」
シュナイダーの目の前に放り投げて与えてはみたが、そもそもスライムが食べて大丈夫なのだろうか? それを失念していたことに今更気づく浩一。
が、それは杞憂だったらしく、シュナイダーは極上特殊餌に跳びかかって覆い被さると、それを少しずつ溶かして吸収していく。半透明な体の中で、極上特殊餌が小さくなっていく。
「おお、これが溶解と吸収か。ちょっと面白いな」
極上特殊餌が完全に消えてなくなるのを見届けたあと、もう一度シュナイダーのステータスを見てみる。
名前:シュナイダー
年齢:0 レベル:1
主:コウイチ・アシハラ
STR:9 VIT:11 DEX:44
AGI:25 INT:7 MND:6
スキル
融解:LV2 吸収:LV2 解錠:LV3
罠解除:LV3
「……なんかシーフみたいな構成のパラ上昇とスキル獲得だな」
カリカリを食ってシーフになるスライム。わけがわからない。
「とはいえ、この世界にダンジョンとかあったらすごく助かりそうな成長だ。すごいぞシュナイダー」
そう褒めてやると、シュナイダーはその場で何度も跳びはねた。浩一はそれを、喜んでいるのだと思うことにした。
「ところでシュナイダー。この辺りに人間が住んでいる街か村はあるか? あるなら、その方向を指し示して欲しいんだけど……」
シュナイダーはその場で少しじっとしたあと、身を鋭く尖らせてから自身の下部をひねり、浩一から見て正面の方向を指した。
その方向には、鬱蒼と茂った森がある。
「別方向に向かうつもりだったんだが、この森の中かそれとも向こうにあるのか? それなら、行くしかないか」
ひとつ息を吐いて、浩一は森に向かって歩き出す。そのあとを、小走りのような感じでぴょこぴょこ跳ねながらシュナイダーが着いていった。
* * *
森の中を、女性は走っていた。そしてその後を、4人の男が怒号を上げながら追いかけている。
「オラ! 逃すな! おめえら右から回り込め!」
「射て射て! 外すんじゃねえぞ!!」
走る女性のすぐ傍を、狙いが外れた矢が何本も通り過ぎて行く。
「くっ、なんてこと……!」
女性は、己の失態を悔やむ。
この辺りの地理に詳しくない自分が目的の場所にどう向かおうかと悩んでいたら、親切に話しかけてきた4人の男。もちろん、多少は疑った。しかしギルドは通さなかったものの、彼らはきちんと仕事として案内を引き受けてくれたのだ。そのプロ意識を、少しは信じたのだ。
邪な視線も多少は感じたけれども、「男はそういうものだ」と思っていたので、それは無視した。目的の場所にさえ辿り着ければ、と。
しかし、裏切られた。彼らは案内などする気はなかったのだ。
この森のすぐ傍まで来たとき、彼らはとうとう本性を現した。相手を麻痺させるパラライズの魔法を放たれたのだ。彼女がたまたま複数のバッドステータスに対する耐性アイテムであるタリスマンを持っていたためにそれは防がれたが、完全に不意を突かれた。
だがすぐにそのショックから立ち直り、彼女は走りだした。障害物があれば彼らも追いかけながらの攻撃はしづらいだろうと思い、森に向かって。実際、森の中に立ち並ぶ樹木が邪魔して、放たれる矢は今のところかすりもしていない。
「このままいけば……!」
そして走る速度は自分の方が速い。このまま走り続ければ、振りきれるはず。そうしたら森を出て、街に戻って――――
その瞬間、足がなにかに引っかかった。全力で走っていた女性は、足にかかった衝撃に耐えられず、勢いよく転んでしまう。
「ぁ、ぐぅ……っ!」
足首に走るすさまじい痛み。歯を思い切り食いしばるが、とても我慢できない。歩くことはおろか、立つことすら出来ない。
「な、に……今の……!?」
自分の足に、なにが引っかかったのか。激痛に顔を歪めながら視線を向けると、そこには黒く塗られた紐がしっかりと張られていた。
そしてその紐を見て、女性の顔が青褪める。
「ま、そういうわけだ」
男達のリーダーらしい人物が、いやらしい笑みを浮かべたまま、ゆっくりと近づいてくる。
「おめえは森に逃げ込んだ時点で罠にハマってたんだよ、フローリア・ガイエン」
名前を呼ばれた瞬間、女性――――フローリアの背筋に寒気が走る。
「あ、あなた方……どうして私の名前を……!? ――まさか、最初から私のことを知ってて!?」
その言葉を受けて、リーダーはいやらしい笑みを更に深める。
「さあ~~~~どうだろうなぁ? くくっ。……おい、抵抗されないよう弱めの電撃魔法撃っとけ。その後にタリスマン奪ってからもう一度パラライズだ。好きにするのはその後な」
「足を痛めた女相手に、ずいぶんと念を入れるのね」
「まともにやりあったら、俺らなんて相手になんねーからな。これくらいはするさ」
「……チッ」
フローリアは思わず舌打ちをしてしまう。
この男達はやはり、最初から自分を知っていて声をかけてきたのだ。最初からこうするつもりで。となると、あの男の命令で行動しているのだろう。
そこまで考えて、やはり自分は迂闊だったと、自分の行動を呪う。ここまですると思わなかった自分の甘さを呪う。窮状においてたやすく他人を信じた自分の軽薄さを呪う。
男の一人――魔術師が、フローリアに向けて杖を構える。電撃の攻撃魔法を撃つために、魔力を練り始める。そして――――
「どっせい!」
次の瞬間、その魔術師が吹っ飛んだ。突然現れたなにか――――誰かが放った飛び蹴りによって。すさまじい勢いで一直線に吹き飛んでいき、木にぶつかって地面に落ちる。
「おい! 女一人に対してなにしてんだ! 恥ずかしいと思わねーのかよお前ら!」
そう叫びながら、その人物……男は、フローリアと男達の間に立ちふさがった。
これが、芦原浩一とフローリア・ガイエンの、最初の出会いだった。
6/12 微修正