番外編SS 「あちち」
お好み焼き屋「巴」、午後2時。
ランチタイムが終わったカウンター席には、馴染みの3人が座っていた。
一番端っこで遅い昼食をとる、透。
中央に陣取っているのは、幼稚園の音楽発表会を終えた陽介と、母親のみちるだ。陽介は発表会で大役をこなしたらしく、胸を張って祥子に注文を告げた。
「今日は、パンダしゃんのホットケーキくらさい!」
パンダのホットケーキは、子供客のアニバーサリーなどに作る『巴』の裏メニューだ。
「『今日は、じぇーったいパンダ』なんだって。いい? 祥ちゃん」
申し訳なさそうなみちるに、祥子は笑顔で応える。
「いいよ。だって陽ちゃん、がんばったんでしょ?」
ふたつのアルミカップに粉を溶くと、鉄板の前に立った。
「じゃあ、パンダさん、いくよー」
まずはひとつめのカップを傾ける。鉄板にこぼれ落ちるのは、ココアを溶かした茶色の生地だ。とろん、とろん、と、ふたつの楕円形を『ハ』の字に並べる。その『ハ』の間に、豆粒大の滴を落とし、すっと『人』という字に引き伸ばした。少し焼いたあと、その上から、もうひとつのカップに入った白い生地を丸く流す。白生地はココア生地よりも薄めに伸ばしてある。手早く火を通し焼くことで、焦げ色を少なくし白とココアとのコントラストを付けるためだ。全体にぷつぷつ泡が浮いてきたら、白生地の円周にココア生地で半円の耳をふたつ、くっつける。
ひっくり返せば、ほんわか湯気立つ、かわいいパンダの笑顔が現れた。
「パンダしゃん、出た!」
陽介の歓声に祥子の顔も緩む。もうひとつ同じ要領でこしらえて、皿に2匹のパンダを並べて乗せる。飾りのバナナは笹に見立てた斜め切り。キウイのソースで葉脈を書く。アイスクリームを添え、色とりどりのスプレーチョコをふりかければ、パンダ・ホットケーキの完成だ。
「やた! いたらきまーす!」
「あ、陽介! おかあさんにもそれ、少しちょうだい?」
「えー」
陽介は不満げな顔でそれでも母みちるにホットケーキを分けてやる。
「はい、どーじょ」
ただし、パンダの片耳の、小さな小さなひとかけらだけ。
「あ、ありがとね……いいや、祥ちゃん、私にもホットケーキひとつちょうだい。パンダじゃないやつ」
「はーい」
祥子は笑いながら再びホットケーキの粉を溶く。
陽介はパンダ・ホットケーキにかぶり付きながら、音楽発表会の様子を話してくれた。
「ぼくね、おっきな太鼓叩いたの! ちゅーりっぷ組しゃんでは、おっきな太鼓はぼくひとりだけなんだ!」
「へえっ、すごいねえ」
「ぼくが、どーん、て叩いたら、みんなが、かちゅたねっとで、たん、たん、たん、てねえ!」
身振り手振りを交え、興奮気味に話す陽介に気を取られて、祥子の左手が熱い鉄板に触れた。
「あつっ」
小さな声を聞きつけ、すかさず椅子から立ち上がったのは透だ。
「どうした」
「あ、ごめん、平気。大したことない」
火傷は日常茶飯事だ。構わず再び鉄板に向かうと、透は厨房の中に回り込んでくる。
「せめて冷やせって。火傷は後になってひどくなるぞ」
「平気だってば。ホットケーキ焦げちゃう」
祥子はコテを離さない。舌打ちした透が後ろから近づき、火傷した左手を蛇口の下に引っ張った。いっぱいに水栓を開くと、自分の手ごとざばざば冷やす。後ろから抱きしめられるような体勢に、かっと顔が朱に染まった。
「透ちゃん、やだ、離して」
「やなこった」
耳元でそう言い捨てられて、ぎゅっと握る手の力が強まった。
思いが通じあってからの透は、過保護と言ってくらい祥子の世話を焼きたがる。基本何でもひとりでやってきた祥子には、それが何ともくすぐったくて恥ずかしい。
「自分でできるから」
「お前がやらねえから俺がやってんだろ、阿呆」
乱暴な物言いも、すこぶる甘く聞こえるから困る。祥子の抵抗が弱まると、透はふふん、と耳元で笑った。
やがて水を止めると、透は祥子の手をしげしげと眺め、触りながら、火傷の跡を確認した。みちるたちの好奇にみちた視線などお構いなしだ。
「ほーら、ここ。水ぶくれになりかかってる。救急箱は」
右手でホットケーキを裏返している間に、左手は甲斐甲斐しくタオルで拭われる。薬をつけたのち、絆創膏を貼ると、透は満足そうに目尻を下げた。
「これでよし、っと」
祥子は、ありがと、と呟きながらも顔から火が出そうだった。
「らっぶらぶだねえ」
みちるが冷やかすと、横にいた陽介も口を挟んだ。
「とーるちゃん、それで、おしまい?」
「ん?」
「『あちち』のおくすり、それで、おしまい?」
「ああ、火傷の薬か? うん、これでおしまい、だな」
透の返事に陽介はぶんぶんと首を振る。
「だめだよ、とーるちゃん! 『あちち』のときは、おくすりぺったん、そのあと、『ちゅー』!」
「は?」
「『あちち』したら『ちゅー』しないと、なおんない、って、パパが!」
「ちょ! 陽介!」
慌ててみちるが陽介を抑えるが、時すでに遅し。
「ははーん」
透がにやにやしながら陽介に尋ねる。
「ちびすけ、パパの『ちゅー』って、ほっぺにか」
「ううん、『くちちゅー』! 『いたいいたい』のときは、『くちちゅー』が一番効くんだって!」
祥子と透が、ぶはっ、と仲良く吹き出した。
「俊介くんって俺様っぽいのに、家ではそういうキャラなんだ」
祥子が生暖かい目でみちるを見れば、透も自分で聞いたくせに照れくさそうに顎を擦る。
「ちびすけ、そりゃあ……パパとママが『あちち』だぜ」
小さく縮こまるみちるを、陽介がぽかんと眺めている。
「ママ、おかお赤いよ? どしたの?」
「はあ……う、うーん」
このネタが、次の「かたつむりの会」の格好の酒の肴になったことは言うまでもない。
FIN