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 祥子が店に向かう間にも、むつの花の一枚ひとひら一枚ひとひらは大きくなる。

 寺の瓦屋根に、文具屋の青いビニールの庇に、豆腐屋の木製の看板に。商店街は徐々に白く染まってゆく。


 果たして、『巴』の店先に透は立っていた。

 黒のダッフルコートに赤いマフラー、手にはトートバッグを下げて。軒先にいればいいものを、通りに出てきょろきょろと辺りを見回しているから、トレードマークのふわふわ頭やコートの肩にも白いものが積もり始めている。祥子を認めると、ぱあっと笑顔になった。


「……来て、くれた」


 透の漏らした安堵のため息が、白く立ち上る。ばさばさと頭や肩を無造作に手で払う彼の、鼻の頭は赤い。いつから待っていてくれたのだろう。感極まったようにじっと見つめられて、何も言えず、動くこともできなかった。まるで透と祥子のふたりだけがくり抜かれて、ストップモーションになったようだ。ふたりの間を、静かに、静かに、むつの花だけが降り注ぐ。そばにいるだけで胸がいっぱいになってうつむくと、腕を掴まれた。そのまま祥子を引っぱると、透は何のためらいもなく『巴』のドアを押す。

「え」

 この間出るときに、しっかり鍵をかけたはずのドアが、あっけなく開いた。

 ——まさか、泥棒?

 慌てて透を押しのけ、店内に入った。1階の店舗にはもう盗まれるような物は残っていないが、2階には祖母の遺品がある。急いで明かりを付けようとした祥子を、透が引き留めた。

「落ち着けよ。ほら」

 暗がりの中、手の中のものを揺らす。

 ちりん。聞き覚えのある鈴の音が鳴る。それは母早苗が持っている『巴』の鍵だった。

「どうして」

「借りた。まあ、座って」

 透は座敷席のほうに祥子を押しやる。

「座れって、うちの店なのに」

 文句を言いながらコートを脱ぎかけて気が付いた。


「……あったかい?」


 外はこんな天気だというのに、エアコンがないはずの店内があたたかいのだ。暗がりに目を懲らすと、もともとエアコンがついていた場所に、小さな光が点灯している。風が送られる音もする。


「新しいエアコン? だれがそんな」


 電気を付けて確認しようとする祥子を、透が引き留める。

「まあ、待てよ。おいおい話すから。とにかく座って」

 透は座敷席に祥子を上がらせると、自分も腰を下ろして靴を脱ぐ。どうして明かりをつけないのだろう。暗い店の中も、普段座ることのない座敷席も、何だか不思議で落ち着かない。

 目の前に座った透はバッグから何かを取り出し、ごとり、とテーブルに置く。

「あ、怖くないからな。灯りをつけるだけ」

 炎に火事のことを連想するかと気遣って、そう言ってくれたのだろう。かちっとライターの音がして透の手の中に炎が揺れた。


 ——わ。


 透が手を避けると、柔らかな赤いともしびが現れた。

 それは、りんごの果実を彫刻して作ったキャンドルホルダーだった。

 赤い皮に木の葉や柊の模様を施し、中央をくり抜いてキャンドルが組み込まれている。赤と白、りんごに彫られた繊細な模様が、揺らめくキャンドルの灯で中から照らし出され、赤い影絵のように浮かび上がった。

「……きれい」

 賞賛の声を上げると、キャンドルに照らされた透の顔が得意気に微笑む。いつの間にかふわふわ頭の上には、くったりした赤いサンタの帽子が乗っていた。

「祥ちゃんに俺から、クリスマスプレゼント、その1」

「これ、透ちゃんが、作ったの」

「そうだよ。野菜ソムリエ教室でフルーツカービングも習ったんだ。なかなかいいだろ?」

 野菜ソムリエ教室のことをきくと、ちくり、胸が痛む。

 それでもこの時間も、この手作りのキャンドルも、祥子だけにくれたものだ。ずっと会いたかった透と、ふたりきり。何という贅沢だろう。

「ありがとう。とっても、すてき」

 素直な言葉がこぼれる。照れくさくて、うつむきながらりんごを包みこむように両手を伸ばした。炎はとても小さいのに、りんごの赤やキャンドルから漂う甘い香りが、祥子の指先まで温めてくれる気がして。


「祥ちゃん」

「なあに」


「俺が、クリスマスを好きなわけ、知りたい?」


 唐突に言われて目を上げる。

 クリスマスを好きなわけ。

 そう言われてみれば、いつもクリスマスソングをかけている透だが、そのわけなど考えたこともなかった。むつの花のせいか、りんごのキャンドルのせいか。祥子の頑なな心も今日は解けて。


「知りたい」


 子供のように望みを口にすると、透は立ち上がり、回り込んできて祥子の脇に座る。近づいた距離にどきどきしていると、今度はポケットからミュージックプレイヤーを取り出した。祥子にディスプレイを見せながら操作して、選んだのは『クリスマス』というプレイリスト。その中から一曲を選ぶと再生を押した。


 ——Have Yourself a Merry Little Christmas (あなたに楽しいクリスマスを)。


 お馴染みのスタンダードナンバーを歌っているのはアメリカのシンガーらしい。アコースティックギターの旋律に乗せて、男性ヴォーカルの切なげな歌声が胸を打つ。


「俺、昔はクリスマスもクリスマスソングも嫌いだった。生まれついての八百屋で、昔っから年末はいっつも忙しくて。お袋が死んでからは、ケーキはおろか、鳥政のチキンでも出ればいい方でさ。やれサンタが恋人だ、イブに待っても君は来ない、なんてクリスマスソング、くそくらえ! って思ってた」

 乱暴な物言いに恥じるように、透は一瞬はにかんだ。

「そんな家が嫌で飛び出したのに、親父の入院で呼び戻されて、訳の分かんないまま『八百初』を引き継いだ。病院に見舞いに行きながら得意先のこととか聞いて、またとんぼ返りで帰って、配達して店に出る。おまけに朝は3時起き。ちょうど夏の暑いころで、熱帯夜でよく眠れないまま朝が来て、ほんとつらかった。でも客商売してる手前、嫌な顔も出来なくて」

 当時の透のことを思い出す。ばたばたして必死そうには見えたが、客や商店街の人間に接するときは努めて明るく振る舞っていたように思う。元々明るいキャラクターだったから、前向きにやっているのだろう、えらいな、くらいにしか思っていなかった。


「その日も明け方に起きて。真っ暗な空に月がぴかぴか光ってた。その月見ながら、こん畜生、と思いながら仕入れの準備してたら、祥ちゃんが店から出てきたんだ。すごくくたびれてるみたいで、足取りは重いし肩なんかもう下がってて、鍵閉めるのもやっとって感じで」


 帰るころには、立ちっぱなしの足は棒のようで、包丁やコテを持つ手も痺れ、確かに鍵がうまく回せないときもあった。

「いつも『巴』で鉄板の前に立つ祥ちゃんは、堂々としてほんとにかっこいいんだ。にっこり笑ってコテ裁きも見事でさ。そんな祥ちゃんがぐったりしてて、やっぱ裏ではいろいろ大変なんだなって見てたら、目が合って」 


 透は当時を思いだしたように目を緩ませた。


「祥ちゃん、俺を見て言ったんだ。『透ちゃん、おはよう。ご苦労さま』って。自分はくたくたで『おやすみ』の時間だろ。なのに笑って『おはよう』って」


「そんなの……普通だよ」

 祥子が言えば、透も、うん、と頷いた。

「そうかもしれない。でも、お月さんバックに笑ったそんときの祥ちゃん、ほんときれいでさ。ちょっと俺泣きそうだった。元気もらって、祥ちゃんの後ろ姿見送りながらエンジンかけて、プレイヤーをランダムにセットして、さあ、出かけるぞ、ってときにかかったのが、夏なのにこのクリスマスソングでさ」

 A Merry Little Christmas(ささやかで楽しいクリスマス)。その一節が印象的なその曲は、やさしくふたりを包む。

「そんとき、歌詞の意味なんかよくわかんないけど、突然思ったんだ。俺も、クリスマスのサンタクロースみたいになりたいなって。何かこう、お告げが降ってきたみたいに」

 透が笑うと頭のサンタ帽が揺れた。 


「サンタクロースって、割りに合わないだろ。あんな寒い中、わざわざ夜に忍んでやってきて、プレゼントを置いて。もらった子供たちの笑顔を見ることすらしないで、何の見返りもなく帰ってく。でもさ、商売もそんなもんだろうなって。祥ちゃんがどんな思いでキャベツを刻んでるかとか、俺が悪態つきながら早起きして仕入れに行ってることとか、お客さんは何も知らない。でも喜んでくれたり、おいしいって言ってもらいたいな、って思いながら、俺たちは努力する。痛くても、つらくても、おいしいって喜んでくれる笑顔を想像して」


「透ちゃん」 


「そういう、商売人の誇りを教えてくれたのは、親父であり、巴ばあちゃんであり、おかみさんであり……祥ちゃんだ。俺はあの夜から、祥ちゃんに会うために早起きするようになった。祥ちゃんに『おはよう、ご苦労さま』って言ってもらえると、がんばれる気がして。あれほど憎らしかった明け方のお月さんも、クリスマスソングも好きになった」


 涙に赤い灯火が揺れる。自分が励まされていたように、透が自分に励まされていたなんて。


「でも祥ちゃんは『巴』あっての祥ちゃんで。生活パターンもまるで違う俺なんかじゃ、祥ちゃんとはうまくやっていけないんじゃないかって。もう一歩、祥ちゃんに近づく勇気が出なかった。だけど夏の『かたつむりの会』で、ちびすけを膝枕してる祥ちゃんみたら、たまんなくなって」

 照れくさそうに、透は鼻の下を擦る。 

「俺、馬鹿だから、結婚して俺のガキあやしてる祥ちゃんの姿がぱーっと浮かんで。もう我慢できなかった。どうにかもっと近づきたくて、酔った振りして甘えて、水曜の約束を取り付けたんだ。強引に誘って断られるかと思ったら、祥ちゃん、スカート履いてついてきて。俺と出かけるためにおめかししてくれたと思ったら、もう、俺舞い上がっちゃって」


 祥子は自分のスカートの裾に触れる。

 ——気付いてくれてたんだ。

「マスターには完全にばれてて、告りもしないで連れ回してるのを散々責められて。祥ちゃんがかわいそうだって。だからあんな乱暴な手で。アホだよな、あのお節介なオッサン」

 そんな、と言おうとする祥子を、透が手で制する。

「わかってるよ。うん、俺が悪いんだ」

 透はこくりと頷いて、ずれたサンタ帽を直した。


「祥ちゃん。俺は、君が今までどおり店を続けるなら、全力を挙げてサポートする。それは、商工会の会長としてじゃない。祥ちゃんが、祥ちゃんらしくいてほしいから。余計なことかもしれないけど、そのためにエアコンをつけさしてもらった。ほんとは冷蔵庫も入れたかったけど、使い勝手とかあるだろうから」

「透ちゃんがエアコンを? あんな高い物!」

「祥ちゃんへのクリスマスプレゼント、その2」

 透はピースサインを作って微笑んだ。

「中古だし、安くしてもらったんだ。ほら、前に会っただろ、サーフショップ一緒にやってたユージ。あいつのリサイクルショップから買ったから。祥ちゃんに内緒で付けられるのかが心配だったけど」

 そこまで言われて思い当たる節がある。借りた鍵、母親から突然買い物につきあわされた、あれは。

「お母さんも、グルなんだ」

「そりゃあ。女将さんの協力なしじゃ無理だもん」

 あとで帰ったら何を言われるだろう。頭を抱えようとしたとき、


「祥ちゃん」


 透の熱っぽい目が、祥子の顔を覗き込む。


「別居だろうと通いだろうと、どんな形でもいい。ガキなんて言ったけど、子供ができなくたっていい。俺は祥ちゃんのそばにいて、祥ちゃんをひとり占めする権利が欲しい。だめか?」


(これって、プロポーズ、なんだよね? 違ったら、どうしよう。こんな時、どう返事をしたらいいの)

 あまりに突然で、頭が追いついていかない。パニックになって思わず顔を伏せたとき、ふいにマスターの言葉を思いだした。


『男は臆病だからさ。そのときになったら、ちょっと隙を与えてチャンスを待つんだ。上目遣いで、顎を引いて、じっと彼を見るんだよ。あとは頷くだけでいい』


 確かに透は、おどおどと祥子の様子を伺っている。

 ——怖いのは私だけじゃない。

 祥子は意を決して顔を上げると、顎を引いて祈るようにじっと透を見つめた。

 しばらくして、透から、くっ、と小さな声が漏れる。祥子と目を合わせたまま、観念したように口を開いた。


「祥子」


 吐息のような声だった。


「結婚して。ずっと、俺に言って、『おはよう』も『おやすみ』も全部」


 今、だ。

 祥子は何度も頷く。ふたりの握られた手に、ぽたぽたと涙が落ちた。


「私もずっとずっと、透ちゃんに励まされてたんだよ。だから怖かった。透ちゃんと気まずくなったら、私、もう先に進めなくなりそうで。だから何も言えなかった」

 透の目が見開かれる。

「透ちゃんは商工会青年部の会長さんだし、『八百初ストア』のお客さんだって、みんな透ちゃんを信頼してて。そんな透ちゃんや透ちゃんのお父さんを支えるには、普通のお嫁さんがいいって、私には無理だって、思ってたから」

「そんなこと考えてたんだ」

「だって、もし透ちゃんのお父さんが引退したら、透ちゃんが配達に行ってるとき、店どうするの。私、『巴』にいたら、店番できないよ?」

「随分具体的な心配だなあ」

 透は呆れたように笑った。

「どうにでもなるって。隣同士なんだぜ? そうだな、何なら壁ぶち抜いて、『八百初ストア』と『巴』繋げちまうか。野菜買いに来たお客は、『巴』で代金を払うんだ。そんで『巴』の2階、ばあちゃんの部屋にふたりで住もうぜ。そしたら祥子も夜道を帰らなくてすむし、ふたりで暮らせるじゃん」


 夢みたいなことを言う透。でも彼が言うと、本当に実現するような気がする。

 いつも欲しい言葉をくれる、私だけの、ふわふわ頭のサンタクロース。

 だから私も、今、言おう。


「透ちゃん。ありがとう。ちゃんとお礼を言えてなかったけど、火事の時も助けてくれてうれしかった。しばらく会えなくて、すごく淋しかった」

 透の目が大きく見開かれる。


「透ちゃん、好き」


 むつの花のように白い、ひとひらの言葉がこぼれ出す。


「好き……好き。透ちゃんが、好き」


 あとからあとからこぼれて、胸の中は一面の銀世界。

 泣きじゃくる祥子の肩を、透がぽんぽんと叩く。

「ありがとな」

 祥子はぶんぶんと首を振る。お礼を言いたいのはこっちのほうで、いくら言っても言い足りない。その上、こんなプレゼントまで。そう思って気がついた。

「ああ、どうしよう」

「ん? どした?」

「イブなのに。透ちゃんからプレゼントもらったのに。私、何も用意してない」

 馬鹿だ。イブに会うなら何でもいいから用意すればよかった。落ち込む祥子に、透は首を振る。その拍子にぽとり、とサンタ帽が落ちた。透はそれを拾い上げると、祥子に被せる。


「じゃあ、ちょうだい」


 透は顔を近づけて甘い声でねだる。

「だから、何もないって」

 言っているそばから、じり、と透が正面から距離を詰める。

 ぴたりと、お互いをくっつける。

 膝頭と、膝頭。

 手と、手。

 鼻と、鼻。

 両手を組み合わせてあいさつみたいに鼻を擦り合わせると、唇に息がかかる。あまりの近さに逃げたくなって抵抗すると、さらに甘い声が祥子に迫った。


「勝手にもらうから」

 

 そっと重ねられた唇は、驚くほどあたたかい。透は繋いでいた両手を離すと、たまらないとばかりに祥子の身体を引き寄せた。苦しいほどに抱きしめられて、唇を啄まれる。


「祥子」


 名を呼ばれる度に背筋がぞくぞくと震えた。


「あ……あ、祥子」


 うれしいのに、首を振りたくなるのはなぜだろう。信じられない。幸せで、幸せすぎて、唇を離すとこぼれそうで、もったいないからまた唇を重ねて。終わりの見えないキスが続く。ついに透が息を吐いて、首筋にキスをしながら祥子の身体を横たえる。

「えっ、透ちゃん?」

 慌てて力の入らない手で押し返すと。

「あ、しまった」

 透はばつが悪そうに身体を起こした。

「ちょっとフライング、だった」

 フライング? 聞き捨てならない言葉に眉を顰めると、透は祥子の身体をひっぱり起こした。

「急いで泊まる支度して。遅れるとマスターに怒られる」

「泊まる支度?」

「そ。祥ちゃんにクリスマスプレゼント、その3。って言ってもこれはマスターからだけど」

 透はポケットから財布を出すと、中から券のような赤い紙切れを出した。


『“ペンション・シードラゴン”クリスマスイブ限定、スペシャルペアチケット。1泊2食付き。ただし初沢透が竹村祥子を連れてきたときに限り有効』 


 手作り感溢れるチケットにぷっと吹き出した。茶目っ気たっぷりなマスターの笑顔が見えるようだ。

「こないだやり過ぎた詫びだって。今、あそこの海岸、町おこしで砂浜にでっかいツリーが建ってるんだ。ネットでみたけど、結構すごそうだぜ? そのツリーが見える、一番いい部屋を用意してくれるってさ。ほら、支度して」

 急かされても、いきなり泊まり、に引っかかるのも乙女心で。

「……お父さんやお母さんに、何て言おう」

「あ、それ、問題ない。一応女将さんに断りはいれてある」

「な!」

「何だかすごいノリノリでさ。『祥子の着替えは巴の2階にも置いてあるはずだから、そのままお泊まりもOKだよ』って言ってくれたぜ?」

「……!」

 絶句する祥子に、透はにんまり笑う。

「だって、せっかくのイブだよ。『巴』営業してたら、祥ちゃんがこの時間に出かけられるなんてことないだろ? しかも今日は火曜日。明日は水曜で俺は休みだ。これって、まさに神様の思し召しだと思わねえ?」

 無宗教のくせに、サンタや神様を総動員させて。

 そんな透が、愛しくて、愛しくて。

「支度してくる!」

 祥子はちゅっと透にキスをすると、今度こそ明かりを付けて2階に駆けていった。





 それから、数ヶ月後。


 『巴』の営業を終えた祥子が静かに2階に上がってくる。

 もう風呂に入り髪も乾かし寝るだけだ。こんもり盛り上がっている布団の端をそっと捲って入ろうとすると。

「うーん、祥子?」

「あ、透ちゃん、おはよ、って、わっ!」

 すかさず腕が伸びて、祥子を引きずり込む。

「お帰り、祥子。んー」

 透はしっかり祥子を抱え込んで口づける。

「ん、透ちゃん、ねえ、そろそろ起きるんでしょ?」

「もうちょっと、大丈夫。目覚ましがなったら起きるから。おやすみ、祥子」

「おやすみって、もう! これじゃ寝られない!」

 もぞもぞと彷徨う大きな手と格闘しながら、絆されながら。


 彼の「おはよう」は、私の「おやすみ」。

 まだ空に居残る月と、壁に掛かった祖父母の写真は、いつもふたりを見て笑っている。






FIN










 

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