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 次の週の水曜、朝8時半。

 前日夜半まで働いて、泥のように眠っている祥子のスマホが鳴った。

「もう、誰」

 親しい人間なら、この時間寝ているのは知っているはずだ。そう思って画面に表示された名前を見てぎょっとした。


『初沢 透』


「あ」

 そういえば、今日は水曜だ。まさか。

 慌てて着信ボタンを押すと、明るい声が聞こえてきた。


「おはよう! その声は寝てたろ。9時には出発だぞ」


「ええっ」

 祥子の叫びに、透は弾けるように笑った。

「約束のランチ。今日、連れてくって、覚えてなかった?」

「あの、覚えてる……けど、お酒の席の話だし、期待してなかったというか、その」

「はは、祥ちゃんらしいや。とにかく9時にうちの店の前集合な。来なかったら、俺ひとりで配達に行くだけだから。じゃ」

 それきり電話は切られた。


 約束の9時。

 休業日でほとんどのシャッターの閉まった商店街を、長い髪とワンピースをなびかせて駆け抜ける祥子の姿があった。

 『八百初ストア』の前には、すでに荷物を積んだ赤いピックアップトラックが止まっている。ミラーで見ていたのだろう、祥子の前で運転席のドアが開いた。漏れ聞こえるのはパンキッシュなギターとハスキーな男性ヴォーカルのシャウト、と思いきや、よく聞けば「Sleigh Ride (そりすべり)」。やっぱりクリスマスソングなのだった。

 透は、カーキ色のシャツに同系色のパンツ、いつものファスナーポケットのついたエプロンを腰に巻き、元気に飛び降りてきた。

「ぎりぎりセーフ、だな」

「おま、たせ」

 肩で息をする祥子の姿を、透は腕組みをしながら愉快そうに眺めている。気恥ずかしくて、乱れた髪やスカートの裾を手早く直した。

 メイクも含め30分しかない中、考えに考えた末、祥子が選んだのはオリーブブラウンのワンピースだった。

 配達の車に乗るのだから、ある程度カジュアルに。とはいうものの、得意先のランチをご相伴とあっては、透に恥をかかせるわけにもいかない。カットソー素材のワンピースは、裾さばきのいいフレアタイプなので、ピックアップトラックの乗り降りにも困らない。

 髪も、いつもどおりのひっつめではあんまりだろうと、両サイドをひねってまとめ、バレッタで後ろでひとつに留めてきた。

 たったそれだけではあるのだが。

(だめ、かな。あんまり変わんない?)

 透の評価が気になるところだ。胸がばくばくしているのは、走ってきたせいだけではない。心細げに見上げれば、透はにっこり笑った。

「珍しく今日はスカートなんだ。髪もおろしてるし」

「えっ、あ、どんなとこに連れてってくれるのか、わかんなかったから」

 そのくらいでしどろもどろになってしまう自分が情けない。

「どうぞ。足下、気をつけて」

 手こそ貸さないものの、祥子のために助手席のドアを開けてくれる。女の子扱いしてくれてる、ということは、なんとか合格、と思ってもいいだろうか。くすぐったく思いながらステップに足をかける。いつも見慣れた車だが、ちゃんと乗るのは初めてだった。

(車高、高い。結構中は広いんだ)

 左ハンドルで、助手席と運転席の間がフラットな、いわゆるベンチシートだ。後部座席もあったが、ダンボールがいくつも積んである。中身はフルーツらしく、車内に南国の果実の甘い香りが漂っていた。

「朝飯、どっかで調達するか? 腹、減ってる?」

「ううん。朝ごはんはいつも昼兼用だし。透ちゃんが食べるなら」

「俺は6時に軽く食った。そこのお茶はどっちでも好きなの飲んでいいからな」

 ドリンクホルダーには緑茶とミルクティのペットボトルが置いてある。些細な心遣いがうれしかった。

「ありがとう。いただきます」

「ん、じゃ、行くぞ」

 

 配達は2件だという。1件目の自然食レストランに雑穀と野菜を届けた後、車は街並みを抜けていく。バイパスを通りトンネルを潜り抜けると、目の前に青い色が飛び込んできた。

「海!」

 思わず声を上げる祥子に、透の横顔が微笑んだ。

「これから行くのは、海水浴やサーファーを相手にした海岸沿いのペンションなんだ。俺が前に友達とやってた店の近くで、ランチや夕飯だけでもOKってとこ」

 そういえば彼はサーフショップを営んでいたのだった。今の彼を見ていると、サーフィンをしている姿などとても想像できない。

「夏も終わり、だよなあ。学生や子供が少なくなって、海岸の感じが、もう秋だ」

 そういえばいつの間にか9月になっているのだった。海岸にはサーフボードを持つウエットスーツの人影がゆっくりと歩いてゆくのが見える。学生でなくなると、季節の過ぎるのは早い。

「年中クリスマスソングの透ちゃんでも、季節感あるんだ」

 感傷的になるのが嫌で、わざとそう言ってみれば、透は苦笑して波間に目をこらす。短い間でも海のそばに住んでいた透には、特別の思い入れがあるのかもしれなかった。


 トラックが止まった場所は、白い木造2階建て、アーリー・アメリカン風の建物だった。潮風に晒され塗料が剥げかけた看板に、『ペンション・シードラゴン』と名が記されている。駐車場に降り立ち辺りを見回すと、建物の影に止まった赤い車が目に入った。

(あれって)

 透の車と同じような、赤いピックアップトラックだ。フロント部分には柵のようなグリルガードが取り付けられ、透の車より幾分ごつい。相当乗り回されているようで、古ぼけてところどころ傷があるが、それがかえっていい味を出している。

「味のあるいい車だろ。初めて見たときに、もう、ぐっ、ときてさ」

 透の目がきらきらと輝いている。

「ここのマスター、サーフィンやるんだけど、この荷台にサーフ・ボード乗っけて海岸線走ってると、そりゃあもう、かっこいいのよ。この近くでサーフショップやろうって決めたときは、店の車は絶対赤いピックアップ、って決めてた。まさか野菜を乗っけて走るようになるとは思わなかったけどな」

 思わぬところで、透のルーツを知る。サーファーで赤いピックアップトラックに乗るマスター。俄然興味が沸いた。

「ここで、ランチ?」

「うん」

 ここで下ろすダンボール箱は3つもあったが、透は手伝わせてくれなかった。1度に3つ重ねて持つと、さっさと歩き出す。張りのある肩や背中を頼もしく眺めながら後ろに続いた。

   

「いらっしゃい……って、何だ、透かよ」

 扉を開けると聞こえたのは、遠慮のない男性の声だ。透が運ぶダンボール箱に阻まれ、祥子にはその姿は見えない。

「何だ、って、何すか。ご注文の品をお持ちしたんですよ、っと」

 透がダンボールと共に移動すると、やっと声の主が見えた。

 厨房に立っていたのは50代くらいの男性だった。灼けた肌に青いアロハがよく似合う、いかにも昔の遊び人といった風体だ、。ぺこり、と頭を下げると、マスターは途端に目を輝かせた。

「おい、おい、おい! こりゃ事件だ。透が女の子連れてきた!」

「……幼なじみですって」

 騒がれるのは想定内だったらしい。うんざりしたように言い捨てると、ダンボールを置いて祥子を紹介した。

「竹村祥子さん。うちの八百屋の隣で、お袋さんとお好み焼き屋をやってるんだ。勉強のためにいろんな店の飯を食ってみたいって言うんで、ここのランチどうかな、と思って」

「ふうん」

 マスターは探るような目つきで透の顔を覗き込んだ。

「うちを選んでくれたのはうれしいけど、勉強ねえ。何だかすっごく言い訳くせえなあ」

 口の端を上げながら、今度は祥子に向き直った。

「祥子ちゃん、ね。ようこそ、いらっしゃい。で、透とは、どこまで?」

「マスター!」

 烈火の如く怒る透を、マスターはからからと笑う。

「透はさっさとその箱運んじまえ。ほら、レディの席はここだよ。うちのランチでよかったら、どうぞゆっくり食べてって?」

 マスターは厨房から出て、さっとカウンター席の椅子を引いてくれる。箱を持ったままの透がその姿を睨んだ。

「ずいぶんと態度が違いますねえ?」

「俺、フェミニストだもん。あ、もしかして妬いてんのか? 男の嫉妬は見苦しいぞ」

「ちげえし!」

 気心が知れたふたりの掛け合いは、聞いていて楽しい。マスターは厨房に戻ると、手慣れた様子でフライパンを温め始めた。

 音楽は懐かしのビーチ・サウンド。窓辺からは海岸がよく見える。やがてガーリックのいい香りがしてきた。

 マスターは手を動かしながらも、透とのことをいろいろ教えてくれる。透とロックバンドを組んでいた友人がこの辺りの出身で、よくその友人の車で『シードラゴン』に遊びに来ていたのだという。

「あのころは透も金がなくてさ。ここの手伝い1時間して昼飯おごる、なんてバイト紛いのこともやってた。結構鍛えたから、料理もそこそこ出来るはずだよ」

「知りませんでした」

「結構お買い得物件だと思うけど?」

 ここでもまた『透押し』か。曖昧に笑ってごまかすのも、祥子にはもう慣れっこだ。透はマスターに顎で使われ、冷蔵庫の中にまで野菜をしまっている。ようやく透の仕事も終わり席につくころ、ふたりの前に賑やかなワンディッシュプレートが並んだ。

 白身魚の竜田揚げがメインで、オリーブやゆで卵の入ったコブサラダにガーリックライス、ザーサイのスープ。食後に珈琲もつくという。ボリュームもあって、若い男性に好まれそうなメニューだ。

「いただきまーす。俺、これ、すげえ好き」

 透は真っ先にガーリックライスにスプーンを入れる。祥子も半信半疑でそれに習った。スプーンを口元に運べば、焦がした醤油の香りが鼻先をくすぐる。口に入れてみると、にんにくやペッパーのパンチがききつつ、しっかりと甘みや深いコクがある。

「おいし。なに使ってるんだろう、コクがあって、バターほど洋風じゃない……ラード?」

 思わず呟くと、マスターは嬉しそうに片目をつぶった。

「ラードではないな。これは俺の自信作でね、ちょっとした秘訣があるんだけど、うちの玲子にだって教えてない。誰にも内緒なんだ」

「玲子、ってのはマスターの奥さんね。訳あって1度離婚しててさ。また再婚して今一緒に暮らしてる。そんな頭の上がらない奥さんにも内緒のレシピって、すごくね?」

 こそっと囁く透を、マスターがたしなめる。

「透の秘密も話しちまうぞ。サーフショップやってたくせに、『おかサーファー』だったとか」

「わ、わ、マスター!」

 否定しないところを見ると、どうやら本当らしい。

「ふうん、やっぱりサーフィンはできなかったんだ」

「やっぱりって、祥ちゃん!」

 慌てる透にマスターが愉快そうに肩を揺らした。

「透だって祥子ちゃんに頭が上がんないじゃないか」

 それからもマスターと祥子は透の話で盛り上がり、ランチタイムはあっという間に過ぎた。


「いやあ、祥子ちゃん、楽しかったよ。また来て、透の弱点、たっぷり教えて」

 帰りしなも、マスターは透の子供のころの失敗談でいつまでもくすくす笑っている。

「ええ、是非。ごちそうさまでした」

「またね」

 マスターは透に軽く視線を投げると、祥子の肩を意味ありげに何度も叩いた。

「?」

 きょとんとしていると、その手を払うように透の手が伸びた。

「帰るぞ」

 強く、腕を引かれてよろけそうになる。

「う、ん」

 引き摺られながら、マスターをふりかえると、彼はなぜか満足げに笑っていた。 

 

「面白い人だったね。ごはんもおいしかった」

 助手席に乗るなりそう言うと、透は嬉しそうに笑った。

「そうだろ。口がうまくてすぐ人を騙したりからかったりするのが玉にきずだけど。いい人なんだ、実際」 

 マスターと同じような車を選び、同じ海辺の町で人生をスタートさせようとしていた透。そのくらい彼を慕っていたのだろう。

「俺さ、中学くらいから八百屋の息子ってのがすごく嫌で。馬鹿みたいに早起きして、やっすい商品をひいひい言いながら売っても大した儲けになんなくてさ。もっと楽しい仕事があるだろって、いつも思ってた」

 今までずっと話す事のなかった心境を、透は唐突に吐露しはじめた。

「友達に誘われて初めて『シードラゴン』に来たとき、別世界みたいだと思ったよ。店は海のすぐそば。マスターはサーフィンもできて、かっこいい車を乗り回してる。仕事も楽しんで充実してますって感じで、こんなとこがあるんだって」

 古い商店街の小さな八百屋。商売一辺倒の垢抜けない父親。当時の透にとって、マスターの生活はさぞかし鮮やかに見えただろう。

「ここなら自分らしく仕事ができると思って自分たちの店を開いたんだ。なのに店が軌道に乗ったとたん、親父が入院して。姉貴に実家戻って手伝えって言われたときは、ほんと、親父を恨んだよ。なんで俺が親父の尻ぬぐいしなきゃなんないんだよって」

「でもちゃんと手伝いに来たんだもんね。えらいよ、透ちゃんは」

「いや、姉貴にすっごい剣幕で脅されただけなんだけど。『お父さんが死んだら、あんたのせいだからね』って」

 透は苦笑いした。

「仕方なく親父の代わりに店に出たり、配達したりしてるとさ、『八百初』がどんだけお客さんに頼りにされてるのかわかるわけ。自分も商売を始めたから、親父のすごさがわかるんだよな。そのうち親父が退院してきたんだけど、体力は確実に落ちてて。親父がまたひとりでこれをやるのかと思ったら、サーフショップに戻りにくくてさあ」

 透の父は商店街でも『真面目が服を着て歩いてる』と評される人物だった。妻も亡くなり、身体を気遣う人間は家にいない。退院したとなれば、今までの分を取り返そうと無理をして働くことは目に見えていた。

「どうしたらいい、ってマスターに相談したら言われたよ。『お前が今まで好き勝手なことをやってこれたのは、いざとなれば親父さんが助けてくれる、って甘えがあるからだろ。失敗しても帰る家がある、どこかでそう思ってるから無茶できたんだよ』。がつん、って、いきなり頭を殴られたみたいだった」

 車はトンネルに入った。オレンジ色の照明が透の横顔を断続的に照らして行く。

「よく聞いたら、マスターも無茶やって借金こさえて、一時は生活保護までいっちゃったんだって。そんなとき最後に助けてくれたのはお母さんで。今そのお母さん、寝たきりなんだけど、マスターと奥さんで一生懸命面倒みてる。『だから親は大事にできるときに大事にしとけ』って言われて、何も言えなかったよ」

 腰をさすりながら厨房に立つ母の姿を思いだし、祥子も身につまされる。

「大したこころざしもなく始めた店だったから儲かるわけもなくて、仲間と相談して店を閉めることにした。結局俺は八百屋になって、残りの友達は元の店改装してリサイクルショップやってる」

 車のスピーカーから流れる曲は『Driving Home For Christmas』。しゃがれた男性ヴォーカルが、透の話と一緒にあたたかく胸に沁みてくる。

「だからたまに、マスターに会いに行くんだ。尻叩いてくれる人がいるのも、悪くないなって」

 素直にそう言えるのも、透のひとつの才覚だろう。


 そう、悪くない。

 からかいながら説教をしてくれるマスターも、クリスマスソングしかかからない赤いピックアップトラックも。


 そして、こうして大切な場所に連れてきてくれた、透自身も。









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