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 それから半月ほどたった8月末の水曜日、『かたつむりの会』当日。

「グラス行き渡ったかー?」

「こっちの席、空いてるよ」

「そこの座布団取ってくれ。グラスと、箸も一膳な」

 集まったのは、20年前の小学生たち20人弱。今日は成田屋の太朗が必死で声をかけただけあって、いつもの会より盛況だ。

 ここは地元の居酒屋だが、祥子たちの営む商店街からは少し離れた場所にある。厨房に立つ大将も幼なじみ、いわば『かたつむり会員』だ。彼もときおり板前やバイトに調理場を任せて歓談の輪に入ってくる。

 以前は『巴』で会を開いたこともあったが、基本祥子ひとりで切り盛りしていては会を楽しめないだろうと、最近はいつもここだ。


「別に『巴』が悪いってわけじゃないんだ。気悪くすんなよ? みんな祥ちゃんに無理して欲しくないだけだからさ」


 さらりとそう言ってくれたのは、他ならぬ透だった。仲間内だからと気張って会費をうんと安くしたのも、彼にはお見通しだったらしい。意外に細やかな心遣いができる男であることに感心しつつ、気を使わせるようでは接客業として失格だ、と反省もした。


(あれ、そういえば)

 集まった面子の中に透の姿がない。飲み会が何より好きな男がどうしたのかと辺りを見回していると、


「しょーちゃん!」


 宴席には場違いな幼い声がした。

「ん?」

 ととと、とクマの付いた靴で駆けてきたのは、みちるの息子、陽介だった。後ろにみちると、その夫俊介の姿も見える。

「あれー、どうしたの陽ちゃん!」

 陽介はさっさと靴を脱ぐと座席に上がり、祥子の隣にちゃっかり座った。

「それがねー」

 みちるも苦笑しながら祥子の脇に座る。

「『おとうさんと一緒にお出かけしてくる』って言ったら、泣かれちゃって。『じぇーったい、ぼくもいく!』ってきかないの。しょうがないから成田屋のタロちゃんに電話で了解取って連れてきちゃった」

「ぼく、知ってるよ! これ、『かたちゅむりの会』っていうんだよね!」

 陽介は自分が仲間であるかのように、我が物顔である。

「あんたはもうおねむの時間でしょう」

 みちるが寝せようとタオルケットでくるむが、陽介の足がうるさそうにそれを蹴飛ばす。

「じゃ、私、大将に頼んでくるよ。ジュースと、何か子供が食べられるもの、見繕ってもらおうね」

 立ち上がる祥子にみちるが手を合わせた。

「祥ちゃん、ほんとごめん! 多分もうちょっとすると、エネルギーが切れると思うんだけど」

「いいよ、いいよ。陽ちゃんのためなら」

 しばらくして祥子がジュースの瓶とおにぎりや唐揚げをもらって戻ってくると、陽介は小さな身体で土下座するように座敷に平伏した。よく礼をするよう、みちるたちから言われたのだろう。

「ありがとごじゃます!」

 回らぬ口で丁寧に礼を言おうとする姿に吹き出してしまった。ジュースを注いでやると、陽介はご機嫌でジーンズに包まれた祥子の膝の上に乗ってくる。

「おいおい、祥ちゃんはお前の専属コンパニオンかよ。この暑いのにべたべたすんなって」

 父親の俊介が下ろそうとするが、陽介はしっかり座りこんで動かない。子供の体は柔らかく、髪の毛からは甘い匂い。祥子もまんざらではなかった。

「私、ずっと陽ちゃんの専属でいいわ」

「しょーちゃん、ぼくのちゅくった折り紙見せたげるね!」

「相思相愛かよ」

 俊介が軽く突っこんだところで、成田屋の太朗が立ち上がった。


「じゃ、遅れてくる奴もいるようだけど、そろそろ会を始めさしてもらいまーす。えー、本日はお日柄もよく」


「もったいつけんな、成田屋!」

 外野から野次を飛ばされ、成田屋は、うるせえ、と言いながら隣に立つ男の肩に手をかけた。彼は鉄志てつしという成田屋の同級生で、来月からタイに転勤になるのだと聞いている。

「実は今日皆々様にお集まりいただきましたのは、鉄ちゃんの激励会と、かたつむりの会に誕生したカップルの結婚祝いということでして」

「結婚?」

「なんだ、おい、聞いてねえぞ。誰だよ」

 皆がどよめく中、鉄志が頭を掻きつつ、脇に座っていた文房具屋の跡取り娘、詩文しふみを促す。おずおずと立ち上がる彼女の顔は真っ赤だ。

「あの、実はこのたび、俺たち……入籍しました!」

 鉄志がそれだけ言ってぺこりと頭を下げると、座が一気に涌いた。

「ええっ! 初耳!」

「おまえら、つきあってたのかよ! いつから!」

 口ごもるふたりを代弁した成田屋によれば、前回の『かたつむりの会』で意気投合し、一気に結婚に発展したのだという。しかも彼にとってタイの転勤はいわゆる御礼奉公で、1年程度勤めた後会社を辞め、詩文の文具店に婿に入る、と言うのだから驚いた。

「やったな、鉄ちゃん!」

「おめでとう、ぶんちゃん!」

「乾杯!」

 あちこちで、ビールのグラスを合わせる軽快な音が上がる。

「ぼくも、もっと『かんぱーい』しゅる!」

 祥子の膝の上で乾杯の真似事をしていた陽介は、テンションが上がりジュースのグラスを持って立ち上がった。しかたなくみちるが抱っこをして、皆とグラスを合わせて回っている。

 結婚するふたりは、皆に冷やかされながらも、幸せそうに微笑んでいた。

 新婦の詩文は祥子のふたつ下、同じ自営業の跡取り娘が結婚して、気にならないと言ったら嘘になる。好きで、望まれて、結ばれて。その男が婿に入ってくれるなんて、こんなにいいことはないとは思うが。


「同級生、ねえ」


 ぽつりと呟いた言葉の、否定的な響きは、みちるの夫俊介に聞こえてしまったらしい。同じく同級生同士で結婚した彼はふっ、と笑った。

「何、祥ちゃん、同級生はだめなんだ」

「だめっていうか。お互いの家族から、へたすれば学生時代の恋愛まで知られてるわけじゃない。何かと大変かなって思うだけ」

「全部わかってるから安心、ってとこもあるけど?」

 独占欲の強い俊介ならではの台詞だ。苦笑いしたところに、みちると陽介が戻ってきた。

「ただいまあ! ぼく、いっぱい『かんぱーい』した!」

 陽介はご機嫌で再び祥子の膝にじゃれついた。

「何の話してたの?」

 みちるは祥子の難しい表情に気がついたらしい。

「いや、同級生は恋愛対象になるか、って話。祥ちゃんはだめらしいぜ」

「え、そうなの? 楽だよー、何でも話通じるし」

 どこか天然の彼女は、夫の束縛など気にも止めないのだろう。

「いや、結婚するのはしがらみとかがあって大変かなって。ああ、ほら、たぶん、私の同級生のサンプルが悪いんだ」

 実は別れたときのことまで考えて二の足を踏んでいる、などとみちるに言えるわけがない。歯切れの悪い言い訳に、みちるは『またまたあ』と首を振る。

「だから、透ちゃんはそんなに悪くないって」

「私の同級生は、透ちゃんだけじゃないんですけど」

「あ、そっか」

 みちるはぺろりと舌を出す。

 透、透。

 確かに祥子の同級生といえば彼だろうが、世の中には彼しか残っていないような言われ様が重い。

「本気で陽ちゃんが大きくなるのを待とうかなあ」

 冗談めかしてそう言って自らの膝の上を見れば、陽介の小さな鼻から、ぷすう、ぷすう、と寝息が漏れている。乾杯の騒ぎで程よく疲れて眠ってしまったらしい。

「あーあ、うまく逃げられちゃった」

「残念、祥ちゃんのお姑さんになりそこねた」

 みちるは笑って、息子の身体にそっとタオルケットを掛ける。そのまま抱き上げようとする手を祥子は止めた。

「このままもう少し寝かしとけば。みちるも俊介と一緒に出られるなんて、なかなかないでしょ。みんなと話しておいでよ」

「でも、悪いよ。重いでしょ」

「いいよ。陽ちゃん見ながら、ビールを飲むのも乙なもんだよ。つらくなったら、声かけるから。ほら、行った、行った」

 手を振り、夫婦を送り出した。膝の上のあどけない寝顔につい笑みが漏れる。タオルケットをそっと首元まで引き上げてやった。結婚して自分の子でもできれば、こんな感じなのか、と思う。陽介の絹糸のような髪を撫でていると、すぐ後ろから低い声がした。

「おう」

「うわっ」

 ビールのグラスを落としそうになる。

「驚かした? ごめん」

 ぬっと突き出てきたのは、透のふわふわ頭だった。

「おいおい、ちびすけの奴、祥ちゃんの膝枕かよ。いいご身分だなあ」

 透はそっと陽介の顔を覗き込む。起きているときはからかって、わざと喧嘩をふっかけるくせに、寝顔を眺める眼差しは優しい。ついつい笑みがこぼれた。

「遅かったね、透ちゃん」

「ああ、悪りぃ。配達に行ったら、知り合いに捕まっちまって」

 透は祥子の後ろにそのままどっかと腰を下ろした。

「水曜なのに配達? 定休日でしょ?」

「ああ、遠いとこの配達は、休みの日に回してんだ」

「へえ、大変だねえ。おつかれさま」

 脇にあったビール瓶を差し向ける。

「ま、おひとつ」

「おっと、サンキュ。いただきます」

 グラスの口からこぼれそうになったビールの泡を、柔らかそうな唇が追いかける。少し啜ったあと、今度はしっかりひと口煽る。ごくり、と飲み下すと、喉仏が大きく動いた。別な生き物を見ているようで、ついじっと目で追ってしまう。

「はー、祥ちゃんの酌は沁みるぜ」

 ふざけた調子で呟く彼は、昔どおりの垂れ目の笑顔。そうだよ、透ちゃんだよ、と思いながら、2杯目を注いでやった。

「鉄ちゃんとぶんちゃんのこと、聞いた?」

「ああ、さっき挨拶してきた。びっくりだよな。全然知らなかった」

 やはりお祝い事はうれしいもので、結婚したふたりの話題でひとしきり盛り上がる。そのうち、どこかへ行っていたみちると俊介が戻ってきて、帰ると言いだした。みちるが膝の上の陽介をそっと抱き上げたとき、かくっ、と頭が落ちそうになったが、しっかり寝入っていて起きる様子はない。無事陽介は母親の腕の中に収まった。

「ごめんね、祥ちゃん、重かったでしょう。ぶんちゃんたちとも話せたし、ほんと、助かっちゃった。ありがとう」

「ううん。どうぞまたご指名よろしく。クラブ『巴』の祥子です」

 名刺を渡す振りをすると、あはは、とみちるが笑った。

「陽介に言っとく。おやすみなさい」

「おやすみ」

「またな」

「はーい」

 親子3人、連れ立って帰って行く後ろ姿を、透とふたり見送った。

「ほんと、絵に描いたような幸せ家族だよな」

 透はうらやましそうに顎を擦る。『八百初』を継いでから彼の浮いた噂はあまり聞かないが、結婚願望はあるのかもしれない。

「透ちゃんは、いい人いないの」

 つい要らないことを口走ると、さっそく突っ込まれた。

「祥ちゃんがそれを言うか」

「ですよねえ。一番縁遠い女が自分のこと棚に上げて、ねえ」

 自虐的な台詞に、透は、はっ、と乾いた笑い声を上げた。

「そういうんじゃねえけど……まあ、祥ちゃんも飲め」

 透はビール瓶を差し向ける。

「俺も年なのかなあ。ときどき思うんだよね。このまま、家族も持たずに馬鹿みたいに働いて、配達の途中ぶっ倒れて、どっかでぬんじゃないかとかさ。ま、深く考えたら負けなのかも知んねえけど」

 透はビール瓶を置くと、不穏な言葉を飲み込むように、とんぶりつくねの串にかぶり付く。明るい彼でも、そんなことを考えるのか、と意外に思ったが、考えて見れば彼の母も、働きづめで突然この世を去ったのだ。

「透ちゃん、忙しすぎるんだよ。明け方から働いて、休みの日まで。今日はどの辺まで配達行ったの」

 労いながら何の気なしに聞いてみると、返ってきた地名は海べりの地方都市だった。この街からは車でゆうに1時間半はかかる。

「遠いとこって、どうやって開拓したの。透ちゃんの知り合いとか?」

「まあ、お客さんの紹介だったり、昔の仲間経由だったり。外回りは刺激になるし面白いぜ。海辺の店もあれば、山ん中の茅葺き屋根の蕎麦屋もある。ついでに、実際どんな風にうちの野菜が使われてんのか、そこの昼飯食ってくるのもお楽しみで」

「ふうん、いいねえ。私なんか作る一方だから、たまに変わったものでも食べて、お店のメニューのヒントにしたいって思うんだけど、出不精で」

「ふうん」

 透はビールのグラスをテーブルに置き、『ごめん』と口を手で押さえながら、ふわあ、と欠伸を漏らした。

「眠いの?」

「ああ、いつも早寝だから、夜、酒飲むと覿面てきめんなんだ」

 そう言うと、ふわふわ頭がすっと視界から消えた。


(え?)


 次の瞬間、太腿の上にいきなり落ちてきた感触に目を見開いた。陽介の小さな頭とはまるで違う、どっしりとした重さ。


 透の頭が、祥子の膝の上に乗っていた。


「ちびすけ、すっごく気持ち良さそうに寝てたからさ。俺にも膝、貸して」

 そう言うと、座りの良いように頭の位置をもぞもぞと直す。

「ああ、確かに具合がいいや。よく眠れそう」

「やだもう、酔っ払い」

 ぺしっと腕を叩いたが、透はどこ吹く風で目を閉じる。むきになって振り落とすのも大人げないし、かえって悪目立ちするだろう。内心穏やかではないが、気にしていない風を装い、そのままビールのグラスを傾けた。気付いた周りの連中がにやにやと覗き込んでくる。

「あーらら」

「何だよ、透ちゃん、甘えてんな」

 一応はからかうものの、すぐにまたそれぞれの会話に戻る。

(何でこのまま放置なのよ、もう)

 動くこともできず、仕方なく手酌でビールを飲むが、膝の上が気になってちっとも酔えない。そのうちじんわりと、透の頭からあたたかさが沁みてきた。腿を押す、男のごつごつした頭蓋骨。目を閉じている彼の顔をちら、と視線でなぞった。意外と長い睫毛、高い鼻柱、薄く開かれた唇。ふわふわの髪は手触りが良さそうで、知らす知らずのうちについ手が伸びる。

(あ、意外と柔らかいんだ)

 皆に気付かれないようにそっと、透の髪を梳くように撫でてみる。透はくすぐったいのか、少し首を竦めたが、そのうち肩の力を抜いて身を任せている。

(私も、酔っちゃったかな。いいや、もう)

 気の向くまま髪を撫でていると、


「祥ちゃん、行きたいなら連れてってやろうか」

 

 突然膝の上から声が響く。寝ていたかと思っていたのに。

「え? 何?」

「水曜のランチだよ。俺のトラックの助手席でよければ、連れてくって言ってんの。目先の変わったもの、食べてみたいんだろ」

 彼の目は閉じられたままで、どこまで本気だか計り知れない。どうせ酔っ払いの戯れ言だと、気軽に頷いておいた。

「うん。じゃ、お願いしようか、な」

「おう、来週の水曜、空けとけよ。朝、9時ころなら出発できるか」

「あ、なんとか」

「了解」

 それだけ言うと、今度は本格的に寝入ってしまった。

 会も終盤になり、祥子の足の感覚もなくなりかけたころ、透は目をこすりこすり起き上がった。辺りを見回し伸びをする。 

「ふわあ、よく寝た。ありがとな、祥ちゃん。んじゃ、また」

 照れもせずさらりと言い残して帰って行く後ろ姿を見ながら、祥子は自分の膝に残る彼の感触を持て余していた。 

 ——結婚したふたりに当てられて、人恋しくなっただけ。きっと、そう。

 ほろ酔いの頭で無理矢理納得させて、祥子は家路についた。









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