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「そういえば、今度の『かたつむりの会』、祥ちゃんは出る?」

「うん、出るよ。今回は定休日の水曜だから、大手を振って出られるし」

「何か今回、成田屋のタロちゃんがはりきってて、なるべくみんなが出られるように商店街の休みの日にしたらしいよ。私にも『息子を親に預けてでも、俊介とふたりで出てくれ』って。なんでも重大発表があるとかで」

「またまた。成田屋はいつも大袈裟なんだから、話半分で聞いてた方がいいよ」

「確かにね」


 祥子たち幼なじみは、数ヶ月に1回集まって会合を開いている。

 アラサーともなればメンバーは自然、自営業の跡取りや長男、長女がほとんどだ。長男の俊介に嫁いだみちる、豆腐店を営む成田屋の太朗など、家付きで地元に残った面子、ということで、ついた名前が『かたつむりの会』。仲間の消息や町の情報を交えつつ、地元の未来を考える、という名目の、まあ要するに飲み会である。


「最近のメンバー、ほぼ固定だなあ。うちらの2こ下、みちるちゃんの学年が多いんだよね。みちるちゃん、俊介くん、成田屋タロちゃん、文具屋のぶんちゃん。6月のときは鉄ちゃんも来てたっけ」

「そうそう。祥ちゃんの学年は、顕生和尚と、えっと」

「『八百初』の透ちゃん。忘れると盛大にむくれるよ」

「ああ」

 ふたりは顔を見合わせて笑った。

「かたつむりの会」の実質的リーダーは豆腐の成田屋だが、明るい透もムードメーカーとして欠かせない。お調子者だが皆をまとめるのがうまく、新しいことにも果敢に挑む。町の年長者の信頼も得て、今や商店街の商工会青年部会長を務めていた。 

「透ちゃん、商売の一環で野菜ソムリエの教室通ってるらしいね。男性ひとりでモテモテだって」

 みちるの言葉を祥子は鼻で笑った。

「どうせ本人が言ってるだけでしょ」

「ああ、そうかも。でも透ちゃん、黙ってれば見てくれはそんなに悪くないよ? 八百屋さん手伝い始めてから、身体も結構がっちりしたじゃない。そのくせ顔がかわいい系だから、ギャップが受けそう」

「あれが、かわいいっていうの? 天パくるくるで、垂れ目なだけじゃない?」

 女ふたりで言いたい放題こき下ろしていると、黙々とお好み焼きを食べる陽介の頭越しに、赤いピックアップトラックが見えた。『巴』の店先にぴたりと寄せて停まる。車体の脇には、わざとレトロな字体で書かれた「八百初ストア」の名前と電話番号。

「ああ、噂をすれば」

 トラックのドアが開き、くるんとした癖っ毛を揺らして運転手が下りてくる。勢いよく「巴」のドアを大きく開け放つと、エンジンを駆けたままの運転席から、陽気な音楽が漏れ聞こえてきた。


「毎度ーっ」


 透の垂れ目が、祥子たちを認めてさらに人懐っこく細められる。

「おう! みちるにちびすけか」

「ちびちゅけじゃないもん! ようちゅけだもん!」

「そっかそっか」

 透は豪快に笑って、ぐりぐりと陽介の頭を撫でる。

「ちょうど透ちゃんの噂してたとこだよ」

「ん? 誰が街で噂のイケメンだって? いやいや、皆まで言うな」

 軽口を叩きながら、慣れた様子でドアストッパーを蹴り扉に挟むと、エンジンをかけっ放しのトラックへ戻った。


 運転席から流れてくる曲は、季節外れの『ジングルベル』。

 繰り返し言うが、今は8月、夏真っ盛り。冬はもちろん猛暑の中でも、透が赤いトラックで聴くのは、いつだってクリスマスソングだ。このいかれたサンタクロースが持ってくるプレゼントは、ダンボール箱に入った丸々としたキャベツや、しゃきしゃきのもやしだけれど。

「透ちゃん。ちゃんと『八百初』に車止めて、荷台で運んできてよ」

 『八百初』は『巴』の向かって左隣。駐車スペースは『八百初』のさらに左隣にある。目と鼻の先だというのに、透はいつも配達帰りのピックアップトラックを『巴』の前につけるのだ。

「面倒だろ。入り口に止めれば荷台出さずに済むし」

「じゃせめてエンジン止めて。エコじゃないし、クリスマスソングは聞き飽きた」

「いいじゃん。一応夏らしくハワイアン・バージョンにしてるんだぜえ?」

 確かに耳を澄ませば、ウクレレとスチール・ギターの音色が聞こえてくる。

「ハワイ語で『ジングルベル』は『カニ・カニ・ペレ』っていうんだってさ。サンタ帽被ったカニが、ハワイの浜辺でフラダンスしてるみたいじゃね?」

 勝手知ったる幼なじみの店、透は楽しげに歌いながら、カニの横歩きで野菜の入ったダンボールを運ぶ。『カニ・カニ・ペッレ、カニ・カニ・ペッレ』と、ときおりフラダンスのように腰を振れば、フォークにお好み焼きを刺したままの陽介が、げらげら笑い転げた。

「おっと失礼」

 キッチンに立つ祥子の後ろをすり抜けるとき、透の腕が背中にぶつかる。ちら、と目をやれば、半袖シャツから出た二の腕に、浮かび上がる筋肉の束。

 確かにみちるの言うとおり、八百屋を継いでからの透はひと回り身体が大きくなった。シャツを押し上げる胸板の厚さ、財布代わりのファスナー付きエプロンが巻かれた、引き締まった腰。重い野菜の仕入れや配達で鍛えられ、着実に変わっていく姿を間近で見ていた。

 子供のころ、やせっぽちで天然パーマだった透に、ついたあだ名は「耳かき」。当時アフロみたいだったもしゃもしゃの髪は、カットがいいのか髪質が変わったのか、今はふんわりとさりげないシルエットを作っている。大きな垂れ目は変わらないのに、間近で見ると子供のころとは違う、いかつい男っぽさに、少し戸惑う。

 透は野菜の箱を邪魔にならない隅にきちんと置くと、箱の上に乗せていた封筒から白い紙を取り出した。

「すみませんが、月末なんで、よろしくお願いします」

 きちんと両手で持って差し出したのは、今月分の請求書。ふざけていてもこういうところはきちんとしていて、父親にしっかりたたき込まれんだろうな、と思う。


 彼の母は透が中学の時、脳出血で亡くなっている。彼には姉もいたが、5年ほど前に結婚して家を出た。嫁いでからもときおり店や家事の手伝いに来てくれるものの、基本父親と男ふたり所帯である。

 透は当初、実家の青果店を手伝う気は毛頭なかったらしい。

 長男が店を手伝うのが当然、という世間の空気を嫌い、手伝いどころか、高校もさぼり遊びほうけていた。卒業してからもへたくそなバンドを組んで路上ライブをやっていたと思ったら、友達とサーフショップを開くのだと、突然海辺の街に飛び出して行った。

 事情が変わったのは、父親が胆嚢炎をこじらせ入院したときだ。彼の父は痛みをこらえて仕事を続け、結果ひどい腹膜炎を起こして緊急手術となった。最低でも1か月は休まなければならないと宣告され、急遽長男の透が呼び戻された。サーフショップのロゴが入った赤いピックアップトラックに野菜を積み、透は父の代わりに奔走した。父親の容態も好転し退院の目途が付いたとき、幸か不幸か友人のサーフショップが立ちゆかなくなり、透はそのまま青果店を継ぐことになったのだ。

『病気もたまにはするもんだよなあ』

 透の父は罰当たりなことを言いながら、跡継ぎが出来たことを喜んでいた。『八百初』を手伝い始めた当初は必死の形相で働いていた透だが、車のロゴも『八百初ストア』に塗り直した今、楽しげに配達に勤しんでいる。

 ジングルベル、ジングルベル。天然パーマのサンタクロースは、今日も街をひた走る。




「ああ、透ちゃん、来たんだ」

 夜の出番が近づき、店に現れた母の早苗は野菜のダンボールを見てにやりと笑う。

「いっつも、あの子は、あたしのいない時間見計らって来るねえ」

 早苗は、透が祥子に気があると思っているらしい。学生のころまでは男性関係にうるさかった親も、娘が三十路になれば、手のひらを返したように相手を見繕おうとするのだから呆れてしまう。

 こんな時はさらりとかわして話題を変えるに限る。

「お父さんは、仕事行ったの?」

「うん、今日は1時までの深夜勤」


 祥子の父親は「巴」の常連だったタクシーの運転手だ。店に通ううち、働き者で気立てのいい早苗に引かれたのだという。

『鼻っ柱が強くて、気が利いて、明るくて。これはみっけもんだと思って結婚したら、客じゃなくなったとたん、俺のことなんて放りっぱなしなんだもん。詐偽だよなあ?』

 祥子の父はそう言って笑うが、今でも妻の早苗にべた惚れだ。早苗が腰を痛めてからは仕事のシフトを変え、店に出ている祥子の代わりに病院通いにも付き添っている。父の協力がなければ、『巴』はとうに潰れていただろう。


 祥子は両親と、『巴』にほど近い小さな一軒家で暮らしている。

 もともと、母の早苗は祖母とふたりで『巴』の2階に住んでいた。結婚をしても女将の仕事を続ける以上、当然そこで結婚生活を始めるつもりでいた早苗だった。ところがいざ結婚が決まると、祖母の巴が出ていけと言う。


『早苗をもらってくれて、その上店も続けさしてもらえるなんて、こんなありがたい話はないよ。新婚の邪魔なんかしたら罰が当たっちまう。資金は出すから、とっととふたりでどこかに家を見つけてきな』


 祖母は早苗を追い払うと、『巴』にひとりで暮らすようになった。2階の住居は、主が亡くなった今でもそのままになっている。自宅から店に来ると、いつも祥子は2階に上がった。白黒の祖父と祖母の写真が寄り添うように壁にかけられたその部屋で、エプロンをつけ支度を調えると、身が引き締まる思いがする。



『女も手に職を持たなきゃだめだよ。男なんて、丈夫だと思ってたって、いつどうなるかわかんないんだから』


 祖母の巴はいつも祥子にそう繰り返し説いた。いつも毅然として働き、男性並みに弁が立ち、それでいて情に厚かった巴。その姿は、今でも祥子の憧れだ。

 生まれたときから祖母や母がコテをふるう姿を見て育った。小学生のころは飲兵衛が管を巻くカウンターの隅でご飯を食べ、宿題をしていたものだ。気がつけば店の手伝いをさせられ、祖母が亡くなったころから本格的に厨房に立つようになった。 

 大好きな祖母が興した店を、守っていくのは誇らしい。母早苗が体調不良の今、仕事は相当きついけれど、お好み焼き屋の仕事は気に入っている。祖母から伝えられた味を喜んでもらえるのが嬉しい。


 ただ、毎日店に出て働くだけの日々だ。大した趣味もなく、新しい出会いもない。

 だから母は言うのだろう。


『あんたをもらってくれるのは、透ちゃんくらいしかいないよ』


 母にとって透は、昔から家族も仕事もよく知っている、安心でお手頃な相手なのだろう。祥子はからかわれるたび胸の中で呟く。


 ——八百屋とお好み焼き屋なんて、どうせうまくいきっこないって。


 うっかり口車に乗って結婚し、すれ違った揚げ句離婚でもしたら、同じ町内で一生気まずい思いをする。手短かな相手を選ぶのは、楽なようでハイリスクだ。幼なじみ同士で結婚したみちるたちは、それだけ相手のことが好きで、覚悟があって結婚したに違いない。

(見てる分には、幸せそうだけどな)

 学生時代にした恋愛も自然消滅的に終わり、現在に至っている。

 お好み焼きを焼くくらいしか能がない自分。

 染めてもいないまっすぐな髪をシュシュでくくって、赤くひと文字『巴』と染め抜いた藍染めのエプロンがトレードマーク。凹凸のない身体に着るのは洗いざらしのTシャツにジーンズだ。色気もへったくれもない。

 ひと癖もふた癖もある商店街の面子や、酔客の相手をしているうちに、男性の際どい台詞やセクハラもさらりとかわせるようになってしまった。母親の早苗は、猥談にも適当に参加し、わざと困ってみせたり、笑ってあしらったりする。そんな女将としての才覚や女の愛嬌が自分には欠けていると思う。祖母や母のように理解あるパートナーを見つけるのは、万に一つの奇跡だ。

 だから今日も祥子はひとり厨房に立つ。

 黙々と、粉をふるって、キャベツを刻む。

 そして、ときどき、考える。

 自分は何のために、こうしてキャベツを刻んでいるんだろう、と。 









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