-9- オーディション(5)
僕は今、空を飛んでいるイメージを浮かべ、まさしく『風の子』になった。両手を広げ縦横無尽にその場を疾風のごとく旋回していた。誰の声も、誰の目も気にせず、僕はそれを思いっきり表現し続けたのだった。
しかし、あまりに調子に乗りすぎてしまい、わずか三メートルほど横で、別の参加者が審査を受けている事など、すっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。
……そして案の定それは起きた。隣で審査を受けていた女の子の腕に、広げた僕の手がぶつかってしまったのだ。
「あ、すいません」
僕はその瞬間、自身が演技中という事も忘れ、『風の子』から現実に戻ると、その女の子に向かって思いっきり謝ってしまうのだった。すると、先ほどまで高揚していたテンションも一気に下がってしまい、またいつもの奥村光弘に戻ってしまったのだ。
演技を中断した僕に、坂野先生は特にその表情を変える事もなく、「はい、結構です」と言うと、採点表にスラスラとペンを走らせた。先生の顔色を伺う限り、どうやら今回は大失敗のようだ。どんな事情があろうと、演技を途中で投げ出すなんて、プロの世界ではあってはならない事なのに……。
「次は……隣の川島先生に審査を受けてください」
いきなり走り回ったせいか、少々息遣いが荒くなっていた僕は、その採点表を受け取ると息を整えながら坂野先生に頭を下げるのだった。
次の審査に向け隣のテーブルに目をやると、先ほどぶつかった女の子がまだ審査中だった。その子も恐らく僕と同じ中学生くらいのようだ。
その内容は、どうやらカリキュラムに書かれている台詞を基に演技をしているらしい。見ると彼女は全ての台詞を暗記済みのようで、目を輝かせ大きな声を出しその役を演じきっている。気付けば僕は目の前のライバルにすっかり見とれてしまっていた。
「ありがとうございました!」
その女の子は審査をする川島先生に深く頭を下げる。その声で僕もようやく我にかえる事が出来たのだった。瞬間、僕の気が引き締まった。彼女くらいのレベルでなければ合格は厳しいのだと。
すると、彼女は側で立っていた僕に気付き、微笑みながらエールを送ってくれる。
「お互い頑張ろうね」
先ほどぶつかった事で、「彼女はきっと怒っているだろうな」と、思い込んでいた僕は、その言葉に拍子抜けしてしまい、「あ、うん」としか言えなかったのだった。