―2-1― 再会の入所式
この冬一番の寒波が押し寄せてきた一月の半ば。僕は『フェイス・アクト』の入所式に参加するため、あのオーディション会場となっていたとあるビルへやってきた。
ふと、僕のように入所式にやって来る子がどれほど居るのか気になった僕が辺りを見回す。だが、ビルにやって来る人はまばら。オーディションを受けに来ていた人の数を考えれば、これは狭き門をくぐり抜けてきたという表れか。僕の心に少しばかり自信が漲ってきた。
「一応、今日から芸能人の卵ってカンジかな」
我ながら自覚を持つということが、こんなに恥ずかしいものとは思わなかった。でも、それほどに気持ちは高ぶっていた。
オーディションの時は特に違和感は無かったが、『フェイス・アクト』の看板も掲げられていない、少々殺風景なこのビルが教室となるらしい。言わば僕の役者人生のスタートを切る場所。「ホントにここで良いのかな?」と少し不安げに階段を上り、三階にある一室の前にやってきた。
部屋の前に掲げられた据え置きの黒板には『フェイス・アクト 第三十一期Aクラス研修生 入所式』と書かれている。まさにそこはあのオーディション会場が行われた大広間だ。僕は慎重にドアノブを握り、恐る恐るドアを開いた。
部屋の中は式の開始二十分前だというのに、すでに二十人近いオーディション合格者が入室しており、それぞれ緊張した面持ちで整然と並べられたパイプ椅子に着席していたのだった。
僕はドアを閉めると極力みんなと視線を合わせず、目立たないように後ろの方の席に座る。僕が着席してまもなくだ。部屋のドアが開き明るい女の子の声が響き渡った。
「おはようございます!」
その元気な声に返答したのは小声で数名。ハキハキとしたその声の主は、軽く部屋を見渡すと僕を発見した。すると小さく手を振りながら駆け寄ってくるではないか。
「オハヨー! 君、受かったんだね! おめでとう!」
「あ、いや、そっちこそ……おめでとう」
そうだ、その子はオーディションの日、僕が演技に夢中になるあまり、誤って腕をぶつけてしまった演技の上手な女の子だった。驚いたことに彼女も合格していたのだ。いや、あの演技力ならむしろ当然だ。僕が驚いたのはそうではなく、どこかで期待していた彼女との『再会』に対してなのかもしれない。
「私は中條瑞恵。中学二年生です。君は?」
「ぼ……俺は、奥村光弘。俺も中二」
「あっ、なんだタメじゃん! 奥村くん。これからよろしくね」
どうしたんだろう、こんな気持ちは初めてだった。新しい世界への不安が一掃され、心の底からますますやる気が湧いてくる。その心にある彼女への淡い想いに気付く事に、それから数秒も要さなかった。
僕は式が始まるまでの間、中條さんとしばらく会話した。学校の事、住んでいる場所。もちろん、好きなタレントや芸能界について他愛ない話に花を咲かせ、うかれ気分のまま時は過ぎ、やがて式が始まった。
部屋に居る三十名ほどの新入生を担当するという、三十代らしき男性社員の青柳啓太さんが、自己紹介を交え色々と説明を始めた。『フェイス・アクト』の歴史、新入生としての心得、授業の進め方、僕は持ち込んだ手帳に彼の言葉をメモしていく。
一通り話を終えると青柳さんは唐突にそれを投げかけた。
「ではここで皆さん一人ずつ自己紹介してもらいましょうか。呼ばれたら前に出て、名前と簡単な自己PRをしてください」
淡々とした表情で彼は名簿に目をやると、「では、伊藤洋子さんからお願いします」と新入生らに向かって声をかけた。呼ばれた伊藤さんが緊張した面持ちで皆の前に立つ。だが、名前を言った後しばらく押し黙ってしまう。やはり何を喋ればいいか分からず混乱しているようだ。
「何でも良いですよ。志望動機、やりたいこと、好きな役者。難しく考えず肩の力を抜いて話してください」
そんな青柳さんの助言もあり、ようやく伊藤さんは話し始めた。そうして新入生それぞれの自己紹介が進んでいく。
そんな中、一際存在感を示したのは中條さんだった。あのオーディションの日と同じように目を輝かせハキハキと話し始めた。でも、元気で明るく、誰からも好かれそうな彼女なのに、その目指すべきものはかけ離れたものだった。
「私は女優志望です。思い切り人に嫌われる女優になりたいです」
その発言に驚いたのは僕だけではない。それまで俯いていた数名が頭を上げて彼女を見つめるほどだった。
自己紹介を終えて席に戻ってきた彼女に僕が思わず声をかけた。
「今のって?」
「……? 私何かマズイ事言った?」
「あ、いや」
どうやら僕は全速力で彼女の魅力に惹きこまれているようだ。だが、次の彼女の言葉で頭を冷やすことになる。
「それよりさ、奥村くんまだ名前呼ばれてないよね。……これってアイウエオ順だったよね?」
「え……。そういえば」
やがて青柳さんは僕の名前を呼ばないまま名簿を閉じたのだった。