第七話 近衛騎士
午前の淡い光が差し込むグラナード城の広い回廊を、私は歩いていた。両端に連なる柱が、磨かれた床に影を落としている。
象牙色の絹のドレスが静かな衣擦れの音を響かせるだけで、城の者たちの視線が集まるのを感じた。
「フィデル卿とクレメンテ卿よ……」
「あのお二方を侍らせるなんて」
名も知らぬ令嬢たちの囁き声が落ちる。
私が視線を向けると、彼女たちは息を呑んで俯いた。
(仕方ないとはいえ、どこまでも張り付いてきてうんざりするわ……)
私は、後方の近衛騎士たちに気づかれぬよう、そっとため息を吐いた。
立ち止まると、左手に広がる庭園を見つめる。背後を守る近衛騎士たちの視線を感じた。
「アダルジーザ様……庭園をご案内致しましょうか」
近衛騎士のフィデル卿の提案に、私は暫し沈黙した。
(気分転換になるかもしれないわね……)
「ええ、お願いしますわ」
「畏まりました。こちらにあるのは、東の庭園になります。――今の季節は……アダルジーザ様?」
(あの方は……)
私の視線の先、白い回廊の奥には純白の聖衣を翻す後ろ姿があった。その腰には、大司教の証である金の飾り帯が煌めいている。
回廊を渡る柔らかな風に、首の中ほどで軽く整えられたホワイトブロンドの髪が微かに靡いていた。
その向こうには、白く輝く大聖堂が聳えている。
私の視線を辿ったのか、近衛騎士のクレメンテ卿が微笑んだ。
「アダルジーザ様。あちらには、大聖堂と女神エルシリア様の泉がございます。お連れいたしましょうか」
クレメンテ卿の申し出に、私は大聖堂を見上げた。
そのとき、柔らかな風がほのかに甘い香りを運んできた。
覚えのある、芳しい樹木の香りに胸が締め付けられる――
(あの方には、きっともう会えないわ……)
この城に、彼がいるはずがない。
私は、湧き上がりかけた期待を打ち消すようにその面影を振り払った。
「いえ……庭園の案内をお願いしますわ」
そう言ってフィデル卿に視線を向けると、彼は薄く笑んだ。
その表情に、微かに胸がざわめく。
「畏まりました。……アダルジーザ様」
一礼したフィデル卿に少しだけ微笑み返すと、再び回廊の先に視線を戻す。
けれど、先ほど見かけた神官の姿はもうなかった。
「アダルジーザ様、参りましょう」
微笑むフィデル卿に差し出された手。
私は逡巡すると、彼の手を取り庭園へ繋がる階段を下った。
(見事な庭園ね……)
庭園には、色鮮やかな花々が咲き乱れていた。赤い薔薇のアーチには、美しい蝶が止まっている。
(あれは――)
ふと、庭師の傍らにいる少年が目に留まった。
年は、十二から十三歳ほどだろうか。真剣な顔で水撒きをしている姿に、思わず笑みが零れた。
──『イーザ姉様』
ふいに浮かんだ、懐かしい呼び声とまだあどけなかった笑顔。
(アメデオに似ているわ……)
少年の横顔に弟の面影が重なり、私は思わず歩み寄った。
そのとき――
「きゃっ……!」
「アダルジーザ様!!」
少年の撒いていた水を頭から浴びてしまった私は顔を拭った。ドレスもすっかり水浸しだ。
「アダルジーザ様、こちらをお使いください」
フィデル卿が、外したマントを羽織らせてくれた。微笑んで礼を言うと、揺れる瞳が私を見つめた。
(いけない……あまり関わらないようにしないと──)
思わず、表情を強張らせて少しだけ俯いた。
「申し訳ございません!」
庭師が叫んだ。彼は真っ青な顔で地に跪いていた。その傍らでは、少年が両手をついて私を見上げている。
「倅はまだ子どもで、どうかお許しを……! 私はどうなっても構いませんから!」
庭師も少年もひどく震えていた。
(私は、一体何だと思われてるのかしら……)
二人の様子に、胸がひどく苦しく感じる。
私は微笑むと、二人の前で屈んだ。
「あなた達は何も悪くありませんわ。……ご子息が弟によく似ていて、つい近付いてしまったのです」
「どうか気になさらないで」と笑むと、マントを胸元で手繰り寄せたまま近衛騎士の二人に振り返った。
「彼らに罪はありませんわ。……このことは、誰にも言わないでちょうだい」
フィデル卿とクレメンテ卿は、「仰せの通りに」と頭を垂れた。
◇
その日の夕刻。
湯浴みを終えた私が部屋で休んでいると、扉が叩かれた。
「アダルジーザ様、新たに女性の近衛騎士が配されましたので、ご紹介致します」
フィデル卿とクレメンテ卿の背後から、一人の女性が進み出た。
「ベルナルディータ・ドレルと申します。……皇帝陛下の命により、近衛を務めさせていただくこととなりました」
彼女は淡々とそれだけを言うと、硬い所作で頭を垂れた。
女性騎士というだけあって大柄だが、銀の甲冑がよく似合う気の強そうな美人だ。
彼女の胸元には、桔梗の花が刻まれたプラチナのペンダントが輝いている。女神エルシリアの紋を身につけるくらいだから、信仰心が余程厚いのだろう。
(……この人、私のことが嫌いなのね)
彼女の視線や態度から、私に良い印象を抱いていないことが嫌でも伝わってきた。
女性騎士を配してくれたのは、おそらくテオバルドの配慮だろう。だが、気が休まるとは少しも思えなかった。
「頼りにしておりますわ。どうぞ宜しく」
そう言って微笑むと、ベルナルディータ卿が一礼して、金属が擦れる音が響いた。
だが、彼女は硬い表情と瞳の奥に宿る冷たさを隠そうとはしなかった。
(仲良くなるのは、難しそうね)
何故かざわめく胸の奥に、私は瞳を伏せた。




