表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/46

◆第四十六話 花を捧げに

 ひんやりと湿った空気の中に、微かな靴音が二つ響いている。

 まだ夜が明ける前、テオバルド様と私はグラナード城の地下通路を歩いていた。彼が持つカンテラの灯りが、闇の中で揺れている。


「イーザ、足元に気を付けろ」


 振り返った彼に差し出された手を握り、私は彼の先へと進んだ。

 そこには、階段が続いていた。少し大きめの黒い外套とドレスの裾を持ち上げ、ゆっくりと階段を登っていく。


(外だわ……)


 青い草の匂いに包まれる。出口は城壁の外に繋がっていた。

 振り返ると、少し離れた場所にグラナード城が見える。まだ、あたりは薄暗かった。


「王家の者だけが知る抜け道だ」


 そういった彼は、いつの間にか黒い馬を引いていた。


「さぁ、イーザ」


 彼に手を差し出されて、私は馬へと乗った。その後ろにテオバルド様が跨る。


「しっかり掴まっていろ」


 背を支える彼の硬い胸板を感じる間もなく、馬は駆け始めた。

 私の故国であるペルラへ向かって――


 ◇


 馬を走らせ続けて、陽が沈んだ。

 森の中、テオバルド様は大きな木にもたれかかり、私はその胸に身を寄せていた。時折吹く風に、葉擦れの音が静かに響いている。


 そっと見上げれば、木々の間からは白銀の星々が煌めいているのが見えた。

 こうして城の外で過ごすのは初めてだった。

 不思議な感覚に、私は夜空を見上げた。


「イーザ、大丈夫か」


「ええ、平気ですわ……わたくしの我が儘を聞いてくださって、感謝いたします」


「……私も挨拶に行きたいと思っていた」


 そう静かに返してくれた彼の胸に、私は頬を寄せた。

 亡き父と兄弟たちに花を捧げたいという私の願いのために、彼はこうして忍んで連れてきてくれたのだ。


「……ですが、数日も城を空けて大丈夫なのですか」


「バルデスに頼んである。何も心配しなくて良い」


 彼の手が私の髪を撫でた。


「それよりも、私はお前のことが……」


 言葉を詰まらせた彼は、言い淀んだまま視線を落とした。


「テオバルド様?」


 「いや、何でもない……」と彼は微かに微笑むと、外套で私を包み込んで抱き寄せた。

 彼の香りに、胸が高鳴り始める。


 夜風に葉擦れの音が響く。

 ふと、湧き上がった疑問に私は顔を上げた。


「テオバルド様は……どうしてここまでしてくださるのですか」


 私がそう問うと、彼は目を見開いた。

 黙って見上げていると、小さく吹き出した彼が「私にそれを聞くのか」と笑った。


 交わった視線。

 彼の赤い瞳には、私が映っている。


「……お前、私のことを怖がらなかっただろう」


「……?」


 少し首を傾げた私の頬に、「昔の話だ」と微笑んだ彼が触れた。


「この瞳を少しも怖がらなかったのは――お前が初めてだった」


 細められた、柘榴石のような瞳。


「イーザはまだ小さかったから、覚えていないだろうが――」


 「宝石のようだと笑ったんだ」と言った彼の瞳は僅かに滲んで見えた。


(テオバルド様……)


「……忘れてくれ」


 そう言って瞼を伏せた彼に、私は首を振った。

 微笑んで見上げると、視線を逸らした彼にきつく抱き締められる。


「もう眠れ……お前のことは、私が守ってやる」


 掠れた彼の声に、私は瞼を閉じた。

 彼の鼓動と温もりに包まれながら、意識は微睡みに溶けていく。

 どこからか、ふくろうの鳴き声が響いていた――


 ◇


 イーザが、私の腕の中で微かな寝息を立て始めた。その寝顔は、無邪気に笑っていたあの頃と変わらぬままだ――


 バルデスに調べさせた報告書の内容が、脳裏を過ぎる。


 ――十一年前。

 私と二つ違いだったペルラの廃太子と王妃の幽閉。

 そして彼女のために用意された、女だけの離宮――


 彼女との婚約の話が流れたことを父から聞かされたとき、十三歳だった私はひどく落ち込んだ。

 そして、彼女と会う機会はなくなった。


 だが、彼女が離宮で大切に育てられていると耳にして、『いずれ迎えに行けば良い』――そんな愚かな考えを抱いていた。

 何も、知らずに――


 右の拳を、強く握り締める。


 この憤りは、私自身へ向けられたものだ。

 何も知らず、のうのうと生きてきた自分が許せなかった――


「ん……」


 僅かに身動ぎした彼女が、私の胸に頬を寄せた。華奢な体を外套で包み込む。


(必ず、守る……)


 そう心に誓いながらも、私はどこか不安だった。

 彼女を失うことを、恐れているのかもしれない――


 冷たい風が吹き、彼女の体を守るようにそっと抱き寄せた。

 見上げた木々の間からは、白銀の星たちが瞬いていた。


 ◇


 夜が明けた。

 テオバルド様の腕の中で迎えた朝は、とても温かく、少しだけ気恥ずかしかった。


 私たちは、休憩を挟んで馬を走らせ続けた。

 空が薄紅色に染まり始める頃、私たちはペルラの城へと到着した。


「イーザ……」


 彼の気遣うような声を背に、私は城を見上げた。どこか寂しい風に、胸に抱いた白桔梗の花束が微かに揺れる。


(お父様……)


 数ヶ月前に滅ぼされたペルラの城は、静かに眠るようにそこに佇んでいた。


 プラータの計略によって守りが手薄になっていたペルラ城は、抵抗することも出来ずに落とされた。

 美しかった城下町は無惨に破壊されたが、こうして城だけが美しいまま残されていた。


「イーザ、どこへ行くんだ」


「こちらですわ」


 私は、城へと足を踏み入れた。

 変わりのない外観とは違い、荒らされた城内の様子に胸がひどく締め付けられた。

 ベルベットのカーテンは引き千切られ、壁を飾っていたはずの燭台や絵画も失われている。

 とても、室内に入ろうとは思えなかった。


 そうして城の廊下を抜け、私たちは中庭へと進んだ。


(ここに……お父様とアメデオが……)


 そこには、白桔梗の花に囲まれた一つの真新しい墓石があった。墓石には、父と兄弟たちの名が刻まれている。

 私は、跪いて花束を捧げた。


(……お父様、アメデオ、お兄様たち……どうか、安らかに……)


 私は、亡くなった家族のために祈りを捧げた。

 静かな風に、墓石に捧げた白桔梗の花が揺れた。

 振り返ると、彼も跪いて祈りを捧げてくれていた。


「テオバルド様、ありがとうございます」


「イーザ……これは、一体誰が……?」


 彼の視線に、私は再び墓石を見つめた。


「プラータの王太子殿下ですわ。父たちを埋葬してほしいと、お願いしたのです……」


 あの婚礼の日に、弟の王子に斬られて命を落としたプラータの王太子。

 彼は、私を手に入れようとしたプラータ国王から守ってくれた。愛していたわけではないが、彼に対しては感謝の念と言いようのない罪悪感を抱いていた。


 そのとき、ふいにテオバルド様に抱き寄せられた。

 胸元に押し付けた頬。彼の鼓動が聞こえる。


「……死んだ男のことなど忘れろ。私だけを見ていれば良い」


 私は、黙ったまま彼の温かな胸に体を預けた。

 辺りに咲いている白桔梗の花が静かに揺れている。


(テオバルド様……)


 その時、ヒュンと風を切る音が響き、彼が体を反転させた。


「――っ……」


 私を強く抱き締めていた腕が緩み、彼が低く呻いた。


「テオバルド様?」


 冷たい風が吹き、白桔梗の花がざわりと揺れる。


「イーザ、すまない……」


 僅かに顔を歪め、彼は片膝を付いた。


「テオバルド様……!!」


 私は悲鳴をあげた。

 彼の背中には、矢が刺さっていた――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ