◆第四十五話 赤い瞳
私は、その日から彼の部屋で過ごすことになった。
薄紅色の陽射しに照らされた室内で、私たちはソファに座っていた。
「イーザ……」
甘く、掠れた声が落ちる。
陛下の膝の上で身動ぎすると、抱き寄せられた。その胸元から香る甘く深い香りに、また目眩がしそうになる。
「陛下……」
見上げた赤い瞳が揺れている。
彼は淡く笑むと、私の頬にそっと触れた。
「テオバルドと呼んでくれ」
恥ずかしくなった私は、視線を落とした。
頬に口づけが落とされ、彼をそっと見上げる。
「……テオバルド、様」
小さくそう呼ぶと、彼の瞳が熱を帯びた。
近付いた彼の顔に瞼を伏せると、彼が僅かに笑む。
優しく重ねられる熱に、思わず彼の礼装を掴む。けれど、力は入らなかった。
「愛しいイーザ……」
髪を撫でられ、何度も口づけられる。
聞いたことのない甘い声と柔らかく触れる熱に、胸の奥が熱く蕩けるようだった。
「イーザ」
名を呼ばれ見上げると、彼は薄く笑って私の頬に触れた。
「安心しろ。……お前のことは、私が必ず守る」
低く、強い声音。
私は彼の香りに包まれたまま瞼を閉じた。
胸の奥に巣食う不安が消えたわけではない。それでも、この温かな腕の中ではすべてを忘れられる気がした。
――どれくらい経ったのだろうか。
窓の外は、薄暗くなり始めていた。
「テオバルド様……」
そう呼ぶと、彼が私を見つめた。その赤い瞳の奥には柔らかな光が灯っている。
まだ少年だった頃と同じ眼差しだ――
「……わたくしを、プラータから助けてくださったことを感謝いたしますわ」
そう告げると、彼の瞳は僅かに見開かれた。
あのプラータでの婚礼の日に彼に奪われてから、そのことに関して礼を伝えたのは初めてだった。
会ったばかりの頃は、彼に殺される運命だと怯えていたことを思い出し、不思議な気持ちに包まれる。
「いや……すぐに助けられなくて、本当にすまなかった」
彼はそう静かに返し、私の頬を撫でた。私を見つめる瞳は揺れていた。
「ペルラが攻められたと知ったとき、私はすぐに向かった……だが、辿り着いた頃には、もう――」
苦しげに伏せられた瞼。
きつく抱き締められ、ざらりとした黒い生地に頬が触れる。
「お前が無事でいてくれて、本当に良かった……」
その掠れた声に、私は瞼を閉じた。
彼の想いを感じながら、あの日のことを思い出し目の奥が熱くなる。
私はしばらく、彼の腕に包まれていた。
「イーザ」
落ちた声と衣擦れの音に視線を上げると、彼の手には銀の短剣があった。
「これを、返しておく」
彼から差し出されたのは、以前彼から貰った短剣だった。
物語の最期で、彼が自ら心臓を貫いていたものと同じ短剣――あの瞬間の彼を思い出し、胸がひどく締め付けられる。
「……感謝いたします」
鞘に嵌め込まれた柘榴石が煌めいた。
絶対に、彼に使わせるわけにはいかない――
「護身用だ。……絶対に、お前自身には使うな……良いな?」
ほんの僅かに鋭くなった赤い瞳。
その真剣な眼差しに、私は頷いた。
「イーザ、お前は私だけのものだ……この命に換えても私が守ってやる」
そう言って笑った彼に、胸の奥が何故かざわめいた。
窓の外は、すっかり暗くなっている。
燭台の炎が揺らめき、ろうが溶けた音が微かに鳴った。
◇
大臣ザルマンは、廊下を歩いていた。
眉間には微かに皴が寄り、瞳には苛立ちを滲ませている。
(皇帝陛下には、何としてもエメルリンダ王女を皇后に迎えていただかなくては……)
彼は立ち止まると、指に嵌めた豪奢な金の指輪を手のひらで隠すように撫でた。真新しいそれには、この帝国では手に入らない希少な宝石が輝いている。
「ザルマン、そこで何をしているのだ」
その声に振り返ると、そこにはエミディオが立っていた。グラナード王家の証である赤い瞳が、ザルマンを怪訝そうに見つめている。
「エミディオ殿下……」
ザルマンは一瞬だけ逡巡すると、僅かに口角を上げた。
窓の外には、宵闇が広がっていた。




