第四十三話 小説の結末
沈んだ意識の中――
私は、まるで参列者の一人のようにその美しい光景を見つめていた。
それは、『囚われの王女アダルジーザ』という物語の結末だった――
白く輝く大聖堂は、淡い青色を帯びた澄んだ光に照らされていた。
祭壇で向かい合うのは、金の冠を戴いた皇帝テオバルドと、純白のヴェールとドレスを纏ったアダルジーザだった。
「誓いの口づけを」
ナタニエルの静かな声が響いた。
淡く微笑んだテオバルドがアダルジーザの頬に愛しげに触れ、両肩にそっと手を乗せる。
唇を重ねる二人の向こうでは、聖衣を纏ったナタニエルが瞳を伏せて佇んでいる。彼女の横顔を一瞬だけ覗き見たその瞳は、切なげに揺れていた。
口づけが終わると、僅かに瞼を伏せたアダルジーザが静かに腰を落とした。
その頭上に、テオバルドの手によって柘榴石が輝く金の冠が乗せられる。
「祝福の聖杯を」
ナタニエルは微かな微笑を浮かべたまま、テオバルドに金の杯を差し出した。
テオバルドは、それを手にし参列者に向けて掲げる。
「これをもって、アダルジーザは我が后となる!」
彼はアダルジーザに向き直り微笑みかけると、彼女に杯を差し出した。その中には、赤い果実酒が満ちている。
淡く微笑んだアダルジーザが杯を両手で受け取り、唇をそっと寄せた。
その場にいる全ての者が、その美しい姿に見惚れていた。
その時、彼女の白い手から杯が滑り落ちた。
透き通る静寂に響いたのは、壊れた鐘を打ったかのような鈍い音色――
杯が白い大理石に転がり、零れた果実酒の赤がレースの裾に滲んでいく。
聖堂内に、ざわめきが走る。
「イーザ……?」
眉を僅かに寄せたテオバルドがそう呼び掛けた瞬間、アダルジーザが静かに彼を見上げた。
淡い菫色の澄んだ瞳が彼の顔を映し出したとき、その花びらのような唇から鮮血が零れた。
テオバルドの赤い瞳が見開かれる。
「イーザ……!!」
ナタニエルが叫ぶと同時に、彼女は力なく崩れ落ちた。
祭壇で倒れた花嫁に、幾つもの悲鳴が響き渡る。
駆け寄ったナタニエルがアダルジーザを抱き起こすと、白く淡い光が彼女を包み込んだ。彼は苦痛に顔を歪めながら、必死に力を送り続ける。
「イーザ、しっかりしてください……!」
薄紫の瞳がナタニエルを見上げる。血に濡れた唇が震え、アダルジーザは微かに笑んだ。
けれど、彼を見上げていたその瞳は静かに閉じられた。
「イーザ……!」
白く細い手が、祭壇の床に落ちた。
彼女を抱いたまま、俯くナタニエル。眠るように瞼を閉じるアダルジーザの白い頬を、幾つも涙が伝った。
呆然と立ち尽くしていたテオバルドは、アダルジーザの傍らで跪くと銀の短剣を抜いた。
床に転がった鞘が音を立て、顔を上げたナタニエルの瞳にテオバルドが映し出される。
「イーザ、お前は私のものだ。……冥府の王になど、くれてやるものか」
テオバルドはそう低く呟くと、アダルジーザの血に濡れた唇に触れた。
そして、短剣を己の左胸へと突き立てる。
「皇帝陛下……!!」
祭壇の端に控えていたバルデスが叫んだ。
テオバルドは微かに笑んだまま、アダルジーザの傍らに倒れ伏す。
最前列に座っていたエメルリンダが、甲高い声で何度も絶叫し倒れた。
侍従や騎士たちが駆け、聖堂はざわめきと悲鳴に溢れていた。
「イーザ……」
アダルジーザを震える腕で抱いていたナタニエルが、転がっていた杯に手を伸ばす。中には、まだ僅かに果実酒が残されていた。
「カンデラリア大司教様!!」
彼はアダルジーザに微笑みかけると、躊躇いもせずにそれを煽った。
「イーザ……私も、すぐに行きます」
そう囁くと、彼は腕の中のアダルジーザと共にゆっくりと倒れた。
白く輝く祭壇では、微笑を浮かべた白い女神が三人を見下ろしている。
三人は、まるで幼かったあの日のように寄り添い、ただ眠っているかのように見えた――
(まさか……こんな、結末だったなんて……)
その、あまりに残酷で美しい光景を、私はただ見つめることしかできなかった。
“囚われの王女アダルジーザ”は、テオバルドとナタニエルを伴って冥府へと旅立った。
このロマンス小説は、二人の男に愛されながらも結ばれない、悲劇の物語だった――
もし運命に抗わなければ、私たちにもこの結末が待っているのだろうか。
私がこのアダルジーザと同じように命を落としたら、あの二人は私の後を追うのだろうか――
私は、静かに首を振った。
二人を失いたくない――
この運命を必ず変えてみせる――私はそう静かに決意した。
(──でも、誰がアダルジーザを殺したの……?)
その疑問に、答えはまだ得られなかった。
そして、私の目覚めを待つのは、運命の狭間で立つ二人の男だった――




