第四十話 異国の護衛
数日して体調がようやく落ち着き、私は部屋の外に出られるようになった。
かと言って、武装した侍女を連れて歩く気にはなれず、バルコニーから静かに東の庭園を眺めていた。
庭園の奥に聳える白い大聖堂に、先日見舞いに来てくれたナタニエル様を思い浮かべる。
夜会の晩にもらったアミュレットが守ってくれたのだと話すと、彼はとても嬉しそうに笑った。その笑顔を思い出すと、思わず笑みが零れた。
部屋の窓辺の花瓶には、それぞれ赤い薔薇と白桔梗の花が飾られている。
「アダルジーザ様、皇帝陛下がお見えです」
侍女に掛けられた声に部屋へ戻ると、そこには陛下が立っていた。
「アダルジーザ……今日は、紹介したい者がいる」
陛下が促すと、彼の背後から若い男が進み出た。
「ティムールと申します」
彼は、白い短髪に淡い褐色の肌で、戦士のような風体の男だった。
近衛騎士の隊服を纏ってはいるが、逞しい体格に合っていないのか、少し窮屈そうに見える。その腰には騎士用の剣の他に、見慣れない湾曲した刀が二つ下がっていた。
(騎士……なの?)
「アダルジーザ様に、ご挨拶申し上げます」
淡々とした低い声が響く。
彼は私の前まで来ると、音もなく跪いた。
「この方は……?」
「お前の新しい近衛だ」
夜会の翌日から病で休暇を取っているクレメンテ卿を思い出し、私はそっと陛下を見上げる。
「クレメンテ卿は、まだお加減が悪いのですか」
「……そのようだ」とだけ返され、私は視線を落とす。
彼がこんなに休むなんて、余程悪いに違いない。いつも誠実に接してくれていた彼のことが気がかりだった。
「この男はルハーンの出身だ。口数は少ないし変わっているが、腕は確かだ」
「ルハーン――確か、テオバルド様が戦に出られたという……」
「よく知っているな」
陛下が薄く笑った。
ティムール卿に視線を向けると、彼は微動だにせず頭を垂れていた。
陛下がルハーンを守るために戦ったときからの間柄なのだろうか――
「アダルジーザですわ。よろしくお願い致します」
微かに微笑むと、彼は短く返事をして少しだけ顔を上げた。だが、その金茶色の瞳は伏せられたままだ。
「こいつは、毒にいくらか耐性がある。これからは、お前が何かを口にする前に全てティムールが毒見する」
当然のようにそう言った陛下に、私は一瞬言葉を失った。
「そんなこと、させられませんわ!」
そう言うと、ティムール卿が顔を上げた。僅かに見開かれた瞳の奥は、ほんの少しだけ揺れているように見える。
「お前の安全のためだ」
「そんな……」
「お前は、私の后になる女だろう」
陛下の言葉に、ティムール卿は跪いたまま左胸に手を当てて頭を垂れた。
「アダルジーザ様を、お守り致します」
私はそれ以上、何も言えなかった。
◇
「きゃっ!」
戻ってきたアニタが小さな悲鳴をあげた。
部屋の隅に控えるティムール卿を横目で一瞬見やると、怯えた表情で私に駆け寄ってくる。
「新しく近衛になったティムール卿よ」
そう紹介すると、アニタは引き攣った笑みを浮かべた。
「あ……アニタと申します」
「ティムールです」
低く、淡々とそう名乗ったティムール卿から目を逸らすと、アニタはまるで子兎のように身を竦ませて私を見上げた。
(気まずいわね……)
私はそこまで気にならないが、アニタは彼が随分恐ろしいようだ。この大陸では珍しい容姿だからだろうか。
「わ、私……紅茶をお淹れしましょうか」
そう言ったアニタに、ティムール卿が静かに動き出す。肩を揺らし目を見開いたアニタは、まるで肉食獣を前にした小動物のようだ。
「アニタは信頼できますわ」
「アニタ殿が触れる前に、何者かが茶器に毒を塗っている可能性があります」
「毒?!」
アニタが真っ青な顔になる。
ティムール卿の方は表情を少しも変えず、そこに佇んでいる。命じられた任務を果たすつもりなのだろう。
私は、思わず大きなため息を吐いた。
(これから、どうしようかしら……)
私は、そんなことを考えながら二人を眺めていた。
窓辺から入る風が、赤と白の花びらを静かに揺らしている。
もし、もっと早くに私が気付いていたら――小説の内容を少しでも覚えていたら、何かが変わっていたのだろうか――
そう後悔する出来事がこれから起きるなんて、このときの私は想像もしていなかった。




