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第三十九話 赤と白の花束

 あの夜会の日から、二週間が経った――


 あの晩に口にした果実水には、何かが盛られていたらしい。だが、私には何も教えられなかった。

 エミディオとの一件を思い出したが、私に覆い被さってきたのは彼ではなかった。薄闇で目にしたのは、近衛騎士の装いだったからだ。


(一体、誰が私を……)


 不安と恐怖が胸の内で渦巻いている。

 エメルリンダはザッフィロ王国へと帰り、ドロテーアはもう暫くこの城に滞在するのだと耳にした。

 二人のどちらかが、近衛騎士を抱き込んで私を襲うように仕向けたのだろうか――いや、大臣のザルマンが仕組んだことかもしれない。


 弱った私の心は、どこか麻痺したような感覚に包まれていた。

 そのとき、どことなく控えめなノックの音に続いて、静かに扉が開かれた。


「アダルジーザ、体調はどうだ」


 視線を向けると、花束を抱えた陛下が入ってきた。


「ほとんど良くなりましたわ。……陛下、そのお花は?」


「……私からの見舞いの品だ」


 手渡された赤い薔薇の花束からは、芳しい香りが漂っている。

 私が礼を言うと、彼は安堵したように目を細めた。


「アニタ。花瓶に生けてくれる?」


 「畏まりました」と微笑んだアニタが、花束を持って部屋を出て行く。

 春風にカーテンが揺れ、柔らかく揺れる陽射しが絨毯を照らしていた。


「アダルジーザ……」


 彼が私の髪に触れ、一房手に取ると口づける。その距離に、何故か胸が締め付けられた。


(……前みたいには、触れないのね)


 少し前までの彼からは想像もできなかった様子に、私の胸はざわめいていた。けれど、この感情を何と呼ぶのかはわからなかった。


 静かな部屋に、沈黙が流れる。

 風に揺れるカーテンの衣擦れの音だけが響いていた。


 彼は、あの夜会の晩に中庭で起きたことについて、私に何も聞かなかった。

 ただ、こうしてよくやって来ては、少しだけ私の顔を見て帰っていくのだ。


「陛下……」


「まだ、しばらくは安静に過ごした方が良い」


 彼はそう言うと私を寝台へ寝かせ、肩まで毛布を掛けてくれた。

 彼は私を見下ろすと、そっと屈んだ。唇が額に触れ、その温もりに胸が暖かくなる。


「休め……お前が眠るまでは、ここにいる」


 その赤い瞳は、とても穏やかに私を見つめていた。


 ◇


 アダルジーザが寝息を立て始めて少ししてから、テオバルドは静かに部屋を後にした。

 彼が廊下を進んでいると、向こうから白い人影が現れたのが目に入る。


「ナタニエル……」


 テオバルドに気付いた彼が立ち止まった。

 その腕に抱かれた白桔梗の花束に、テオバルドは僅かに視線を落とす。


「テオバルド……先日は、助けていただき本当にありがとうございました」


「……お前のためじゃない」


 そう低く落ちた声に、ナタニエルは瞼を伏せて微かに笑んだ。


「もう、体は平気なのか」


「……ええ、おかげさまで」


 淡く微笑んだナタニエルに、テオバルドは軽く息を吐く。


「力は――あまり使うな」


 低く呟かれた声に、ナタニエルの眉がほんの僅かに動いた。張り詰めた空気の中で、彼はいつもと変わらぬ微笑を浮かべている。


「ご忠告、痛み入ります」


 柔らかな声音には、どこか鋭さが感じられた。

 静かに微笑むナタニエルに、テオバルドは眉を寄せた。


「私は、お前を心配して――」

「私の心配をする前に、すべきことがあるはずでは」


 ナタニエルは、アダルジーザの部屋の前に目をやった。そこには、武装した侍女が二人立っている。


 口籠ったテオバルドを一瞥すると、彼はアダルジーザの部屋に向かって歩き出した。


 テオバルドは振り返ることもできず僅かに俯くと、歩き出す。

 扉が開かれる音に、テオバルドは静かに拳を握った。


 彼らの道は、今や完全に分かたれてしまった。

 幼かったあの日のように、彼女を囲み笑い合う日々はもう二度と訪れない――お互いに、そう感じていた。


 そして、潜んでいた影が再び動き出そうとしていることを、彼らは知る由もなかった――

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