第三十八話 足りない力
大広間に面した中庭には、噴水の静かな水音だけが響いている。
月明かりに翳る、薔薇の茂みの影。
そこには、ナタニエルがアダルジーザを抱くように寄り添っていた。
(何故、二人が……)
呆然と立ち尽くすテオバルドに、彼の姿に気付いたナタニエルが小さく呻いた。
「テオバルド……助けて、ください……」
ナタニエルの口から苦しげに紡がれた言葉に、テオバルドは駆け寄り跪いた。
「一体何があった?! アダルジーザは――」
ナタニエルの腕の中で苦しげに喘ぐアダルジーザは、既に意識がないようだった。
「何か、飲まされたようです……」
「何だと」
低く落ちた声に、ナタニエルが荒い息を吐く。
「私の神聖力では、救えません……テオバルド……どうか、彼女を……」
ナタニエルは苦しそうにテオバルドを見上げてから、意識を失った。
それから、テオバルドの指示で、二人は直ちに城の一室へとそれぞれ運ばれた。
アダルジーザには女性の医官や薬師達が、ナタニエルにはテオバルドが一人付いていた。
テオバルドは、ナタニエルに誰一人として近付けようとはしなかった。
「皇帝陛下。神官たちが、カンデラリア大司教様に――」
「駄目だ。帰らせろ」
バルデスの言葉を遮り、テオバルドはそう言い放った。
「皇帝陛下……大変畏れながら、医官には診ていただくべきかと存じます」
硬い表情のバルデスに、テオバルドは視線を逸らすように僅かに落とした。
「あいつの体のことは、私がよくわかっている。……休めば良くなるから、心配は要らない」
「落ち着くまでこの城で休ませる」と言ったテオバルドに、バルデスの瞳が僅かに揺れる。
「バルデス、お前も下がっていろ」
テオバルドの頑なな様子に、バルデスは頭を垂れて部屋を後にした。
静かになった部屋には、微かな呼吸音だけが響いている。
テオバルドは、部屋の奥の寝台に横たわるナタニエルへと近付いた。
閉じられた色素の薄い睫毛が、青白い頬に翳りを落としている。その胸は浅く上下していた。
「お前も、変わってないな……」
そう小さく呟くと、テオバルドはナタニエルの寝顔を見下ろした。
その赤い瞳には、憂いの影が揺れていた。
◇
夜半を過ぎても、アダルジーザの意識は戻らなかった。
「アダルジーザの具合はどうだ」
部屋に入ってきたテオバルドに、医官や薬師達は頭を垂れた。
「今は煎じた解毒薬で、少し落ち着かれています」
寝台では、まだ僅かに苦しそうなアダルジーザが横たわっていた。
「一体、何の毒だ。体への影響は大丈夫なのか」
「果実水に混ぜられていたようで……口にされた量が多く、心の臓にも少しご負担が掛かっているようです」
「お目覚めにならないことには、何とも申し上げられません……」
医官たちの言葉に、テオバルドは歯噛みした。
「毒の種類は何だ」
黙り込む医官たちにテオバルドは目を細めた。
「お前たち――」
「皇帝陛下、畏れながら……」
医官から語られた言葉に、テオバルドの怒声が響いた。
すぐにバルデスが呼ばれ、集められた侍女たちが取り調べを受ける。皆、夜会で給仕をしていた者たちだった。
(一体誰が、アダルジーザに……)
彼女が多量に口にしたのは、異国製の強力な魅了薬だったらしい。だが、侍女を全員当たっても、薬を盛った犯人は見つからなかった。
「クレメンテはどうした」
「クレメンテ卿からは、急な体調不良により休暇を申請されております」
バルデスの言葉に、テオバルドは眉を寄せた。重いため息を呑み込んだ彼は、険しい表情で黙り込む。
「皇帝陛下、アダルジーザ様の近衛は――」
「すぐにティムールを呼び戻せ」
テオバルドは、そう短く命じた。
「ですが、ティムールはザッフィロでの任務を遂行中で――」
「構わん。直ちに切り上げさせろ」
「帰還命令だ」と低く放たれた声に、バルデスは頭を垂れた。
窓の外は、朝焼けに染まっていた。




