第二十四話 聖杯
淡い光に照らされた大聖堂――
私と神官カリーヌの間に穏やかな女性の声が差し込み、僅かに息を呑んだカリーヌが振り返った。
彼女の後ろから現れたのは、微笑を浮かべる楚々とした女性神官だった。癖のない亜麻色の髪を背中に垂らしている。
「神官のバルバラと申します。いかがなさいましたか」
「カンデラリア大司教様にお礼を申し上げたくて、参ったのです」
私がそう告げると、彼女の淡い青の瞳が僅かに弧を描いた。カリーヌは、その傍らで口を噤み佇んでいる。
「……それでは、大聖堂の中でお待ちいただけますでしょうか。直に、カンデラリア大司教様はお戻りになられますので……」
「神官バルバラ様、感謝致します」
私は、彼女に一礼した。
◇
「アダルジーザ様、こちらが祈りの間でございます。どうぞ、中へお進みください」
目の前で張り切る若い男性神官の姿に、私は胸の内でため息を吐いた。
(聖堂内で待たせてもらおうと思っていたのに……)
神官バルバラの厚意で、大聖堂の見学をすることになってしまったのだ。
「王族の方のための、特別な部屋になります」
その小部屋は、天窓から差し込む光に照らされたとても美しい場所だった。奥には、聖堂と同じように女神エルシリアの像が立っている。
「アダルジーザ様は、本当にお美しい……まるで、女神のようです」
その声に、思わず私は振り返った。
若い神官は、恍惚とした表情を浮かべ私を見つめている。
(女神に仕える神官だというのに、なんてことを仰るの……)
寒くなった背筋に僅かに後退ると、象牙色の裾が衣擦れの音を立てた。
「そのような……あまりに畏れ多いですわ」
神官から視線を逸らすように伏せると、彼は私に一歩近付いた。
「アダルジーザ様……」
(まさか、この男も……)
私が身構えたとき、扉が勢い良く開かれた。
「アダルジーザ姫、おいででしたか」
「ナタニエル様……!」
私は、現れた彼に早足で近付いた。白金の髪は、ほんの僅かに乱れている。
彼は、私を見て淡く微笑むと、若い神官に視線を向けた。
「アダルジーザ様の案内は私がします。貴方は、普段の勤めに戻ってください」
「カンデラリア大司教様……ですが、案内は私が──」
「私の言うことが聞けませんか」
ナタニエル様の冷たさを帯びた声音に遮られ、神官は微かに息を呑んだ。そして私たちに一礼すると、開かれた扉の外へと消える。
「ナタニエル様、ありがとうございます……」
「いえ……お待たせしてしまい。申し訳ありませんでした」
私は微笑んで首を振った。
「ナタニエル様、髪が……」
彼の少し乱れた髪に、私は指を伸ばした。指先が彼の左耳に微かに触れて、その耳が淡く染まる。
「お恥ずかしいところを……」
彼はそう言って髪に触れると、瞳を伏せた。
その見たことのない表情に、静かに鼓動が早まっていく。
「その、ナタニエル様……昨日は助けてくださって、本当にありがとうございました」
一礼した私が顔を上げると、彼は揺れる瞳で私を見つめていた。
「その――小部屋に入ってからの記憶が殆どないのです……部屋に運んでくださったのは、ナタニエル様ですか?」
そう問うと、彼は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……部屋まで、私が運ばせていただきました……その後、お体は大丈夫ですか?」
「はい、何ともありませんわ。ナタニエル様のおかげです」
私が微笑むと、淡く笑んだ彼の瞳が伏せられた。
(ナタニエル様……?)
口を閉ざした彼を見上げるも、その視線は伏せられたままだ。
「あの……ナタニエル様」
彼の視線が、再び私に向けられる。
私は彼を見上げ、口を開く。
「こちらに、金の──杯はありますか?」
その問いに、彼の瞳がほんの僅かに見開かれた。
「聖杯のことですね……それが、どうかなさったのですか」
「聖杯を……見せていただきたいのです」
赤紫の瞳が、私を見つめる。
その眼差しは、天窓から差し込む陽射しに宝石のように煌めいていた。
「聖杯は保管していて――理由なく出すことは出来ないのです」
「……それでは、見せてはいただけないのですね」
私の言葉に、彼は困ったように微笑んだ。
「そうですね……それに、聖杯に触れることができるのは、大司教である私だけですから」
その言葉に、私は呼吸を忘れた。
(どういうことなの……)
「それが、どうかしましたか」と問い返され、私は小さく首を振った。
今は、何も考えられなかった。




