第二十三話 惑う心
薄紅色の陽射しが、部屋に差し込んでいる――
(思い出したわ……)
部屋の寝台で目覚めた私は、呆けたように天蓋を見上げていた。
脳裏には、幼い頃の記憶が刻まれている。
テオバルドとナタニエル――まだあどけない少年だった二人は、私のことを“イーザ”と呼んでいた。
――『……私を覚えているのか』
プラータの城で、皇帝陛下から言われた言葉を思い出す。彼は、私のことを覚えていたのだ。
(じゃあ、ナタニエル様も……)
「あっ……」
大聖堂で、私を受け止めてくれたナタニエル様の姿を思い出す――
そういえば、私はあの後どうなったのだろうか。彼に抱かれて小部屋に入ってからの記憶が曖昧で、ほとんど思い出せない。
気を失った私を救い、ここまで運んでくれたのは彼なのだろうか――
窓辺からは、大聖堂が見える。
(――確か、小説では……)
ふいに、物語の最後の場面をおぼろげに思い出す。
アダルジーザが毒杯を受けるのは、大聖堂のようだった。そして、その金の杯を皇帝陛下に手渡すのは、大司教であるナタニエル様だ――
(でも、そんなはずはないわ……)
ナタニエル様が――彼らが、私を殺すとはとても思えなかった。
第一、私に対して何らかの殺意があるとしても、地位も権力もすべて手にしている人間が、わざわざあんな方法で私を殺すだろうか。衆人の前で杯に触れた二人が、一番疑われる可能性が高いというのに――
そして、毒杯を受けるのが大聖堂だとしたら、断罪の可能性は消える。故意に聖域を血で穢すようなことは、あってはならないからだ。
――だとすると、殺意や目的があって私は殺されるということになる。
(何故、私は殺されるの……?)
妖しい笑みを浮かべたエミディオが浮かぶ。
私を狙った彼は、皇帝陛下の手を使ってまで、私を殺そうとするだろうか。可能性はゼロではないが、どこか腑に落ちない。
部屋の端に控える、冷たい瞳の侍女たちの姿が目に入る。
女の悪意や嫉妬ほど恐ろしいものはないということを、ペルラを滅ぼされてから身に沁みて感じていた。
私の命を狙うのは、女ではないだろうか。
それに、その人物が直接杯に毒を盛るわけではないかもしれない。
大聖堂で杯に毒を仕込むことができるとすれば――神官だろうか。
様々な憶測が飛び交い、考えるほどに頭の中は混乱していく。
(とにかく、確認するしかないわ……)
助けてくれたナタニエル様にも、お礼を言わないといけない。
私は、夜が明けてから大聖堂に向かうことにした。
◇
「カンデラリア大司教様は、席を外しておいでです」
翌朝、大聖堂を訪れた私の前に若い女性神官が立ちはだかった。栗色の髪の清楚な女性だ。年は、私と変わらぬように見えた。
「私は、神官のカリーヌと申します。カンデラリア大司教様のお傍で女神エルシリア様にお仕えしています」
彼女はそう言うと、浅く一礼した。
「大司教様に御用があられるときは、私を通していただけますか」
可愛らしい声で淡々と紡がれる言葉。その茶色の瞳にも声音にも、棘が感じられた。
(こんなこと、今まではなかったのに……)
ペルラ城にいた頃は、いつでも彼に会うことができた。それは、私がペルラの王女だったからなのだろうか。
「……助けていただいたお礼を申し上げたくて、参ったのです。こちらで、大司教様を待たせていただいても宜しいでしょうか」
そう言うと、彼女は眉を顰めた。
「……正直、困っているのです。貴女のような方が大司教様とお関わりになると、大司教様にご迷惑がかかるでしょう? そうお思いになりませんか」
私は、自分の手をそっと握り締めた。
確かに、今の私は“男を惑わす女”だと多くの女性から思われているようだ。
私が近付くことで大司教であるナタニエル様の印象を悪くすると言われては、胸の内でも否定することは出来なかった。
「カンデラリア大司教様は、女神エルシリア様の血を受け継ぎ、次期教皇になられる尊い御方。……ですので、今後はこちらへお見えになるのを遠慮していただきたいのです」
私は、何も言い返せなかった。
ただ、彼が遠くへ行ってしまったように感じて、胸が苦しい――
(ナタニエル様……どうすれば良いの……)
「神官カリーヌ、どうされたのですか」
そのとき、私たちの間に差し込んだのは穏やかな女性の声だった。




