第二十一話 イーザ
白い回廊を渡る風が淡い花の香を運び、ナタニエルの白金の髪と白い聖衣を揺らしていた。
彼の腕には、瞼を閉じたアダルジーザが抱かれている。
「何故眠っている」
向かいにやって来たテオバルドが、ナタニエルを睨み付けた。
テオバルドの問いに、ナタニエルは答えなかった。
「……その女は私のものだ。返してもらおう」
テオバルドは低く言い放つと、当然のように手を差し出した。
ナタニエルは、黒い手袋に包まれたその手を避けるかのようにアダルジーザを抱き直す。
「嫌です……と言ったら?」
甘さを滲ませる低い声が落ちた。
ナタニエルの腕の中で眠るアダルジーザの漆黒の髪と純白のドレスの裾が、静かに揺れている。
彼女に視線を落としたテオバルドは、微かに震える拳を握り締めた。
「ナタニエル。……貴様、斬られたいのか」
低く、感情を押し殺すような声に、ナタニエルは微かに浮かべていた笑みを消した。
「貴方に、私が斬れますか」
発された低い声に、テオバルドは言葉を呑み込んだ。
もしナタニエルを手に掛ければ、スフェール神聖国は勿論、エルシリア教を国教とする国々と対立することになる。多くの民からも批判を受け、大国グラナードは血に染まるはずだ。
「イーザは、貴方の所有物ではありません。私が守ります」
「イーザは私の后となる女だ。私が守る」
「それは、ペルラが滅びる以前の話でしょう。――何にせよ、貴方には任せられません」
「何だと……」
睨み付けるテオバルドに、ナタニエルが鋭い眼差しで見つめ返す。
「侍女から侮られ、男達からは狙われ続ける――そんな国に、イーザを置いておけるわけがない」
鋭い光を宿す二人の視線が交わり、空気が一段と張り詰める。
「非人道的なプラータには、何度もイーザを引き渡すようスフェールから通告していたのです。プラータが応じていれば、彼女はスフェールに――」
その言葉は、テオバルドの笑い声に遮られた。
「イーザを得るためにペルラを滅ぼした国が、応じるわけがないだろう」
「……だから、プラータを侵略したと?」
鋭い眼差しのナタニエルを、テオバルドは睨み返した。
「イーザを奪い返しただけだ。ペルラの民の命まで奪ったプラータと一緒にするな」
「……お前も、黙って見ていたわけではないはずだ」と低く呟いたテオバルドに、ナタニエルは黙り込んだ。
あれは、祝福されない婚姻だった。
唯一の参列者だった王子を斬った感触を、彼はまだ覚えていた。
強い風が吹いて、聖衣の裾と黒いマントが靡いた。
テオバルドが、ナタニエルの腕の中で眠るアダルジーザを見つめる。
「イーザを返せ」
「私が守ります」
「守るだと? 城の奥に閉じ込めるつもりのくせに。……お前、プラータからイーザを攫うつもりだったろう」
テオバルドの言葉に、ナタニエルは一瞬だけ息を詰まらせた。
「救い出すと言っていただけますか……イーザは、私が保護します」
ナタニエルの腕の中で、アダルジーザは僅かに身動ぎをした。
(イーザ……)
それは、久しく呼ばれていなかった、アダルジーザの愛称だった――




