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第二十話 懺悔室

 ステンドグラス越しに差し込む澄んだ光が白金の髪を照らしていた。私を見つめる赤紫色の瞳は、ひどく揺らいでいる。


「アダルジーザ姫、どうなさったのですか?!」


「ナタニエル、様……」


 力の入らない体を、彼の腕が支えてくれた。

 私を心配そうに見下ろす彼が、天使のように見える。


(良かった……もう、大丈夫ね……)


 彼の腕の中で、私は心からの安堵に包まれた。


「アダルジーザ姫、すぐに治癒を致します。いつから、このようになられたのですか? 近衛騎士は──」


「エミディオ、さまに……何か、飲まされました……」


 そう告げると、彼が息を呑んだのがわかった。端正な眉は顰められ、険しい表情を浮かべている。

 初めて見る彼の顔だった。


 その時、聖堂の奥から扉が開く音と男性たちの低い声が響いて、彼は弾かれたように振り返った。


「アダルジーザ姫、失礼します」


 ふわりと体が宙に浮いた。

 彼の腕に揺られて、どこかへ運ばれる。


(ここは……?)


 そこは、とても狭い小部屋だった。

 磨り硝子の格子窓と、薄暗い中には木の椅子が一つだけ置かれている。

 微かに軋んだ音を立てて、扉が閉められた。


「このような場所で申し訳ありません……すぐに、お助けしますから」


 そう言った彼の手から、淡い光が溢れ出した。その温かな手が、私の胸元へとそっと翳される。


「んっ……ナタニエル様……」


 体が跳ね、おかしな感覚に襲われた。

 思わず彼の聖衣を掴む。


「アダルジーザ姫……」


 掠れた声が私を呼んだ。

 見上げれば、僅かに苦しげな彼の顔があった。


「ナタニエル様……」

 

(熱くて、苦しい……)


「アダルジーザ姫……私が治しますから、どうかしっかりなさってください」


 見下ろしてくる彼の瞳。

 私の名を呼ぶ彼の声は、遠く反響するように響いていた。


(助けて……)


 私はまるで救いを求めるかのように、彼に縋り付いた。

 薄暗い中で揺らめく宝石のような深い赤紫の瞳。

 私の意識は揺らぎ、彼の顔が淡く霞んだ――


「っ……姫、いけません……!」


「んっ……ナタニエル様……助けて……」


 一瞬だけ、大きく揺らいだ瞳。

 彼の腕が私の体を支え、掠れた声が名を呼ぶ。

 唇に触れる柔らかな感触とその熱に、聖衣を掴む指が震えた。


「イーザ……」


 その甘い囁きが落ちたとき、微睡むように瞼が落ちた――


(今……私のことを……)


 彼の温もりと香りに包まれながら、私の意識は夢の中へと沈んでいった──


 ◇


 気が付けば私は、腕の中で意識を失った彼女を呆然と見つめていた。


(私は……何ということを……)


 彼女を抱く指先は震えていた。

 甘い花の香りが漂い、軽い目眩に襲われる。

 赤い唇から思わず視線を逸らした。


(早く、治癒を……)


 彼女を見ないようにしながら、手のひらへと全神経を集中させる。淡い光が溢れ出し、彼女の体を包み始めた。


「っ……」


 動悸がして、彼女を抱いたまま膝をついた。

 体内の不調を治すには相応の神聖力が必要とされる。苦しくなった息に、私は己の力量を呪った。


「私が、もっと強ければ……」


 そう呟いた声は静寂へと溶けて消えた。

 手を翳し、光を彼女に送り続ける。


(あの男……イーザに、よくも……)


 エミディオに飲まされたのは、おそらく魅了薬の類だろう。それも、随分厄介なもののようだ。

 絶対に許すわけにはいかない──そう、強く思った。


 私は彼女を抱いたまま、しばらく壁に背を預けていた。


「カンデラリア大司教様! どちらにおいでですか」


 扉の外から若い女性の声が響いた。

 動悸も、腕の中の彼女の顔色も既に落ち着いている。

 彼女を抱いたまま立ち上がり、扉をそっと開けると軋んだ音が響いた。


「カンデラリア大司教様! ……懺悔室に……いらっしゃったのですか」


 早足でやって来たのは、カリーヌだった。


「神官カリーヌ。どうされましたか」


「その……お姿が、見えなかったので……」


 カリーヌの視線が、腕の中で眠るアダルジーザへと落ちる。私は、その視線から守るように彼女をそっと抱き直した。


「アダルジーザ様が体調不良で倒れられたので……治癒を、施していました」


「神聖力をお使いになったのですか? そんな、カンデラリア大司教様がどうして……」


 口を噤んだ私に、カリーヌはそれ以上何も言わなかった。


「近衛騎士の方は、どちらにいらっしゃるのですか?」


「私が送り届けます。……すぐに、戻りますから」


 歩き出すと、腕の中の重みがほんの僅かに増した気がした。

 彼女の住まいは皇后宮だ。帰したくない――湧き上がったその想いを、胸の奥に沈める。


 私が大扉に辿り着く前に、カリーヌが扉を開けた。

 「助かりました」とカリーヌに礼を言って、腕の中で穏やかな陽射しを受ける彼女に視線を移す。その無垢な寝顔に、懐かしい記憶が思い出された。


(私が、守らなくては……)


 彼女を抱く腕に僅かに力が籠る。


 ペルラにいた頃、離宮に閉じ込められるように過ごしていた彼女は、毎日のように大聖堂を訪れては祈りを捧げていた。


 私がペルラを去り、プラータ王国がペルラを侵略し彼女を奪い去ったと知ったとき、私は絶望と後悔に苛まれた。

 何か、私に出来ることがあったのではないかと――


 私は、一神官としてプラータの大聖堂に入り、折を見て彼女を連れ出すつもりだった。プラータ王との婚姻を無効にし、秘密裏にスフェールに連れ帰る計画を立てていたのだ。

 けれど、あの男が先に動いた――


 私は再び、彼女の寝顔を見つめた。


 この想いが何かの使命感なのか、それとも他の感情なのか――私にはまだわからなかった。

 わかるのは、彼女を大切に想っているということだけだ。


 歩き出すと、彼女の漆黒の髪が柔らかな風に揺れた。

 薄紅色の光が私たちを照らし、白い回廊に長い影を落としている。


 私はただ、腕の中で眠る彼女だけを見つめていた――

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