第十七話 静かな警告
皇帝の執務室には、ペンを走らせる微かな音が響いていた。
夕陽が窓辺から差し込み、室内を薄紅色に染めている。
「……皇帝陛下」
いつもより控えめなノックの音と共に、バルデスの声が響いた。どこか強張っているその声音に、テオバルドは顔を上げた。
「バルデスか、どうした」
扉を一瞥したテオバルドは、再び書簡にペンを滑らせる。
「カンデラリア大司教様が、お見えです」
いつもより硬いその声に僅かに目を見開くと、テオバルドはペンを止めた。
「……何の用だ」
低く落とされたテオバルドの声。
「開けてください」と穏やかな声が返される。
バルデスによって開かれた扉に、テオバルドは眉間に皺を寄せた。
「お前の主は誰だ」
そう低く放たれた声に、バルデスはただ頭を垂れた。
その後ろから静かに現れたのは、ナタニエルだった。純白の聖衣が揺れ、微かな衣擦れの音が響く。
「久しぶりですね。テオバルド」
「ナタニエル……」
穏やかな笑みを浮かべるナタニエルに、テオバルドは眉を顰めた。
「……何の用で来た」
低く問うた声に、ナタニエルの瞳の奥が僅かに鋭くなった。彼は微かな笑みを浮かべたまま、ひとつの封書を執務机の上に置く。
(何のつもりだ……?)
テオバルドは眉間に皴を寄せ、封書を開けた。
取り出した紙には、四人の女の名が書き連ねてあった。すべて皇后宮の侍女で、所属まで記されている。
「これは……」
その内の二人は、アダルジーザの部屋付きの侍女だった。テオバルドの瞳が、怪訝そうにナタニエルを見つめ返す。
「これは、一体何だ」
「アダルジーザ姫が、それらの侍女によって怪我をされました」
静かに発された言葉に、テオバルドが立ち上がった。小瓶が倒れ、零れた黒いインクが書簡に滲んでいく。
「もう傷は治しました……アニタという侍女を庇って、怪我をされたのです」
テオバルドは黙ったまま、微かに震える手で紙を捲る。
「……!」
「この城の皇后宮の侍女は……教育が、行き届いていないようですね」
凍てつくような、冷たさを帯びた声音。
テオバルドが手にする紙には、酷い文言が並んでいた。全て、アダルジーザを揶揄するものだ。
「……お前は、何を考えている」
感情を抑えるかのような低い声に、ナタニエルが淡く微笑む。
「彼女のことを考えています」
微笑むナタニエルに、テオバルドが忌々しげに目を細めた。
「この城は、彼女にとってあまりに危険ですからね……近衛騎士も、信頼できないのですから」と低く落とされた声に、テオバルドは口を噤んだ。
「貴方も、たまには大聖堂においでください」
悠然と笑んだナタニエルに、テオバルドは鼻で笑ってみせた。
「存在するかもわからぬ女神に祈る趣味はない」
その言葉に、バルデスは息を呑んだ。
ナタニエルは表情を変えず、淡い微笑みを浮かべている。
「……それでは、私はこれで失礼します」
二人の視線が、一瞬だけ交錯した。
開かれた扉から、ナタニエルが静かに出ていく。
静かになった部屋は、薄暗くなり始めていた。
「バルデス……頼みがある」
主の珍しい申し出に、バルデスは顔を上げた。
閉められた扉の中で、二人の話し声が微かに響き始める。
新たな運命の歯車が廻り始めたことを、このときはまだ、誰も知らなかった──




