表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/47

第十二話 眠り姫

「……怒っているのか」


「怒ってなどおりませんわ」


 私はテオバルドに抱かれたまま、城の廊下を進んでいた。静まり返る中に規則的な靴音が響き、彼の纏う黒い礼装とマントが衣擦れの音を立てている。


 皇后宮では、私達の姿を見た侍女たちが息を呑んで廊下の両端へと避けた。私に向けられるのは、女達の嫉妬と羨望の眼差しだった。


 すれ違う巡回の兵がこちらに視線を向けるも、すぐに顔は伏せられる。


(どんな噂が立てられるか……)


 こめかみの奥が、じわりと痛んだ。


「アダルジーザ……バルデスから聞いたが、晩餐に私の好むものを望んだそうだな」


(それが、何……?)


 部屋付きの侍女たちに図々しいと思われたくはなかったし、好きなものを答えるのが面倒だっただけだ。

 私は俯いたまま、小さく頷いた。


「アダルジーザ」


 再び名を呼ばれ、顔を上げる。


「んっ……?!」


 突然唇が重ねられた。

 避けようにも、腕の中ではどうしようもない。彼の礼装を掴もうとする指に、力を込めた。


「可愛いな……アダルジーザ」


 何度も触れる柔らかな熱と甘さを帯びた掠れた声に、心臓が早鐘を打つ。


「私は……()()()()()()()()ですから……皇帝陛下には、退屈でしょう」


 整わない息でそう言って、少しだけ睨み付ける。

 力の入らない手で彼の胸を押し退けると、彼の目が僅かに細められた。


「本当に、そう思っているのか……?」


 彼の腕で、そっと絨毯へと降ろされる。


 廊下には、彼と私以外の誰の姿も見えない。

 ふらつく足で距離を取ろうとした私を逃さぬように、彼は壁際へと迫ってきた。


(逃げられない……)


 私は、思わず呼吸を忘れた。

 頭の両脇の壁に、静かに彼の両手が着けられた。切れ長の赤い瞳に見下ろされ、身動き一つ取れない。


「……お戯れは、おやめくださいませ」


「戯れなどではない……お前も、わかっているはずだ」


 「私が、教えてやる……」と彼の端正な顔が近付いてくる。熱を帯びた眼差しと触れる吐息に、心臓がおかしくなりそうだ。 


(この、香りは……)


 ふわりと香ったのは、以前にも嗅いだことのある甘さを帯びた深い香りだった。何故か、それが引き金になったかのように鼓動が一気に速まる。

 間近に迫る赤い瞳に、私は目眩めまいがした。


「アダルジーザ?!」


 体から力が抜ける。

 私を受け止めた温もりの中で、意識は闇の中へと沈んだ。


 ◇


「一体、何をなさったんですか……」


 皇帝の寝室に、バルデスのため息と呆れた声が落とされた。

 テオバルドの腕には、瞼を閉じたアダルジーザが抱かれている。


「何もしていない。……ただ、少し口づけただけだ」


 そう返すと、テオバルドは寝台へと彼女を横たえる。


「成る程、そういうことにしておきましょう」


 呆れ果てた様子のバルデスに、テオバルドは僅かに苦い顔で振り返った。

 

 バルデスは、皇帝の寝台で眠るアダルジーザに視線を落とす。

 深紅のドレスを纏い横たわるその姿は、まるで呪いをかけられ眠りについた王女のようだった。


 テオバルドが選んだドレスには、僅かな乱れもない。おそらく、彼は嘘をついてはいないのだろう。


 傾城傾国、魔性の姫。そんな噂を耳にしていたが、実際に接した彼女は礼儀正しく、謙虚な人物だった。類稀な美貌を持ち、皇帝に望まれながらもそれを鼻にかける様子もない。

 プラータの国王を始め、王太子たちもこの美しい容姿だけでなく、彼女の在り方に魅せられたのかもしれない──彼はそう思った。


「皇帝陛下……いかがなさるおつもりですか」


「アダルジーザは、このまま私の部屋で休ませる」


「……晩餐の支度は整っておりますが」


 バルデスの言葉に、テオバルドが顔を上げる。


「お前が食べると良い」


「は? 無茶を仰らないでください」


 「……では、厨房の者たちで分けさせろ」とため息混じりに言ったテオバルドに、バルデスは頭を垂れた。


「皇帝陛下……」


「何だ」


 短い沈黙が落ちる。

 テオバルドの背後では、アダルジーザが静かに寝息を立てている。


「いえ……では、良い夜をお過ごしください」


 『アダルジーザ様を、守って差し上げてください』──その言葉を、バルデスは呑み込んだ。皇后宮の様子は、既に伝えてある。


 バルデスが立ち去った皇帝の寝室は静かだった。


「アダルジーザ……」


 寝台に横たわるアダルジーザの傍らに、テオバルドはゆっくりと腰を下ろす。長い指が、艶やかな漆黒の髪をそっと撫でた。


「まるで、眠り姫だな……」


 テオバルドは小さな寝息を立てる彼女に小さく笑うと、その額にそっと唇を寄せた。


 寝台の脇にある燭台では、炎が静かに揺れている。

 窓の外に昇る三日月だけが、二人を見ていた――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ