第十話 籠の鳥
「はぁ……」
私は、刺繍をしながら何度吐いたかわからないため息を零した。
小鳥たちの囀りが響く窓の外には、東の庭園が広がっている。
この部屋は、プラータ王国の王妃の部屋よりもずっと広く豪華な造りだった。
(よりによって、この部屋に入れられるなんて……)
部屋の端には、侍女が二人控えている。二人とも無表情で、その瞳は冷ややかだ。
(当然よね……国を失い、婚約すら済ませていない女が皇后の部屋にいるんですもの)
例の事件があった翌朝から、私の部屋は皇后宮に移された。
ここでの生活は退屈で仕方なかったが、周りを囲む冷ややかな視線に部屋を出ることは躊躇われた。それに、どうせ部屋を出ても外に出ることは禁じられている。
おかげで、こうして日がな一日刺繍をして過ごしていた。
「痛……っ」
油断して、指先を傷つけてしまった。そこから、ぷくりと血が滲み出る。
私は、侍女たちをそっと窺い見た。
二人とも、聞こえているのかいないのか、澄ました顔で佇んでいる。
私は彼女たちから背を向けたままで、指先にそっと意識を集中させる。
少しして、白く淡い光が灯り、指先の小さな刺し傷が溶けるように消えた。
――『アダルジーザ……決して、人前でこの力を使ってはならぬぞ。良いな』
幼い頃より、父から言われ続けた言葉を思い出す。この不思議な癒しの力は、私の他には亡き父だけが知る秘密だった。
その時、硬いノックの音が響く。
「私だ。アダルジーザはいるか」
その低い声に、侍女たちが居住まいを正した。
私が立ち上がって返事をすると、扉が開かれる。
「皇帝陛下」
入ってきた彼に、ドレスの裾を摘んで腰を落とし、頭を垂れた。
「アダルジーザ……何か、不便はないか」
彼の気遣うような声音に、私は思わず吹き出しそうになるのを堪えた。この環境が、不便以外の何に見えるというのだろうか。
「これでは、まるで籠の鳥ですわ」
「お前を守るためだ」
彼の背後では、侍女たちが鋭い視線を私に向けている。私と目が合うと、彼女たちはすぐさま視線を伏せた。
(ペルラを滅ぼされてから、女性には嫌われてばかりだわ……)
プラータ王国でも、私を見る女達の視線は鋭かった。
王妃などは、私を連れ帰った国王が私を王太子妃に据えるのを取り止めると言い出すと、王の意を察して私を手に掛けようとした。
その王妃が毒殺されると、王妃の座欲しさに私がやったのだと侍女たちは囁き合った。
家族の命を奪い故国を滅ぼした、父親よりも年の離れた王の妃になることを私が望むわけがないというのに――
「アダルジーザ、何か望むことはあるか」
(随分下手に出るのね。……私を奪った日には、あんなに強気だったくせに)
つい先日プラータを侵略して私を手に入れた男はどこへ行ったのだろうか。
私の顔色を窺うような視線と声音に、少しだけ絆されるような気分になる。この男が、私に毒杯を差し出すなどあり得ないと──
「外出の許可をくださいませ」
沈黙した彼を、私は見上げた。
「東の庭園と、大聖堂だけで良いのです」
彼の眉が、僅かに動いたように見えた。
静まり返る部屋には小鳥の囀りだけが響いている。
「皇帝陛下――」
「……近衛を、必ず連れて行け」
彼はそう言うと、視線を落とした。仕方なく、といった表情だ。
「皇帝陛下、感謝致します」
私は微笑んで、彼に礼をした。
これで、刺繍しかすることのない退屈な日々から解放される。出来ることなら、そこに立っているだけの侍女たちも変えてほしいところだが――そこまでは望めない。
「アダルジーザ……今晩、一緒に夕食を取るのはどうだ」
拒否権が、私にあると思っているのだろうか。
「皇帝陛下、光栄ですわ」
微笑んでそう返すと、彼は安堵したように笑った。和らいだ眼差しに、何故か胸が高鳴る。
「お前の好きなものを作らせよう。……正午過ぎまでに侍従を寄越すから、何でも言いつけると良い」
「皇帝陛下のお心遣いに感謝致します」
彼が去った部屋には、静けさと冷ややかな視線だけが残った。
◇
正午前、交代の侍女たちが部屋を訪れた。
必要もない引き継ぎのために、扉の近くに数名で集まって話し込んでいる。
「敗戦国の王女のくせに……」
「ペルラだけでなく、プラータまでもが滅びたのです。あのような顔をして、恐ろしい女に違いありませんわ……」
「皇帝陛下や騎士たちは、騙されておいでなのよ」
(プラータを滅ぼしたのは、あなた達の皇帝陛下でしょう……)
かろうじて聞こえるほどの声音で話す様子からは、皇后宮の厭らしさが感じられた。
「あのフィデル卿も――ロサレス侯爵家に婿入りされたばかりだというのに、あまりに酷い話ですわ」
「未亡人となられた侯爵夫人は、すぐに辺境の修道院に入られたとか……」
「ロサレス侯爵家は一年は喪に服し、屋敷で過ごすようにと皇帝陛下がお命じになられたんですって」
「なんてお気の毒なのかしら」とわざとらしく口にした侍女の一人が、私を横目で睨んだ。
(私のせいだと言いたいの……?)
テオバルドがフィデル卿を罰したと聞いて、ひどく後味の悪さを感じていた。けれど、被害者なのは私の方だ。
思わず睨み返してしまった私に、侍女は顔を背けた。
「何があったかはよく知らないけれど、あの女が誘惑したに違いありませんわ。何せ、プラータの王と王子たちを誑かした女ですもの」
(何ですって……?)
さすがに聞き捨てならない――そう思って立ち上がったときだった。
軽快なノックとともに、僅かに硬い声が落とされる。
「侍従官のエルネスト・バルデスでございます。皇帝陛下の命で参りました」
その声は、彼女たちの戯言を引き裂くかのように響いた。




