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聖女を狙え~光と薔薇の運命~

作者: 華咲 美月

 プロローグ:聖女学園への入学


 朝露がきらめく石畳の道を、馬車がゆっくりと進んでいた。

 ノルン・マイヤールは窓の外に広がる壮麗な景色に目を奪われながらも、胸の高鳴りを抑えきれなかった。

 今日から彼女は聖女学園の一員となる――王国中の貴族令嬢たちが集い、魔法と礼儀作法を学ぶ、名誉と伝統に満ちた場所だ。


「大丈夫、大丈夫……」

 自分に言い聞かせるように、小さな声でつぶやいた。

 光の魔力を持つ自分ならきっとやっていける。

 家族の期待を背負い、この学園で聖女としての地位を確立してみせる。

 そんな決意がノルンの心を強くしていた。


 馬車が学園の大門の前で止まり、扉が開かれる。

 目の前に広がったのは、まるで城のように荘厳な白亜の建物だった。

 高くそびえる尖塔と、幾何学模様が刻まれた石造りの壁が太陽の光を受けて輝いている。

 その壮大さに、ノルンは一瞬息を呑んだ。


「ノルン・マイヤール様、お荷物はこちらでお運びします」

 従者の声で我に返り、彼女は馬車を降りた。

 スカートの裾を整え、深呼吸をしてから、重厚な門をくぐる。


 中庭にはすでに多くの生徒たちが集まっていた。

 華やかなドレスに身を包んだ貴族令嬢たちが談笑し、時折鋭い視線を交わしている。

 彼女たちは皆、家柄や魔法の才能を誇る者たちばかり。

 ノルンは自分がどれだけこの場に相応しいのか、不安と期待が入り混じる中で立ち尽くしていた。


 すると、その中でもひときわ目を引く存在が目に留まった。


 黄金色の髪が太陽の光を受けて柔らかく輝き、深紅の瞳が冷たい炎のように周囲を見下ろしている。

 その少女は一輪の薔薇のように気高く、完璧な微笑みを浮かべながらもどこか人を寄せ付けないオーラを放っていた。

 彼女の周囲には自然と人が集まっていたが、誰もがその威圧感に言葉を慎んでいる。


「あれが……エリザベス・ロイエンタール公爵令嬢……」

 誰かの囁きがノルンの耳に届く。

 **「薔薇の貴婦人」**と称される彼女は、すでに聖女見習いとしても頭一つ抜きん出た存在であり、その名声はノルンも知っていた。


 その瞬間、エリザベスの鋭い視線がノルンに向けられた。

 赤い瞳と青い瞳が交わる。

 周囲の空気が一瞬にして張り詰めるような感覚に、ノルンの心臓が高鳴る。

 エリザベスはゆっくりと歩み寄り、優雅にスカートの裾をつまんで一礼した。


「あなたがノルン・マイヤールね? 男爵家の娘が聖女学園に入学するなんて、珍しいわ」

 その声は穏やかでありながら、どこか試すような響きを持っていた。


 ノルンはその挑戦的な言葉に反発心を覚えながらも、微笑みを返す。

「ええ、光の魔力を持つ者として、この学園に招かれたの。家柄は関係ないでしょう?」


 その返答にエリザベスの唇がわずかに吊り上がる。

 まるで興味深い玩具を見つけたかのようなその表情に、ノルンは心の中で拳を握りしめた。


「ふふ……楽しみね」

 エリザベスはそう言うと、再び優雅な歩調で去って行った。

 ノルンはその背中を見送りながら、自分の中に芽生えた新たな感情を確信する。


 ――この学園で、私は必ず彼女に勝つ。


 その瞬間から、ノルンの聖女としての試練と成長の物語が静かに動き出した。

 ライバルとして出会った二人の少女が、やがてどのような運命を辿るのか――それはまだ誰も知らない。


 第1章:ライバルとの出会い


 朝の鐘が聖女学園の空に響き渡る頃、ノルン・マイヤールは自室の窓から中庭を見下ろしていた。

 昨日の入学式で見た壮麗な光景がまだ目に焼き付いている。

 しかし、彼女の心はそれ以上に、エリザベス・ロイエンタール公爵令嬢との出会いの余韻に支配されていた。


 あの深紅の瞳、冷ややかな笑み、そして自信に満ちた態度――。

 ノルンの中でエリザベスは既に越えるべき壁として強く刻まれていた。


「……今日からが本番ね」


 ノルンは銀色の髪を一つに束ね、青い瞳を引き締めた。

 新しい制服に袖を通し、光の魔力が織り込まれた白と金の装飾が朝の光に反射するのを確認すると、深呼吸して部屋を出た。


 聖女学園の訓練場は広大で、石畳の床が陽光を浴びてきらめいていた。

 中央には魔法陣が刻まれ、その周囲を囲むように生徒たちが集まっている。

 ノルンが到着すると、既に多くの生徒が集まり始めており、ざわめきが静かに広がっていた。


 しかし、その中でも一際強い存在感を放つ者がいた。


 エリザベス・ロイエンタール――昨日と変わらぬ気品を漂わせ、彼女はまるで舞台の主役のようにそこに立っていた。

 長い金髪は朝の光を受けて輝き、深紅の瞳は冷たくも美しい光を宿している。

 彼女の周囲には他の令嬢たちが取り巻いていたが、誰もがその威圧感に押され、遠巻きに見守るだけだった。


 ノルンは一瞬足を止めたが、すぐに気を引き締めてエリザベスの前へと歩み寄った。


「おはよう、エリザベス様」

 ノルンは微笑みながらも、その瞳には挑戦の色を滲ませた。


 エリザベスはゆっくりとノルンに視線を向けると、唇の端をわずかに上げた。


「おはよう、ノルン。昨日の態度、なかなかのものだったわ。男爵令嬢としては、随分と自信があるようね」


 その言葉に周囲の令嬢たちがクスクスと笑い声を漏らす。

 しかし、ノルンは怯むことなく一歩前に出た。


「ええ、自信はあるわ。聖女としての資質に家柄は関係ないもの」

 その言葉に場の空気が一瞬凍りついた。


 エリザベスは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに余裕の笑みを浮かべた。


「ふふ……その自信、どこまで持つかしらね」


 二人の間に流れる緊張感を打ち破るように、突然、鋭い声が響いた。


「――静かに」


 その声は訓練場全体に響き渡り、全員が一斉に振り向いた。

 そこに立っていたのは、アレックス・エインシュタール王太子。

 黒髪を後ろで束ね、鋭い灰色の瞳が生徒たちを冷静に見渡している。

 彼の存在だけで場の空気が一変し、全員が背筋を伸ばした。


「君たちは聖女見習いだ。くだらないプライドで無駄な争いをするなら、この場を去るがいい」


 その冷たい言葉に、ノルンもエリザベスも思わず沈黙した。

 アレックスは彼女たちの間に視線を走らせた後、ゆっくりと歩みを進める。


「今日は基礎魔法の訓練を行う。自分の限界を知り、それを超えるための覚悟を見せろ」


 アレックスの言葉は厳しくも、どこか生徒たちへの期待を込めた響きを持っていた。

 ノルンはその言葉を胸に刻み、光の魔力を静かに手に集めた。


 訓練が始まると、アレックスの厳しさは予想以上だった。

 彼は一人一人の魔力の使い方を徹底的に指摘し、改善点を冷静に指示する。

 その指導は的確で無駄がなく、ノルンも次第に自分の未熟さを痛感していった。


「ノルン、集中が足りない」

 アレックスの声が飛ぶ。彼の鋭い視線にノルンは顔を赤らめながらも、再び光の魔力を練り直す。


「もっと意識を内側に向けろ。光はお前の心の中にある。それを信じろ」


 その言葉に導かれるように、ノルンの手の中で柔らかな光が輝きを増した。

 成功の瞬間、彼女はアレックスの視線と交わり、その瞳の奥にわずかな微笑みが浮かぶのを見た気がした。


 一方、エリザベスは完璧な魔法の制御を見せ、薔薇の花びらが舞うように美しく魔法陣を描いていた。

 彼女の力は確かに群を抜いていたが、その瞳はどこか冷たく、孤独な光を宿しているようにも見えた。


 訓練が終わる頃、ノルンは疲労で膝を震わせながらも立ち上がった。

 エリザベスは涼しげな顔で彼女を見下ろし、静かに言った。


「思ったより悪くないわ。でも、まだまだね」


 ノルンは息を整えながらも、負けじと笑みを返した。


「ええ、これからもっと強くなるわ。あなたを超えるために」


 その言葉にエリザベスの瞳がわずかに揺れた。

 しかしすぐに彼女は背を向け、薔薇の香りを残して去って行く。


 ノルンはその背中を見送りながら、アレックスの言葉を思い出した。


「自分の限界を知り、それを超えろ」


 その言葉通り、ノルンの戦いはまだ始まったばかりだった。

 そして、エリザベスという存在が彼女をどこまで高みに導いてくれるのか、それはこの先の試練によって明らかになるだろう。


 第2章:試練の始まり


 聖女学園の朝は、冷たい空気と静寂の中に始まる。

 薄明かりの中で、ノルン・マイヤールは訓練場に向かう自分の足音だけを聞いていた。

 昨日のエリザベスとの対峙と、アレックスの厳しい指導が頭の中を何度も反芻される。


「自分の限界を知り、それを超えろ」


 アレックスの言葉はノルンの心に深く刻まれていた。

 しかし、光の魔力を操ることは簡単ではない。

 彼女の魔力は強力であるが故に、制御が難しく、暴走の危険すら伴う。

 それでも、ノルンは自分の力を信じ、今日の訓練に全力を尽くす決意を固めていた。


 訓練場に到着すると、既に生徒たちは集まり始めていた。

 冷たい朝の空気の中で、白い吐息が立ち上る。

 ノルンは無意識にエリザベスの姿を探した。

 彼女はいつものように完璧な姿勢で立ち、金色の髪が朝の光に輝いている。

 深紅の瞳が静かに周囲を見渡しており、その冷たい美しさに多くの生徒たちが一歩引いていた。


「今日も負けない」

 ノルンは心の中で呟き、訓練用の杖を握りしめた。


 まもなく、アレックス・エインシュタールが現れた。

 彼の姿が見えると、場の空気が一瞬で引き締まる。

 黒髪をきちんとまとめた彼は、灰色の瞳で生徒たちを一瞥しただけで全員を沈黙させた。


「本日の訓練は魔力の制御に焦点を当てる。どれほど強大な力を持っていようとも、制御できなければ無意味だ」


 アレックスはそう言い放つと、手を軽く振り上げた。

 すると訓練場の中央に光と闇が交錯する魔法陣が浮かび上がる。


「一人ずつこの魔法陣の中に立ち、自分の魔力を放出しろ。ただし、暴走させた瞬間に失格だ」


 その厳しい条件に生徒たちの間にざわめきが広がったが、アレックスの鋭い視線がそれを即座に鎮めた。


「最初は――ノルン・マイヤール」


 ノルンの名が呼ばれた瞬間、彼女の心臓は大きく跳ねた。

 緊張と期待が入り混じる中、彼女はゆっくりと魔法陣の中央に歩みを進めた。

 周囲の視線が彼女に集中する。

 その中にはエリザベスの冷静な視線もあった。


「私はできる……」


 ノルンは深呼吸をし、手を胸元に置いた。

 内側から湧き上がる光の魔力を感じ、それを意識の中で静かに形作る。

 次第に彼女の体から柔らかな光が漏れ始めた。

 その光は純粋で、暖かく、周囲を包み込むような優しさを持っていた。


 しかし、次の瞬間、光の魔力が急激に膨れ上がり、暴走の兆しを見せ始める。

 ノルンの体は震え、魔法陣の上に立つ彼女の足元がひび割れ始めた。


「落ち着け、ノルン」

 アレックスの冷静な声が飛ぶ。


 その声に導かれるように、ノルンは意識を内側に集中させた。

 自分の中の光の源を見つめ、その中心に心を委ねる。

 すると、不思議と光の暴走が静まり、魔力が穏やかに収束していった。


 光が完全に制御された瞬間、訓練場には静寂が訪れた。

 アレックスは微かに頷き、静かに言った。


「……合格だ」


 ノルンは深く息を吐き、体の力を抜いた。

 その瞬間、達成感と共に小さな笑みがこぼれる。

 しかし、ふと視線を上げると、エリザベスが無言で彼女を見つめているのに気づいた。

 その瞳には、いつもの冷静さの奥に何か微かな感情が宿っていた。


 次に呼ばれたのは、もちろんエリザベスだった。

 彼女は優雅な足取りで魔法陣の中央に進み、その場に立った瞬間、空気が変わった。


 エリザベスは一言も発さずに目を閉じ、手のひらをゆっくりと上げた。

 すると、彼女の周囲に無数の薔薇の花びらが舞い始めた。

 深紅の花びらはまるで生きているかのように宙を漂い、その美しさに生徒たちは息を呑んだ。


 だが、その美しさの裏には圧倒的な魔力が秘められていた。

 薔薇の魔法は周囲の空気を震わせ、魔法陣の光すら飲み込むほどの力を放っている。

 しかし、エリザベスは微動だにせず、完璧にその力を制御していた。


「――完璧だ」

 アレックスの評価は簡潔だったが、その声にはわずかな驚きが含まれていた。


 エリザベスは淡い笑みを浮かべて魔法を解き、静かにその場を去った。

 その姿には一切の隙がなく、まさに「薔薇の貴婦人」と呼ばれるに相応しい威厳を纏っていた。


 ノルンはその姿を見つめながら、心の中で悔しさと尊敬が入り混じる感情を抱いていた。


「あの人を超えるには、まだまだだ……」


 その日の訓練が終わる頃、ノルンは一人で中庭に佇んでいた。

 自分の魔力を制御できたことへの喜びと、エリザベスの圧倒的な実力を目の当たりにしたことで、複雑な思いが胸に渦巻いていた。


 すると、背後から聞き慣れた冷たい声が響いた。


「あなた、少しはやるようになったわね」


 振り返ると、エリザベスがそこに立っていた。

 彼女は相変わらず冷静な表情だったが、その瞳の奥にはどこか柔らかさが宿っていた。


「ありがとう。でも、次はもっと上手くやるわ」

 ノルンは微笑みながらも、決意を込めて答えた。


 エリザベスは少しだけ目を細めると、そっと視線を空に向けた。


「私たちはきっと……互いに成長するのね」


 その言葉に、ノルンは驚いた。

 しかし次の瞬間、エリザベスは再び冷たい微笑みを浮かべて背を向けた。


「負けないでね、ノルン。あなたが弱いと、私がつまらないから」


 その言葉を残して去っていくエリザベスの背中を見送りながら、ノルンは静かに拳を握った。


「絶対に、負けない」


 その日、二人のライバル関係は新たな段階へと進んだ。

 互いを認め合い、成長を促す存在として――光と薔薇の運命が交錯する、試練の始まりだった。


 第3章:魔王の影


 聖女学園の平穏な日々は、ある朝の鐘の音で終わりを告げた。

 普段の厳かさとは違う、緊急を告げる不穏な鐘の音が空気を震わせる。

 ノルン・マイヤールは目を覚ますと同時に、胸の奥に広がる不安を感じ取った。


「何かが……起きた」


 制服に着替える間も惜しみ、ノルンは慌てて廊下へ飛び出した。

 すでに学園内は騒然としており、生徒たちがざわめきながら集まっている。

 ノルンの耳に入ってきたのは、信じがたい言葉だった。


「魔王が復活した……!」


 その一言に、ノルンの心臓は冷たい手で掴まれたかのように強く締めつけられる。

 魔王――それは伝説の中だけの存在であり、封印されたはずの恐怖。

 しかし、その存在が現実となった今、王国全体が危機に晒されることは明白だった。


 講堂に全生徒が集められ、重苦しい空気の中、アレックス・エインシュタールが壇上に立った。

 その姿はいつも通り堂々としていたが、どこか影のような疲労が見え隠れしていることに、ノルンは気づいた。


「――静かに」


 アレックスの低い声が講堂全体を制した。

 生徒たちは息を呑み、その次の言葉を待つ。


「王国を脅かす魔王が復活した。王宮は既に防衛体制に入っているが、我々聖女学園も無関係ではいられない」


 生徒たちの間にざわめきが広がる中、アレックスの灰色の瞳が鋭く光った。


「君たちは聖女見習いであり、王国の希望だ。だが、これは訓練ではない。命を懸けた戦いになることを覚悟しろ」


 ノルンは拳を強く握りしめた。

 自分に与えられた力が、今こそ試される時だと理解していた。

 しかし、その一方で、アレックスの様子に違和感を覚えていた。

 いつも冷静で完璧な彼が、今日に限ってわずかな疲れと痛みを隠しているような素振りを見せている。


 講堂の隅で、エリザベス・ロイエンタールも静かにアレックスを見つめていた。

 彼女の深紅の瞳には冷静さが保たれているものの、その奥には不安と疑念が漂っているのがわかる。

 ノルンはその視線を見て、エリザベスもまた同じ違和感を感じていることに気づいた。


 その日の午後、特別訓練が始まった。

 魔王との戦いに備え、生徒たちは極限まで魔力の制御と戦闘技術を叩き込まれる。

 ノルンとエリザベスは共に前線に立ち、アレックスの指導の下で激しい訓練を受けていた。


「ノルン、もっと集中しろ。お前の光の魔力は強いが、まだ揺らぎがある」

 アレックスの厳しい声が飛ぶ。


 ノルンは額に汗を滲ませながら、必死に魔力を制御した。

 しかし、ふとアレックスの顔に視線を移した瞬間、彼の表情が一瞬だけ苦悶に歪むのを見逃さなかった。


「やっぱり……何かおかしい」


 アレックスはすぐに平静を装い、何事もなかったかのように指導を続けた。

 しかし、その様子は明らかに普段と違う。

 ノルンは心の中で不安が膨らむのを感じた。


 訓練が終わった後、ノルンはエリザベスに声をかけた。


「ねえ、エリザベス。アレックス様のこと、気づいてる?」

 エリザベスは一瞬ノルンを見つめた後、静かに頷いた。


「ええ……彼は何かを隠している。でも、それが何かは分からない」

 エリザベスの声には普段の自信が影を潜め、代わりに不安と焦燥が滲んでいた。


 その夜、ノルンは眠れないまま学園の廊下を歩いていた。

 月明かりが窓から差し込み、静寂の中で自分の足音だけが響く。

 ふと、遠くから微かに聞こえてくる魔力の波動に気づいた。


 ノルンはその波動を辿っていくと、学園の中庭でアレックスが一人立っているのを見つけた。

 彼の体からは異様な黒い霧が立ち上り、魔力が不安定に揺れている。


「……アレックス様?」


 ノルンが声をかけると、アレックスは驚いたように振り返った。

 しかし、その顔は普段の冷静さを失い、青白く、額には冷たい汗が滲んでいた。


「……ここに来るな、ノルン」


 その声はかすれ、どこか苦しげだった。

 ノルンは怯むことなく一歩前に出た。


「何が起きているんですか? あなたの魔力が……普通じゃない!」


 アレックスはしばらく沈黙した後、低く呟いた。


「……これは魔王の呪いだ」


 ノルンの胸が冷たく締めつけられる。

 魔王の呪い――それはただの伝説ではなく、今ここでアレックスを蝕んでいる現実だった。


「私は……この呪いを隠し続けてきた。生徒たちに不安を与えたくなかったからだ」


 その言葉に、ノルンは怒りと悲しみが入り混じる感情を抱いた。


「そんなの……! 一人で抱え込むなんて……!」


 しかしアレックスは静かに首を振った。


「ノルン、お前にはお前の使命がある。私のことは気にするな。魔王を倒すために、お前は強くならなければならない」


 その言葉にノルンは涙をこらえながらも、強く頷いた。


「……わかりました。でも、絶対に……あなたを助ける方法を見つけてみせます」


 アレックスは微かに微笑むと、再び夜の闇の中に姿を消した。


 翌朝、ノルンとエリザベスは再び訓練場に立っていた。

 二人の間にはもう無言の理解があった。アレックスのために、そして王国のために、二人は力を合わせて戦う覚悟を決めていた。


 魔王の影は確実に迫っていたが、それでもノルンとエリザベスの心には強い決意が宿っていた。


「私たちは負けない。アレックス様のために――」


 この試練が二人をさらに強くし、運命を大きく変えることになるとは、この時まだ誰も知らなかった。


 第4章:運命の戦い


 漆黒の空が王都の上に覆いかぶさるように広がっていた。

 冷たい風が吹き荒れ、空気は魔力の重圧で張り詰めている。

 魔王の軍勢が城壁を包囲し、暗黒の炎が大地を焼き尽くしていた。


 ノルン・マイヤールは、震える指先を強く握りしめながら、聖女学園の前線に立っていた。

 隣にはエリザベス・ロイエンタールが薔薇の杖を手にし、深紅の瞳で戦場を見据えている。

 二人の間には言葉はなかったが、心は一つに結ばれていた。


「これが最後の戦い……」


 彼女たちの視線の先には、暗黒のオーラを纏う魔王が立っていた。

 その存在感は圧倒的で、周囲の兵士たちは怯え、立ちすくむ者さえいた。

 しかし、ノルンとエリザベスは一歩も退かなかった。

 彼女たちには守るべきものがあった――アレックス、そして王国の未来。


「全員、退避しろ!」


 その声が戦場に響き渡る。

 アレックス・エインシュタール王太子が戦場に現れ、鋭い灰色の瞳で兵士たちに指示を飛ばした。

 その姿はいつも通り冷静沈着だったが、ノルンとエリザベスには分かっていた。

 彼の体は魔王の呪いに蝕まれており、既に限界が近いことを。


「アレックス様、無理です!」

 ノルンが叫ぶ。

 しかし、アレックスは首を振り、静かに微笑んだ。


「君たち二人にしかできないことがある。私は……最後の力で時間を稼ぐ」


 その言葉と共に、アレックスは魔法陣を展開し、魔王に向かって歩みを進めた。

 その姿はまるで自らの運命を受け入れたかのようだった。


「行くわよ、ノルン」

 エリザベスが低く囁く。

 ノルンは涙をこらえながら頷き、二人はアレックスの背中を追い越し、魔王に立ち向かう。


 魔王との距離が縮まるごとに、空気が重く、冷たくなっていく。

 魔王は冷酷な笑みを浮かべ、巨大な闇の魔力を放ってきた。

 しかし、ノルンとエリザベスは怯むことなく、それぞれの魔法を解き放った。


「光よ、我が手に集え――!」

 ノルンの手から放たれた純白の光が闇を切り裂く。


「薔薇よ、命を守る盾となれ――!」

 エリザベスの薔薇の魔法が美しくも強固な防壁を作り出す。


 二人の魔法が戦場を彩り、闇と光、赤と白のコントラストが激しく交錯する。

 しかし、魔王の力は圧倒的だった。

 ノルンの光の魔力が押し戻され、エリザベスの薔薇の盾がひび割れていく。


「くっ……!」

 ノルンが膝をつきかけたその時、アレックスの声が響いた。


「二人の力を一つに――!」


 その言葉に導かれるように、ノルンとエリザベスは互いに手を取り合った。

 二つの魔力が交わり、光と薔薇が融合する。

 眩いばかりの輝きが戦場を包み込み、魔王の闇を徐々に浄化していく。


「私たちは……負けない!」

 ノルンの叫びと共に、二人の魔法は最大限に膨れ上がり、魔王の心臓を貫いた。


 魔王は断末魔の叫びを上げながら崩れ落ち、暗黒のオーラは次第に消え去っていった。

 戦場に静寂が訪れた瞬間、ノルンとエリザベスは息を切らしながらも勝利を確信した。


 しかし、その勝利の喜びは長くは続かなかった。


 振り返ると、アレックスが膝をつき、地面に倒れ込んでいた。

 ノルンとエリザベスは駆け寄り、彼の名を呼ぶ。


「アレックス様!」

「アレックス……!」


 アレックスの顔は青白く、呼吸は浅かった。

 魔王の呪いは彼の体を完全に蝕んでいた。


「君たち……本当によくやった」

 アレックスはかすかな笑みを浮かべながら、二人を見つめた。

 その灰色の瞳には、誇りと愛情が宿っていた。


「でも、あなたを助ける方法が……!」

 ノルンが必死に光の魔力で癒そうとするが、アレックスは首を振る。


「これは……運命だ。私の命はここまでだ。でも……君たちがいる。君たちがこれからの王国を守ってくれる」


 エリザベスの目から静かに涙がこぼれ落ちた。

 普段は強く気高い彼女も、アレックスの前では一人の少女に戻っていた。


「私、あなたの隣にいたかった……もっと……」


 アレックスはエリザベスの手を優しく握り、最後の力を振り絞って言葉を紡いだ。


「エリザベス……君は強い。君なら大丈夫だ。そして……ノルン、君も」


 ノルンは涙を流しながらも、必死に微笑んだ。


「アレックス様、あなたの教えを忘れません……必ず、王国を守ります」


 アレックスは静かに目を閉じ、最後の呼吸を吐き出した。

 彼の顔には穏やかな安らぎが宿り、まるで全てを受け入れたかのようだった。


 戦いは終わった。しかし、二人の心には深い傷が残った。


 ノルンとエリザベスはアレックスの遺志を胸に、それぞれの道を歩むことを決意した。

 ノルンは新たな聖女として王国の再建に尽力し、エリザベスは公爵家の後継者としての責務を果たす。


「私たちは強くなる。あなたのために」


 空には新たな朝日が昇り、二人の未来を照らしていた。

 アレックスの教えと共に、彼女たちの冒険はまだ続く――光と薔薇の運命が交わる限り。


 エピローグ:別れと新たな旅立ち


 春の訪れと共に、王国の空はかつてないほど澄み渡っていた。

 魔王が討たれ、長い闇の時代が終わったことを告げるかのように、陽光は暖かく、穏やかだった。

 しかし、その光の下で微笑むことは、二人にとってまだ容易ではなかった。


 ノルン・マイヤールは、聖女学園の高台から王都を見下ろしていた。

 銀色の髪が風に揺れ、青い瞳には複雑な光が宿っている。

 王国は復興の最中にあったが、彼女の心には未だにアレックス・エインシュタールの面影が色濃く残っていた。


「あなたなら、きっともっと上手くやれたわよね……」


 ノルンは静かに呟きながら、胸元に隠していた小さな銀のペンダントを握りしめた。

 それはアレックスが最後に彼女に託したもので、彼の温もりがまだ残っている気がした。


「でも、私は私のやり方で前に進むわ」


 その言葉に力を込めると、ノルンはペンダントを胸に戻し、振り返った。

 そこには、変わらぬ気品を漂わせたエリザベス・ロイエンタールが立っていた。

 彼女の長い金髪は春の陽光を浴びて輝き、深紅の瞳は以前よりも柔らかな光を帯びている。


「また、ここにいたのね」

 エリザベスの声には優しさと寂しさが入り混じっていた。


「ええ……ここが、一番アレックス様を近くに感じられる気がして」

 ノルンは微笑みながら答えたが、その瞳には静かな涙が光っていた。


 エリザベスはそっとノルンの隣に立ち、共に王都を見下ろした。


「彼がいなくなっても、私たちは変わらないわ。私たちは強くなった。そして……これからも強くなり続ける」


 その言葉に、ノルンは力強く頷いた。

 エリザベスの存在は、かつては乗り越えるべき壁だった。

 しかし今は、共に戦い、共に涙を流した仲間であり、心の支えでもあった。


 数日後、王宮でアレックスの追悼式が執り行われた。

 王族と貴族たちが集まり、彼の功績と勇気を讃える中、ノルンとエリザベスは静かに祈りを捧げていた。


「あなたの教えは、私たちの中に生き続けます」

 ノルンは心の中でアレックスに語りかけた。


 式が終わると、二人は王宮の庭園を歩き始めた。

 春の薔薇が咲き誇る庭園は、かつてアレックスとエリザベスが未来を語り合った場所でもあった。


「エリザベス、これからどうするの?」

 ノルンが静かに尋ねると、エリザベスは少し遠くを見つめた。


「私は公爵家の後継者として、この王国を支えるわ。でも、それだけじゃない。アレックスの夢だった平和な未来を、私自身の手で作り上げたい」


 ノルンはその言葉に微笑み、頷いた。


「私も、聖女として王国の再建に尽力するわ。アレックス様が守ろうとしたこの国を、もっと強く、美しくするために」


 二人はしばらく無言で歩き続けたが、その沈黙は居心地の良いものだった。

 かつてのライバル関係は、互いを支え合う固い絆へと変わっていた。


 別れの時は、思ったよりも早く訪れた。


 王都の門前で、二人は最後の言葉を交わすために立ち止まった。

 ノルンは旅支度を整え、再建支援のために地方へ向かう準備ができていた。

 一方、エリザベスは公爵家の役割を果たすために王宮へ戻ることになっていた。


「また会えるわよね?」

 ノルンが少し不安そうに尋ねると、エリザベスは穏やかに微笑んだ。


「もちろん。またすぐに会えるわ。だって私たちは、アレックスの遺志を継ぐ者同士なんだから」


 その言葉に、ノルンは安心したように微笑み返した。


「負けないわよ、エリザベス。次に会う時は、もっと強くなってるから」


「ふふ、私も負けないわ。あなたが成長するなら、私もそれ以上に成長するもの」


 二人はしっかりと握手を交わし、別々の道へと歩き出した。

 背を向けても、心は繋がっていることを感じながら――。


 時は流れ、季節は再び巡る。


 王国は少しずつ復興し、アレックスの名は伝説として語り継がれていった。

 しかし、ノルンとエリザベスの物語はまだ終わらない。


 光と薔薇――二つの運命が再び交わるその時まで、彼女たちはそれぞれの場所で強く、美しく生き続けるだろう。


 そしていつか、再び肩を並べて戦う日が来る。

 その日を信じて――。


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